Midnight1ミオシティの港から鋼鉄島行きの船に乗り、少しの波に揺られていれば島が見えてきた。
鋼鉄島は、岩肌がむき出しの部分が多くみられる、小さな鉱山の島だ。昔はその鉱山で鉱石を掘っていたらしいが、今では人が減り、鋼タイプのポケモンが多く生息する島となっている。
厳しい環境と強い野生ポケモンの生息地であることから、強さを求めるポケモントレーナーの修行場ともなっている。サトシの波動の師であるゲンもまた、その一人であるらしい。
ルカリオを相棒とするゲンは自身も波動を操ることができ、通常のポケモントレーナーとは違いひときわ山深くにて波動の修行をしていると聞いた。
しかし、連絡を入れようにも、ゲンは鋼鉄島の山奥で連絡ツールもろくに使っていなかった。
(あのバカと同じ人種か)
シンジは舌打ちと共に岩肌の多い島を睨みつけるようにして見つめた。
サトシもろくに連絡ツールを携帯しておらず、毎度どこにいるのか見つけるのに苦労した。スマホロトム普及のおかげで多少連絡が付くようにはなったが、ゲンという人物はあえてそれらのツールを携帯していないようだ。
(島に着けば会えるだろうと言っていたが……)
いくら小さい島だと言っても、しらみつぶしに歩いて探すには時間がかかる。
波動使いはあらゆる波動を感知できるとは聞いたが、会ったこともないシンジの波動が分かるものなのか、そしてわざわざゲンが会いにくるのかという点でシンジは疑問だった。そして、シンジ自身もまたゲンという人間を知らないため、探すのは困難を極める。
船が到着し港に降り立つと、シンジは少し迷ったが先にポケモンセンターへ向かうことにした。当てずっぽうに山に入るよりも、先に情報収集した方がいいという判断だっ。
ゲンがいくら修行中であろうと、人間である以上一定の食料や生活必需品はどこかしらで手に入れているはずだ。
しかし、シンジがポケモンセンターに辿り着く前に、目の前にルカリオが現れたことでそれいは必要なくなった。
「そろそろ来る頃かと思って待っていたよ。タケシくんの知り合いというのは君のことだね?」
ルカリオによるなかば強引な案内を受け、シンジが辿り着いたのは山の中の洞窟奥深くにある遺跡だった。そこにいた青年は、シンジの姿を見て出迎えるように微笑んだ。
「初めまして、ゲンと言います。君が来たのは不詳の弟子の件だね?」
「トキワジムのジムリーダー、シンジだ。何をどこまで知っている」
まるで全てを知っているようなゲンの口ぶりに、シンジは剣呑な表情で問いかけた。サトシの師匠とは聞いているが、飄々とした掴みどころのなさがあまりに胡散臭い。
そんなシンジの警戒が伝わったのだろう、ゲンは苦笑したが、すぐにその表情を厳しくした。
「詳しくは知らない。だが、一週間ほど前に彼のひと際強い波動を感じたと思ったら、すぐに消え入りそうなほど小さくなった。本来、これほど離れた距離で感じられることは波動といえど滅多にない。加えて、最近こちらに頻繁にお客様が来るようになってね。彼らの反応を見ていたら大体の察しはつくさ。弟子本人が直接こちらに来ないということは、それだけ事態が重いということだろう」
ゲンの言葉に、シンジは横目にルカリオを見ながら問いかけた。
「どうして俺がやつの使いだとわかった」
「私とルカリオは波動使いとして修業を積んでいる。波動は君たちが思っているよりもずっと多くの情報を伝えてくれる。相手が悪人であるか善人であるかもね。ルカリオはその辺、かなり敏感だ」
「心が読めるということか?」
「考えていることがまるまる分かるとは言わないよ。言っていることが嘘かどうか、あとは感情の種類が分かったりかな」
「俺のことはなぜ?」
「ああ、それは君、トバリシティのシンジくんだろう?」
自己紹介で名乗ったのとは違う、己の出身地を言い当てられ、シンジは目を見開いた。
「弟子から話を聞いたことがあるよ。バトルの映像も見せてもらった。ライバルだとね。タケシくんとヒカリさん以外で来るなら君だと思っていた」
「なるほどな」
「これで多少疑いは晴れたかな?」
ゲンの答えに、シンジはひとまず頷いた。
「頻繁に客がくると言ったな」
「以前、この遺跡はギンガ団という組織によって占拠されたことがある。最近くるのはそれに似た集団だね」
「なんだと?」
「しかし、今回彼らは遺跡やルカリオではなく私に用があるらしい。いちいち全ての相手をしていられないから身を隠していたんだ」
ゲンの思わぬ言葉にシンジは眉をひそめた。
ギンガ団、それは数年前に壊滅したと言われているシンオウ最大裏組織だ。ボスである人間が行方不明になったことで瓦解したらしく、残党が活動していたこともあるようだがここ最近はすっかり鳴りを潜めており、その存在は世間から忘れられつつあった。
そのギンガ団、もしくは類似組織が今再び動き出しているとは穏やかではない。
(そのうえ、ポケモンでも遺跡でもなく人間がターゲットだと?)
