超常2(火野瀬+山模)いきなり校内放送で職員室に呼ばれ、初めての経験に少しだけ身がすくむ思いで教室を出る。騒つく廊下を進み、職員室まで着くと初等部から高等部までたくさんの生徒が集まっていた。俺の姿を見つけた同じクラスの生徒が通してくれたおかげでなんとか入ることができたが、職員室内は物々しい雰囲気で満ちている。
先生たちが取り囲む真ん中に彼はいた。
「……どうしたんだ、紅炎」
頬に大きな痣をつくり、目の下に貼られている絆創膏は出血によってか変色している。声をかけるとギッと鋭い目がこちらを睨んだ。
「すみません、彼と静かなところで少し話をしたいです」
「……範数は関係ねぇだろ」
「……。空き教室を借りてもいいですか。難しいのなら、中庭まで連れて行きます」
「2階の視聴覚準備室を使ってくれ。帰る前に一度職員室に来てくれればいいから……山模くん、お願いしてもいいかな」
「はい、表裏先生。ありがとうございます」
腕を引っ張ろうとしてやめた。代わりに肩を軽く2回叩き、顔を少し覗き込むようにして見る。一瞬だけ泣きそうな表情をした紅炎は顔を伏せて勢いよく立ち上がった。
後ろをついてくる足音がするのを確認しながら、指定された教室に向かう。その途中、生徒たちがそれぞれ違った表情や反応をして俺たちを見ていたが、今はそのほとんどを無視しながら進む。茶化しからかおうとする者は目で黙らせた。
子供が何かをしでかして学校に呼ばれる母親、というものはこんな感じなのだろうか。経験するとは思ってもみなかった、とあえて軽く考えながら解錠し、扉を開く。
「さて。まず何があったのか聞かせてほしい」
「……ちっ、なんでお前を呼ぶんだよ」
「俺だって知らないよ。ほら、座れ。……酷い怪我だな。喧嘩か?」
「……。高等部の奴らに殴り込みに行った」
「え?」
耳を疑った。ぽつぽつと話す紅炎の口から語られたのは、こうだ。
高等部の能力者が大勢で中等部の無能力者2人を虐めていた。それを知った紅炎が一人、高等部の棟へと殴り込み……つまりは喧嘩を仕掛けにいった。そこで7人か8人くらいの能力者と拳を交えたのだという。騒ぎを知った先生が総出でそれを止めに入り、半数以上を倒して興奮冷めやらぬ状態の紅炎を職員室に隔離。話にならないから、俺を呼ぶと言われたらしい。
「お前……それは無茶だろう」
「うるせぇ!!じゃあ黙って見てろって言うのかよ!」
「そうは言ってない。だが一人で高等部に喧嘩を仕掛けにいくなんて無謀すぎる。結局……こんなに怪我だってしてるじゃないか」
持ち歩いているペットボトルから少しだけ水を手のひらに出す。少しずつ凍らせながら紅炎の頬へと触れたが、しみたのか顔を歪めながら僅かに顔を背けて拒まれてしまった。それでも、腫れ具合を確認しながら慎重に触って、能力で凍らせた氷で冷やしていると抵抗もされなくなってくる。
「痛くないか?」
「別にこれくらい平気だ」
「……お前の気持ちはわかる。力を持つ者が寄ってたかってそうでない者を虐めるなんて許せない。年下を標的にするだなんて論外だ」
「ああ。だから俺は」
「でもお前が動くべきじゃなかった」
「なんでだ!」
グッと制服の襟を掴まれ引き寄せられる。手元が狂ってその腫れた頬を押してしまい、紅炎は痛そうに顔を歪めたが、それよりも強い怒りにすぐ塗り替えられていく。このままだと俺も殴られそうだと思った。
「……学園側でも、恐らく年長者から年下の無能力者に対しての虐めなんてものは大問題だ。問題視してすぐに対処するだろう。だから」
「やっぱり黙って見てろってことじゃねぇか!そんなの納得いかねぇ!一発ぶん殴ってやらなきゃ気がすまねぇよ!!」
すぐ近くで吠える声が頭に響く。その気持ちも痛いほどわかった。火野瀬紅炎という男ならば迷いなくその選択肢を選び、弱い立場の者の為に戦うだろうと納得できる。それでも……。
「それはお前の役目じゃない」
飛んできた拳を当たる寸前でなんとか避けた。襟を掴まれている左手を逆にこちらから捕まえて引き寄せ、胸に勢いあまって飛び込んでくるのを抱えるような姿勢になりながら両腕の動きを封じる。しかし負けじと足で蹴りをいれてくるのをまともに貰い呻き声が漏れたが、腕の力はそのまま、どうにか気力で耐えた。
「ぐっ、落ち着け紅炎!」
「離せ!なんで、なんでそんな事言うんだ!お前まで、クソ!離せよ!!」
紅炎がそう叫んだ瞬間。ぼう、と目の前が赤く染まる。それが彼の髪の色だけでないことは瞬時に理解し、その赤に伴い発生した熱波から能力の暴走だともすぐにわかった。
