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    Enuuu

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    Enuuu

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    2、3年前に書いたいわゆる「オペラ座の怪人」パロディのリッパー×探鉱者の中編小説。整理して書き直そうとしていたけどやってないので、読みにくいでしょうし、今より知ってる言葉の数も少ないのでそこはお察しといった感じ。ヤンデレものだった気がする。たぶん人も死ぬ。

    ##ててご

    踊って、 時は「ベル・エポック」。
     国中のあちらこちらで芸術の花が咲き乱れる、全盛期だ。どの文化をとっても良き時代だと、後に回想されるようになる。
     だが、それがもたらす恩恵は皆に訪れるとは限らない。

     盛りのきた花は枯れるのが運命だ。








     改めて考えてみれば、男性ダンサーの数は減っていた。でも僕には沢山のパトロンがいたから、大丈夫だと思っていたんだ。
     フォアイエ・デ・ダンスールの入口で、僕は贔屓にしてくれていた男性と話をしていた。
     小太りで毛皮を使ったコートをいつも身に着けている男性。
     そんな彼は中々の金づるだったのに。僕は内心で舌打ちしつつ、しおらしく頷いた。ここで面倒な男だと思われては、この先、買ってくれる可能性すらも駄目にしてしまう。
    「わかりました。これまで応援していただいて、嬉しかったです」
     引きつった笑みを浮かべ、僕は男の顔を見上げる。
     男は僕のこの様子が見たかったらしい。何度も頷きながら、べたべたと腰に触れる。不快極まりないその動作に、僕は心の中で顔をしかめていた。
     金を落とさないのならさっさと帰ってほしい。大体、黙って引いてくれる者が一番いいんだ。今度のパトロンは、そういう人物に目星をつけよう。

    「じゃあ、気が向いたら来てあげるからね。君の踊りをこれからも見ているよ、愛しいノートン」

     男は気障ったらしいセリフを吐いた。手を振りながら、去っていく。僕はお愛想笑いを浮かべて、彼に手を振り返した。
     彼の姿が見えなくなったのを確認して、ため息を吐く。
     後ろを振り向けば、様子を見ていたらしい女性ダンサーと目が合った。彼女は嫌な笑みを浮かべた。

    「最近、多いらしいわよ。あーゆーの」

     僕は彼女を怒らせないように、注意深く観察した。この様子なら先ほどの会話はすべて聞かれていたようだ。まったく女性というものは気の抜けない生き物だ。
     彼女はプルミエだ。かの有名なオペラ劇場の階級制度を模したもので、プルミエはエトワール(プリンシパル)の次に位が高い。悔しいが、僕よりも階級が上のダンサーには違いない。劇場内は階級制度だ。下手に逆らって舞台の上に立てなくされたら困る。

    「男性ダンサーの解雇とパトロンを降りる人たち。……もっとも、最初から数は無かったけどね」

     彼女は綺麗に結っていたシニヨンを解いた。きれいなブロンドが彼女の背に広がる。
     僕は自分の黒髪と見比べながら、彼女の言葉を待った。

    「ま、それも当然よね。男性の踊り子よりも女性の踊り子の方が需要があるもの。新作がかかっても男性の出番は無いわ。だって、女性が男装して踊ればいいんだもの。うちの劇場でも、男性ダンサーがいなくなるのにそう時間はかからないわね」

     彼女は一方的に話すだけ話すと、僕の顔を見た。それから「ま、頑張って」と僕の肩をたたくと、フォアイエ・デ・ダンスールを出て行った。
     パトロンたちは批評だったり、夜の過ごし方についての話を贔屓の子たちとすると帰っていく。まあ、公演前から入り浸っているものも多いが。
     踊り子たちも予定がなければ宿舎へ帰るし、仲間と夕食を食べに外へ出るものも多い。
     僕は壁を軽く蹴り上げた。
     まったく腹が立つ。今日は踏んだり蹴ったりじゃないか。これで僕についているパトロンは一人だけになった。彼こそだけでも手放さないようにしなければ、僕の生活は立ち行かなくなってしまう。
     劇場に隣接する宿舎へ帰る道すがら、酒か葉巻かを天秤にかける。
     どちらかに頼らなければやってられない。僕は思案した結果、残り一本だけになっていた葉巻に火を点ける。あの人は葉巻は体に悪いからって嫌っていたけど、今日くらい許してくれるはずだ。葉巻の先に火がともって、キナ臭い煙が漂う。
     ふぅーっ、と勢いよく煙を吐き出せば、夜の街に流れていった。
     宿舎に戻り、自分の部屋へと戻る。通り掛けに女性ダンサーたちの共同部屋から嬌声が聞こえてきた。

    「それで艶っぽい仕草で路地裏へと誘い込んで……横腹をグサリッ!」

     舞台装置係をしている男が若い女性たちに噂話をしていた。両手を上げ、オバケの真似をして追い回している。

    「あらキャンベル、遅いお帰りね。それに……煙草の匂いもするわ」

     その様子を見ていると、マザーから声をかけられた。
     マザーは僕らのような踊り子を子供のころから見てくれている。マザーは孤児や貧しい子供たちを劇場の踊り子として連れてきては、パトロンがつくまで面倒を見てくれる。彼女は好ましくない人物がパトロンとして付かないように見守ってくれるのだが、僕にとっては面倒なので断っている。そのせいで面倒な人間に関わってしまうのはご愛敬だ。

    「ははは、路地裏でゴロツキに絡まれたんですよ。まぁ、傷はないので安心してください」
    「……そう。まあ、あなたに大事がないなら良いわ」

     マザーは訝しげな表情で僕の顔をチラリと見た。

    「ああ、そうだ。あなたにあの人から贈り物が届いているの。部屋の前に置いておいたから、いただきなさい」
    「ありがとうございます」
    「お礼はあの人に言うことね。あの人はあなたがデビューしてから、毎公演後に欠かすことなく贈り物を送ってくださるのだから」
    「それももうすぐで終わりになるかもしれませんがね」

     僕は皮肉気に笑ってそういうと、マザーに軽く頭を下げて二階へ上がっていった。
     二階は男性ダンサー、一階は女性ダンサーの居住スペースだ。もう男性ダンサーの数は数名だから追い出されるかもしれないな。
     自分の部屋の前まで行くと、小ぶりのバスケットに敷きつめられた花びらが目に入った。黄色の花びら。これは……薔薇だろうか。
     僕は首をかしげながら、床に散らばっている分の花びらも回収してバスケットの中へ入れた。注意深く持ち上げて部屋へ入る。
     バスケットを机の上に乗せると、シャツの胸元を寛げてベッドに寝転ぶ。
     変に疲れてしまって眠れそうにない。きっと、久しぶりに吸ったことも原因だろう。止めておけばよかった。こんなことなら酒場で管でも巻いてたほうがマシだ。
     机の上に手を伸ばし、バスケットを傾ける。黄色の花びらがベッドの上に散らばって、キナ臭い臭いが押しやられていく。

    「あの人からの手紙……」

     花びらを払いのけた。片手だけをバスケットの中に突っ込んで、目当ての物を取り出す。
     黄なり色のメッセージカード。幼いころから見慣れた文字で「素敵な踊りでした。次の公演も楽しみにしています」の定型文が書かれている。裏面をひっくり返すと、乾きたてのインクで「喉は大切に」と書かれていた。
     カードを鼻さきに近づけて匂いをかぐ。年配の男性を彷彿とさせる格好良い香りだ。それに加えて、少しだけ色っぽい香りもする。

    「ふふっ」

     暗く湿った気分が浮上して、リラックスした。まるであの人が傍で見守ってくれているみたいだ。
     僕はメッセージカードを自分の枕元に置いて、目を閉じた。睡魔に誘われた僕の思考は真っ直ぐに闇の中へと落ちていった。















     すがすがしい朝だ。
     昨日のメッセージカードのおかげか、とてもよく眠ることができた。
     机の上から転げ落ちていたバスケットの中に、僕はシーツの上の花びらを集めていれた。
     バスケットに納まった花びらを満ち足りた気持ちで眺めていると、部屋の扉が開いた。振り向かずに返事をする。

    「おい、キャンベルー。朝めし食う?」

     隣の部屋のダンサーの声がした。
     僕は食べるつもりがなかったので首を横に振った。

    「そっか。って、それはあの人からプレゼントか?」

     彼はズカズカと僕の部屋に入ってくると、机の上のバスケットに手を伸ばした。慌てて払いのける。

    「イテッ!おい、変に捻ったらどーしてくれんだよ」

     僕へ向けられる非難の声と視線を黙って受け流す。
     「あの人」からの贈り物にマザーと僕以外の人間が手を付けるのが許せない。きっと彼が手を触れた瞬間に、贈り物は贈り物ではなくなってしまう。トンダ考えだが、僕にはそれが大切な真実に思えた。

    「はいはい、怒らせて悪かったよ。俺は退散させていただきますよー」

     彼は脂汗をかきながら、僕に対し手へこへこと頭を下げた。そのまま後ろにずりずりと下がり、急いで部屋から出て行った。
     僕はため息を吐く。せっかくの朝が台無しだ。
     今日は、というか今日から一カ月程度は休みだ。昨日はたまたま公演があっただけ。マザーから新作オペラの中に僕の出番はないと聞かされた。
     このまま僕が踊れる舞台がなくなって、あの人から忘れられたらどうしよう。
     そのことが一番気掛かりだった。
     僕は気も漫ろなままストレッチを始めた。間違っても手首や足首を痛めることが無いように解していく。
     僕は踊ることが好きだ。お金と同じくらいに大切なことだと思ってるし、性に合っているともいえる。
     緩やかに、細波を広げていくように、体をひく。足先を滑らせてステップを踏んでいく。
     新作のオペラは「サンドリヨン」だと聞いた。どうせ僕が呼ばれることはないだろうが、イメージを膨らませながら踊ってみる。ヒロインに助言を与える小鳥は。世界中の姫君からの求愛を断わる芯の強い王子は。母親の魂のこもった枝木は。
     ゆっくりと膝を曲げ、腕をあげる。
     そのとき、またもや扉をノックする音がした。今日は嫌に客が多いな。

    「こんにちは」

     誰だろうと思いながら扉に向かうと、先に扉が開いた。顔を出したのは街で「納棺師」という仕事をしている青年だ。といっても僕と同じくらいの年齢だが。

    「イソップ、です。今日はお暇ですか」
    「ああ、ここ最近は休みだよ」

     僕は半分だけ開いた扉を開けてあげる。イソップはペコペコしながら部屋に入ってきた。

    「今日はどうしたの?君が僕の部屋に来るなんて珍しいね」

     僕がそう聞くと、イソップは答えずに部屋のなかへ入ってきた。机の上に置かれたバスケットを注視している。
     彼は人の物に勝手に手を出さない。
     僕がそのバスケットについて声をかけようとすると、先にイソップが口をひらいた。

    「黄色い薔薇の花言葉、知ってますか?」
    「花言葉?」
    「花には意味があるんです。国とかによって違うけど」

     「調べてみれば?」と視線を向けられ、興味がわいた。
     イソップは「これ」とだけ言って、バスケットの横に似たようなバスケットを置いて帰ってった。
     何がしたかったんだろう。
     僕は呆気にとられて見ていた。それから机の上のバスケットに視線を移す。
     バスケットの中に入っているのは白いハンカチーフにくるまれた白パンだった。布越しにほかほかとした熱気が伝わってくる。焼きたてだろうか。それなら、ありがたくもらっておこう。

    「ありがとう、カールさん」

     人への接し方は少々おかしいが、僕にとっては心地の良い距離感だ。深みに入り過ぎず、浅瀬ですませてくれる。
     僕はバスケットからほかほかのパンを取り出すと、ハンカチでくるみなおした。イソップのいうとおり、図書館へと行ってみよう。調べた後に外で食べることにしよう。
     僕はそうと決めると、やることもなかったから着替えて外に出た。
     街の図書館なんて久しく行ってなかったから少し迷ったけど、遠くない場所にあった。
     僕は図書館の中に入って、花言葉が書かれている本を探した。イソップの言うことだから、きっと何かあるんだろう。本を見つけた僕は日当たりの良い席に座って、ページを開いた。

    「薔薇、薔薇、薔薇……。赤、黒……あった。黄色」

     黄色い薔薇の花言葉のページを見つけた。
     友情、献身、可憐、あなたを恋します、という言葉が書かれていた。
     どうやら良い意味だったようだ。僕は安堵のため息を吐く。だが、続きを読んで青くなった。
     薄らぐ愛、誠意がない、不貞、嫉妬……?

    「……っは、ふふふ」

     思わず笑い声が漏れた。
     あの人も僕のことを嫌いになったみたいだ。彼も僕のパトロンじゃなくなるつもりだろうか。
     僕の人生、そろそろ終わりかも知れない。
     イソップも酷いことをする。わかって調べてくるように言ったのだろう。
     あの人はどうして、こんなに分かりづらい花言葉を持った花を届けてきたのだろうか。本当に分からない。
     僕は胸ポケットに常に入れている手帳を取り出した。そこには今まで貰った花の名前や絵、花びらが張り付けてある。
     どうせ図書館なんてめったに来ないんだ。分かるだけでも調べてみよう。あの人について少しでも分かるかも知れない。
     紫陽花、「あなたは冷たい人」。黒百合、「恋の呪い」。赤いチューリップ、「愛の告白」。スノードロップ、「貴方の死を望みます」。カーネーション、「無垢で深い愛」。フリージア、「期待」。
     ……ますます分からくなった。僕に対してよく思える意味も、少し気になるような意味もあった。
     僕は首を傾げ、本棚を閉じた。いいや、もう考えるのは止めよう。これ以上考えても、あの人のことなんて分かるはずがない。そんな簡単に理解できるような人じゃないんだ。
     僕はため息をつくと本を本棚に戻した。
     久しぶりに本を読んで疲れた。図書館から出て、もらったパンを食べよう。
     僕は図書館をあとにした。
     パンを食べたあと、僕は街をぶらぶらとした。嗜好品に割くようなお金はないからウィンドウショッピングをしながら街を歩いた。
     せっかく外に出るキッカケをもらったのだから、このまま帰るのは惜しいだろう。そう思って街をふらふらしていたが、結局誰とも会うことは無かった。
     知り合いに会ったら何か奢ってもらおうと思ったのに。
     僕は、すっかり暗くなった空を見上げた。
     夕方ちかくなると風が肌寒く感じる。僕は身震いをすると、上着を持ってくなかったことを後悔した。
     でも少し路地裏に入って帰れば時間を短縮して宿舎へ帰れるはずだ。僕は駆け足で大通りから一本だけ外れた路地裏へ入った。
     貧民街よりも少々マシな暗い場所だ。大通りよりも荒い煉瓦で組まれた建物ばかりだ。細い路地のせいか少し息苦しく感じる。
     なんだか嫌な予感がする。早く宿舎へ帰ろう。
     僕は拳を握りなおして歩き始めた。
     路地を半ばまで進むと、目の前に人影を見つけた。こんな時間に出歩いている人などいるに決まっている。でも普段通り慣れていない場所で嫌な予感を感じていたこともあり、少し身構えてしまう。
     オドオドしながら道を進んでいくと、人影の顔がよく見えるようになった。
     青白い不健康そうな肌に怯えたような寒色系の瞳。フェルト帽からはみ出たクリムソン雑じりのブロンドが特徴的だ。
     画家、なのだろうか。イーゼルを抱えて、絵具の染みだらけになった深緑色のコートを着ている。
     害のなさそうなその人に僕は声をかけた。

    「こ、こんばんわ」

     その瞬間、男性の瞳がきゅうっと小さくなった。ツカツカと僕の方へ近づいて、上から見降ろされる。
     顔に深い影ができて、綺麗な水底のような瞳が煌めいた。使い込まれたナイフのように僕の心へ切り込んでくる。さっきとは人が変わったみたいだ。
     ずっと見られているのには慣れている筈が、何だかムズ痒い気持ちになる。
     ほんの少し身じろぐと、男性はハッとして僕から離れた。
     男性はフェルト帽を取った。

    「すみません。初対面の方にとる態度じゃなかったですね。謝ります」
    「あ……いえ」
    「貴方、お名前は?」

     有無を言わせない口調で言われ、僕は彼から距離を取りながら応える。
     何なんだこの人。

    「え、と……ノートン」
    「そうですか。ノートン、ノートン……」

     ぶつぶつと何かを思い出すように僕の名前を呟いた。
     何に興味を惹かれたのか、考え事を始めた彼から僕は逃げ出した。
     後ろで何かを叫ぶ声が聞こえたが、僕は気にせずに走った。宿舎まで走って、潰れた肺に無理やり酸素を送り込む。
     玄関先で咳き込みながらドアノブに手をかける。そのまま捻ろうとしたら、背中を叩かれた。
     僕は驚いて飛び上がった。

    「ひぇっ……!って、カ、カールさん、か」

     後ろを振り向けばグレーがかった瞳と目が合った。透明度の高い瞳には僕の情けない顔が映っている。

    「ノートンさん、会いました?」

     ずいっとイソップが近づいてきた。睫毛が濃い影をつくって、イソップの表情が読めなくなる。

    「な、なに?」

     僕はドキドキと激しくなる動機を堪えながら彼に聞き返した。
     イソップのマスクが肌に擦れる音が聞こえる。彼特有の魅惑的な声音が僕の鼓膜をうった。

    「さつじんき」

     僕はひゅっ、と出来損ないの声を漏らした。
     あの人は殺人鬼だったのだろうか。でも、あの綺麗な瞳はとてもそんなことをするようには見えなかった。それに巷の殺人鬼なら女性の、それも娼婦しか狙わないはずだ。
     自分の心にそう言い聞かせた。
     それでも僕は全身で脂汗をかいていたし、指先から氷漬けにされたように体温を奪われていく。

    「ノートン、さん」

     イソップが震える僕の手を握った。手袋の布越しに彼の体温が伝わってくる。
     彼はもう片方の手で僕の頬に触れた。するり、と頬を撫でると息を吐いた。

    「よかった。生きてる」
    「え、うん。カールさん、心配、してくれたんですか」

     僕がそう尋ねると、彼は僕から距離を取りながら頷いた。

    「危ない目にあったのかと思いました」

     どうやら心配させてしまったらしい。
     僕は照れ臭くなった。良い年した大人なのに自分よりも年下(たぶん)の人間から心配されてしまった。
     茶化すような口調でイソップに聞いた。

    「最近物騒だから?」

     イソップは眉を少し潜めた。それからペコリとお辞儀をする。
     どうやら帰るようだ。
     僕は慌てて背を向けた彼に声をかける。

    「か、カールさんも気を付けてね」

     彼は少し足を止めると、一度だけ僕の方を振り向いた。そして何も言わずに、また歩いていった。
     僕はイソップの体温が残る頬を撫でた。
     何だったんだろう。イソップはいつも変だけど、さっきは輪をかけておかしかった気がする。
     でも、それもきっと彼の距離感が変なだけだろう。
     僕は首を傾げながら宿舎の扉を開けた。

    「ただいま、マザー」
    「おかえりなさい、ノートン。あら、貴方、とても顔色が悪いわよ」

     僕の顔を見たマザーが表情を険しくした。僕は苦笑いをする。
     そんな僕を見てマザーは腰に手を当てて、お説教してきた。心配してくれているんだろうなとは伝わってくるけど、話が長い。

    「ダンサーは体が資本よ。体調には常に気をくばって。いくら出演数が減ったからって、自堕落な生活を送っては駄目よ」
    「はい、気をつけます。マザー」
    「……気をつけてね、ノートン。貴方は落ち込んだら、卑屈になる傾向にあるから」
    「はいはい」

     僕はマザーにそう言うと自分の部屋へ戻った。
     洗濯するためにシャツを脱いで、ズボンのポケットの中の物を出す。パンをつつんでいたハンカチ、手帳、ペン。

    「あれ?」

     僕は思わず声を上げた。
     ズボンを脱いで、ポケットをひっくり返してみる。中には何も入っていない。

    「な、ない……。なんで?図書館を出る時にちゃんと入れたのに」

     あの人から貰ったメッセージカードが入っていない。ひょっとして走った時に落としてしまったんじゃないか。
     あの人のメッセージカードは全て棚の箱にしまってある。一枚だけでも、落としているのがあの人に見つかったら、僕のことを嫌いになるかも知れない。
     僕は急に怖くなった。
     あの人が僕へのメッセージカードを拾わない内に見つけないと。今から探しに行っても良いけど、マザーに見つかったら面倒だ。朝早くに探しに行こう。
     僕は「大丈夫、大丈夫」と呟きながらベッドの上で毛布をかぶって丸くなった。意外と疲れていた体が休息を求めるまで、時間はかからなかった。
     僕は深呼吸をしながら瞼をゆっくりと閉じた。