「何故貴方が狙われるんだ? 心当たりは?」
「分からない。だが、私を生け捕りにしたいようだった」
「生け捕り……」
敵の不可解な行動に、シンジの心はざわめいた。
(まさか、アイツが負傷したのも)
病室で横たわるサトシの姿が思い出される。
今までは何か事件に首を突っ込んで受けた傷だと思っていたが、そもそもがサトシ自身を狙われての犯行だとしたら。
「っ、少し外す」
「ここは圏外だ。外部と連絡を取りたいならポケモンセンターのあるところまで戻らなければならないよ」
咄嗟にスマホロトムを持って外に出ようとしたシンジは、ゲンの言葉にぎりっと奥歯を噛み締めた。
「何か気づいたんだね」
「あれが怪我をしたのは、貴方と同じく本人が狙われたから、という可能性が出てきた。であれば、今後もまた狙われる可能性がある」
「なるほど」
加えて、相手は個人ハンターではなく、ある程度の集団である可能性が高まった。今、サトシはイッシュ地方の病院にいる。街中であり、側にはタケシやデントたちが付いているとはいえ、多勢に無勢でこられた場合、応戦できるかは怪しいところだ。
(精神的に参っているやつもいる。まともに戦えるやつがどれだけいるか)
タケシも元ジムリーダーなだけあって決して弱くはないが、本業がドクターであるため荷が重いだろう。
焦燥がシンジの表情を険しくする。
「成程、一刻を争うようだ。君の要件を聞こうか。その背負っている荷物が関係しているようだけれど」
「ああ、見て欲しいものがある」
そういって、シンジは背負っていた荷物をそっとはずした。自身の身の丈ほどのバックパックはかなりの重量があり、地面に下ろせばゴトリと音がなった。
「それは?」
「エーテル財団の作った小型生命維持装置だ。念のためだが、中にはやつのモンスターボールが収められている」
中を覗き込んだゲンは、眉をひそめた。
「これは……」
「ボールが石化している。検査の結果、中のポケモンが無事なことは分かっているが、なぜ無事なのかは分かっていない。検査したやつは、これに波動が関係しているんじゃないかと言っていた」
シンジの説明を聞き、ゲンは装置に右手を翳し目を閉じた。淡い水色の燐光がゲンを包みこむ。初めてみる波動使いの力に、シンジは目を瞠った。
「この中にいるのはルカリオだね。石化しても無事なのは、サトシの波動がルカリオを包み守っているからだ。ボールの内部に、波動で結界を張っている状態といえば分かるだろうか」
「ああ。……ここにはないが、他に四つのボールが同じ状態だ」
「それはまた、無茶をする」
ゲンは手を下ろすと、ため息をついた。
「波動とは、一種の生命エネルギーのようなものだ。消耗しても休息を取れば回復するが、結界を張った状態では当然ながら力は消耗し続ける。それも五つのボールに同時に結界を張り続けるとあっては、力の消耗に体が持たなくなるぞ」
告げられた言葉に、ある程度予想していたシンジは舌打ちした。
「どうりで、いつまでたっても回復に向かわないはずだ」
「それどころか、このままでは命にかかわる」
「石化は解除できるか?」
シンジの問いに、ボールを見つめていたゲンは首を振った。
「出来なくはない、が、それにはあまりに多くの波動を必要とする。私ひとりの力では不足だ。ルカリオと力を合わせればなんとかできるかもしれないが、それでも出来て一つだろう」
シンジに波動使いの感覚は分からないが、口ぶりと表情からして難題であることは分かった。ゲンの表情は厳しいが、シンジはもとより、不透明な手段にばかり頼るつもりはなかった。
「なら、石化の解除はまずメガネに任せる方がいいな」
あっさりと方向を変えたシンジに、ゲンは首を傾げた。
「解決の目途が立ってるのかい?」
