この街に簡単な仕事なんてない vol.3結構離れたし、これくらいなら大丈夫でしょ。
そんな程度に思っていた。
走ることを考えていない靴で、そもそも走ることが不得意な人間が走り続けるなんて無理がある。
廃ビルの階段を上り、ようやく一息つこうと歩きだすと、廃材でも踏んだのか体勢を保てなくなった。
「いって…」
咄嗟に砂利だらけの床に手をついてしまった。手を払うとどこか切れたのか、軽く触れただけでも痛みが走る。
念のためスマホのライトで周りを照らすと、なにかが光を反射した。車から持ってきたUSBを落としていた。
「あっぶね…怒られるところだった」
反射した光を頼りに手を伸ばして、壊れていないか確認する。電子機器は簡単に壊れやすい。
一度砂を払ってから再びライトで照らすと、部屋に響く大きな音共に視界の端で火花がちらついた。
まずい、ものすごくまずい。
慌ててスマホを隠して頭を庇いながら伏せた。ライトで場所はバレてるが、二発目が来たら確実に死ぬ。
そんなことを考える頭はあるが、心臓はものすごくうるさい。手の指先まで冷えきるくらい血の気が引いているのがわかる。
次の行動次第で、死ぬ。
だけど、一周回って頭は冴えていた。
道中聞こえてきた仲間からの通信では、この男が車から逃げたあと、ターゲットの女も車から離れたらしい。たまたま逃げてきただけか?
『後ろは施錠されてる。キーがないが、運転席から確認したところおそらく改造車。モニターがいくつか見える』
スクープを探しに来た記者まがいなら、それはそれで厄介だ。次の指示を考えながら階段を上り続けると、最後に一言だけ聞こえた。
『…路地入り口の監視カメラを映してる。止めたことがバレてるな』
マスコミでもそこまでしない。それほどの権限も技術もない。でなければ、ケイが許さないはずだ。現場付近にケイの配置が少なかったのは、あらかじめ監視の目があったとも考えられる。
まるでパズルのピースが当てはまっていくかのように、繋がっていく。階段を上りきったあと、暗がりの中なにか光が見えた。あの手にもっているものは。
「鬼ごっこは終わりにしねぇか、兄ちゃん」
伏せた背中に投げ掛けるも、動く様子はない。
この状況下で動かないのは正解だ。判断は正しい。
「両手を上げて立て、そうすりゃなにもしないさ」
無理矢理奪うこともできるが、もしケイでなくとも必要以上に人と関わるのは避けたい。無駄に命を奪う必要もないからだ。
弾は当たっていないはずだが、男はなかなか立ち上がらない。ライトを当てた背中に手を伸ばそうとするとようやく動き出した。
手を軽く握り、顔より高く上げて立ち上がる。諦めたのか、意を決したのか、ゆっくりと振り返った。
「…奇遇だね、こっちもやめたかったところ。お宅らしつこいね?」
メガネにワイシャツ姿、どう見ても弾が飛び交う場所にいる人間の服装ではない。たまたま巻き込まれた民間人にしては、怯える様子もなくライトの光に顔をしかめている。となると、ここまで逃げる理由は一つ。
「仕事なんでね。アンタらケイがお相手してるやつらが、どうしてもってな」
『ケイ』という言葉にばつが悪そうに顔を歪めた。少し口ごもるも、大きなため息をついた。
「………へぇ、金に困ってるんだ?元傭兵って」
「おぉ、ご存じだったとは。おそれ多いねぇ」
「わざわざあんたが出てくるなんて、よっぽど暇なのかよ。ヴァルチャー」
読みは当たったようだ。
自分の通り名を把握していることには少し驚いた。優秀な通信兵だが、残念なことに無謀すぎる。わざわざ一人で逃げることも、逃げた先の選択も。
「まさか。早く一杯やりたいところなんでな。兄ちゃんなら、どうしたらいいかわかってくれると思うんだけどなぁ?」
上げた腕も疲れてきたのか、握りしめた手が下がってきている。こちらもゆっくり銃を下ろすと、その動きを警戒するように目で追っていた。
