メリーゴーランドが眠る夜に ブラックアウトの夜は長い。初めてワンダヒルを訪れる客人をお迎えするとなれば尚のこと。幻想と郷愁が入り混じるメリーゴーランドの輝きはより一層煌めきを増し、その非日常ともいえる光景を目の当たりにした者たちの胸には高揚感が刻まれる。ユウユ達のファイトを皮切りに目を見張るファイトが展開されるがデラックスの決勝戦を控える選手達をいつまでも留めておくわけにもいかず、今夜は日を跨ぐ前に解散という運びとなった。
バイバイ、さようなら、また明日。一人、また一人と別れを告げて山道を下る仲間たちの背中を穏やかな表情で見送る彼女に近づき「見回り完了。もう誰も残ってないよ」と敬礼の真似事をして報告を済ませる。これも年長者の務めとしてこの場の後始末を買って出た僕達は最後の一人がいなくなるまでワンダヒルに居残った。
「うむ、ご苦労さま。──さて、そろそろ私たちも帰りましょうか」
さすがは本職、トマリはビシッと堂に入った答礼を返すと慣れた手つきで照明を落として電気設備の鍵をかける。
先程までの喧騒が嘘のようにしんと静まり返る遊園地。 今夜は星が明るい。ようやく訪れた二人だけの時間。僕はチラチラと窺っていた彼女の左手の人差し指に手を伸ばす。
「ちょっと失礼」
断りを入れ、むにむにと彼女の指を包みこんで丁寧に丁寧にすり込むようにしながら揉みほぐした。
「──トマリがこの指止まれ、だなんてやるのめずらしいよね」
片手を掲げた彼女から一番遠い場所にいたので完全に出遅れた。最初にこの指に止まったのは誰だっただろうか。むにむに、すりすり。そうしているうちにやっと気持ちが落ち着いて顔を上げればトマリは不思議そうに小首を傾げている。
「あ、もしかしてまだファイトし足りない?」
「いや、そういうのじゃなくて、なんていうか、上書きみたいな?」
そう、上書き。最近では鳴りを潜めていた自分の悪い癖がまろび出ているのを自覚する。彼女好みの大人の余裕を手にするのはまだ先になりそうだ。
「上書き? あぁ、そういうこと。ふふっ、私ザクちゃんのそういういじらしいとこ嫌いじゃないわ」
トマリはくすりと笑うと内緒話でもするように顔を近づけ、ふぅ、と耳に吐息をかける。そのまま耳を軽く食まれた僕の鼓動はドキリと高鳴り握っていた手を離してしまう。くすぐったさと甘い痺れが混じり得も言われぬ快感が駆け巡った。甘美な余韻に頬を緩ませ、食まれた左の耳たぶをうっとりと撫で擦る。もっと強く噛んでくれても良かったのに。
「ほら、ぼーっとしてると置いてくわよ」
ハッと我に返ればトマリは軽やかな足取りで数歩先を歩いており、慌てて後を追いかける。トマリはコーヒーカップの前で足を止めると、手を後ろで組みながらその内の一つに近づき懐かしそうに目を細めた。なんだか胸がざわめき、カップの側面を覗き込む彼女の手を引く。
「盈盈一水」
急に手首を掴まれ少し驚いた顔をみせるトマリに向かって今の心情を表す四つの言葉を口にする。
「こら、横着せずにちゃんと自分の言葉で話しなさい」
軽めのチョップと共に嗜められるがこのスキンシップが何よりも嬉しい。
「デラックスが始まってからここ数日、トマリと一緒にいられる時間が減って寂しい。ステージで輝く活発婉麗な君を観られるのは嬉しいけれど観客席との隔たりがなんとも歯痒くて切なくなるよ」
決勝戦に駒が進むと僕の知らない君の片鱗がチラつき出した。歯痒さと切なさに子供じみた嫉妬の原因は概ねそこにあるけれど、それを口に出すのはやめておく。そろりとトマリの表情を覗えば、一連の行動から何もかも見透かした眼差しで優しげに微笑んでいる。
「大袈裟ねぇ、お昼だって一緒に食べてるのに」
「でも打ち合わせだ何だですぐ呼び出されて行っちゃうよね。僕にとっては死活問題。だから少しでも君に触れられる機会があるなら全部独り占めしたいんだ」
「ん〜、まだトマリちゃん不足の反動が残ってるってわけね。フッ、なんて罪作りな私。ま、だったらこんなところを掴まずにこうした方が断然良くない?」
突然、指と指を深く絡め取られた。これは所謂、恋人繋ぎ。トマリの逃がさない、とでもいうような強い温もりが掌に押し寄せ鼓動が跳ね上がる。わざと痛いぐらい力を込めて握ってきたトマリの仕草に思わず喉が鳴った。
「……ふふっ、こうしてる方が良いでしょ」
彼女の纏う空気が一変する。空いた方の手も同じように絡め取られ、挑むように見上げる彼女の視線は熱を帯びていて、繋いだ手の奥から体の芯まで炎が灯る。胸の奥が焼け付くほど熱くなったその瞬間、こちらが頷くよりも速く、トマリはためらうことなく顔を寄せた。柔らかい唇が重なり、繋いだ指先よりも深く、深く、心の奥まで侵食してくる。舌先が触れ合い、息が混ざり合うたび、思考がぐずぐずに蕩けていく。繋いだ手は決して離されることなく、むしろさらに力を込めて、互いの存在を刻み込むように求め合った。
◇◇◇
二人仲良く手を繋ぎふわふわとした足取りで山を下りる。二台の自販機による薄ぼんやりとした光が灯るうら寂しい駐車場。電子錠が開く音を耳にしながら軽自動車にいそいそと乗り込んだ。助手席に腰を下ろしてシートベルトに手を掛ける。
「このままトマリの家に泊まってもいいかな」
火照りに火照った身体は当然続きを求めている。もっと深いところまで触れたいし、触れられたい。トマリだってそうだろう。
「あー、知ってると思うけど私も明日は早いのよねぇ……」
トマリの脳裏に責任の二文字が浮かんでいるのが容易に想像できたが拒絶の色が薄いと踏んでアクセルを踏み込む。
「百聞一見、そんなの知らないから泊まって確認するしかないね」
こういう時はふてぶてしさが物を言う。ブレーキなんてかけてられない、もちろん特別授業でやったところだ。
「うん、明日早いんだと、──というかもう今日か。トマリの家の方が近いんだし尚のこと泊まっていいよね」
ぽん、と両手を合わせてニコニコ顔で我を通す。
「……ずるい子、本当に泊めるだけよ」
トマリは観念した様子で小さく笑うように吐息を零し、ハンドルに手を掛け車を発進させた。
「うんうん♡」
力いっぱい頷くが、勿論ただ泊まるだけでは済まなかったのは言うまでもない。