「この石化は、以前ハンターJというやつが使用していた装置による石化に似ている。そいつは捕らえたポケモンを石化後、特殊なケースに入れて保管していたようだが、それには自由に石化を解くスイッチもついていた。今、カロスの科学者たちが過去の資料から石化解除の方法を調べている。ケースの現物もあるため解析は速い」
「なら、そちらを待ったほうがよさそうだね」
「問題は、それまであいつの体が持つかどうかだ」
シンジが一番心配しているのはそこだった。
シトロンたちの優秀さは分かっている。きっと近いうちに石化は解除できるだろうが、それまで波動を使い続けているサトシの体が持つかは誰にも分からない。
「では、行こうか」
「は?」
どうするべきかと思案していたシンジを他所に、ゲンは壁際に置いてあった荷物を手に取り振り返った。その実にあっさりとした様子に、逆にシンジの方が一瞬呆けてしまったほどだ。
「弟子が心配なのだろう?」
「……いいのか?」
「遺跡のこともあってあまりここを離れたくはなかったけれど、弟子の様子を見るためにも一度私が向かった方がいいようだ。ルカリオ、少しの間ここを頼むよ」
ゲンの言葉に、ルカリオが心得たと言わんばかりに力強く頷いた。
「ポケモンだけを置いていくのか」
「いざとなれば、ルカリオと私は波動で互いを感じることができる。少しの間なら大丈夫だろう」
ルカリオもまた、任せろと言うかのようにシンジを見て声を上げる。
ふと、ゲンとルカリオが何かに反応したように同時に顔をあげた。
「またお客さんが来たようだ。出かける前に片付けていこうか」
「待て」
洞窟の入口へ向かおうとするゲンとルカリオを、シンジが止めた。
「俺が行く。ちょうどいい。何人か生け捕りにして目的を吐かせてやる。お前たちは散開して逃げられないように援護してくれ」
腰のベルトからモンスターボールを手に取ったシンジが二人を追い抜くようにそのまま遺跡の入口に向かう。そのだたならぬ雰囲気に、ゲンもルカリオも黙って見守った。
(向こうから来てくれるなら、手間が省けるというものだ)
シンジの顔には、彼を知る者たちが悲鳴をあげるであろう凶悪な笑みが浮かぶ。
ここに来るまでずっと、シンジは苛々していた。
病院で今も眠っている生涯のライバルを見たときから、今の現状を引き起こした元凶に対して、再三の忠告もむなしく無茶をしたであろうサトシに対して、そして、そんな現状でも何もできない己に対して。
腹の底でぐらぐらと煮えたぎる地獄の窯の蓋を、ほの暗い理性の枷で押さえつけてここまできたのだ。
(だが、まだだ。全てをぶちまけて破壊するのは今じゃない)
漏れ零れそうな何かを再び理性の箍で抑え込み、シンジは深呼吸と共に己を取り戻す。
ついで開かれた瞳には、冷徹なまでの静けさ宿っていた。
遺跡の外に出れば、シンジでも感じる複数の気配があった。あきらかに一般トレーナーではないそれに、シンジは視線を巡らせた。
(八、九、十、いや、十五程度か)
どうせ捕らえるなら一番情報を持っていそうなやつ、指揮官クラスがいいだろう。
ボールを構える襲撃者の中の後方、ご丁寧にも周囲と違う制服を着た人間に目をとめた。
あれだ。
シンジの手から、ボールが宙に放られた。
「エレキブル、バトルスタンバイ」
◇◇◇
薄暗い部屋の中に、カタカタとタイピングの音と電子音が響く。
作業に没頭していたアランは、横からコーヒーの入ったカップが置かれたことでようやく手を止めた。顔を上げると、プラターヌが難しい顔で見下ろしていた。
「アラン、少し休憩しなさい」
心配してくれる博士からの忠告に、それでもアランは頷けなかった。
何もしないでいると、焦燥が身を焦がしそうになる。時計の針が刻一刻と進むごとに、大切な人の命が失われるのではないかという恐れがアランをつき動かすのだ。離れた場所にいる分、余計に恐怖が嫌な想像をかきたてた。
「大丈夫です。あと少しだけ」
「駄目だ。昨日も寝てないだろう。徹夜の作業は効率を落とすよ」