     結局、あの人から貰ったメッセージカードは見つけられないまま三週間がたった。






     僕は玄関先でマザーに声をかけられた。マザーは少し興奮を隠しきれない様子で僕に話しかけてきた。

    「大変よ、ノートン」

     いつも人前では名字で呼ぶマザーが名前で呼ぶくらいには動揺していた。
     マザーの周りにいる、これから舞台の練習へ向かう子たちもソワソワとしていた。

    「そろそろ通りをするのにメアリーが行方不明になったの。貴方、居場所を知らない?練習をすっぽかすような子じゃないのに……」
     メアリーは真面目で背の高いダンサーだ。僕も彼女が練習をすっぽかすような子じゃないと知っている。
     僕は首を横に振った。

    「知りません」
    「そう……」

     マザーは目を伏せて考え込んだ。それから顔を上げて、僕を見る。

    「……キャンベル。貴方、代理をしてくれないかしら」
    「僕がですか?」
    「ええ。今日の通しはどうしても外せないの。何でも新しい支配人がいらっしゃるとかで、ね。お願いよ、キャンベル。この子たちからフリを教えてもらってちょうだい。貴方ならすぐに覚えられるものよ」

     僕が考えあぐねていると、マザーは急かすように続けた。

    「今日、何か用事でもあった?」
    「い、いえ。ありません」
    「なら決まりね。アリス。キャンベルにフリを教えてから劇場へ連れてきて」

     マザーは一方的にしゃべると僕の前から去っていった。残されたのはアリスと僕。
     アリスは暗い顔で僕の腕をひいた。

    「ノ、ノートンさん……フリを教えるから」

     あまりにも暗い表情に、僕もつられて動揺してしまう。僕が入ると舞台上の関係が崩れるからだろうか。嫌な思いをさせているのかもしれない。
     舞台はデリケートだからな。

    「あ、ああ。えっと、次の演目って何?」
    「『サンドリヨン』、灰かぶりよ。私達の役は街の人々だったり、城でのにぎわし役ってところ」
    「僕は男役を?」

     僕がそう聞くと、アリスは首を振った。

    「いいえ、ダンサーはみんな女性。ノートンさんには悪いけど、今回だけだから」

     歯切れの悪そうな言い方の中に嘲笑が含まれている。僕は冷や汗を流しながら、視線を彷徨わせた。
     その様子を面白そうに見ていたアリスはウィンクをしながら僕にこう言った。

    「あ、ノートンさんはチュチュを着なくていいからね」
    「……僕が着たって気持ち悪いだろ」

     僕は呆れてものも言えなかった。



    「よっし、こうだね」

     僕はステップを踏み終えて、アリスの方を見た。アリスは驚いた顔をしていた。

    「凄い、凄いわ……っ、ノートンさん。こんなに複雑なステップをすぐに踏めるようになるなんて」

     僕は褒められて満更でもなかった。
     軽快さと上品さをあわせ持ったステップだ。チュチュを着て踊ったら、足先がよく映えるように計算されている。最近のオペラ構成によくある振り付けだ。

    「きっと女性だったらパトロンがイッパイついたでしょうね」

     何の気なしに言われたアリスの言葉が胸に刺さった。
     僕は自分のタオルで頭を軽くふくと、アリスに声をかけた。

    「……アリス、早く劇場へ行こう。マザーが待ってる」
    「あ、そうですね。行きましょ」

     アリスは僕より先に部屋を出て行った。僕は汗を軽くふき取ると、アリスに続く。
     劇場へと続く、細くてごちゃごちゃした廊下を通る。
     しばらく歩いていると、アリスが言いにくそうに口を開いた。

    「ね、ねぇ……ノートンさん。聞いた?」
     僕は視線を彼女に向けた。

    「あ、あのね。私、聞いちゃったんだ」

     アリスは秘密の打ち明け話をするように声を潜めた。

    「メアリー、殺されてしまったかもしれないって」
    「は?」

     思わず足を止めてアリスの顔を見返した。
     彼女は何でもないように先へ進んでいく。僕は我に返ってから、あわててついて行く。

    「ノートンさんも聞いたことあるでしょう。最近おきた娼婦殺しのこと。メアリーは娼婦と勘違いされて殺されたんじゃないかって……」
    「それは、あるかもしれないけど……でも」

     困ったことに動揺して言葉がきちんと出てこない。
     アリスは僕の言葉にうなずいた。

    「言いたいことは分かるわ、ノートンさん。私も分かってる。それはただの噂だって。それに……メアリーは夜中に好んで出歩くような子じゃないもの」

     そこっまで言うとアリスは黙り込んで、さっさと歩いていった。僕も黙ってその後をついて行く。
     それにしても、何だか煮え切らない話である。
     僕はそう思いながら、アリスと劇場の扉を潜った。
     劇場の舞台では既に通しが始まっていた。舞台上に出てきた僕とアリス……というよりも僕に視線が集まった。
     マザーが僕を見つけれて声を上げる。

    「さあ、ノートン。さっさと入ってちょうだい。もう通しは始まってるのよ」

     僕はマザーにうなずいて、ポジションに立った。周りの様子を見て、タイミングを計りながら舞台上でステップを踏んでいく。
     舞台端まで行くと周りの女の子の噂が耳に入った。
     どうやら新しくきた支配人の話らしい。話し声や視線につられるように、僕も新しい支配人の姿を探した。
     舞台の真ん中で歌う歌姫、の向こう側。マザーと劇場の大パトロンと長身の男性が話をしていた。歌姫が移動して、長身の男の顔がよく見えるようになる。

    「あっ!」

     思わず声を上げる。女の子たちからの視線が集まったが、気にする暇もなかった。
     裏路地であった画家だ。
     舞台ライトのせいか、顔色が不健康そうに見える。特徴的なクリムソンまじりのブロンドが綺麗にセットされている。
     ニコニコと目を細めて談笑していた彼が瞳を開いた。爽やかな木立を彷彿とさせる瞳が僕をとらえて離さなくなる。僕は無意識に体を緊張させた。
     彼が僕から視線を外す。まるで魔法が溶かれたように、僕の身体が弛緩した。無意識のうちに息を吐く。
     僕はいたずらが見つかった子供のように壁の向こうへ隠れた。
     それでも彼の様子が気になって、壁から様子をうかがってしまう。まるで恋する乙女みたいじゃないか、と自嘲しながら彼の姿を探した。
     彼はマザーと楽しそうに話していた。それなのに僕は視線を感じて、そわそわしてしまう。
     ずっと彼のことを目で追っていたが、他の女の子も似たようなものだから幸い、バレなかった。
     そうしていると通し練習は終わった。
     僕はシャワーを浴びに行こうと思い、そそくさと劇場から帰ろうとした。練習スケジュールを確認するダンサーたちをすり抜けて、劇場から出ようとするとマザーに声をかけられた。

    「キャンベル!ちょっと、こっちへいらっしゃい」

     僕は一瞬顔をしかめ、マザーの隣にいる彼を見た。
     彼の表情はシルクハットで隠れていて分からない。
     僕は小走りでマザーの元まで近づいた。

    「マザー、何か御用ですか」
    「キャンベル。こちらは劇場の新しい支配人になったジャックさんです。ジャックさん、こちらが先ほど紹介したノートン・キャンベルです」

     マザーに背中を押され、彼…ジャックさんの前に出される。改めて対峙すると、彼のほうが背が高いことがよく分かる。

    「初めまして、ノートン。私が今度から新しい支配人になりました、ジャックと申します」

     そう言ってジャックはシルクハットを軽く上げた。帽子がつくりだした濃い影の下、ウルトラマリンブルーというのだろうか、透明度のある瞳が煌めいている。
     でも、どうして「初めまして」何て言うんだろう。もしかして、覚えて無いのだろうか。それとも、他人の空似か?
     僕は軽く首を傾げ、ジャックを見つめた。
     黙ったままの僕をマザーが軽くこづいた。

    「あ……どうも。ノートン・キャンベルです」

     僕は慌てて彼に挨拶した。
     マザーが僕に囁くようにして、話し出す。

    「支配人がね、貴方の踊りが気に入ったと仰っているの。『サンドリヨン』にこのまま出ないかって言われているのよ」
    「支配人は通常、事務所から出ない者でしょう。勿論、私もオペラに一家言あるということではありません。ですが、貴方の踊りは舞台上で見せるものだと思って……」

     「いけませんか?」とジャックは首を傾げた。その動作が様になっていて、僕は柄にもなくときめいてしまう。
     今、どうしてときめいたんだ?彼は可愛らしい町娘ではないのに。
     自分で自分のことが分からなくなった。僕は頭を軽く振って、考えを振り払った。今はそんな事どうでも良い。端役とはいえ、舞台に立てるだけで今はありがたい。このチャンスを掴まないなんて、ナンセンスな話だ。
     あの人に忘れられないために、僕がとるべき最善の手立て。
     僕は笑顔を作って彼と目を合わせる。

    「ありがとうございます。ですが、僕が出演するか否かは、僕が決めることでは無いなので……。お気持ちは嬉しいです」
    「そうですか。それなら、如何でしょう?」

     ジャックは顔をマザーの方に向けた。
     舞台の主な出演者を決めるのは演出家だ。パトロンの多い者、最近の流行、フォアイエ・デ・ダンスールでの扱い……。主な判断基準はそこだ。例え実力が伴っていたとしても、人気で無いならば客が集まらない。
     でもマザーの立ち位置は少し特殊だ。マザーがひとこと言えば、ダンサーに限り、ある程度は優遇してもらえる。古参のマザーだから出来ることだ。マザーは普段、舞台に関しては口出ししない。
     だから……。
     僕はマザーの顔色を窺った。僕の予想に反して、マザーは嬉しそうに見える。
     マザーは僕の方を見て、それからジャックの方を見た。

    「ええ、よろこんで。私の方から打診してみますわ。ノートンの実力は確かなものですから問題は無いでしょう」

     マザーは「ちょっと行ってくるわ」と言うと、僕とジャックを残してどこかへ行ってしまった。
     僕は急に居心地が悪くなったので、ジャックに頭を下げた。

    「じゃあ、これで僕は失礼します。僕のダンスが貴方の目に留まったこと、嬉しかったです」
     そこまで言って踵をかえす。
     今度こそシャワーを浴びようと、足を動かしたとき、後ろから声をかけられた。

    「何週間か前にお会いしましたね」

     迷わず振り向いた。綺麗な緑色の瞳に映るのは、驚いた僕の顔。

    「あのときは……迷子の子供だとばかり思っていたのですが、勘違いだったようですね」
    「あれ……覚えて……」
    「えへへ、すみません。ちょっと、悪戯の度が過ぎましたね」

     そう言って、彼は少しだけ首を傾けて微笑んだ。綺麗な瞳が細くなって、五月の葉のように輝く。変な話だけど、彼は確かに生きているんだと実感した。


     ゆっくりと毒が体内を巡るように、堕とされている気がした。
























     その後、メアリーが戻ってくることは無かった。マザーの話では、警察も捜索しているらしいが影も形も見当たらないらしい。
     僕はそのままメアリーの配役を担当することになった。
     今日はオペラ「サンドリヨン」の初舞台だ。
     メアリーはメイド役もやっていたらしい。用意されていた衣装はお姫様よりも控えめだが、それなりに派手な衣装だった。精密な刺繍にフレアのきいた長いワンピース。それを着るのは流石にどうにかしてもらうように頼みこんだ。村男の衣装を着たとはいえ、女性の振り付けを踊るだけで結構な体力を使うのだ。
     アリスから習った女性用のメーキャップを軽く施す。鏡に映る自分の顔がいつもと違って妖艶に見えた。自分でもよく似合っているような気がして、すこし得意げになった。男性がいると興がそがれる、なんて言う客に対しての予防線だがなかなか気に入った。
     衣装を身に着け、リハーサルへ向かう。
     廊下を歩いていると、ジャックと会った。
     自己紹介をしてもらった日から僕はジャックをよく逢うようになった。ジャックは不思議な人物で、僕の話をよく聞いてくれた。何か用事があっても彼の瞳に見つめられると、それを忘れてしまった。彼を目にすると、主人を待っていた犬のように走り寄ってしまう。
     ジャックは「支配人だから事務所に居るのが仕事なんですよ」、「オペラやバレエはよく分からないんです」と言った。でも彼と少しでも会話すれば誰でも気づいただろう。ジャックはオペラだけでなく芸術に関することには深い造詣を持っていた。
     人気者の支配人と話せる時間は少なかったけど、彼は一つだけ僕に秘密を打ち明けてくれた。

    「実は、スコアを書いているんです」
    「スコアって……オペラの歌詞や楽譜、のことですか?」
    「ええ、そんなものです」

     僕はそれを聞いたとき、心底彼を尊敬した。そして絶対に、彼のオペラに出演してみせると決意した。
     僕の姿を見つけたジャックはいつもの微笑みを浮かべ、僕の元へと近づいてきた。彼のほほえみは好きだ。弓張り月のような瞳から精一杯かがやきを放っているブルーの瞳。見ているととても癒される。それと同時にいつまでも見ていたくなって、心がかき乱された。

    「やぁ、キャンベル。今からリハーサルですね。頑張って」
    「ありがとうございます、支配人」

     ジャックは僕に近づくと、僕の頬に触れた。僕はその仕草に、何故だか体中に緊張が走った気がした。

    「……女性のメーキャップ?ですか。男性のは、しないんですか?」

     僕は少しほっとして、彼から離れながらそれに答えた。

    「演出家さんが少しでも女性に見える様にって、まあ無駄だと思いますけど」
    「そうですか?」

     ジャックは首を傾げて僕に半歩近づいた。

    「私がもしもキャンベルのことを知らなかったら、貴方のことを可愛い娘さんだと思っていましたよ。きっと」
     ……真顔で言われても反応に困る。
    「そ、そうかな?確かに、僕もこのメーキャップは少し気に入ってるけど……」

     ジャックはもう半歩近づくと、僕の腰に指先を滑らせた。

    「ひゃへ……!」

     僕は思わず変な声を出してしまった。慌てて自分の口を両手で押えた。頬に触れた自分の指先が驚くほど熱かった。
     そんな僕を見て、ジャックは口元を抑えて肩を震わせている。……笑ってる。
     またジャックお得意の悪戯だったらしい。

    「ジャッ!……支配人、悪戯が過ぎますよ」
    「おや……すみません、すみません。貴方が本当に可愛かったので悪戯してしまいました」

     「ほら、何もしませんよ」と両手を開いたジャック。
     僕は呆れて、ため息をこぼした。

    「ホンットに……もう。僕、行きますからね」

     リハーサルがあるんだった。僕は再び舞台へ足を向けた。後ろのジャックはまだ肩を震わせてる。
     僕はまだ熱い頬をどうやって冷まそうかと思いながら舞台へ向かった。





     リハーサルは滞りなく終了した。嬉しそうなパトロンが今日の客入りは予想以上だと言っていた。アリスはそれを不満げな表情で聞いていた。それもそうだろう。客入りの内には「行方不明になったバレリーナ」の噂をきいたものもいるらしい。確かに、あまり歓迎できない話ではある。
     僕はアリスの愚痴を聞き流しつつ、これで給料が上がらないかと考えていた。それにしてもアリスはこの舞台が始まってから僕と話すようになったけど、何だか距離が近づいた気がするな。
     アリスは何か言え、とばかりに僕を見た。

    「えー……でも、僕らは踊るのが仕事だからなー」

     僕は舞台の様子を見ながらそう言った。アリスは不満げに、でも納得したように「そうね」といった。
     そういう彼女も今回のことでパトロンが増えないかと狙っているのだろう。ま、お金に余裕のある人間が来ていればの話だが。
     オーヴァチュアがゆっくりと流れだす。 フットライトが順々に燈っていき、舞台がほの暗く照らされ始める。
     騒がしかった客席が静まり返る。

    「……開演だ」

     僕は誰にともなく呟いた。
     「サンドリヨン」は誰もが知る童話、シンデレラを元にした舞台だ。バレエのストーリーも織り交ぜつつ造られたこの作品は、きっと若い女性を中心に話題になるに違いない。よく知られているシンデレラだと王子さまは国中の女性を探しに行き、シンデレラと結婚することでハッピーエンドをむかえる。だが、このオペラでは世界中のお姫様からの求婚を断ってシンデレラを一途に探し求める王子さまの姿が見られる。これはバレエの方にあるストーリーらしい。
     シンデレラ役の歌姫が歌い出す。綺麗に伸びる声が客席を魅了する。彼女は窓辺へと手を伸ばし、場面は変わる。
     僕とアリスは舞台へあがった。
     街の男女による華やかで愉快なダンスだ。ステップはあくまでも軽く。舞台上に入る時だけ受けられる、僕にそそがれる視線。
     これが、僕に必要なものだ。
     多くの視線に交じった鋭いナイフのような視線。「あの人」だ。一体どこにいるんだろう。一瞬も緩むことのない視線に、ミスは許されないと気が引き締まる。
     ステップを踏みながら僕は舞台の端へと移動して、そのまま舞台から下がった。
     舞台の端で邪魔にならない場所へ移動し、熱くなった体を休ませる。
     「あの人」が来ている。いつものことだけど、それだけで僕の心は熱に浮かされたようになる。あのメッセージカードをなくしてしまったから、もう嫌われていたのかと思っていた。彼は僕のことを許してくれたのだろうか。きっと僕は彼に嫌われたら生きてはいけない。
     僕は小さく息を吐いて、衣装を着がえる。メーキャップも少し派手にして、髪を整える。
     次はお城での舞踏会の場面だ。「あの人」は僕を見逃しはしない。
     この舞台が終わったらジャックに「あの人」のことを話してみよう。ジャックは支配人だから、彼のことを知っているかもしれない。
     僕は我ながら言い考えだな、と思いながら舞台へ向かった。
     舞台の幕がもう一度上がり、城の背景画があらわれる。僕らはそこで舞踏会の参加者として踊る。指先まで優雅に伸ばして、豪華絢爛の極みの舞踏会を演出する。
     舞台上では歌姫が、初めての社交界に胸を躍らせている様を歌いあげている。
     沢山の蝋燭によって作られた影。ドレスのシルエット、せり上がりながら変わっていく城の情景。
     客席へ視線を向ければ、僕にそそがれている視線の数々。中でも鋭い「あの人」からの視線が僕を舞台に磔にする。それが心地よくて、僕が舞台の上で生きていると実感できる。
     やがて場面は移動し、僕たちは舞台の外へ掃ける。
     そして舞台は滞りなく進んでいき、クライマックスを迎えた。
     鳴りやまない拍手の音と下がっていく幕。何度か歌姫がカーテンコールをして、やっと舞台は終わった。舞台端から様子を見ていたけれど、スタンディングオベーションで終わった。
     下がった舞台の向こう側でジャックが挨拶をしている声が聞こえる。
     僕は着替えるためにフォアイエ・デ・ダンスールへ向かった。部屋へ入ろうとすると、中にはすでに着替えたダンサーたちとそのパトロンでごった返していた。
     さすが新作、と僕は皮肉気な笑みを浮かべた。僕の傍を通った上機嫌なダンサーが、肩を叩いて去ってい
    く。
     その上機嫌さに八つ当たりのような苛立ちを覚える。
     僕は一番端の目立たない鏡台まで隠れて進むと、化粧を落とした。衣装も脱いで、自前のシャツを羽織っる。
     どうせ誘ってくれるパトロンなどいないのだから帰ろうか、そう思ってフォアイエ・デ・ダンス―ルを出る。
     外へ一歩出たとき、アリスから声をかけられた。

    「キャンベルさん、これ貴方にって……」
    「誰から?」

     アリスから渡された花束には黄色い薔薇が……十五本。もう誰からのプレゼントか分かりきっているけれど、僕はあえて聞いてみた。

    「えっと、名前は聞いてないの。キャンベルさんと同じくらいの人だったわ。新しいファンかしら」

     僕は花束を受け取ろうとして、手を止めた。
     僕がデビューしたときからパトロンをしてくれているのに?少し変な気がする。最初に貰ったメッセージカードから今まで、筆跡は変わっているけれど確りした文字だった。子供にそんな文字が書けるだろうか。てっきり大人だと思っていたのに。否、もしかしたら召使いの人かもしれない。
     僕はひとりで納得するとアリスから花束を受け取った。
     黄色い薔薇の花言葉には良い意味が無かったように思える。
     でも、やはり「あの人」が舞台を見てくれていたんだ、という気持ちでいっぱいになる。舞台に立っていたときと同じくらいの高揚感に包まれて、胸の動機が煩い。
     花束の中に一枚だけ刺さったメッセージカード。薔薇の花びらを傷つけないように注意深く取り出す。