この手を離すまいと力を込める。俺は能力の特性上、火や熱にはあまり耐性が無い。炎を纏って暴れようとする体を押さえながら、どうか俺が事切れる前に理性が戻ってくる事を願った。
「紅炎……!」
息苦しさと、喉や身を焼く熱。呼びかける自分の声が遠く聞こえる。離脱のタイミング。安全確保。先生に連絡。鎮静。頭に思い浮かぶも、肝心な体が動かない。……違う。
離せばもっと大変なことになる。そう思うと、動けなかった。
「く……」
腕から力が抜けて、マズいと思いながらも視界が傾きかける。紅炎はここで止めなければ。これ以上背負わせるわけにはいかない。これ以上、傷つけさせるわけには。その優しさを、正義を、誤った方へ進ませるわけにはいかない。
「……っ!」
息を飲む音を鮮明に聞いた。
途端に視界が晴れる。赤も、熱も、消えて無くなる。未だ揺れて霞んでいるのは恐らく俺自身の酸欠による症状だ。倒れそうになる体を支えられる形で視線だけ向けると、紅炎が見たこともない酷い顔をしているような気がした。
「ごめん……俺……」
「……落ち着いたか」
一つ弱々しく頷くのを見て、もう大丈夫だと確信できたので離れる。視線を下ろすと、こういった事も想定されているのか、やたらと丈夫な制服のジャケットは無事。だが、中のシャツは焦げたり穴が開いたりと散々だ。その隙間から覗く肌が、嫌な色をしている。とりあえず能力で冷やしていると、鼻を啜る音がして顔を上げた。
「……大丈夫か?」
「俺の、セリフだっての……」
ぐず……と顔を伏せて腕で強く擦っている紅炎は、もう片手を強く強く握っていた。能力が暴走しかけていたが、本人に影響がなかったのは幸いだ。そんなに擦ったらダメだ、と言い聞かせると赤い目に涙でびしょびしょに濡れた泣き顔がこちらを見る。
「俺も話の切り出し方が悪かった。混乱していたんだと思う……ごめんな」
「謝るなよ……」
「話、聞いてくれるか?」
まずなによりも、喧嘩は損にしかならないという事。今回の紅炎のように怪我を負うリスクがあるし、仮に無傷のまま勝利したとしても人を殴る拳は痛い。どちらから仕掛けようともそれだけは同じだ。
そしてここからはもっと現実的な話。もし相手側が完全に悪い場合でも、手を出してしまえばこちらにも少なからず非がある状況になってしまう。そのせいで、どんなに悪い奴でも正当な罰が与えられない可能性もあるのだ。それでは被害者も、それを助けようとした第三者も救われない。
「だから、まずは誰かに相談するんだ。この学園には能力の有無や成績、学年を分け隔てなく接してくれる先生が何人もいる。俺に話してくれても良い。とにかく一人で突っ走るのは良くない」
「……」
「別に、その人たちに任せて手を出すな、と言っているわけじゃないんだ。人の意見や、場合によっては計画を聞いた上で、考えて、また自分の意思を人に伝えて意見を求める。そうやって判断していけばいい」
「……でも、アイツら」
「ぶん殴りたい気持ちはわかる。俺だって話を聞いているだけで腹が立ってきたからな。でも、感情に身を任せてはいけない。一時の衝動で道を間違えてしまう人は少なくないんだ。最善手を得るために一瞬でいい、耐えろ。考えることをやめるな。誰かを頼れ」
それじゃ間に合わない緊急時以外は、どうにかしたいと思うのなら冷静にならなければいけない。今の紅炎は、それができないほど馬鹿じゃないはずだ。
先ほどまでは納得がいかないようだったが、一つ答えを見つけたのか、泳いでいた視線を定めて今度こそ確かな意思を持って頷く。話を聞かず暴走する問題児だと噂されていたのはもう過去の話。紅炎は成長してきている。その顔に安心して笑いかけると、申し訳なさそうに微笑み返された。
「わかった。人の話聞くのも、考えるのも苦手だけど……俺なりにやってみる」
「ああ。必要なら頼ってくれ」
残り少なくないペットボトルの水を凍らせて投げ渡すと、それを頬に当てながらムッと顔をしかめる。そんなに痛むなら保健室に寄ったほうがいいか、と問おうとしたところで紅炎のほうが先に口を開く。
「俺よりもお前だろ。火傷とかしてるんじゃ」
「痛みはあまり無い。見た目よりも酷くはないと思う。まあ、念のためにこっちでも冷やしているから大丈夫だよ」
「……ならいいけど。でもお前、その格好のまま家まで帰るつもりか?」
頭から抜け落ちていたことを指摘されて、少しの間固まった。シャツの替えなんて持ってきていないし、よりにもよって体操着は家だ。この視聴覚準備室の外には恐らくたくさんの野次馬生徒が集まっているから、誰の目にも触れずに出ることは不可能に近いだろうし、職員室にも挨拶に行かなければならない。穴が開いて焦げたボロボロの格好で?しかもそのまま外を歩いて家まで?