目の前のタブレットを奪われてしまい、アランは思わず苛立った表情を向けてしまう。しかし、恩師であるプラターヌにはアランのそんな態度も慣れたものだった。
「最低三時間、仮眠をとってきなさい。でないと、そろそろ痺れをきらしたガブリアスが引きずってでも連れていくよ」
良い笑顔を浮かべたプラターヌの背後には、両手を上げて主張するガブリアスがいた。
「博士……」
「マノンくんのフラエッテにアロマセラピーをかけられるのとどっちがいいかい? もちろん、その場合もガブリアスが運んでくれると言ってるけど」
それはほとんど変わらないのでは、と思いながらもアランは閉口した。博士がそう言うということは、マノンも探索から帰ってきているのだろう。
ここで無理をしても、二人がかりで止められるのは明白だ。
「自分で仮眠室へ行きます」
「うん、それがいいね」
諦めてカップを手に取ったアランに、プラターヌはほっと息をついて微笑んだ。
(俺はいつも、博士にこんな顔ばかりさせている気がするな)
博士が、アランを大事に思ってくれているからこそ、心配されているのだと分かっている。
だからこそ、自分を明るい場所に引っ張りあげてくれる大切な人たちに苦しい顔や心配そうな顔ばかりさせてしまう自身が情けない。
もっと心が強ければ、揺れずに構えていられるのだろうか。
(懐かしい感覚だな)
強さが欲しい。
大切なものを守れる強さ。何があっても動じず冷静に対応できる強さが欲しい。かつてメガ進化エネルギーを集めると共に最強を目指していた頃と同じ渇望が蘇る。
あの頃も、大切なものを守りきる強さが欲しかった。
(結局俺は、あの時から成長していないのか)
強さを渇望し、それゆえの焦りから自身の足元を掬われた。
結局、たくさんの人に迷惑をかけ、取り返しのつかない罪を犯し、今なおその贖罪に他者の手を借りている状況がアランを自己嫌悪で苛む。
(ゲッコウガが彼の元に居れば、サトシは無事だったかもしれないのに)
ゲッコウガの強さと素早さは、カロスリーグでしのぎを削ったアランが一番よく分かっている。キズナ現象で一心同体となれるサトシとゲッコウガは、共に入ればどんな敵が急襲をかけてきても対応できただろう。だが、ゲッコウガはカロスに蔓延る厄災の種を取り除くべく、今も主であるサトシの元を離れている。
もしもをいくら言ってもきりがないことは分かっていても、アランの心は罪悪感と自己嫌悪でいっぱいだった。
「アラン、また難しい顔をしているね。サトシくんの件を聞いてから眠れてないのも、彼が心配なのも分かるけど、無理にでも休まないと君の方が先に壊れてしまうよ」
「はい……」
形だけ頷きながらも、アランの表情は暗い。
サトシが重症で発見されたと連絡を受けてから五日。
本当ならすぐにでもイッシュへ向けて飛びたかったが、同時期にカロス各地でジカルデの蔦が活性化したことでアランはその対応に追われていた。
フレア団の事件から五年がたち、ゲッコウガの献身のおかげもあってかなりの数の蔦が除去され、あと少しで完全に除去が完了すると思われていた。しかし、何故かここにきて再び強く活性化したのである。
赤い蔦が暴れ、建物や木々を破壊する様は、アランの意識を町が赤く染まるあの日へ巻き戻す。
ジカルデの協力とチャンピオンカルネやジムリーダーたちの力もあり、まだ町への大きな被害は報告されていないが、いつ何時暴走するか分からない蔦に対応する日々はアランの精神を容赦なく削っていた。
ユリーカのもとにいるジカルデによれば、これは以前のようなメガ進化エネルギーの影響ではなく、今世界各地で起こっている時空の歪みの影響を受けたものらしい。原因は強い力を持ったポケモンだろうということだ。
実際、カロスだけでなく、他の地方でも歪みが何かしらの異変として現実世界に影響を及ぼしてしまっている。
秩序ポケモンであるジカルデは、これほどまでの大きな影響を世界に与えたポケモンに対して、力ある者の自覚が足りないと怒りを見せていた。