ラストダンスは貴方と。最早ルーティンとなりつつある、恋人への家へと向かうセノはドアの前で立ち止まった。平穏と静寂を好む恋人の家の中から僅かに音が聞こえる。音と言っても料理や掃除といった生活音ではない。
聞き覚えのあるような、初めて耳にするような音色。
彼の同居人が演奏しているのだろうかとセノが扉を開けてみれば、アルハイゼンが椅子に腰掛けて二弦楽器を弾いていた。
「お前が楽器を弾くなんて知らなかった」
「……君か」
セノに気づいたアルハイゼンはその手を止めた。セノはそのまま彼の隣に座る。
「芸術には疎いと思っていた」
「確かに俺は芸術を愛するタイプではないが、楽器をただの調度品として飾るような愚行はしないさ」
アルハイゼンは後方の棚の上に立てかけているもう一つの楽器に目をやりながら反論した。
「何を弾いてたんだ?」
恋人の言葉を受け流してセノが尋ねる。
「この間君に聞かせた詩があっただろう?あれは今では曲がつけられて民謡として親しまれているのを思い出してな。それで弾いてみようと思ったんだ」
こんな具合にな、とアルハイゼンはもう一度指で弦を弾いた。
耳慣れた楽器の音色に異国の旋律。
穏やかな音色と共に心地よいテノールで紡がれる歌にセノは思わず目を瞑り聞きいっていた。
「以前聞いた時とまた違う詩に聞こえるな。なんだか、自然に語りかけるような、大地への思いを告げるようなそんな心地よい歌だった」
「これは民謡だからな。前回は恋人を口説くために読んだのだから別物に聞こえて当然だろう」
「……わざとだったんだな」
セノがじとりと隣の男を睨んでも、アルハイゼンは眉ひとつ動かさない。
「俺の薔薇を愛でることに何の問題があるんだ」
セノはため息を一つこぼして口を閉ざした。その様子に満足したのか、アルハイゼンは再び演奏を始める。セノは腕を組んで恋人の肩に頭を乗せた。リビングは異国風の音色と歌声が支配していた。
どれくらいの時間が過ぎただろうか、アルハイゼンは演奏を中断し、気まぐれに弦を弾き始めた。どうやら演奏会は終了らしい。セノはすっかりもたれかかっていた身体を起こした。
「君、歌は」
「あまり。それに人前で歌うのは得意ではないんだ」
「ならば舞は?」
「舞?」
「ああ。砂漠の民の舞は人々を魅了すると聞く。君が踊るのならさぞかし妖艶なのだろうな」
セノはアルハイゼン口角が上がっているのに気づいた。
これは学者特有の探究心なのだろうか?それとも……。
「今夜」
「ん」
「お前が望むなら今夜踊ってやろうか」
「いいのか」
珍しく目を大きく開いた恋人にセノは口元が緩む。
「踊って欲しいんだろう?」
「観客は?」
「いらない」
「では演奏は?」
セノは徐に立ち上がり、アルハイゼンの手から楽器を奪うと、定位置である棚の上に戻した。そして、恋人の膝にどかりと座り、彼の頬を両手で包む。
「お前のカラダ一つあれば十分だよ」
「ほう。あの大マハマトラ様の舞を独り占めできるなんて光栄だな」
「白々しい。そういうつもりで言ったんだろう?」
「さあ。君の想像に任せるとしよう」
アルハイゼンはセノの右手を取り、手のひらに唇を落とした。
もうすぐ月が満ちる。