「アンタの命がほしいわけじゃない、俺たちが欲しいのは、アンタが持ってるもんだ」
「……これが欲しいって、マジでいってんの?」
呆れるように笑うと急に目の前に投げてきた。咄嗟に顔に近い位置でキャッチするも、中身を確認する前に視界に映ったものにため息が出る。
まさか、今度はこっちが手を上げる番とは。
「あの車は俺の好みじゃねぇなぁ」
「あんたが欲しいって言ったんだろ」
手の中にあるのは車のキー、見間違えたのは誤算だった。キーを見せるように手のひらを向けて上げると、こちらに突きつけた銃を握り直していた。不馴れなのか、少し眉間にシワを寄せて両手で構えている。うっかり引き金を引かないかこっちがヒヤヒヤするくらいだ。
「そんな怖い顔するなって、俺たちがほしいのはデータだ。それさえ手に入れればなにもしないさ」
「データ?なんの話?人違いじゃないの」
「わざわざ車を運転せずに走って逃げる方が、この街じゃ命取りだと思わないか?」
「急に車の後ろで喧嘩始まったらビビるでしょ」
小型銃、護身用程度のものか。武器を所持しているあたり、ケイとして対処する前提でここに来てはいるんだろう。だが、銃口の向け先を悩んでいるのか、時折目線がぶれる。
どうしたもんか。
素人が武器を持つと想定外の自体が起こりやすい。対処法を考えつつも、次の話題を探す。
「…そうだな、その車の中からモニターやらなんやら機材が見つかったらしい。アンタが持ってるものを渡してくれたら、このキーを使って車ごと持っていかなくて済むんだがなぁ」
車に目をつけられていたのは誤算だったのか、少しだけ目を見開いた。どんどん動揺してきている。慣れていないなぁ、話し合いにも、読み合いにも。
「…それは、どっちも怒られるから無理な話だね」
「なぁに、奪われたっていえばいいじゃないか」
「…ばかにしやがって」
カチッ
引いた引き金の違和感に気づいたのか、男は向けていた銃に目線が移った。
だから言ったろ?
データが手に入ればなにもしないって。
顔面に一発いれるのは簡単だった。床に落ちたメガネと共に倒れこんだが、気絶はしていないようだ。痛みに呻く声が聞こえ、鼻を抑えている。
「銃を持つのは初めてかい?」
セーフティーバーを外し忘れた銃から弾を抜き、ばらしていく。傷が少ない辺り本当に銃を握ったことがないのかもしれない。
足元で起き上がろうともがいていたが、頭が揺れたからかふらついている。意識が飛ぶ前に回収しなければ。
「データを渡すか、ここで死ぬか。どちらかだ」
銃を向けると、一瞬こちらに目線をやったがふらつきながら壁に寄りかかった。
鼻からボタボタと血が流れ、ワイシャツに滲んでいくのを眺めるように、ただ俯いていた。
「戦場で選んでる暇なんてない、アンタは幸運だ。データを渡すだけでいいんだからよ」
「……あの車…通りに、あんのは…おかしいと思わない?」
俯いたまま、呟くように口を開いた。
鼻で呼吸ができないのか、肩を揺らして息を整えている。表情は見えない。
「…兄ちゃんの車か?確かにあそこじゃ切符を切られても仕方ないな」
「…そう、人目にもつきやすいし、あんたらの目にも、止まりやすい。そうだろ」
意識がはっきりしてきたのか、徐々に声が大きくなっている。
最後の悪あがきか。
「兄ちゃん、悪いがおしゃべりする暇はないんだ」
分かりやすく一歩踏み出しても、顔を上げる様子はない。それどころか頭を軽く振って小さく笑う声さえ聞こえる。
「あんたらから逃げるにしても、こんなとこに来なくたっていい。こんな開けた場所、隠れるには向いてないだろ?」
自分の選択は誤りだった、とでも言いたいのか。
肩を震わせて笑うと、大きなため息をついて静かになった。
ケイを殺すのは少々面倒だが、残念だ。
引き金をかけた指に力をいれると、雑音と共に耳元で声が聞こえた。