    「ふふ、キャンベルさんってそんな顔もするのね。私、向こうに行ってるわ」

     アリスはそれだけ呟くと、廊下を走っていった。
     僕は今、どんな顔をしているのだろうか。そんなに珍しい顔をしているのか。

    「ま、いいや」

     僕はメッセージカードを見た。そこには見慣れた文字で「素敵な踊りでした。次の公演も楽しみにしています」の定型文。
     たったこれだけなのに、僕はもう舞い上がってしまった。「あの人」は確かに僕を覚えてくれていた。涙が出そうなくらい嬉しい。あとで、この話をジャックにもしよう。きっと彼も分かってくれるはずだ。
     僕はメッセージカードを裏返した。
     「薔薇の花は何本ですか?追伸,新支配人と仲良くされているようですね」
     彼らしくない一文を見て、何か考えるよりも先に僕はメッセージカードと花束を床に落とした。
     時間が止まった気がした。
     僕へ向けられる訝し気な視線に気づき、あわてて花束とメッセージカードを拾った。
     黄色い薔薇は形が崩れてしまっている。切りたての花だろうに可哀そうなことをしてしまったな、と花びらを撫でた。
     メッセージカード……どういうつもりだろう。「新支配人と仲良くされているようですね」って、怒ってるみたいだ。まるで僕とジャックが仲良くしたらいけないみたいに読める。
     だとしたら、「あの人」はどうして怒っているのだろうか。
      彼は僕から離れるつもりだろうか。「あの人」が僕の前からいなくなったら僕はどうしたら良いんだろう。彼が最後のパトロンで、僕を最初から見ていてくれた人なのに。
     もしそうだとしたら、そんなのは余りにも一方的じゃないか。
     でも文句を言おうにも僕の立場じゃ言えない。それに僕は「あの人」がどんな姿で、どんな声をしているのか知らない。
     ジャックと関わるのを止めたら、彼は今まで通り僕のパトロンでいてくれるだろうか。
     そんなことを考え、自身の頭を振った。
     それは嫌だ。ジャックと話せなくなるのは嫌だ。何故だか分からないけれど、それだけはやりたくなかった。

    「はぁ……困ったな」

     僕は花束を抱きなおした。メッセージカードは丁寧にズボンのポケットに入れる。また無くしたり落としたりしないように何度も確認した。

    「あ!君、君だよね!」

     僕の肩に手を置かれ、重心がブレる。無理矢理振り向かせられ、危うくこけそうになった。足がもつれてたたらを踏んだ。
     僕を振りむかせた男性は少し年上に見えた。

    「おっと、ごめんよ。それで、君がさっきの舞台で踊ってた男の子だよね」

     僕は笑顔を作ってうなずくと、花束とメッセージカードを近くの棚に置いた。
     話が長くなりそうな気配がする。
     僕は男性を観察した。明るいブロンドに今はやりのジャケットを身にまとっている。少なくとも金はありそうだ。流行りの服を買える、ということは常にお金に余裕がある人が多いからだ。ついでに靴が綺麗に磨かれている。
     服装は好印象だ。
     だけど僕を舐め回すような視線は嫌だ。普段からそうされてきたはずなのに、何故だか心の中に黒い靄がかかっていくような気がした。いつものことなのに、慣れないことをさせられているような気分。
     僕は無理やり頬をあげた。
     男性は僕の表情を見て、満足そうに口を開く。

    「君の踊り、とっても綺麗だったよ。僕、気に入ったんだ」

     男性はそう言いながら僕の身体を抱き寄せる。男性の顔が近くなって、僕は反射的に体を引き離そうとした。
     そんなことをしたら嫌われてしまうので身を固くした。

    「それで噂をきいてみたら今までパトロンだった奴らは、みんな君を捨てたんだってね」

     眉尻を下げてそう言う男性に、僕はあいまいな笑みを浮かべた。別に全員のパトロンがいなくなったわけではないし、僕は一時的なものだと思ってる。勝手に勘違いされるのは癪だけど、この場においてはちょうど良かったようだ。
     だんだんと近くなる距離に僕は眉をひそめたが、そのままにしておいた。
     なんだか今日の僕は変だ。

    「可哀そうにね、さぞかし苦しい生活を送っているんじゃないかい?」

     ふっ、と息を吐くように耳元で囁かれた。
     相手は悦に浸っているようだが、僕は「不快」の一言だった。ぞわりと変な汗が背中に伝った。流石に苦言を呈そうと体を動かしたとき、「おやキャンベルさん」とジャックの声が聞こえた。
     僕はその声を聴いて酷く動揺した。今すぐ逃げたいのに、足がすくんで動かない。
     ジャックは緩やかな歩調でこちらまで近づいてくると、僕と男性の間に入るようにして彼と向き合った。

    「お客様、本日の公演がお気に召したようでうれしい限りです」
    「貴方は……あ、支配人さんか」

     男性はいきなり現れたジャックに戸惑っていたが、すぐに調子を取り戻すと言葉を続けた。

    「このダンサーはキャンベルというんですね。彼のパトロンになろうと思っているのですが、良いですよね」

     僕はボンヤリとジャックの背中を眺めながら、心の中で首を傾げていた。ジャックは一体何をしに来たんだろう。男性は特別上客、というわけでは無いし。彼が個人的に挨拶へ来るような人ではない。それにフォアイエ・デ・ダンス―ルに支配人が来るなんて、それも公演終了後に来るのは珍しいことだ。
     僕はひたすら会話の行方を見守っていた。

    「……失礼ですがお客様」

     ジャックが口を開いた。後ろにいる僕の肩を掴むと、勢いよく引っ張った。僕はジャックの胸元に顔をうずめる形になる。後頭部に手を置かれる感覚がした。慌てて頭をおこそうとしたが、手に力をこめられて起こすことができなかった。

    「このダンサーはワケアリでして、パトロンは必要ないのです」
    「は?必要ないってどういうことだよ。こんな小さな劇場の男性ダンサーなんて薄給だろ。僕みたいなパトロンは必要なはずだっ」

     ジャックに自分の申し出を拒否されたことが癪に触ったのか、男性は語気を荒げた。欲しいものが手に入らなかったことが悔しいようだ。
     僕はパトロンが不必要だなんて一度も言っていない。いったい何を言いだすんだ。僕の稼ぎ口を勝手に減らされるなんてたまったもんじゃない。
     僕は話の雲行きが怪しすぎてソワソワし始めた。だが、頭を上げようにも上げられない。
     すぅっ、とジャックが息を吸う音が聞こえた。

    「彼にはかなり大口のパトロンがついていますので。それに……」

     ジャックの声が低くなった。

    「彼のことを本気で支えてくれるような方ではないと、支配人としては許可できません」
    「……き、興ざめだ。ぼ、僕はこれで失礼させていただきますよ」

     男性は慌てた様子でそう言うと、去っていったようだった。
     響いていた足音が遠ざかり、僕の後頭部に置かれていた手が離された。僕は顔をあげ、深呼吸をする。
     ジャックはそんな僕の頭を撫でた。その仕草にほだされそうになり、僕は慌ててその手を振り払った。
     目つきを鋭くさせてジャックを睨む。

    「ジャ、支配人。どうして、僕のパトロンの申し出を勝手に断ったんですか!」
    「え?」

     ジャックは先ほどまでの気迫はどこへやら、綺麗な瞳をきょとんとさせた。

    「あ、すみません。貴方が嫌がっていたように見えたので止めさせました。嫌だったんじゃないですか?」
    「え、あ……うん。それはそうだけど……。でも、僕の稼ぎ口でもあるわけだから勝手に」

     「ああいったことをするのは止めて欲しい」と言おうとして、僕は口をつぐんだ。
     一瞬だけ緑黄色のキラキラした瞳がドロドロと融けて真っ赤になったように見えた。目の錯覚かと、自分の目をこすった。
     ジャックの瞳はいつもの様にとても綺麗な寒色だ。

    「私は……キャンベル。ノートンに他の子たちと同じことをして欲しくないんです」

     ジャックがわざわざ僕の名前を呼びなおした。そのことについて何も思わないほど経験がないわけではない。
     内心、ジャックが僕の中に一歩だけ入り込んでくれたようで嬉しかった。
     でも可愛くない僕は唇を捻じ曲げてしまう。

    「それで僕が冬の日に野垂れ死んでも、ですか?」
    「ノートン」
    「……それに支配人が「あの人」のことを知っていたなんて知りませんでした。いつの間に調べられたんですか?」
    「アノヒト……」

     思わず口をついて出た言葉にジャックが目つきを鋭くさせた。
     僕は首を傾げながら言葉を続ける。

    「ご存知なんでしょう。僕は「あの人」の姿を見たことがありませんけど」

     僕は「本当にヒドイ人」と小さく呟いた。
     言ってしまってから酷く後悔した。僕はこの人に恋い焦がれていたことに気づかされた。なんだかんだ言って、彼に僕の傍に居て欲しいと願った。彼が僕に対して無条件に興味をもってくれていると思った。
     自分勝手な制御できない僕の感情に嫌気がさしてくる。
     ジャックが僕の望んでくれることをしてくれる?そんなことがあるわけ無いのに、裏切られた気分だ。

    「ノ、キャンベル?」

     急に黙り込んだ僕にジャックが声をかける。その声は少し掠れているように聞こえて、彼に気を使わせてしまったことに唇を噛みしめた。
     本当に人生、旨く行かないものだ。

    「ごめんなさい、支配人……じゃなくて、ジャック」

     僕はやっとのことでそう言うと、彼の瞳を見つめた。こんな時でも彼の瞳を見ると心が落ち着いていく。
     僕は勢いよくジャックに対して頭を下げた。

    「へっ!?」

     ジャックがたじろく声が聞こえた。体に触れられないうちに頭を起こし、僕は大きな声を出した。

    「ごめんなさい、ジャックっ。僕、頭を冷やしてきますね。だから今日はもう帰る!」
    「ちょ、ノートン……貴方」

     後ろから聞こえてくるジャックの声を無視して僕は宿舎へと走った。
     もちろん、途中であったお客様に愛想を振りまくのも忘れなかった。





















     公演が終わった週の休日、僕はジャックと一緒に少しお高めのカフェにいた。
     最初に誘ったのは僕だった。一度声をかけると、ジャックから店を指定してきた。名前を聞いてピンとくる有名店だったので悩んだが、ジャックがお金を出してくれるというのでお言葉に甘えることにした。

    「ノートン、何か飲みます?」

     脚を組み、ジャックがそう言いながらメニューを渡す。その仕草がとても様になっていて、ついつい見惚れてしまった。
     ジャックが片眉を上げ、訝しげな表情で僕を見ていた。僕は慌てて、ごまかすように手を胸前でふった。

    「な、なんでも無いよ」

     メニューを受け取り、内容を見るふりをしながらジャックを見た。
     太陽の光が当たった彼の髪はブロンドに輝いていて、影のあるところで見るのとは違った印象をおぼえる。暗く鈍くひかるクリムソンと明るく爽やかに揺れるブロンドは印象が異なるが、どちらもジャックらしいと思う。
     それにジャックはとてもスタイルが良い。ダンサーをやっている以上、僕にも自分のスタイルに対する自信がある。そんな僕でもジャックは惚れ惚れするくらい格好良い。
     これが「恋」をしている、ということなのだろう。僕はこの気持ちがどこへも行かないように蓋をしながら、視線をジャックからメニューへ移した。
     メニューの中で二番目に安い珈琲を頼む。

    「他には?ノートンは細いんだから、ケーキを頼んでも良いんですよ」
    「いや、良いよ。僕はこれで十分だから」

     ジャックの口調が少し砕けていることに気づいて僕は少しうれしくなった。頬が上がるのを抑えながら、僕はジャックにそう言った。
     恋だと自覚するとジャックの姿ひとつひとつが美しく見える。僕に声をかけてくれているだけで胸が締め付けられる。数日前までは彼に裏切られた、なんて思っていたのに、彼と会えばこんなにも嬉しくなる。
     くるくると表情を変えていく自分の感情に僕自身の心がついていけない。

    「……そうですか」

     ジャックは近くを通りかかったウェイターに注文してから、僕の方を向き直った。

    「それで、ノートン……」

     ジャックが何かを言う前に僕は口を開いた。

    「待って、ジャック。この前は僕、どうかしてたんだ。貴方にあんなことを言うつもりは無かったんだ、ごめんなさい」
    「……ノートン。そんなことは良いんです。私も貴方に何も言わずにパトロンを断ってしまいました」
    「そんな、ジャックは悪くないよ!」
    「いえ、私も悪いんです」

     2人でそう言いあってから顔を見合わせる。しばらく黙った後、どちらともなく笑いだす。
     僕はしばらく笑いが収まらなくて、お腹を抑えながら目じりに溜まった涙を拭いた。

    「あー、良かった。ジャックにも嫌われたらどうしようかと思ったよ」

     僕はそう言った。
     ウェイターがジャックと僕の前に珈琲を二つ置いた。暖かい珈琲からは湯気が漂っている。僕はカップを手に取ると、一口飲んだ。
     ジャックは珈琲に目もくれず何かを考えるように顎に手を当てていた。何を考えているんだろう。虚空を見つめるライトグリーンの瞳を見ながら、僕は珈琲をもう一口飲んだ。
     ジャックはふっ、と頭を振ると僕の顔を見た。急に真っ直ぐに見つめられ、珈琲のせいではなく体中の温度が上がっている気がする。

    「ノートン、少し聞いても良いですか?」
    「ん、何かな。僕が答えられるものだったら何でも聞いてよ」

     上ずる声でそう応えると、ジャックはツゥっと目を細めた。

    「何でも、聞いて良いんですね。それでは聞きます」
    「う、うん」
    「貴方はさっき私に「も」嫌われたらどうしようと言いましたよね。もう一人の嫌った人、というのは貴方がこの前言っていた「アノヒト」のことですか。「アノヒト」というのは誰なんでしょうか」

     「教えてもらえますか」と言われ、僕は断れなくなってしまった。
     話してもいいけれど、ジャックに「あの人」はそこら辺のパトロンとは違うって教えないといけない。この前の嫌な男性みたいな人とは違うんだ。
     僕は慎重に首を縦に振った。

    「うん、僕の一番最初のパトロンなんだ。僕も「あの人」の名前は知らないから「あの人」って呼んでいるんだけど……。あ、このことはマザーと僕しか知らないよ。いつも僕の公演の後に花束か花びらをメッセージカードと一緒にプレゼントしてくれるんだ」

     そう言いながらメッセージカードと花束を置いてきたことに気づいた。あ、と顔をひきつらせた僕を見てジャックが足元から何かを取り出した。
     待ち合わせたとき、ジャックはすでに足元に大きなバスケットを置いていた。何だろうと気になっていたがそれを僕に見せてくれるらしい。

    「ああ、これでしょう」

     取り出されたのは少ししおれてしまった黄色の花束とメッセージカード。

    「昨日これを忘れていきましたからね。きっと必要なものだと思って劇場から持ってきました」
    「ありがとう、ジャック!」

     僕は花束を持ち上げて、近くで匂いをかいでみた。昨日と同じでとても良い匂いがする。メッセージカードも綺麗なままだった。
     そんな僕を見て、ジャックは言いずらそうに話を続ける。

    「ノートン、花言葉って知ってますか」
    「え、あ……この前、友人に言われて調べてみたから知ってるよ。黄色のバラの花言葉は「友情」とか「献身」、「不貞」、「嫉妬」……だったかな。色々と反対の意味もあって混乱したけど……」
    「この花束は15本の黄色い薔薇、ですよね。それだけに送られる花言葉が存在するんです」

     「知りたいですか?」と視線を僕へ流される。その視線がとても艶美に見えて、僕は1人で赤面した。油のささっていないブリキ細工のようにこくこくと頷く。

    「そうですか。15本の薔薇だったら「ごめんなさい」という意味になると聞いたことがあります。これはどの色の薔薇でも同じことなんですが」
    「「ごめんなさい」……?」

     「どうして」と僕の唇から言葉が漏れた。それは明確な音にならず、空気を震わせていく。目の前が真っ白になった気がした。ガタガタと得体の知れない寒気に襲われる。このまま闇の中へ引きづり混まれそうだ、と思った時、視界が明るく晴れた。
     短く息を吐いて顔を上げる。
     ジャックが僕の頭絵を撫でていた。いつもしているように、子猫を撫でるような仕草に安心する。無意識に温かみを感じて笑みがこぼれた。好きな人に触れられていることがこんなに幸せなことだと知らなかった。

    「大丈夫そうですね、ノートン」
    「うん……ありがと、ジャック」

     ジャックはいつもの笑みを浮かべながら珈琲を一口飲んだ。

    「「ごめんなさい」ですか……。ノートンは「あの人」というパトロンに心当たりは無いのですよね。ずっと前からのパトロンなのに一体どうして……」
    「それはっ!きっと……僕のことが嫌いになったんだよ……」

     僕はジャックの言葉に、先日貰ったメッセージカードをくるくると手の中で弄ぶ。
     「新支配人と仲良くされているようですね」というメッセージ。それを僕の口からジャックへ言っていいのか迷うところだ。どうしよう。僕にとってはどちらも大切な存在だ。失いたくない。
     10数年の内、「あの人」の存在は僕の中で大きくなり過ぎた。簡単に切り捨てるなんて出来ない。
     ジャックはこのメッセージを読んだのだろうか。ふと、そんなことを考えながら店の外を見た。

    「……あれ?」
    「どうしました、ノートン」
    「イソップ……あ、僕の友人がいたような気がして、きっと見間違いだと思うけどね」

     ジャックを心配させないように僕はそう言った。
     でも……。
     僕はもう一度、店の外へ目を凝らした。先ほどまで、向かいの街頭の下を見知った姿の人間が歩いていた気がしたのだ。細身に灰色の洋服。あれはイソップだろうか。
     イソップがここにいるのは珍しいことだな。ほいほいと外へ出るような仕事じゃないし、プライベートでも外出するような人じゃない。買い物かな。
     僕は首を傾げながらジャックの方へ向き直った。
     まあ今度、彼自身に聞いてみればいいか。

    「違いました?」
    「分からない。今度、彼に聞いてみるよ。彼が買物のなんて珍しいからね」
    「……そうですか」

     ジャックはにっこりと微笑んでから、僕に向かってメニューを差し出した。

    「それでノートン。私、このケーキが食べてみたいのですが……一緒にどうです?」

     ジャックが指さしたケーキの写真はとても美味しそうだ。しっとりしたチョコレートスポンジに白い生クリームがのっている。

    「え……」

     ぐるるるるる……。
     僕が悩んでいると、お腹が盛大に鳴った。しまった、と僕はお腹を押さえてジャックの顔を見た。ジャックはさっきと同じ様にほほ笑んだままだ。
     僕はメニューをもう一度見て、ジャックに声をかけた。

    「も、もう1個だけ頼んでもいいですか?」

     ジャックは目を見開くと破顔した。それからくすくすと笑い声をもらす。

    「勿論。好きなだけ頼んで良いですよ」






















     あの日からどれくらいたった日のことだろう。

     その日、ジャックは僕の部屋を上機嫌で訪ねてきた。
     寝起きの僕の頭には彼の声はとても甘く聞こえ、いつもよりラフな格好からは色気が漏れているように見えた。

    「ちょ、ちょっと!ジャ、ジャック!」

     僕の悲痛な叫び声に耳を貸さず、ジャックはずんずんと部屋のなかへ入っていく。
     あれから僕とジャックは支配人と踊り子、というよりも友人と形容していいほど仲良くなった。……と思う。月に一度はカフェへ行くようになったし、出会えばとりとめのない会話だってする。僕と彼の間柄は、きっと「深い」と表現する物なのだろう。だが、彼が僕に抱いている感情と僕が彼に抱いている感情はきっと違う。
     今だって、ベッドの上で羞恥から顔を赤らめているのは僕だけで、それがとても不公平なことのように思えた。慌てて顔を見られないように背け、適当なシャツを羽織る。
     ジャックはベッドに腰かけてその様子を見ていた。

    「……急に入ってこないでよ。僕だって、もう少し寝ていたかったのに」

     沈黙に耐え切れずにそう言うと、ジャックは鼻歌でもふきそうな声で「マザーに許可はとりましたよ」と言った。最低限の身支度を整えた僕は彼の隣に座る。

    「それで、ジャックはどうしてここに?」
    「出来上がったんですよ、ノートン。あげるか、あげないかは人の興味をそそるかで決めますが……。私のスコアが書きあがったんです。どうぞ、見てくれますか?」

     両手で渡されたそれは大きな茶封筒に入っていた。綺麗に装幀がほどこされた楽譜とは別にメモのような束も入っている。僕は震える手でそれを受け取った。
     張りのある革張りの装幀がとても綺麗で、表紙には『PLAY』と書かれている。赤字で柳のような文字がとても彼らしいと思った。開けば、真新しいインクの香りが鼻をくすぐった。きっと書きあがってすぐに持ってきてくれたのだろう。
     その事実に嬉しさと打ちのめされそうな気分が溢れてくる。
     僕の視線は楽譜の上を滑っていった。