「……確かに」
「俺のパーカー着るか……?インナー着てるから貸せるぜ」
「サイズが合わないんじゃ」
「それくらい我慢しろよ!」
背に腹はかえられない。紅炎にパーカーを借りると思った通り袖がパツパツだった。まあ、ジャケットを着てしまえばほとんどわからない程度だから良いだろう。こんなにラフな着崩した格好で職員室に向かうのは気が引けるが……諸事情でシャツをダメにしてしまったと説明すれば許されるはずだ。
「洗濯して返す」
「いいよ別に」
「ご迷惑をかけた先生方や、お騒がせした生徒たちにはちゃんと謝るんだぞ」
「わかってるって」
二、三のやり取りをして教室を出ようとすると、廊下からは表裏先生や路野先生らしき声がした。どうやら集まっていた生徒を解散させてくれたらしい。あまり嫌な注目を浴びたくはなかったから、助かった。
「先生」
「ああ、範数君。紅炎君も落ち着いたか?」
「うす……迷惑かけてすみません」
「大丈夫だ!今回の件を起こした能力者の生徒たちについては……こっちに、任せてほしい。きちんと、償わせて、解決させるからな」
「お願いします」
「ああ……必ず」
「それと、被害に遭った二人が紅炎君を心配していた。自分たちの為に傷ついた君に申し訳ないと落ち込んでいたから、見かけたら声をかけてあげてくれ」
「……!はい」
「じゃあ、職員室には俺が連絡をしておくから、このまま二人は帰ってくれ。火野瀬、安静にな」
さようなら、と頭を下げてから下駄箱へ向かうも、先生とのやり取りにモヤッとした感じが胸に残る。表裏先生がまた、どこか恐ろしい雰囲気を発していた。本人が能力を持たない故か無能力者にとても熱心に寄り添ってくれる先生だとは思っていたが……本当にそれだけか?ほんの少しだけ、引っかかる。良い先生だから、杞憂なら良いのだが。そう考え込む俺の隣で、紅炎も何か悩んでいるようだった。
「紅炎」
「……アイツらにも心配かけただけだった。俺が突っ走って勝手にぶん殴っただけで、本当に……余計なお世話だったんだろうな」
「……。お前が怒ってくれたことには、被害者も救われたと思う。でもやっぱり、お前に傷ついてほしくないんだよ。俺もそうだから」
「ああ。反省したぜ」
「力による復讐や報復は、あまり良い結末にならない。考えて、他に解決できる道があるならそうするべきだな」
「その時は相談に乗ってくれるよな、範数」
「当然」
いつもと違う制服姿で帰る道で、隣を歩く男がまた一歩大きく成長したように感じた。
「範数、あれからずっと首まである服着てるよな。シャツに戻らないのか?」
「ああ……。能力からくる体質のせいか、火傷の跡が綺麗に消えないんだ。ギリギリ首元から見えてしまうし、時折透けそうになるからシャツはやめた」
「えっ……!?そうだったのか!?」
「そんな顔するな。別に後遺症とかでも無い。学園側にも申請を通しているから、校則違反には該当しないから大丈夫だ」
「……。でも流石に、改めて謝らせてくれよ。本当に、あの時は悪かった」
「いいんだ」
「……に、しても。わざわざ制服一つで申請したのか……?皆そんな面倒なことせず、着崩したり好き勝手な格好してるってのに。流石は馬鹿真面目な模範生だな……」
「なんか言ったか?」
「え!?や、なんにも」