    「どうですか、ノートン」
    「ああ……。きっと、すごい作品になるんだと思うよ」

     僕が歯切れ悪く言ったのが気になったのか、ジャックは訝しげな表情で僕の額に手を置いた。急速に熱がそこへ集まっていく。

    「ノ、ノートン?大丈夫ですか」
    「な、なに!?」
    「いえ、気分が悪そうに見えたので熱でもあるのかな……と。少し熱くありませんか?」

     ジャックにそう言われ、僕は彼の手を額から引き剥がした。

    「そ。……そんなことないよ。ただ僕は……」
    「僕は?」

     僕はうつむいて、彼が起こらないか心配しながら口を開いた。

    「お、音楽って楽譜を見ただけじゃ分からないから……。で、でも、きっとジャックが作った舞台だから素適なのは分かるんだ」

     一息で言ってしまって、彼の言葉を待つ。
     しばらくして、ジャックは口を開いた。

    「よかった……。そんなことだったんですね。本当はダメダメなスコアなんじゃないかって、不安で怖くて……」

     ジャックはそう言いながら、僕が初めて見る顔で笑っていた。目じりが下がって、ほっこりするような笑顔。頬が赤く色づいていて、幸せそのものみたいな顔だ。

    「ノートン」

     彼にそう呼ばれ、僕はジャックの顔を見た。ぎゅっ、と彼の長い腕で閉じ込められる。僕は驚いて目を見張った。とても嬉しくて、このまま息絶えれたらどんなに幸せだろうと思う。ジャックが動かないのをいいことに、僕はそっと彼の肩口に顔を寄せた。控えめに、気づかれないように、深呼吸した。
     メッセージカードとよく似た香りが僕の鼻腔を刺激した。
     僕を離したジャックは、少し恥ずかしそうに鼻をかいた。それからメモの束を指さした。

    「ノートン、こちらを見てくれませんか。これにはバレエの振り付けを簡単にですが、絵を描いたんです」

     「これは貴方の振り付けです」と言いながら、何枚かのメモを僕に押し付けるように渡した。僕は慌ててそれを手に取ると、目をとおす。
     ステップらしきものやバレエの概念にとらわれないポーズのイラストもある。うずうず、と体中にじれったい感覚が走る。
     僕はメモを片手にベッドから立ち上がった。
     今すぐにでも動きたい。彼が考えているものに触れたい。
     そう思って片足をゆるりと曲げたとき、ジャックが制止の声を上げた。

    「ちょっと……待っていただけませんか、ノートン」

     動きを止めて、彼の方に視線だけを向けた。

    「なに?」
    「踊るなら劇場で見たいと思いまして。明後日、劇場を貸し切りにするのでいかがでしょう?」

     とても魅力的なお誘いと、普段見ることは出来ない上目遣いのジャックを見て、僕は無意識にほほ笑んだ。まるで三文恋愛小説に出てくるかのようなセリフを口から吐く。

    「よろこんで、ジャック」

























     大きな声で叫ばれ、その彼らしくない行為に、僕は目を丸くした。
     額に青筋を立て、顔を真っ赤にして怒る彼は普段とはまるで別人だ。かけようとしていた声を飲み込み、差し伸べようとしていた手を引っ込めた。その手を差し伸べたら最後、戻ってこれなくなりそうで怖かったのだ。
     僕が居心地悪そうに自分の指先で遊び始めるのを見て、彼はボロボロと玉のような涙を流した。
     居た堪れなくなって顔を背けた。キツク目をつぶって、空を見上げようと目を開けた。

    「……っあ、あれ?」

     見えたのは灰色で絹糸みたいに光る髪と、僕の部屋の薄汚れた天井。漆喰に走った割れ目が「R」のように見える。
     僕はゆっくりと体を起こした。特に体に変化はなく、痛いところもない。そのまま無意識のうちにベッドわきに置かれてい
    た頭に触れた。

    「イソップ……?」
    「ん……あ、ノートン、さん。おはよう、ございます」

     やや腫れぼったくなった瞼を擦り、欠伸をかみ殺すような変な顔で彼はそう言った。
     僕は頭が真っ白になっていた。
     昨日は普通に公演前のレッスンがあって、 その後はマザーに頼んで少しだけ劇場舞台でジャックの踊りを練習したのだ。終わった後はへとへとで、誰かに声をかけられた気がしたけれど気にせずに宿舎へ帰った。その日はそのままベッドにダイブしたから……。
     僕は慌てて自分の服装を視線だけで確認した。イソップにそういう毛があるとか、そんなことは思っていない。これは条件反射のようなものだ。
     服装は昨日と同じだ。
     僕は安堵のため息を吐きながらイソップに声をかけた。

    「それで、どうして僕の部屋にイソップがいるの?」
    「え、昨日……声をかけたんですが、気づかなくて。一緒に入って、気づいたら、寝てました」

     僕が妙な顔をしていたためだろうか。イソップは頭を下げ、「すみません」と謝った。
     確かに彼も勝手に入ってきたのは悪いと思うけど、僕にも非があった。というか、自分でも気づかないくらいに疲弊していたようで、イソップの声にも気づいていなかったのか。

    「いや、僕もゴメン。君の声に気づかないくらいに疲れてたみたい」
    「お休み、じゃなかったんですか」
    「え、ああ。新しい支配人になってから、僕に出番がよく回ってくるようになったんだ」

     そう言いながらジャックのことを思い出す。
     凛としていて、決意に満ち溢れた寒色系の瞳。すらりと伸びた背中。こちらを見て声をかけてくれる時の視線と声音。
     思わず口角が上がる。いつも以上に口が回るようになって、イソップへ彼のことを話した。恥ずかしいが彼に魅かれていること。彼に助けてもらった時に変な態度をとってしまったこと。何故かパトロンをつけさせてくれないこと。
     そして僕の為に踊りのメモを作ってくれたこと。

    「……あいしてる、んですね」

     話し終えた僕の顔を見て、イソップはやけにさめざめとした顔でそう言った。

    「そ、そんなことは無い……と思うけど……」

     なんだか照れ臭くなった僕は顔を赤くしてそう言った。
     僕の表情と対照的にイソップの顔は冷え切っていた。彼が気を悪くしてしまったのかと思った僕は、謝ろうと口を開く。

    「いいんですか、ノートンさん」

     その前にイソップが口を開いた。
    「な、何が?」
    「だって、その男は貴方のことをそういう対象として見ていないでしょう」

     イソップの言葉に口をつぐんだ。僕の表情を見た彼は、少しだけ目を細めたように見えた。僕の元へ少しだけ近づいて、マスクを外す。

    「良いんですか?」

     イソップは再び聞いた。
     僕はからからに乾いた口を頑張って開く。何かを聞こうとしたのに、漏れた言葉は彼の名前だけだった。

    「きっと辛いだけですよ。今は楽しいかもしれないですけど、このままの関係でいられるわけじゃないし」

     彼は心配しているだけなんだ。そう思うことにして、僕は無理やり笑顔を作った。

    「っ、そうかもね」
    「僕はノートンさんのことが心配です。このまま彼に溺れてしまって、貴方が辛い目に合わないか」

     「友人として」と彼は呟いた。ゆっくりと閉じられた口元が不気味に感じた。
     僕は無理やり話を転換させるために、深く息を吸って言葉を発した。

    「イ、イソップ……風邪とかひいてない?」

     イソップは一瞬驚いた顔をして、マスクを付けなおした。それから僕から離れる。

    「風邪、気味かもしれないです。少し、喉が痛い」
    「……」

     僕は黙って彼を観察した。それからため息を吐いて、彼に言った。

    「それは……話過ぎたからじゃない?」
    「そうかもしれないですね」

     イソップはへらりと笑った。

    「ノートンさん、暖かいものでも飲みに行きましょう。いっしょに」
    「それは良い考えだね。でも、良いの?」

     イソップは誰かと一緒に何かをするのが嫌いだと言っていたはずだ。僕が外へ出る準備をしながら聞く。

    「ええ、少しずつ慣れなくちゃと思っているので。友達となら、平気です」

     イソップは僕の上着を取ってくれた。
     僕は、どうして上着の場所を知っているんだろうと思いながら、それを受け取った。まあ、昨日の夜に僕が入れておいたのを見ただけなのかもしれない。

    「それじゃ行こうか、イソップ」
    「はい、ノートンさん」

     僕らは朝ご飯を食べに近くのカフェまで歩いていった。



























    「は?」

     舞台練習が終わった後にジャックに呼び止められ、話を聞いた僕は言葉を失った。ジャックはごくごく真面目な顔をしていて、嘘を言っているようにも見えなかった。寧ろ、僕の顔を見たジャックは心配するような表情をした。
     わざわざ手帳を取り出して、僕の前に広げてくれる。

    「ほら、ここを見てください。今日は水曜日です。貴方に劇場へ来てほしい、と言ったのは火曜日の話なんです」
    「……」
    「ノートンの部屋へ行ったのは土曜日のことです」

     それでも納得できない顔で俯く僕を見て、ジャックはなおも心配そうな顔をした。
     何かを考えるように低く唸る。

    「ノートン、昨日……何があったのか教えてくれますか」

     優しいジャックの声に僕は一旦、混乱していた思考を止めた。
     彼の顔を見上げ、ゆっくりと息を吸いこむ。

    「昨日……イソップ、あ。僕の友人と一緒に朝食を食べに行ったんだ。僕にとっては、それがジャックが劇場へ呼んでくれた日の一日前だったんだけど……」

     そう話している内に何か引っかかりを感じたが、僕はそれを飲み込んだ。

    「起きた時に体に異変は?」
    「確かにいつもより怠い気がしたけど……。イソップの声に気づけないくらい疲れていたし、確かに君にメモを貰ってから舞い上がったみたいに練習していたから」

     僕の言葉を聞いたジャックは悲痛そうな顔をした。顔中をくしゃくしゃに丸めたような表情だ。眉間に皺がよっていて、細められた瞳に影が映りこむ。
     彼は酷く苦しそうに息を吐いた。

    「ノートン、こんなことを言うのは心苦しいのですが……。貴方の友人、イソップは……その、おかしくはありませんか」

     僕はとっさに何も答えられなかった。
     真っ白に片づけられた頭の中で「おかしくはありませんか」というフレーズが反芻される。その言葉は弾丸のように僕の「引っかかり」を撃ち抜いたのだった。
     黙ったままの僕にジャックが慌てたように声をかけた。

    「気にしないでください、ノートン。私は深く考えずに言葉に出してしまったんです。本当に、どうか……」

     そう言いながらも彼の声は小さくなっていった。
     きっとジャックも、何か思うところがあったのだろう。

    「それに……」

     ジャックは僕から少し目を離す。

    「今回のことは私にも非があります」

     その言葉に僕はジャックへ近づいた。どうして彼が気に病むことがあるだろうか。
    「どうして?」
    「貴方がきっとやって来る、と。そう思って待ち続けていた私が悪いのです。貴方をすぐに迎えに行けばよかった」

     ジャックはそう言って、僕をだきしめた。彼の香水の匂いと体温からくる暖かさに包まれる。僕は一瞬だけ驚いたが、ジャックが硬直を解くように強く抱きしめてくれた。
     安心する。何もかも忘れて呆けそうになった僕は慌ててジャックの顔を見上げた。

    「あ、あのっ、ジャック!」
    「ん、何ですか?」

     緑黄色の瞳とかち合って、頭が真っ白になった。一瞬考えてから、僕は口を開く。

    「えっと、僕はジャックが心配してくれて嬉しかったよ。確かにイソップは大切な友人だけど、ジャックも……」

     ジャックの顔を静かに盗み見れば、明るい色に瞳が輝いている。
     僕は奥歯を噛みしめて、口角を上げた。

    「同じくらい大切な友人だから、ね」
    「……貴方が気を悪くしていないのなら、良かった」

     ジャックはまだ納得のいかない表情で頷いた。信用されなかったのだろうか。
     僕は何だかジャックを引き留めて、きちんと話をした方がよい気がした。

    「あの……ジャック」

     僕の声にかぶせるようにして、事務員の「支配人!お客様がお越しですよ!」という声が聞こえた。ジャックは半身を後ろに向けてそれに返すと、僕の方を向いてすまなさそうに頭を下げた。
     僕は顔を横に振る。
     でもジャックは動こうとしなかった。

    「行ってきなよ」
    「……はい、そうします。ノートン、今日のレッスンが終わった後、公演時間中に私の事務所へ来てくれますか」

     そう言ってジャックは走り出す。僕は黙ってうなずいた。
     ジャックが走っていった方向を眺め、僕はため息を吐いた。
     もやもやとした気分を抱えたままレッスンを終わらせ、シャワーを浴びる。
     新しくおろしたシャツに着替えるために一旦、宿舎へ戻った。部屋のなかに置かれているカレンダーを開く。そこには一日連れた日付に横線が引かれていた。

    「……」

     僕は棚の上に置かれていたペンで勢いよく明日に来るはずだった日付に線を引いた。
     イソップの顔が頭にチラつく。
     それを消し去るように急いで着替えを済ませ、宿舎を出た。
     煩わしいことこの上ない。
     劇場の裏手に入れば、オーヴァチュアのくぐもった音が聞こえてきた。僕は準備中やレッスン中とは打って変わって静かなホールを歩く。裏の通路を通って、「事務所 支配人」と書かれたプレートのかかった扉をノックした。

    「どうぞ」

     少し硬めの声が返ってくる。
     僕はごくりと生唾を飲み込むと、ドアノブを回した。

    「……ノートン。来てくれたんですね」
     先ほどまであいさつ回りをしていたのか、ジャックの前髪はオールバックにされている。仕立ての良さげなスーツ姿に僕は釘付けになった。
     格好良い。

    「ノートン?座って良いんですよ?」

     ジャックに応接椅子を示されて、僕は慌てて椅子に腰かける。ふかふかしすぎていて落ち着かない。
     「紅茶と珈琲、どちらがいいですか」と言いながら、彼はお湯をカップに注いでいる。僕は上ずった声で「っど、どっちでも」と言った。
     やがて笑みを浮かべながらジャックが僕の前に紅茶を置いた。

    「寒い中レッスン、お疲れさまでした。少しゆっくりしてください」

     僕は断りを入れてからそれに口づける。
     紅茶からは持ち主と同じ様な、華やかでほの暗い味がした。

    「ノートン、この劇場の上に小さな屋上があることにお気づきですか?」
    「屋上?」
    「ええ。あのブリギッドの石像が見えるところです。あの後はちょっとしたスペースがあるんです」

     そう言いながらジャックはうっとりと瞼を閉じた。夢を見るような表情に、彼が先ほどの会話を気にしていないことが分かる。
     だが、彼の目論見が見えなかった。

    「そうなんだ」
    「今日は朝に雪が降っていたんですよ。それからあなたは気づいていないかもしれませんが、今もチラチラと降っているのです。先程確認してきましたが、滑りやすそうではあるものの、当たり一面銀世界でしたよ」

     もっと読めなくなった。僕は眉根を寄せて、首を傾げた。
     ジャックは僕の顔を真っすぐに見た。

    「真っ白なステージに月明りのスポットライト……。芸術の女神に背を向けて踊る貴方は大層美しいでしょうね」

     僕の顔の温度が音を立てて上がっていく。またジャックお得意の揶揄いだと分かっていても、動揺せずにはいられなかった。

    「はっ……?も、ジャック、か、揶揄わないでよ!」
    「揶揄ってませんよ」

     そう言いながらも彼は喉の奥で笑った。肩が揺れている。

    「もう……」
    「はは、すみません。でも冗談じゃないですよ、ノートン。今から私と上で踊りませんか、とお誘いしたかったんです。少々、周りくどかったですね」

     まだ笑いの止まないジャックがそう言った。僕は今度こそ赤くなって黙り込んだ。
     僕の気も知らないで、本当にたちが悪い。
     俯いているとジャックの靴音がして、僕の隣に影ができた。深く黒い影に顔を上げる。

    「ジャッ……」

     彼の顔が近づいてきて、思わずのけぞる。「ノートン」と低い声で名前を呼ばれて、僕は唇を噛みしめた。無意識のうちに足をすり合わせていた。

     ジャックが僕の前にひざまずいて、僕の頬に手を伸ばす。

    「私と一緒に踊ってくださいませんか?昨日の埋め合わせもかねて、ね」

     僕は自分の胸の音が相手に聞こえていないかドキドキしながら、精一杯の動作で頷いた。
     僕の顔を見ていたジャックが瞳を細めて、「よかった」と呟いた。瞳に照明で出来た睫毛の影がうつる。
     その瞳は僕の錯覚だろうけど、真っ赤に光っているように見えた。まるで餓えたネコに追い詰められたネズミのように、僕は浅い息を吐いた。

    「それではノートン。もう少し暖かくしてから、一緒に上へ行きましょうね」

     ジャックはそう言うと僕から離れた。机の上に置かれたカップの上に手をかざし、「冷めてしまいましたね」と言いながら紅茶を入れなおしに行った。
     僕は大きな溜息を吐くと、顔を自分の腕で覆った。誰もいなくなった事務所で小さく呟いた。

    「…う、うん」

     ジャックが再び戻って来たとき、やっと僕の顔から赤みがひいていた。やっと平常に戻れた僕は目の前に置かれた紅茶に手を伸ばす。
     紅茶を飲み終わった僕は、ジャックの誘いを断れずに彼のジャケットにそでを通した。めったに目にすることのない柔らかい生地に体がこわばる。スン、と鼻を動かせばジャックの香水の匂いがした。まるで彼に抱きしめられている時みたいで落ち着かない。

    「ノートン、マフラーもありますよ。巻いてください」
    「え、それは良いよ。僕、もう十分暖かいし」

     目の前に出された2本の赤いマフラーを丁寧に押し返す。

    「それはいけません。大事な従業員に風邪をひかれたら困ってしまいます。それに私の舞台にも出てもらいたいですし」

     上機嫌な様子でジャックは僕の首にマフラーを巻いた。
     最後の抵抗とばかりに彼を見上げて、「踊りにくくなるよ」と言ったが無視された。

    「それじゃあ行きましょうか、ノートン」
    「……そうだね、ジャック」

     ジャックに背を押され、落ち着かない気分のまま屋上とやらへ向かった。小窓に似た扉を開け、ジャックの言うとおり、ひらけた白い場所へ足を踏み入れる。まさに一面の銀世界。眼下に広がる街の明かりがイルミネーションのようでとても綺麗だ。

    「うわぁ……とても、綺麗だね。ねぇ、ジャック」

     隣にいる彼に同意を求めると、僕の顔を見たまま「そうですね」と言われた。
     恥ずかしくて、顔を背ける。無理矢理、喉から声を絞り出して笑い声をあげた。

    「も、もう止めてよ、そうやって揶揄うのはさ」

     その行動自体がむなしくて、涙が出そうだった。
     痛いほど奥歯を噛みしめていた頬に手を添えられる。そ、と手に力をこめられ、ジャックの方へ誘導される。顔を背けようとすると、痛いほど力をこめられた。

    「ジャ……」
    「本当に貴方は……私の話の腰を折るのが得意ですね。それにとても危なっかしい。私はあなたを見ていて心休まる暇がありませんよ」

     僕へと注がれる視線が鋭く、自分の首筋にナイフでも充てられている気分になる。

    「……とても愛おしいんです、ノートン。キチンと言わないと、貴方はまた勝手に判断して逃げてしまうでしょう?だから昨日、貴方へ伝えようと思っていたのに貴方は来てくれなかったので」

     眉を八の字に下げ、しょんぼりとした表情でそう言う彼。僕は声を絞り出して「ごめん」とだけ言った。
     ジャックは僕の頭を開いている方の手で撫でる。

    「良いんですよ。貴方は何も悪くないのですから。それよりも格好よく貴方に思いを告白しようと思っていたのに、格好つけられなかったじゃないですか」

     そう言って頬を膨らませたジャックは僕の頬から手を離した。
     いつもより柔らかい表情をして、ジャックは微笑む。言われていることが全く頭に入っていなかった僕は、彼の動作をぼんやりと眺めていた。

    「何を言ってるのか分からない、って顔してますよ、ノートン」
    「……」

     彼は僕を抱き寄せた。マフラーとジャケットとは比較にならないほど、「彼」を強調する香りに包まれて、クラクラする。身動きの取れない僕を見下ろして、彼の口元に三日月が刻まれる。

    「……何よりも深く、貴方を愛しています。ノートン・キャンベル」

     砂糖のように甘い言葉をかけられた。
     体中の血が沸騰して、胸が苦しくなる。

    「踊っている時の貴方も、困っている時の貴方も、愛想を振りまいていても、心配そうに私を見ている顔も……すべてが愛しくて仕方ないんです」

     このままだと僕、砂糖漬けになってしまうんじゃないだろうか。自分が自分じゃなくなってしまう気がして、怖くなる。背筋に変な感覚が走って、僕はジャックのコートを握りしめて俯いた。

    「あれ?ノートン?」

     不思議そうなジャックの声に軽い怒りを覚えた。恥を忍んで生死の声を上げる。

    「……も、もう止めて……ください」
    「それは残念です。格好良くできなかったので、貴方への愛を全て伝えようと思ったのに」

     ジャックは心底、残念そうだった。

    「十分だよ。十分、伝わったから……」

     僕がそう言うと、ジャックはもう一度、僕を抱き締めた。

    「ノートン?貴方からの返事を聞いても良いですか?」
    「え……」

     ジャックは「私が格好つけられなかったのでお返しです」と笑った。ガッチリと拘束された腕は言うまで話してくれそうにない。
     僕は心の中でため息を吐いた。ジャックは自分の獲物を逃がす、なんてことはしないだろう。それでも彼のことを思う気持ちが止まらないのは、彼に溺れてしまっている証拠なのかもしれない。

    「ノートン?」

     歌うような語調で名前を呼ばれ、春の花のような笑顔を見せられれば応えないわけにはいかない。

    「君の綺麗にひかる瞳とか、引き寄せずにいはいられない声とか、真っ直ぐに伸びた背中とか……」

     ジャックの好きなところをあげていけば、彼はどんどん笑みを濃くしていく。僕のように照れることは無いらしい。そのことを憎らしく思いながら、いつ終わるのかと恥ずかしさに耐えながら言葉を並べていく。

    「ぼ、僕を助けてくれるところとか、たまにちょっと怖いところとか……ん~と……」
    「おや、もう終わりですか?」

     ニヤニヤとした表情でジャックに言われ、僕は慌てて首を振った。
     それから、どうやって彼にこの気持ちを伝えられるか考える。僕は確かに彼のことが好きだけど、言葉なんてもので伝えられるほど綺麗ではないし、軽くもない。
     嗚呼、なんてもどかしいんだろう。パトロンをつくったり、愛想笑いをして自分の元へ誘いこんだりするのは得意だったのに。本当に好きな人へ想いを伝えるのがこんなに難しいなんて。

    「……ジャック、今日は踊りに来たんだよね」 
    「ええ、そうです。私は貴方に気持ちを伝えられたので満足しましたが」
    「ならさ!僕は今から、僕が君のことをどれだけ愛しているかを表現するよ」

     僕はそう言うと、ジャックから借りたジャケットを脱いでマフラーを取った。二つを綺麗に畳むと彼に渡した。

    「ノートン、寒くないですか?」
    「大丈夫だよ。ジャックのせいで暑いくらいなんだ。だから、僕の踊りをちゃんと見ててね。一応、君のメモの通りに踊るつもりだから変なところがあったら言って」

     ついつい言わなくていいことまで口走ってしまった。
     彼が何かを言う前に離れ、僕はポジショニングした。靴ではつま先を立てることができないから、滑らないように腰を落とした。
     心の中でリズムを刻みながら腕を大きく動かす。ダンサーにしては大きい方に入る体格を余すことなく使う振り付け、ジャックが自ら腕を取ってくれているような気分にさえなる。
     全ての音を雪が吸いこんでいく。服がずれる音も、呼吸も、街の喧騒も、何もない。この世界で生きているのが僕と彼だけの様。
     最後に舞台へ寝そべるように体をつけて、息を止めた。
     一瞬の間をおいて、拍手が聞こえた。すぐに駆け寄ってきたジャックにジャケットとマフラーを乱暴に巻きつけられる。

    「ジャック、伝わった?」

     僕はバクバクと音を立てる心臓を宥めながら、彼にそう聞いた。

    「……伝わりましたよ、十二分に。貴方のことを閉じ込めてしまいたいくらいに、愛おしかったです」

     ジャックは嘘か本当か分からないことを言った。

    「へへ、本当?」
    「おや、閉じ込めても良いんですか?ノートン。私、絶対に外に出しませんよ?」
    「それは困るなぁ」

     僕はジャックの顔が真剣そのものだったので、思わず笑ってしまった。彼は少し眉をひそめつつも、グルグル巻きにした僕を抱き上げた。

    「え?!」
    「ほら、こんなに冷えてますよ」

     そう言いながら僕の腕を取って、自分の頬にすりつけた。ジャックの頬からほんのりと体温が伝わってくる。

    「早く、中へ入りましょう。私の振り付けを踊っている貴女をみたら、もっと舞台で見たくなってしまいました。絶対に風邪ひかないで下さいね」
    「う、うん。変なところはなかった?」
    「いいえ、貴方は私が思っていた通りに踊ってくれましたよ」

     冷え切っていたからだがどんどん暖かくなっていく。僕は踊りつかれた倦怠感と、雪の冷たさをはらんだ空気が気持ちよくて目を閉じた。
     額にかかった髪を払いのける彼の指先が優しく触れた。思わず目を開けた。

    「寝てて良いですよ、ノートン。疲れたんですね」
    「ううん、部屋に戻るまで起きてるよ」

     僕がそう言うと、ジャックは少し悲しそうな顔をした。

    「信じられませんか?私のこと」
    「ううん、君に迷惑をかけたくないだけ」

     彼は僕が彼のことを警戒しているのだと思っているようだ。僕は彼が何かものを盗るとか、そんなことは絶対に思ってない。
     僕は彼に本心からの言葉を言った。
     するとジャックはまた優しげな顔で微笑んで、僕の瞼を閉じさせるように掌をかぶせた。

    「迷惑だなんて思ってませんよ。さ、目を閉じて」
    「ん……」

     そのあと僕は睡魔の波を漂いながら結局、眠ってしまった。
     ジャックの顔だったり、事務所の扉だったり、宿舎の外観だったりは朧げに見えていた気がする。僕がよく知った布団に体をうずめ、緊張を解いたように眠りにおちる時、扉が開くような音がした。
     気がした。






    (続く)






    注意事項






     ※ イソップ・カールが倫理的に問題のあることをしています。
     ※ 嘔吐表現に似た描写が含まれます。
     ※ 「前世の記憶として荘園での出来事を覚えている」という設定が含まれます。お嫌いな方はプラウザバックを推奨します。
     ※ 解釈違いを含むキャラ崩壊があります。


     以上が大丈夫な方はお読みください。






    ~言い訳タイム~
     イソップは別にヤンデレとかではないのです。弊荘園のイソップは少し好奇心が旺盛で執着心が強いので、こんな風になってしまいました。気持ち悪いと感じる人がいるかと思います。ごめんなさい。













    前半のあらすじ



     オペラ劇場に所属する崖っぷち男性ダンサーであるノートン・キャンベルは、デビューした時から応援してくれている「あの人」からのメッセージカードをなくしてしまう。そのことで悲しみに暮れていたノートンの前に現れたのは、カードを見つけてくれた新支配人のジャック。彼の瞳に魅かれるように恋に墜ちていったノートンは、次第にわからなくなっていく「あの人」に怯えながらもジャックへの思いを口にした。満を持してジャックとノートンは結ばれたのだった。













     はれてジャックの恋人になれた僕は幸せな日々を送っていた。

     毎日が新しい公演のための準備で目まぐるしく過ぎていき、僕もジャックも劇場内を走り回っていた。支配人としてのジャックはスコアの原作者としても特に忙しそうで、楽譜の直しかたを習ったり衣装のデザインを見たりしていた。
     僕も僕で振り付けをおぼえるのでイッパイイッパイだった。

     2人で会うことがあの日からなかなかできなくて、僕らが久しぶりに会ってゆっくりできたのは、新年の前の日だった。


    「久しぶりの休日でしたね。ゆっくりできましたか、ノートン」

     そう言いながらこちらへ歩いてくるジャックは、コートを着こんでいるのに洗練されて見えた。シルエットが格好良くて、彼から「愛している」と言われたことが未だに信じられない。

     あの日のことを思い出せば心がポカポカとした。なんて幸せなんだろう。お金もたくさんあるわけじゃない、一番のダンサーに成れたわけでもない。なのに心は羽のように軽くて、僕は幸せだ。

    「とても嬉しそうですね。何か考えていたんですか?」
    「えっと……僕は幸せだなって、思って。ふふっ、変な話だよね。僕はお金も地位も持ってないのに」

     何だか気恥ずかしくなって、そう言って僕は彼から顔を背けた。その一瞬前にジャックから抱きすくめられて、額にキスを落とされる。くすぐったくて身じろいだ。
     キスなんて知らない人から何度もされたり、したこともあるのに。どうしてだろう、彼とのキスはとても幸せな味がして、今まで感じたことのない気持ちになる。

    「何もおかしいことはありませんよ、ノートン。私は貴方がそんな風に感じてくれているなんて、私も幸せです」
    「本当?」
    「ええ」

     こんなに幸せで良いのだろうか。僕は恥ずかしくて、話題を移してしまう。

    「そ、それでジャック。僕に何の用かな?この前、用事があるって言ってたよね」

     ジャックは近くのベンチを示した。僕と彼は隣り合わせでその椅子に座る。

    「ええ、そうでした。明日はニューイヤーパーティーがあるんです。新年は何かと忙しい上に、催し物も多いのでね。新春公演だとか、新年公演だとか……」

     ぶつぶつと呟くジャックの眼もとには疲労の色が浮かんでいた。色々と大変なのだろう。

    「そう、それでそのパーティーを前に誘われるんですよ。私と踊りましょう、私と踊りましょうって」

     その言葉に僕の中で黒い感情が肥大した。

     嗚呼、こんなことを思っては嫉妬深いと思われるだろうか。嗤われるだろうか。重たいと思って、ひかれてしまうかもしれない。

     それでも言わずにはいられなかった。

    「なにそれ、浮気?」

     ジャックはキョトンとした顔をすると、顔を後ろに向けた。
     やっぱり言うべきでは無かったか。彼はきっと僕がこんなに重たい人間だったなんて思わなかっただろう。ああ、どうしよう。こういう時は何と言えばいいのだろう。ベッドに誘うときの言葉なら何度だってかけたことがあるのに……。人はここまで不器用になれるのか。

    「あ、あの……」

     恐る恐るジャックに声をかけると、ぎゅっと抱き寄せられた。

    「ああ、もう……あまり可愛らしいことを言わないでください、ノートン。本当に閉じ込めたくなってしまう」
    「ジャ、ジャック……?」

     彼の端正な顔が近づいてきて、ドキドキする。
     彼は僕を十分に抱き締めると頬を上気させて、僕の頬にキスをした。

    「ああ、これは夢じゃないんですよね。私はとても、とても幸せです」
    「う、うん……」
    「ノートン、それなら私といっしょにニューイヤーパーティーで踊ってくれますよね」

     彼に笑顔でそう言われ、僕はあんぐりと口を開けた。

    「ぼ、僕と?僕、踊ったことないんだけど」
    「いつも踊ってるじゃないですか?」

     ジャックはニヤニヤとしながらそういった。

    「それとは違うよ。一人でバレエを踊るのと、2人でワルツを踊るのは全然違う。僕なんかと踊りに行ったらジャックがバカにされるよ。僕、男だし……」

     自分で言っていて悲しくなってきた。

     彼は僕を見ながら意地の悪い顔をした。細められた瞳が夕日を反射して、赤く輝いている。

    「じゃあ私がほかの女性と踊っても良いんですか?」

     そう言われ、思わず想像して顔をしかめた。絶対にイヤだ。

    「イヤそうな顔をしてますよ、ノートン」

     その言葉に何とも言えない顔をしながら、僕は打開策を考えた。

    「む……ジャックがパーティーに参加しないっていうのは?」

     そう言うとジャックは面白そうな顔をしながら口を開いた。

    「それはいけませんよ。支配人ですから」
    「じゃあ……練習、とか?パーティーは明日なのに?」
    「そういうことになりますかねー……」

     どうします?と言うように笑みを向けられれば、逃げ場がないような気がしてきた。

     最後の抵抗とばかりに僕は口を開いた。

    「あ、ば、僕は男だよ。男の僕と男のジャックが二人でワルツを踊るなんてそれこそ可笑しいんじゃないかな?」

     するとジャックはしょげたような顔をして僕の両肩に手をおいた。それからむくれたように頬を膨らませる。

    「じゃあ私は引く手数多なので適当な女性を踊ります。大体、ノートンが女装すれば良いじゃないですか」

     「引く手数多」という単語が気になったが、僕はそのあとに続いた言葉に目を丸くした。

    「なんで僕が女装しないといけないんだい!」
    「良いじゃないですか。男同士が嫌だというなら、どちらかが女性になればいいんですから。ね?」
    「じゃ、じゃあジャックが女性になればいいでしょ?ジャックのほうが線も細いんだから」
    「嫌です。それに私のほうが背が高いので」

     平行線としか言いようのない言葉の応酬が続く。

     結局、折れたのは僕の方だった。仕方がないと、ため息を吐いた僕は少しだけ嬉しかった。

    「ドレス……」

     僕がそう呟くと、ジャックは上機嫌で用意しておくと答えてくれた。

     ジャックはとても嬉しそうに見えた。そんな彼を見ていると、こちらまで嬉しくなった。

    「明日、迎えに来ますね。ノートン」

     ニッコリとした笑顔でそう言われれば、悪い気はしない。

    「……うん」

     ジャックはそう応えた僕に腕を伸ばした。その手を取って、立ち上がる。
     ジャックは左手で僕の手を取った。それから抱き締めるように背中に手を添えられる。

     何が何だか分からない僕は彼に言われるがまま、体を動かす。

    「ノートン、左手を私の腕に添えてください。……そう。もう少し肘を上げた方が良いかも……ええ」

     思ったより密着して踊るもののようだ。向かい合うと何だか照れてしまって、胸の音が聞こえませんようにと祈る。

    「右へ足を出して」

     言われるがまま、ゆっくりとステップを踏む。
     段々感覚がつかめるようになると、ジャックは鼻歌を歌い出した。緩やかな三拍子のメロディーだ。

    「……エーデルワイス?」

     そう聞くと、ジャックは頷いた。

     さて、エーデルワイスの花言葉とは何だっただろうか。僕はそんな事を思いながら目を閉じた。

     宿舎の自分の部屋へ戻ると、僕はすぐに眠りについた。次の日の朝が楽しみで仕方がなかった。














     次の日のこと。

     ニューイヤーパーティーの衣装を持って部屋へやってきたジャックは、控えめに言ってとても格好良かった。

    「素敵だね、ジャック」
    「ええ、綺麗でしょう。貴方のために探してきたんです。もう少し時間があれば、ぴったりな衣装をご用意できたんですがね」

     僕の言葉に彼は持ってきたドレスを見た。確かにそちらも綺麗だったが、ジャックの方が綺麗だ。

    「僕はジャックの方が綺麗だって言ったんだけど」

     僕は思わず彼の開いている方の手を取ってそう言った。
     分かっていたことだけど、ジャックはこの程度では照れてくれない。彼は僕を見て微笑むとドレスをベッドの上に並べていった。その姿も格好良いな、と思いつつも、余裕たっぷりな様子がなんだか面白くない。

    「さ、ノートン。着替えてください」

     ベッドの上のドレスは完全な女性もの、というよりも最近流行りの少女歌劇で見るような可愛らしいものだった。ズボンなのかスカートなのかよく分からない。これが創作衣装、というものなのだろうか。舞台の上では見栄えもするし、動きやすそうだが一般的な見方については判別がつかない。

     僕が黙って立っていたことに、何を勘違いしたのかジャックは部屋の外へ出ましょうか、と提案してきた。

    「……着替えずらいわけじゃないんだけど」
    「それなら、どうしました?」
    「珍しいドレスだなって思ったんだ。このズボンとかフリルとかさ」

     僕はドレスを手に取って自分の体に合わせてみた。いつの間に測ったのだろう、ぴったりとあった。

    「ああ、心配なのですね?会場で自分の姿が浮かないか」

     心の中を言い当てられ、僕は頷いた。

     ジャックは部屋の外へ出るのをやめ、近くの椅子に座った。

    「きちんと説明してませんでしたね。今日のパーティーは仮面舞踏会なんですよ。だから少しくらい派手な衣装の方がかえって浮かないんですよ」
    「そうなんだ」

     ジャックの言葉に納得した僕は洋服を脱いでドレスに着替えた。ドレッサーに座って、ピョンピョンと跳ねる髪を落ち着かせるように櫛でとく。

     ジャックが見かねて手伝ってくれた。

    「凄い髪ですね……すぐに跳ねる」
    「へへ、そうでしょ」

     少し顔を上に向けてジャックの顔を見ると、彼はとろけそうな瞳をして僕の髪を弄っていた。

    「後ろで編んでみましょうか。一度だけ習ったことがあるんですよ、私。……上手に結べるかわかりませんがね」

     誰の髪を結んだのか、と心の中を揺さぶられたが、僕は黙って彼に髪を任せていた。

     足をふらふらさせながら髪を結んでもらっていると、ジャックが声を出して笑った。急に声がしたので、僕は驚いて彼の方を向いた。急に髪が引っ張られたので慌てて前を向く。

    「……女性かって思いました?」
    「え、あ。べ、別に気にしてないけど?」
    「男性ですよ。二人とも三つ編みを結ぶのがとても特異だったので、私もできないかなと思って教えてもらったんです。それだけですよ」

     彼の言葉に心の中で安堵したが、気を使わせてしまったかなと不安になった。自分でどうにかしたいと思っているのだが、胸の中に溜まった黒いドロドロとしたものは溢れるようにたまっていく。

     何と言おうか口ごもっていると、ジャックが僕の肩を軽く叩いた。

    「はい、できましたよ」

     僕はドキドキしながら後の髪に触れてみた。短いはずの武骨な髪が綺麗にまとめられていた。綺麗な薔薇の花の様な髪飾りもついている。

    「あ、ありがと……」

     僕は鏡の前に置かれているメイク道具を手に取った。仮面をつける、と聞いて悩んだが前回やってみた女性もののメーキャップを薄めにほどこした。
     出来上がった自分の顔はまあまあ綺麗だ。ドレスの印象にもよく似合っているようで、まんざらでもない気分になる。

     僕は振り返ってジャックを見た。

    「準備できたよ、ジャック。……どうかな?」
    「……」

     ジャックは僕の身体を舐めるように上から下まで眺めると、ドレッサーの上から口紅を取った。

    「ノートン、ちょっと目を閉じてください。それから口を少しだけ突き出して……そう」

     彼に言われたとおりにすると、唇に紅を押しつけられた。慣れていないぬるぬるとした感触を我慢する。

     「もういいですよ」と言われて瞳を開ける。ジャックの顔を見ると彼は満足そうにうなずいた。

    「ど、どうなったの?」

     ジャックはご自分で確かめてください、と言うように僕の身体を反転させた。

     鏡に映った自分の唇は血のように赤くて、こんなに赤くて大丈夫かなと思った。心配になって彼の顔を見なおしたが、満足そうな顔で頷かれたのでこれで良いのだと思った。

    「綺麗ですよ、ノートン。とても劇場一の男性ダンサーには見えません」
    「うーん……あまり褒められた気はしないけど、ありがとう」

     僕がまだ鏡を見ながら悩んでいると、ジャックが可笑しそうに声をかけてきた。

    「ほらノートン、いきますよ」
    「……うん!」

     僕は返事をすると彼について行った。




     その日の劇場は見たことないほど綺麗だった。ここまで華やかな雰囲気をただよわせる劇場は初めて見た。まるで別世界の様でジャックに腕をひかれるまで見惚れていた。

     僕の仮面は顔の左側を大きく覆うような形をしている。珍しい形だが、ジャックがわざわざ探してきてくれたようだ。ジャックの仮面は顔全体を覆うような味気のない白い仮面で、目の部分だけに二つ穴が開いていた。
     でも豪奢な仮面より、白い仮面の方が彼に似合っている気がした。

    「ノートン、入りますよ?」

     周囲からジャックへ注がれる視線を避けるようにして隠れていると、彼がそう声をかけてきた。舞台以外でたくさんの人から注がれる視線は得意ではない。僕は無理やり笑顔をつくると、頷いた。

    「大丈夫だよ、ジャック。さ、入ろ?」

     ジャックは心配そうな顔をしていった。

    「……くれぐれも無理しないで下さいね。かなり人が多いので、人酔いしたらすぐに言うんですよ」

     ジャックが心配してくれるのが嬉しくて、僕は「ありがと」と言って彼の腕をひいた。

     中へ入ると彼が言っていた通り、人の数がすごかった。本当にきらびやかで、熱気もすごく、圧倒されそうになる。

    「うわぁ……。すごいねぇ」

     思わず人の波に飲み込まれそうになる僕をジャックがエスコートしてくれる。女性はこんな風に扱ってもらえるなんて幸せだな。

     思わずジャックの顔をまじまじと見てしまった。
     彼は僕を引き寄せると仮面を少しだけずらして、囁いた。

    「貴方が誰だって私は大切に扱いますよ?」

     呆気にとられて、離れようとする彼を捕まえた。

    「そんなに分かりやすい?」

     もし表情から分かりやすく感情がバレてしまうのだとしたら、表現方法がダンスだとしても演者としては致命的だ。僕のダンサーとしての表現力に大きなひびが入ってしまう。
     とても、とても不安になった。僕からダンスを取ったら何も残らない。

     ジャックの赤い瞳に酷く怯えた表情の僕が映っていた。

    「……なんて顔してるんですか、ノートン。仮面がはがれかけていますよ?」

     ジャックは僕の背に手を添えて、手をとった。向き合うように体をうごかされ、瞳に射抜かれたように体が動かなくなる。

    「心配しないでください。私が興味をもつのも、汲み取れるのも貴方だけですよ。さぁ、体の力を抜いて」
    「……本当?」
    「私は貴方には絶対、嘘をつきませんから」

     恐怖から脅されているような気持ちにもなったが、それが心地よくても感じる。彼に溺れて、侵されて……。

     ジャックは一体どこまで許してくれるだろうか


     滑るようにワルツが奏でられ、僕とジャックは人が少ない場所を縫うようにして劇場の中庭へ出た。人の熱が止み、騒がしかった喧騒もなくなっていく。自分が着ているドレスの布地に月光が反射して、綺麗なのにどこか滑稽だった。

     ジャックと二人で踊っている、そのことも夢物語のようだ。そんな僕の感情はまだ一方通行のように感じられて、愛し合っているというのには程遠い。

    「ノートン、これが最後の一曲ですよ」
    「何だか、あっという間だった気がする……」
    「流石ダンサーは違いますね。全く疲れてないように見える」

     ジャックの腕に添えていた手を離して、その場でくるりとターンした。離した手で彼の手を取って、もう片方の手はジャックの背に添えた。

    「疲れたのなら交代するよ、ジャック」
    「紳士失格ですかね、私」

     わずかに哀しみをにじませた声でそう言われ、僕は今度は引っかからないぞと笑った。

    「失格かもね、レディにこんなことをさせるなんて」

     するとジャックも笑い返してくれた。

     そうやって最後の一曲が終わり、ジャックは僕に帰るよう言ってきた。彼はまだ挨拶をしなければいけないらしく、それなのに付き合ってくれたのかと申し訳なく思った。

     劇場の出入り口まで送ってくれたジャックはこういった。

    「気をつけて帰るんですよ、ノートン。いくら近くに宿舎があるからって、夜も深いんですから」
    「大丈夫だよ」

     僕がそう言ってもジャックは握っていた手を離してくれなかった。それよりも心配そのものといった顔で僕を見ている。

    「だって今は女性の格好をしてるんですよ、貴方。そんなに可愛らしい恰好をして歩いていたら誘拐されてしまいますよ、きっと」

     真剣な言葉に噴き出してしまった。

    「な、何で笑ってるんですか?!私、心配してるんですよ!?」

     ジャックが僕の両肩を掴んで、揺さぶる。

    「ふふふっ、あは…っ」
    「なに、笑ってるんですか。……本当に、こっちは心配してるんですよ?」
    「ゴメンゴメン」

     ジャックは怒ったのか顔をそ向けてしまった。僕は目じりに溜まった涙を拭って、あやまる。彼の子供のような仕草がとても可愛らしかった。

     僕がジャックに「機嫌を直して」と言うと、彼はしぶしぶ正面を向いた。

    「……本当に注意してくださいよ」
    「うん。幸せ過ぎて調子に乗った、ごめん」

     僕がそう言うと彼はなぜかため息をつく。それから諦めたように僕の頭を撫でた。
    「おやすみなさい、ノートン」

     そう言って頬にキスをしてくれた。

    「うん。おやすみ、ジャック」

     僕は嬉しくなって、彼の頬にキスを返した。
     普段だったら絶対にしないけれど、非日常からくる高揚感が僕にそうさせた。

     踊りつかれた体で宿舎に帰った。階段を上がる途中、すれ違ったマザーに「似合ってるじゃない。今度から女性ダンサーとして出てみれば?」と言われて、冗談じゃないと思った。あながち冗談だとも思えないような目で言われ、僕は慌てて自分の部屋に入った。

     そのままくたり、とベッドに倒れこみそうになって、あわてて身を起こす。ジャックから借りたドレスが皺になったら困る。ドレスを慎重に脱いで、寝間着に着替えた。
     身軽になり、勿体ない気持ちで髪を解くと、案の定ピョンピョンと跳ねる元の髪に戻ってしまった。今までよく大人しく結ばれていたな、と感心してしまう。

     髪止めに目を移せば、上品な色の薔薇だった。茎がついていて、棘がついてある痕がある。不思議に思って観察すると、生花だった。
     花の形を崩さないようにあの人のために置いてある花瓶に花を生けた。綺麗な紅い薔薇の花は月夜にとても似合っている。まるでジャックが部屋のなかにいるみたいで安心した。

     花瓶の底に何かが挟まれいることに気づいた。恐る恐る手に取ると、黒い封筒の中にカードが入っている。
     カードを引き抜くと裏面に「Jack」と書かれていた。ジャックからの物だと分かり、心が跳ねあがった。はやる気持ちを抑えながらひっくり返すと「赤い薔薇の一輪挿しには「あなたしかいない」という意味があります。私にはあなたしかいません」と書かれていた。

     嬉しくなってカードを慎重に封筒の中へしまった。あの人のカードをしまっているところとは別の引き出しへしまう。

    「……あれ」

     別の引き出しを開けると、それを待っていたように一枚のメッセージカードが入っていた。ここには何もいれていない筈なのに。

     ジャックのカードを見たときとは違うドキドキの音が鼓膜を震わせる。胸の音が街中に響くんじゃないかってくらい煩くなった。

     震える指先でカードをめくった。そこにはよく馴染んでしまった文字で「今日のような服装は初めて見ました。素敵なワルツでしたね」と書かれている。まだ乾ききっていない色のインクだ。書かれてからそう時間がたっていないのだろう。
     いつも楽しみにしていた筈のメッセージカードなのに、恐怖にすり替わるのは早かった。今まで積み上げていた信頼と尊敬が音を立てて崩れていく。

     僕は吐き気をおぼえて、その場にへたれこんだ。

     怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。

     僕が何をしたというんだろう。

     どうしてあの人はこんなことをするんだろう。

     僕は震えの止まらない腕でジャックからのメッセージカードを取ると、それを握りしめてベッドで丸くなった。穴を掘り進めるようにして毛布を被って、彼からのメッセージカードを思いっきりだきしめる。注意深く息を吸うと、ジャックの香水が香った。気分が少しだけ浮上して、彼に見守られているような気分になる。

    「……おやすみなさい、ジャック」

     僕はもう一度、彼に向けてそう言った。












     寝つきが悪かったのか、疲労がたまった状態で目を覚ました。今日まで休みだから仕事に支障が出ることは無いが、気分が悪い。

     朝食を食べたあとに自室へと戻り、気になって昨日の引き出しを開けた。そこには昨日のままの姿でメッセージカードが置かれている。
     見るだけで不快感を覚えるようになったメッセージカードを見る。僕は少しだけ考えてから、今まで貯めていたメッセージカードもそこに入れた。

     このまま引き出しごと燃やしてしまおうか。いや、それはあの人に失礼だ。待てよ、もしかしたらメッセージカードの書き手は同じじゃないのかもしれない。今まで頼んで書かせていた人と書いている人がいるのかもしれない。

     と、そこまで考えてから、頭を振った。馬鹿らしい。どこの三流小説の展開だろうか。

     きっとよくある拗らせたファン、という奴だろう。あの人に執着しすぎた僕にも落ち度がある。
     綺麗すぎる筆記体を眺めながら、そういう風に考えることにした。

     そこで考えに区切りをつけ、この後の予定を立てることに専念する。

     部屋に控えめなノックの音が響いた。反射的に引き出しを閉じる。

    「……カールです」

     扉を開けてイソップを招き入れた。

     この前のことも気になるけれど、イソップは悪い人ではない。僕がダンサーになる前からの付き合いだ。まだ読めないところがあるけれど、彼といると落ち着くときのほうが多い。

     彼はペコリを頭を下げてから部屋へと入ってきた。新年だというのに相変わらず感情の読めない顔をしている。もう少し笑顔でいればいいのに。

    「おはようございます、キャンベルさん」
    「おはよう、イソップ」

     イソップはドレッサー前の椅子に腰かけた。

     僕はそろそろ応接椅子のようなものを買った方が良いのだろうか。そんなに頻繁に必要ではないから良いか。

     そう考えながらベッドに腰かけた。

    「……キャンベルさん、お疲れみたいです。初舞台ですか?」

     イソップにそう聞かれ、僕は首を振った。

    「僕は次に掛けられる演目で出るから、今日まで休みだよ。明日からはレッスンさ。イソップはお仕事いいの?」
    「僕は死人が出ないとできない仕事なので」

     彼はそう言って肩をすくめた。こういってみると、彼は普段よりテンションが高そうに見える。

    「棺桶しょって買いませんか?と聞くわけにはいかないので」

     こんな冗談を言うのは珍しい。

    「今日は随分と楽しそうだね、イソップ」

     イソップは僕の言葉に嬉しそうな顔をした。マスクの下の顔は見えないが、灰色の瞳が細められている。彼は嬉々として話し出した。

    「ずっと練習していた方法がうまくいったんです。この方法が使えれば、もっと美しく納棺することができます」

     詳しいことはよく分からないが、彼の自分の職務に対する態度は尊敬している。

    「それは良かったね。イソップの葬儀では皆がどこか幸せそうにしてるもん。僕もそーゆー葬儀をしてほしいな」

     少し冗談めいてそう言うと、イソップは頬を染めた。ほんのりと笑みを浮かべているのだろうか。

    「それは納棺師冥利に尽きますね。ノートンさんのことも看取ってさしあげましょうか、僕だけで」
    「イソップだけかー……せめてあとニ、三人くらいいて欲しいな」

     僕がそう言うと、「ノートンさん欲張りですね」と言われた。別に普通だと思うけどな。

     イソップは「そういえば」と話題を変えた。

    「この前に言ってた支配人さんとはどうなりましたか?」
    「えへへ……。それが、この前に告白?されたんだ」
    「それは……」

     イソップは目を見開いて驚いた。それからとても嬉しそうな顔をした。

     彼がこんなに興味をもってくれるとは思っていなかったから、嬉しい。それにこんな話ができるのはイソップしかいない。

    「良かったですね……!」
    「……うん。僕も嬉しかったよ、まだ少しだけ信じられないけれどね」

     恥ずかしくなって視線を外すと、イソップが僕の手を取った。驚くほど冷たい手だ。

    「ノートンさん、本当に良かったですね」
    「え、あ……ありがと」
    「ノートンさんが幸せだと僕も嬉しいです。なら、どうして疲れてたんですか?」

     ふいに灰色の瞳が大きくなった。

    「そ、そんなに疲れてたかな……?」
    「疲れてます。顔の色も悪いです。目の下も少し影っています」

     またイソップに心配させてしまった。何だか彼には気を使わせてしまうことが多いなと思いながら、僕は彼にメッセージカードのことを話すことにした。

     最初にもらった日から花言葉、昨日のメッセージカードのことまでを洗いざらい話す。

    「……それは大変ですね。怖かった、ですか?」
    「うーん……最初の内は怖くなくて、むしろ嬉しかったんだけど……最近は怖いかな」

     僕はイソップから手を離してもらう。床の上だと座りにくそうだから、僕の隣に座ってもらった。

    「何かされましたか?」
    「いや、メッセージカードが届いてて、たまに見張ってたようなことが書かれてただけ……」

     僕がそう話している内にイソップは目を見開いた。あ、と小さな声が聞こえる。

    「どうかしたの?」
    「この前、勝手にノートンさんの部屋に入りました」
    「……うん」

     それについては何とも言えない気分になるので突っ込んで欲しくなかった。でもあからさまな言い方に潔さすら感じてしまう。僕はどんな返事をしていいのか分からず、とりあえず相槌を打った。

    「そのとき、窓の外から変な視線を感じました。気のせいかもしれません」
    「……」

     僕が心配そうな顔をしていたせいか、イソップは言いなおした。

    「気のせいです」

     ……僕は困ってしまった。

    「それよりもノートンさんが乱暴されないか心配です。この階の男性ダンサーはほとんどいません。下の女性たちの目を盗んで入るのは簡単です。刺されるかもしれません」

     僕は困った。そんな風に言われると、自分が住んでいる場所が急に危ない場所に思えてきた。どうしろと言うのだろう。

    「……そ、そこまで言わなくても」

     苦笑いをしながらそう言うと、凄い目で睨まれた。

    「本当です」

     僕はイソップの真剣さに気おされながら、言い返す。

    「じゃ、じゃあ、いざとなったらジャックのとこにでも逃げようかな」
    「どこに住んでるのか知ってるんですか?」
    「……」

     知らなかった。

     そう言われてジャックの家はおろか、好きなものを知らないことに気づいた。別に気にしてもいないし、聞こうとも思っていなかった。

    「知らないんですか?」
    「……今度、聞いておくよ」

     なんだかバツが悪くなって僕はそう応えた。

     イソップは何かを考えるように前を向いた。顎に手を当てている。

    「……やっぱり心配です」

     僕はイソップは心配性だな、と思いながらベッドの枕を手に取った。やることがないからだ。ふかふかに程遠いつぶれた枕だ。買い換えたいが次の給料まで待たなくては。

    「そうだ」

     隣の彼が急に大きな声を上げて僕の両肩を掴んだ。

    「僕の家に来ませんか?葬儀屋ですけど」
    「イソップの家に?」

     僕は思わず聞き返した。だって、彼は誰かの接触を好むような人種じゃない。特に誰かを家に招くなんてもってのほかだ。

    「君、嫌いだろ」
    「ノートンさんなら友達だから大丈夫です」

     「友達」と言われ、悪い気はしないが気を使わせるのは嫌だ。

     僕はなぜかすぐにでも連れて行こうとするイソップを落ち着かせるために、彼の両肩を優しく押し返した。

    「イソップ……落ち着いて。君の家に行くかどうかはジャックに相談してから決めるよ」
    「そうですか」

     イソップは少ししゅんとして離れてしまった。傷つけてしまったかもしれない。

    「ああ、ごめんね」
    「いや、良いです。当然です。大切です」

     僕が謝るとイソップはそう返してくれた。

     そのあとイソップはまた今度来ます、と言うと部屋を出て行った。イソップが来てくれたおかげで少し気分が楽になった気がする。

     僕はもう一度、引き出しを開けてみた。朝と違って、そんなに悪い気分はしなかった。

     次の日。

     レッスン終了後、僕は急いで支配人室まで向かった。
     ジャックはまだ部屋にいるだろうか。正直、さまざまな職務をこなしている彼のところへ個人的な悩みを持っていくのは躊躇われる。

     でも……。

     僕はジャックの赤い瞳を思い出した。

     このことを言わないで付きまとわれ続けたら、バレた時に僕が怒られそうだ。

     悩み続けながら辿りついた扉の前。僕は生唾を飲み込んでから、扉を叩いた。

    「……支配人、いますか?」

     少しだけ間を開け、中をのぞく。
     中ではジャックが書類におわれていた。普段は何でもソツなくこなす彼にしては珍しく、僕のノックに気づいていないらしい。

     少し悩んだのち、もう一度声をかけた。誰も周りにいないことを確認してから、彼の名前を呼んだ。

    「ジャック……大丈夫?」
    「ノートン!……どうしたんですか?」

     僕に気づいたジャックはペンを引き出しに直すと、小走りで僕のところまで駆け寄ってきた。それが子犬のようで、思わず微笑んでしまった。

     僕の背をおして応接椅子に座らせようとするジャックに流され、僕は椅子に座った。

    「どうしたんです、ノートン。ああ、良い茶葉を買ったんですよ。今、淹れますから、少し待っていてください」

     別に大丈夫、と言おうとしたがジャックはすぐにお湯を沸かしに行ってしまった。

     仕事中では無かったのか。ますます申し訳なさが募る。ただでさえ、この様子なのに僕の不安を聞いてしまったら、彼は仕事を切り上げるようになってしまう。僕を優先するようになる。
     きっと、優しいジャックのことだから。
     そんな風に彼の足を引っ張ることだけはやりたくない。

     僕は縮こまるようにして、いまだ慣れない応接室のソファの上で背筋を伸ばした。

     ぎゅっ、と自分のブラウスの裾を握りしめる。

    「もっと楽にしていいんですよ、ノートン」

     しばらくすると、ジャックは苦笑いを浮かべながら紅茶のカップが二つのったトレーを持ってきた。

    「はい、どうぞ。南国の果物の味がするそうなんです」
    「……ああ、ありがとう」

     僕はカップを受け取って、一口飲んだ。とても甘い味が口の中に広がる。
     あまり飲んだことのない味だった。

    「それで?今日はどうしたんですか、ノートン。あなたが支配人室まで訪ねてくるなんて珍しいですね」
    「そう……かも。最近、ジャックに会えてなかったから……」

     来ちゃった、と言うように笑うと、ジャックは悲しそうに眉根を寄せた。

     その表情を見て、僕は彼に隠し事ができないことを悟る。

    「何か不安なことがあるんですか?」

     奇麗で中毒性のある、それでいて嫌悪感さえも抱きたくなるような真っ赤な瞳で覗きこまれる。目をそらしたいのに、そらせない。このままだと、僕は自分の秘密をすべて喋ってしまいそうになる。

    「別に……ないよ!本当に顔を見たかっただけ」
    「本当ですか?」
    「……」

     潰れたイチジクのような色だ。

     僕はしぶしぶ口を開いた。

    「あの……ジャックには一度だけ話したことがあると思うんだけどさ」
    「はい」

     僕が恐る恐る口を開くと、ジャックはカップを机の上において、話を真剣に聞いてくれる。

    「あの人からのメッセージカードが、この前も来たんだ。……僕がいない間に。僕の部屋の使ってない引き出しの中に……。たまたま、僕が開けたのがいけなかったんだけど……。それで、そのことをイソップに相談したんだ」

     「イソップ」という単語を聞いて彼の瞳が険しくなった。やっぱり警戒されているのかな、と思いつつ話を続ける。

    「そしたら彼が、きっとメッセージカードを贈ること以上のことをするだろうって……言い始めて……」
    「それ以上のこと、とは?」

     ジャックの口ぶりが、何故かわかりきっているように聞こえた。

    「ほら……君に危害を加えたり、君がひどい目にあったり……とか」
    「それはノートンもでしょう?むしろ、ノートンのほうが多いはずですよ」
    「うん、そうだね」

     ジャックの言葉に僕は素直にうなずいた。

    「それで、ご友人はなんと仰ったんですか?」
    「……イソップは宿舎だと他人に迷惑も掛かるし、危ないから、自分の家においでって」

     僕がそういうと、ジャックは目に見えていやそうな顔をした。ジャックがこんな顔をするのは珍しい。

    「行くんですか?ノートン」

     彼の口ぶりだと、この前のこともあるのに彼を信じるのかと言っているようだ。確かにそうだ。
     でも僕の数少ない友人であるイソップをないがしろにしたくない気持ちもある。

    「僕は……イソップのことは友達だと思ってるから、彼がいいって言うなら行こうと思ってる。けど……」

     僕が口ごもると、ジャックは静かに続きを促した。

    「ジャックのことは恋、人……だから、ちゃんと相談したほうが良いかな、って」

     ハッキリと言い切ってからジャックの顔を見つめると、彼は満足そうにうなずいた。それから、いつものように僕の頭をよしよしと撫でてくれる。

    「私はノートンの好きな風にしていいと思いますよ」 そう言って、ジャックは僕の顎を滑るような動作で掴んだ。そのまま軽く口付けられ、僕は困惑した。

     ジャックは何度、僕を困らせるつもりだろうか。

    「…ただ、私は貴方のことを誠心誠意……一生を使い切っても守ろうと思っています。これは永遠に続く契約のようなものだと思ってください」
    「けい、やく?」

     僕が彼の言葉を続けてつぶやくと、ジャックはことさら嬉しそうな顔をした。
     それからいつもの様な優しげな微笑みに戻すと、僕を離してくれた。

    「とりあえず、私の執務机がこんな状況ですから遠慮しようとしたんでしょう?」

     僕はぎこちなくうなずいた。

    「あなたのそういうところは美徳だと思いますが、もっと我儘になっていいんですよ……。まあ、私も急いで仕事を終わらせるので、それまではご友人の家においでなさい」
    「……うん」
    「でも、彼のことが信用できないと思ったら……すぐに私のところへ来てください」

     ジャックは真剣そうな顔でそういった。「信用?」と思わず聞き返す。

     身の危険でもなく、信用できなくなったら。そのことが少しだけ引っかかった。

     ジャックは何も言わずに僕の頭を撫でた。

    「……分かったよ、ジャック」

     ジャックの部屋を出ると、あらかじめ用意しておいた荷物を持って劇場をあとにした。いつも宿舎へ向かう道を東にそれて、裏路地の店々の前を通る。

    「……」

     たびたび視線を感じて振り向いた。

     だが、後ろには誰もいない。やっぱり考えすぎか、と思いながら足を少しずつ進めた。このまま後戻りしても、支配人室にはジャックがいてくれる。そう思うと、足取りは少し軽くなった。

    「ノートンさん、来てくれたんですね」

     「Funeral」と書かれた扉を小さくノックすると、中からイソップが出てきて微笑んだ。

     僕が持ってきた荷物を取り上げようとするので、大丈夫だと言いながら奥へ進む。

     仕事場、なのだろうか。造花や棺の類いが並べられている。きれいで丁寧に作られているそれらからはイソップらしさを感じた。きっと仕入れるところにも気を使っているのだろう。
     彼の父親の代から続く、街で一番の葬儀屋だ。……といっても、ここ以外に葬儀屋はない。

     キョロキョロしながら部屋の奥へ行くと、一枚の扉があった。

    「ここから二階に上がれるんですよ。上がったら右から2番目が空き部屋なので、そこを使ってください」

     僕はその扉の向かいにある扉を見た。

    「こっちの扉は?」
    「……あ、そっちには入らないでください」

     イソップは感情のない瞳で言った。大切なものでも入っているのだろうか。そう思うと気になるが、むやみに他人の心の中へ入っていくのは褒められたことではない。

    「分かったよ」

     口ではそう言いつつも、僕が気になっていることに気付いたのか、イソップは「作業部屋なんですよ。においも酷いし、態勢のないノートンさんは入らないほうが良いですよ」と答えてくれた。

     そのままイソップは僕の前を通って階段を上がっていった。僕もあわててその後をついていく。

     上はアパートメントのような明るい壁紙が貼ってある廊下だった。左側には一枚の写真が大事そうに飾られている。イソップが彼の父親のような人に手を引かれ、墓場を背景にして立っている写真だ。後ろの墓石には「carl」とかろうじて読める文字が彫られていた。彼の親族の墓なのだろう。
     そのことについて聞くのは憚られた。

     右側には二つの扉がついていた。一番端のドアプレートには「Aesop」と書かれている。ということは、もう一つの部屋が僕の部屋なのだろう。

     念のために確認した。

    「イソップ、僕の部屋はこっち?」
    「ええ。隣は見てのとおり僕の部屋ですから、何かあったら自由に訪ねてきてください」
    「……ありがとう」

     イソップの優しい言葉に思わず気が緩みそうになる。
     ジャックを困らせないためにも僕自身がしっかりしなくちゃいけない。

    「……どうぞ、入ってみてください」

     イソップにそう言われ、僕は少しだけドキドキしながら扉を開けた。

    「……うわぁ、用意してくれたの?」

     扉を開けた僕は、目の前の光景にそう聞かずにはいられなかった。だって、部屋の一角には僕が使っているものよりも少しだけ大きな鏡のついたドレッサーが置いてあったからだ。まるで新品同様だ。

    「母親が使っていたドレッサーを見つけたので、それを磨いたんです。ところどころ傷んでいて使えるか怪しいんですが、椅子は新しくしました」

     結局、準備してくれたのだ。

    「なんか、悪いなぁ……。僕にはもったいない品物だし、借りるにしては豪華すぎるよ」
    「僕はドレッサーを使いませんし、ドレッサーも使われたほうが嬉しいでしょう」

     僕はドレッサーの前に座ってみた。

     丁寧に使われていたことがよくわかる。引き出しに施された細かいバラの彫り物がとても綺麗だ。イソップの母親はきっと美人だったのだろう。

     ドレッサーに関しては劇場へ行って、どうにかしようと思っていたから嬉しい。下準備をできるのは純粋にありがたい。

    「高さとか、大丈夫ですか?」

     いつの間に後ろに来ていたイソップが僕の肩を抱くように手を置いて、そう言った。

    「あ……う、うん。大丈夫だよ。ちょうど良い」
    「それは良かったです」

     イソップは緩く目を細めると、僕から離れた。

     僕は足元に置いていたカバンを持つと、椅子から立ち上がる。イソップは僕を見ながら、壁際まで寄った。

     壁にはクローゼットの扉がついている。イソップが扉を開けてくれた。中は空っぽで、四五本のハンガーがかかっていた。
    「シャツやズボンとか、掛けていただいてかまいません。足りないなら言ってください」

     イソップにそう言われ、持ってきていたシャツとズボンをかけた。元々、そう多くは持ってきていなかったから十分に量は足りた。
     一緒にカバンも中へ放り込んだ。

    「うん、荷物も少なかったし、これで良いかな」
    「じゃあ、夜ご飯にしましょう。ノートンさん」

     「作っておいたんです」とほほ笑むイソップは幸せそうに見える。誰かと一緒に食事をするのは楽しいから、僕もその気持ちはよく分かった。

    「準備してくれてたの?」

     僕がそういうと、

    「はい。楽しみだったので、少し張り切ってしまいました」

     「久しぶりに料理なんてしましたよ」と言いながら下へ向かうイソップに僕もついていく。

     こんな風に楽しそうな彼を見ていると、ジャックや僕の抱いていた不安が杞憂のように感じられる。それすらも通り越して、なんだか悪いなと思ってしまう。

     仕事場を通って裏に作られたダイニングと小さな机のある部屋についた。
     イソップはパタパタとコンロへ向かうと、傍に置いてあった鍋を火にかけた。どう考えても二人分には多いであろう鍋の大きさに僕は苦笑する。

    「クリームシチューなんて久しぶりに作りました」

     幾分か饒舌に感じた。

    「美味しくできているといいんですが……」

     そう言って、イソップは鍋をかき混ぜていた手を止めた。楽しさと嬉しさ、それからほんの少しの不安をにじませるような表情だ。

     僕は彼の不安を取り除くように言ってやった。

    「きっと美味しいよ」
    「そう、ですかね。えへへ……。さ、つぎ分けられました。どうぞ」

     自分とイソップの前に置かれた木製の椀には温かくて美味しそうなシチューが注がれている。

    「ありがとう。それじゃあ、いただこうかな」

     僕はそう言ってスプーンを手に取った。
     目の前のイソップはソワソワと僕の様子を窺っている。

    「……おいしい、ですか?」
    「うん。すっごく美味しいよ!久しぶりとは思えないくらいだ」
    「それは良かったです」

     イソップは安堵の表情を浮かべると、僕と同じようにスプーンを持ち上げた。

    「……んっ」

     一口すすってから目を丸くしたイソップに、僕は話しかけた。

    「ね?美味しいでしょう?」

     イソップは自分でもびっくりとしたような表情でこくこくと頷いた。どうやら彼も納得の味だったようだ。

     とっくりと甘くて、とろみのあるシチューの中に程よい塩分。大き目で不格好にカットされたじゃがいもやニンジンがとても良い味を出していた。付け合わせに出してくれたパンもとても美味しくて、冷え切っていたのにシチューの熱さで丁度良く温められていたのが堪らなかった。

    「誰かと夕食をとるなんて久しぶりかもしれない」

     僕はそうつぶやいた。自分でもため息のような呟きだったのに、イソップはそれを聞きとった。
     滅多に見せないような笑みを浮かべて、うっとりと微笑み返した。

    「僕もです」

     その日は珍しく、よく眠れた。

     ジャックが言うような曇りが顔をのぞかせ始めたのは、次の日からのことだった。

    「おはようございます、ノートンさん」
    「うん、おはよ。イソップ」

     僕よりも先に目覚めていたイソップはダイニングで朝食を作っていた。

    「あ、今日は昨日の残りで良いですか?」
    「うん。いーよ」

     僕はジャックに渡されたスコアを確認しながら返事をした。
     彼が脚本、演出、作曲を手掛けたオペラは順調に公演へ向かっている。ジャックとマザーの希望で僕も少しだけ歌うことになった。歌うことは嫌いじゃない。むしろ新しい表現方法が見つかって嬉しかった。

     あまりにも熱心に見ていたためか、イソップが近づいてきたことに気付かなかった。

    「楽譜……ですか」

     不思議そうな表情でそう言われ、僕は頷いた。

    「今度のオペラ、僕も少しだけ歌うんだ。もちろん、アンサンブルとして、だけどね」

     イソップは僕の話を聞きながら、皿を並べていく。僕は彼ばかりに準備をさせるのも悪いと思って、フォークを取りに行った。

     二本のフォークを持ってきた僕は首を傾げた。机の上には一人分の朝食が置かれている。

    「ああ。これはノートンさんの分ですよ」

     イソップが何でもないことのように言うので、僕は「あれ、イソップの分は?」と聞いた。イソップはパンがのった皿を並べ、僕のほうを見た。

    「実は僕、朝食を食べない方なんです」
    「あれ?でも、この前は……」

     僕はそう言ってイソップの顔をぼんやりと眺めた。イソップは目元だけで恥ずかしそうに笑うと、「僕も寝すぎてしまっていたので……お腹すいちゃってて」と言った。
     彼は自分が食べないのに僕の分の朝食を作ってくれたのか。ちょっと申し訳ない気持ちになった。

    「なんかごめんね。明日からは自分で作るよ」
    「いや、良いですよ。僕も好きでやっていることなので」

     イソップにそう言われてしまうと、なんとも返せなくなる。

     僕は彼から渡された皿を受け取って、パンを頬張った。もそもそと食べていると、イソップは無遠慮な動作でスコアのページをめくった。

     その動作が余りにも彼らしくなく、僕は咎めるのも忘れてパンを咀嚼した。

    「貴方が歌うのは……この辺りですか」

     滑るように手袋をはめた手で音符をなぞっていく。マスク越しにかすれたような声がして、彼が歌っていることに気付くまで時間がかかった。

    「恋の歌なんですね」
    「……そうなんだ。今度の公演は恋の物語だからね。……まあ、恋や勧善懲悪ものは舞台に多いよね」

     僕はそう言って水を飲んだ。

     イソップは打って変わって、丁寧な動作でスコアを机の上に戻した。それから僕の顔を見て、「僕は今日、一日中、店のほうにいますね」と言った。

     弾かれたように僕も応える。

    「あ、うん。僕は午後八時くらいまで劇場にいるよ」

     それから壁にかかっていた時計に目をやった。「もう僕でなきゃ」とイソップに聞こえるように呟いて、席を立った。
     イソップは僕と一緒に玄関までついてきて、謎の包みを渡しながら「気を付けてくださいね」と言った。

    「あ、これはお昼です」
    「……本当、何から何までごめん。明日は僕がするから」

     僕は包みを受け取りながらそう言った。

    「じゃあ……いってらっしゃい」

     かなり言い慣れていない、彼の「いってらっしゃい」に苦笑しながら「いってきます」と言った。
     まあ、僕も「いってらっしゃい」なんて滅多に言わないのだが。

     イソップの家は宿舎よりも遠い場所にあるので、いつもより早く出なくてはいけない。霧が深い街を歩きながら、僕はもらった包みを抱えなおした。

     今日のことをジャックへ言ったほうが良いのだろうか。また落ちそうになったスコアと包みを、いったん立ち止まって持ち直す。カバンに入れてきたほうがよかった。そう思いながら劇場のある通りを曲がると、陶器が割れるような音が後ろからした。

    「な、なにっ!?」

     慌てて振り返ると、僕がさっきまで立ち止まっていた辺りに割れた植木鉢が転がっていた。

     僕がまだそこに立っていたら……。そう考えたらゾッとした。

     上を見上げれば、少し古びた出っ張りのようなものがあった。おそらく、そこから落ちてきたのだろう。
     驚きがひいたら怒りのようなものが浮かんできた。
     危ないだろう。あんなボロボロな状況で放っておいたら。
     出っ張りを睨んでいると、ぐらりとそれが揺れて縦になった。もう片方の留め具が離れたら落ちてきそうだ。僕は慌ててその場から離れて、道の真ん中を歩くように心がけることにした。

     劇場の表口まで行くと、ジャックと会った。

    「おや、この時間にノートンが劇場にいるなんて珍しいですね」
    「おはよ、ジャック」

     ジャックは僕が持っている包みとスコアを見比べると、包みを持ってくれた。僕とジャックは劇場の裏口を目指して歩き出す。

     足の長い彼が僕の歩調に合わせてくれていることに気付いて、少しうれしい。

    「イソップの家から劇場までは少し遠いから早めに出てきたんだ。ジャックはこの時間に来ているんだね」
    「ええ。……ところでノートン。この包みは何ですか?」

     ジャックはいぶかしげな表情で包みを見る。

    「イソップがお昼を作ってくれたんだって。昨日も夕食をごちそうになったけど、彼があんなに料理が得意だったとは知らなかったよ」
    「そうですか」

     しげしげと包みを見続けるジャックを見て、まだ疑っているのかな?と思った。

     そこで僕はあることを思いついた。

    「あ、そうだ。ジャックもお昼、一緒に食べる?……も、勿論、君に時間があればの話だけど」

     チラチラと彼の様子を見ながらそう言うと、ジャックは快諾してくれた。

    「昼に部屋で一緒に食べましょうか」

     僕は嬉しくなって、まるで子供のように返事をしてしまった。

    「うん!」













     ジャックが作り上げた舞台のテーマは「歪んだ恋」だ。

     正直、話を初めて聞いた時には彼らしくないと思った。だって、いつも柔和な笑みを浮かべていて、紳士然としたイメージのある彼とはかけ離れているように感じたからだ。

     でもスコアを受け取って、レッスンを聞いていくうちに気付いた。ジャックの瞳からのぞく朱く歪んだ恐怖が、彼の描くストーリーにひどく似合っていることに。寧ろ真に迫っているような演出に、僕は彼自身の体験ではないかとさえ思った。
     一つ一つが少しずつ捻じれているように見えるのに、エンディングは一つしか存在しない。

     オペラにはあまり見ない斬新な舞台設定に、どこか官能的な音楽、華やかで後ろ暗い演出には僕も目をむいた。

     レッスンを重ねるうちに迫ってくる公演日。僕はそれに今までにない興奮を覚えながら、練習に没頭していた。ジャックから渡されたメモは、あれから更に改良を重ねられ、激しい振り付けも加えられた。それに今回の公演は僕にとっても初めての試みでもある「歌唱」がある。アンサンブルとはいえ、舞台上で歌うのは初めてだ。

    「……けほっ」
    「腹から声を出せっていってるでしょう」

     僕は小さく咳をした。その様子を見ていたうちの劇場の歌姫から咎められた。

     彼女はひどくプライドが高いから、こうなったら宥めるのが大変だ。無視して、レッスンに没頭するほうが早い。

    「水飲みに行ってきます」

     僕は一言だけそういうと、廊下に出て飲み水を飲んだ。カサカサの喉が潤される。ぐっ、と顎を伝った水滴をぬぐう。

     視線を感じたのでそちらを見れば、いつの間に来ていたのか、アリスがこちらを見ていた。視線が合えば、小さくガッツポーズされた。
     頑張って、ということだろう。なんだかんだ言って、たまに話しかけてくれる彼女はいい人だと思う。

     僕が「……ありがと」と言うと、アリスは周りを確認してからこちらに近づいてきた。

    「久しぶりね、ノートン。……ねぇ、あの話を聞いた?」

     アリスの表情はどこか怯えながらもキラキラとした表情だった。女の子特有の好物、噂話というやつだろう。

    「随分と急だね」
    「だって、チョットくらい噂話したいじゃない。休憩時間くらい、良いでしょう?」
    「自分のレッスン室で女の子たちとしなよ」

     僕は呆れながらそういった。

    「マザーがこういう噂話を嫌っているのは知ってるでしょ?」

     「ま、聞いてよ」と言いながら、僕が座っていた場所の隣にアリスは座った。

    「この前から世間を騒がせていた連続少女切り裂き魔……。そいつから新聞社あてに手紙が届いたそうですよ」

     アリスの噂話は右から左へと流れていく。そのまま目を閉じてしまおうとしたとき、アリスの言葉で目を開けた。

    「内容は……「これ以上殺人は行わないので安心してください。 切り裂きジャック」と書かれていたんですって!」
    「え?」

     僕は目をぱちくりと開けてアリスを見た。アリスはやっぱり食いついた、という顔をした。

    「ジャックって支配人の名前ですよね。きっと偶然だと思いますけど……。ここだけの話、どう思います?」
    「……自分の雇い主に対してそういった風に思うのは失礼だと思うよ」

     自分で思っていたよりも低い声が出た。アリスの顔を見れば、冷や汗を垂らしながら僕から視線をそらしている。怖がらせてしまったのだろうか。「ああ、ごめん」と僕は言って、続きをうながした。

    「で、で~?そう、名前はどうでも良いんですよ。問題は「これ以上殺人は行わないので」、という点ですよ。まるで何かの条件を満たしたようじゃないですか!?」

     興奮気味にそういわれ、僕は「探偵みたいだね」と合いの手を入れた。

     アリスはニコニコしながら小さな手帳を取り出した。かなり年季のはいった手帳には多くの新聞記事が張り付けられていた。どれも迷宮入りになった事件や怪事件と呼ばれたものばかりだ。

    「そうなんですよ!……こう、私立探偵とか格好いいと思いませんか?私は今、踊り子ですけど、ゆくゆくは探偵になろうと思っているんです」

     変なスイッチを押してしまったらしく、花でも背にしょっているんではないか、という笑顔で言われた。アリスの勢いは止まらない。

     僕は困った顔で頭をかくと、アリスを置いて立ち上がった。

    「じゃ、僕は戻るから」
    「嫉妬してるんですか、ノートンさん。大丈夫ですよ、私が探偵事務所を設立した暁にはノートンさんも雇いますから」

     なぜか自信満々の表情で言われた。

     僕は呆れて、そのまま立ち去った。後ろから叫ぶアリスの声が聞こえてきたが、そのうち止んだ。彼女もレッスンに戻ったのだろう。

     その後も小さな休憩を挟みつつ、昼の時刻になった。

     僕は小走りで、だれにも不自然に思われない程度に早く支配人室へ向かった。勢いを消しきれずに、大きな音を立てて扉を開けてしまった。

     どうやらジャックを驚かせてしまったらしく、何枚もの書類が床に舞う。

    「ご、ごめん……!お昼、食べに誘おうと思ってきたんだけど……」

     僕は慌てて中に入ると、ジャックを手伝って書類を拾った。ジャックは僕が明け放した扉を閉じに行く。
     僕が書類を拾い終えて立ち上がると、ジャックに後ろから抱きしめられた。

    「ジャ、ジャック?」

     僕は驚きつつも、書類を机の上に置いた。

     ジャックは僕の肩に頭をのせると、意図的に作ったような低い声で囁いた。

    「もう……。可愛らしいことをしないでください、って言っているでしょう」

     僕は彼の髪が首にかかってくすぐったい。このままだと笑ってしまいそうだ。ジャックの頭を押して、僕は彼から離れる。床に置いたままの昼ご飯を取りに行った。

    「ほら、お昼ご飯持ってきたんだよ。一緒に食べよ?……ああ、どこで食べようか?」

     ジャックは机の下から袋を取り出しながら、「じゃ、ここで食べましょうか」と言った。僕はいつも使っている応接室に向かう。彼は「少し待っててください」と言いながら、何かしらのプレートを持って外へ出ていった。

     僕は応接室の机でイソップからもらったお昼を確認した。中にはリンゴとビスケットが数枚、サンドウィッチが二つ入っていた。
     まるでエレメンタリースクールのお弁当みたいで思わず笑ってしまった。くすくすと笑っていると、ジャックが戻ってきた。
     彼は不思議そうな顔で僕を見る。

    「どうかしたんですか?」
    「あ、ジャック。……ほら、イソップからのお弁当」

     僕はイソップのお弁当をジャックに見せた。

    「おやおや……可愛らしい中身ですね。エレメンタリースクールのころを思い出すようです」
    「へー。それじゃあ、やっぱり、こんな感じなんだね」

     僕はまるで自分が幼くなったような気分になって、サンドウィッチを頬張った。ちょうど二つ入っているから、もう片方をリッパーにあげた。

    「ノートンは……あ、ありがとうございます。へー、綺麗にできてますね」

     感心したようなジャックの声に、やはり僕も料理ができるようになったほうが良いのかと考えてしまう。別に、全くできないというわけではない。ただ、「おいしく」とか「きれいに」とか言われるとハードルが高いような気がした。

     僕はジャックのほうを見ながら、「イソップは細かい作業が得意な仕事についてるからね」と言った。

    「イソップってカールさんですか」

     僕が彼の名前を出したからか、食事中の話題はイソップになった。

    「うん。イソップ・カール、納棺師だよ」
    「カールさんはうちの劇場の前の支配人から預かった手帳に名前が出ていましたからね。少し引っかかっていたんですよ」
    「ああ。そう言えば彼に会ったのもこの劇場だったな。僕が初めてオペラを見た日に会ったんだ」

     ジャックが興味深そうな顔をした。「そうなんですか?」といったジャックの両手が開いていたので、僕は一緒に入っていたビスケットを渡した。

     「うん。ここでお世話になり始めてしばらくたった頃に、マザーからオペラのバレエを見るように言われてね。その時は気が進まなかったんだけど……」

     僕が初めて見た演目は「ドン・ファン」だった。

     ドン・ファンはイケメンで女たらしな貴族だ。彼があちらこちらを放蕩しながら様々な女性たちを虜にしていくのが前半の内容で、後半は女性に化けた悪魔との契約が原因で身を落としていく様が描かれていた。女性と手を切りたくとも、その色香にほだされる様に引き込まれていく。彼はついに地獄へと落とされ、今までの悪行を裁かれる……。
     衝撃だった。演劇なんて、と思っていた僕は一瞬で引き込まれた。ハラハラしながらこぶしを握り締め、前のめりになって一番後ろの席から観劇した。

     子供心によく分からなかった点も多々あったが、マザーの説明のおかげで内容は理解できた。

     幕が下りた後も釘づけにされたようにしていた僕は、偶然、隣を通って行った少年に声をかけたのだ。その少年の目はキラキラと輝いていて、熱に浮かされたような色が浮かんで見えたから。「君も?」と、一言。でも、彼にはその一言だけで十分だったようで僕と彼……イソップ・カールはすぐに仲良くなった。

    「それが二人の出会いでしたか。……しかし、初めての舞台が「ドン・ファン」とは……。確かに、演劇界ではかなり高名な舞台ですが子供に見せるにはちょっと……」

     ジャックはそう言って僕を見た。

     僕も大人になってから考えるとすごい話だと思う。わずかに記憶をたどれば、確かにきわどい表現もあったように思える。すべてが芸術作品のような演出では気付かなかったが。

    「そうだね……。ああ、子ども用の舞台って少ないからね。逆に、あんな作品を子供のころに見れて幸せだったと思うよ」

     ジャックは僕の顔を見て「そうですね」と言った。その顔に浮かんでいる笑顔がとても優しくて、僕は甘えたいと漠然と思った。

     お昼ご飯を食べてしまったし、体がポカポカするから眠たいのかもしれない。

    「ジャックが初めて見た舞台は?」

     僕は自分の考えを切り替えるようにそう聞いた。

     ジャックは僕の顔を見ると、「眠たいんですか?」と聞いてきた。

    「そうかも」
    「じゃあ、昼の休憩が終わるまで寝てていいですよ。時間になったら起こしますから」

     僕は彼の言葉に素直にうなずいた。ジャックと久しぶりに話せて興奮していたのと、レッスンの疲れが来ているのかもしれない。普段はこのくらいで疲れないのにな、と思った。

     ジャックは僕の肩を引き寄せるようにして、自分の膝の上に倒した。さすがに膝枕は嫌なので抵抗しようとしたが、有無を言わせない笑顔で頭を撫でられた。

    「あ、あの……ジャック……?」

     僕が困惑したように問うと、ジャックの口元は緩く弧を描いた。口元に深い影ができて、なんだかエッチだなと思った。

    「大丈夫ですよ。誰もここには来ませんし、安心して寝てください」

     たったそれだけの言葉なのに、僕の体は催眠術でもかけられたように楽になった。やっぱりポカポカしているのはお昼ご飯を食べたからじゃなくて、ジャックの隣にいるからかもしれない。

     好きな人の隣に入れることの幸せを、改めて実感した。


     ジャックは言葉通り、レッスンが始まる10分前に起こしてくれた。

     レッスンへ向かおうとした僕の額にキスまでしてくれて、「頑張ってくださいね、私のために」と言った。ジャックに必要とされている裏付けのような言葉が嬉しくて、僕は絶好調でレッスンを終えた。

     終わり際に様子を見に来たジャックとマザーが満足そうな顔をして、「予定通りとおし練習に入れそうだ」と言っていたのを思い出す。

     嬉しかったので、心にとどめておきたかったのだ。

    「お先に失礼しますね」

     僕はそう言って部屋を出た。舞台裏の暗い廊下を一人で歩いていく。スコアとお昼が入っていた紙袋を抱いて劇場の裏手へ出た。
     表へ通じる道を歩いていく。

     少しいつもより暗い空の様子に、僕は顔をしかめた。

    「……降ってきそうだな」

     傘はもっていない。
     スコアが濡れてしまう前にイソップの家へ帰らなければいけない。

     僕が走り出そうとしたとき、どこかからか耳障りな嬌声が聞こえてきた。

    「ねぇ、支配人さん?」
    「ええ、仕方ありませんね。少しお待ちいただけますか」

     それに返すように聞こえてきたジャックの声に僕は壁際に座り込んで隠れた。
     なんだか気付かれてはいけない気がしたのだ。

     体中に響くようにどくどくと心臓の音がする。煩くて、ジャックの声をよく聞こうと耳をそばだてた。

    「貴方、ご自分がとても有名人だということにお気づき?」

     女性のものだろうか。体のラインが強調された、すらりとした影が伸びてきた。甘く鼻につくにおいが鼻腔をかすめて、僕は鼻を抑えた。

     嫌だ。

     吐き気を催すような嫌悪感がこみ上げてきて、自分でも驚いた。こんなに黒い気持ちが胸の中に巣くっているのが嫌だ。こんな醜い感情は表に出したくない。

    「巷を騒がせている殺人鬼が私、だということですか?それはとても面白い冗談ですね」
    「あら、ご存じだったのね」
    「殺人鬼が経営しているオペラ劇場なんて物珍しいでしょうね。……ま、うちの劇場で殺人事件が起こるなんてことはないので安心してご観劇を」

     随分と楽しげで親しそうな会話だった。

     僕は今すぐにでも耳を閉じたい気分だったが、他愛のない会話の中に何か重要に思えるものがあるのではないかと耳を立てた。
     緊張か興奮からか……僕の耳の奥でキィーンという音が鳴る。

    「それは安心できるお言葉ね。……さ、行きましょ」

     女とジャックの影が道に映った。
     すらりと綺麗で上品な、柳のようなシルエットのジャックとそれに絡みつくように枝垂れかかっている女の影。僕は怖いものを見てしまったように、体の力が抜けた。

     僕に対しての気持ちが嘘じゃないと信じたい。ジャックのことだ。ジャックは僕にうそを言わない。ジャックは僕の恋人なんだから。

     そう考えなおして、僕は立ち上がった。いつの間にか雨が降り出していたようで、髪が濡れていた。大切なスコアは確りと抱き込んでいた為、濡れていない。

    「……よかった」

     そう呟くと、頭の上に黒い影が映った。誰かが劇場へ戻ってきたのかと、慌てて頭を上げた。

     そこには傘をさしたイソップがほほ笑んでいた。

    「ノートンさん、迎えに来ました」

     そう小さな声で言われ、僕は驚いて「イソップ……?」とだけ呟いた。

     彼は自分が持っている傘の中へ入ってくるように促した。僕は言われるままに彼と並んで傘の中に入る。
     体格の大きい僕と小さい彼では、明らかに彼のほうが傘を持ちにくそうだ。僕はイソップが持っていた傘の柄を受け取った。

    「どうして劇場へ?」
    「雨が降ってきたので……。気になって」
    「僕が持っていなかったから、傘を持ってきてくれたんだね。ありがとう」

     僕はそう言って、先導するように歩き出す。イソップはちょこちょこと僕の隣を歩いていく。
     イソップが雨音にかき消されない程度の音量で話し出した。
    「さっき、ノートンさんの恋人を見ました」

     意味ありげな表情で視線を注がれた。丸い灰色の目は別の人とジャックがいたことを咎めているようだ。

     僕は笑ってごまかした。

    「……悲しい、ですか」

     先ほどと変わらないような真珠のような瞳でそう聞かれた。僕は虚をつかれて、少し悩んだ。

     僕は悲しんでいるのだろうか。確かにジャックと女性が歩いていて嫌な気分になったけど、悲しいとは違う気がする。なんだか少しむかむかして、僕が独り占めしたいと思った。

     こんな僕は迷惑がられるだろうか。

    「うーん……嫉妬、してたのかもしれないな。悲しいとは思わなかった。……僕って重たいのかな?」

     僕はそう言ってイソップに聞いた。

    「さぁ、分りません」

     イソップはちらりと僕を見ると正面に視線を戻す。
     歩調を合わせながら、僕は彼の店に向かって歩いていく。先の角を曲がったところで僕は立ち止った。

    「どうしました?」
    「あ、いや……」

     道の端には今日の朝に落ちてきた植木鉢が二つ転がっている。てっきり持ち主が掃除してしまったと思っていたのだが……。

     僕はイソップに聞いた。

    「ここのマンションの上階って、どんな人が住んでいるの?」
    「え……」

     イソップは目を大きくして、一瞬言葉を詰まらせた。

    「どうしたの?……危ない人でも住んでいるの」
    「住んでません」
    「なんだ。良かった」

     僕は安どのため息を吐いたが、イソップの顔は青ざめたままだ。彼は僕の洋服の裾をつかむと、真摯な瞳で「す、住んでないです。誰も」と呟いた。
     小さな声で言われたそれを理解するまで、時間がかかった。

    「それって」

     僕の言葉にかぶせるようにして、イソップは僕を引っ張った。僕は傘を精一杯、彼と僕にかぶせた。

     走って店の中に入った僕はイソップに連れられて、椅子に座らせられた。

    「そこで待っててください」

     イソップはそう言うと、濡れた傘を出入口に立てかけた。スタスタと洗面所のほうへ向かいつつ、コンロに火をかけたり、牛乳を取り出したりしている。
     僕は手伝おうと腰を浮かせたが、有無を言わさずににらまれたので着席した。

     イソップはタオルとお盆を持って戻ってきた。お盆の上にはほかほかと湯気を立てるマグカップが二つ乗っていた。

    「はい、どうぞ。それからタオルです。しっかり拭いてください」
    「ああ、ありがと。イソップ」

     僕はタオルとマグカップを受け取った。結構濡れてしまった体や髪の水分をふき取っていく。
     イソップは僕を見ながらマグカップを両手で持って、ホットミルクを飲んでいた。熱くないのだろうか、ごくごくと何でもないように飲んでいる彼は熱いものが得意なのかもしれない。

     僕は苦手だから冷えるまで髪を吹いた。

    「ノートンさん、今日の朝、何かありました?」
    「……うん」

     先程あんな質問をしてしまった手前、嘘をつくのは得策じゃない。僕はとりあえず肯定しつつ、ホットミルクを飲んでみた。

    「あっつ……」

     まだ飲むには早かったらしい。僕はんべ、と舌を出して、マグカップを机の上に置いた。

    「あの植木鉢、落ちてきましたか?」
    「うん、あそこを通ってたら落ちてきてね。危ないから、ああいうのは撤去しておいてほしいよね」

     僕は努めて明るく、そう言った。

    「二つも続けて……?」
    「いや?」

     僕はうそをついた。

    「もう一つは知らないな。僕が通った後にでも落ちたんじゃない?」
    「……そうですか」

     イソップは特に何も言わずに黙った。どうやらバレなかったようだ。僕は心の中でほっとして、またホットミルクを一口飲んだ。

     イソップはふと顔を上げた。

    「お昼、美味しかったですか?」
    「えっ、うん。とっても美味しかったよ。ジャックにも自慢したかったから二人で分けて食べたんだ」

     僕が話題を提供しようと思ってそう答えると、イソップはまた「……そうですか」と言ったきり黙った。
     何か考え込んでいるようで、黙ったまま何かを呟きながらマグカップでて遊びをしている。

     僕はイソップと自分の分の夕食を作るために立ち上がった。














     次の朝、作ってもらった食パンを食べていた僕にイソップは言った。「休んだらどうですか」と。僕は一瞬、それが何に対して言われたのか分からなかった。

     頓珍漢な顔をしてコーヒーを飲んでいた僕にイソップは再び言った。

    「劇場、休んだらどうですか」

     僕はほぼ反射的に「無理だよ」と答えた。

    「そろそろリハーサルも始まるだろうし、僕一人が抜けるなんて考えられないよ。……どうして急にそんなことを言い出したの?」
    「昨日の植木鉢……ノートンさんが言ってた人のせいじゃないんですか」
    「……あ、あれは偶然でしょ?」

     急に何を言い出すのだろうか。

     僕は震えを無視してコーヒーを飲みほした。

     カバンに、少ししわのできてしまったスコアを放り込んでイソップからお昼を受け取る。
     彼はお昼を渡してくれなかった。袋をこちらに向けてくれているのだが、ぎゅっと掴んだまま放そうとしない。

    「イソップ」

     僕は思わず咎めるような声を出してしまった。
     イソップは眉をしかめて、僕をにらんでいる。

    「イソップ」
    「嫌です。僕は貴方が安全に生きれるように手を貸そうと、守りたいと……そう思って、ここにいて貰っているんです。だから、危ないことはしないでください」

     彼はそう言うと、お昼が入っていた袋を手放した。

     きつく目をしかめている彼の瞳は潤んでいるようにも見えて、僕は罪悪感に襲われる。

    「うーん……」

     イソップは「ごめんなさい、困らせました。行ってらっしゃい」と呟いて、店のほうに向かおうとする。

     僕は慌てて彼の腕をつかんだ。

    「ノ、トンさん?」
    「ああ、ごめん。触られるの嫌だったよね」

     僕は慌ててイソップの腕から手を離した。

    「イソップが心配してくれるのもわかるけど、僕はジャックの舞台に出なくちゃ行けないから、いかないと」
    「はい、わかってます」
    「だからさ。イソップに時間があって、もしも僕を心配をしてくれるんだったら……昨日みたいに、君が送り迎えしてくれたら良いんじゃないかな?」
    「え?」

     イソップは呆気にとられたような表情をした。

    「あ、時間ないかな?でも、僕は君がいてもいなくても劇場には行きたいから……」

     僕の言葉をイソップは遮った。

    「いえ、そうではなく……。良いんですか、僕がついていっても」

     どこか嬉しそうな彼の表情に安心しつつ、僕は了承した。そうすればイソップのことをジャックにも紹介できる。

    「少し待っていてください。準備してきます」
    「うん、分かった」

     イソップはパタパタと慌てた様子で二階に上がり、1分と経たないうちに戻ってきた。その手には灰色の上着が握られている。イソップはそれをサッと羽織ると扉を開けた。

    「さ、行きましょう」

     僕はイソップと一緒に劇場へ向かう。道すがら、こうやって帰りと行きにイソップが独りだけになるのが嫌なんだよなと思った。でも、それを彼に伝えても納得してはくれないだろう。

    「あ、ジャック。おはよ」

     昨日より遅い時間だったのに、劇場前の広場でジャックと会った。ジャックは少し跳ねている後ろ髪を撫でつけながら、困り顔で言った。

    「今日は寝坊してしまったんですよ。おや、そちらは?」
    「ああ。よく考えたらイソップのことをジャックに紹介してないな、って思って」

     僕は後ろでジャックを睨むようにして立っていたイソップの背を押す。

    「イソップは人見知りなんだよ」
    「初めまして……納棺師の、イソップ・カールです」

     イソップが緊張しながらジャックにあいさつする。ジャックはイソップをにこやかな顔で見ながら「支配人のジャックです」と言った。

    「じゃ、帰ります」

     イソップはぺこりとお辞儀をして、僕のほうを向き直った。

    「帰ります」
    「うん。イソップも気を付けて帰ってね」

     そういった僕にイソップがずいっと近づいてきて、耳元でささやいた。

    「それはノートンさんもです。あと……昨日のこと、ちゃんと聞いたほうが良いです」
    「う、うん」

     僕が頷くと、イソップも満足そうにうなずき返した。僕は元来た道を帰っていくイソップを見送った。イソップが見えなくなると、僕は劇場の裏手へまわろうとした。

     ジャックに話を聞くのはお昼にしよう。昨日、出来なかった分のダンスの練習をしておきたい。

    「待ってください、ノートン」

     歩き出した僕にジャックが声をかけた。

    「何、ジャック」
    「さっき、イソップ君と何を話していたんですか?」

     心なしかジャックの顔は顰めているようで、攻められているような気持ちになる。

    「別に、気をつけて帰ってねって言っただけだけど……」

     僕が尻すぼみになりながら言うと、ジャックは僕の腰を引き寄せた。急にジャックの顔が近くなって、僕は驚いて顔をそむけてしまう。

    「ほかにも、ありましたよね」

     耳元で低い声でささやかれる。耳の奥にジャックの声が響いて、変な気分になった。

    「は、話すからっ。ちょ、ちょっと、ジャック離れて」

     こんなことをしていて、誰かに見られたらと思うと怖い。

    「嫌です。ノートンはすぐに離れるでしょう」
    「別に離れるつもりはないけど……」

     自分でもハッキリと言い切ることができずに視線をさまよわせると、膝裏に腕を這わされた。そのまま抱き上げられ、少ししてからお姫様抱っこという格好になっていることに気付く。

    「ちょっと、離してってば!」

     じたばたと彼の腕の中で暴れると、なぜか満足そうな顔で覗きこまれた。何かを思いついたような顔をして、鼻歌でも歌いそうな声音でジャックは言った。

    「ああ、そうだ。今日は貴方の成功を祈って青い薔薇を買ってきたんですよ」
    「え、嬉しいけど……何の話?ねぇ、離してってば」

     僕はそのままジャックに連れられて、彼の仕事部屋まで連れてこられた。

     いつもお茶を飲んでいる応接椅子の上に降ろされ、僕の隣にジャックが腰かける。大きな腕で包まれるように引き寄せられて、「これなら良いですよね」と言われた。

    「それで、どうしてハッキリと言ってくれないんです?」

     真っ赤な瞳が三日月のように細められ、僕は蛇に睨まれた蛙状態になった。そうだった、僕はジャックに嘘をつけない。
     ああ、僕の感情が重たいと思われないだろうか。僕はそんな心配を胸に抱えながら、重たい口を開いた。

    「き、昨日の夜にジャックが女の人といたのを見たんだけど……」
    「……」

     ジャックが僕の顔を見ながら黙り込む。

     やっぱり重たいと思われたんじゃないか。
     僕は慌てて顔の前でバッテンを作った。自分でも顔の温度が上がっているのがわかる。

    「あ、あの……やっぱり言わなくて良いよ!僕が気にしすぎていただけだ、し……」

     僕の目の前にジャックが立った。幸せそうな笑みを浮かべながら、何度か啄むようなキスをする。

    「……ふぁ、え?……んっ、な、なに……」
    「良いですよ、ノートン。許してあげます」

     何故か満足そうなジャックに僕の頭はついていけない。

    「いや、許すのは僕のほうじゃないの?」
    「ふふふ、すみません。貴方が妬いてくれたのが嬉しくて」

     「妬いて」いるということがバレてしまった僕は今度こそジャックから顔をそむけた。

    「あー……怒らないでください。彼女は強いて言うなら私よりも貴方のことが好きなんですよ」
    「どういうこと?」

     チラリとジャックの顔を見ると、にっこりと微笑まれた。僕は慌てて顔をそむける。

     ジャックは僕を見ながらクスリと笑った。

    「あの女……女性は、ノートンのパトロンになりたいと押しかけてきたんですよ。まあ、いつものように断ったんですが……。そしたら彼女、貴方に結構ご執心で酒に付き合えって言われましてね。それで……仕方なく、昨日、飲みに行ったんですよ」

     「まさかそこまで気にしているとは思ってもみませんでした」とジャックが笑い声を交えながら言う。僕は顔を真っ赤にしたまま、立ち上がった。

    「ぼ、僕、練習に行くからねっ」
    「はい、頑張ってきてください」

     少しも気にしていない表情でジャックが言う。
     なんだか腹が立ったのと、恥ずかしさでお腹がいっぱいだ。

     僕は苦し紛れに大きな音を立てて扉を閉めた。扉の奥から、まだジャックが笑っている声が聞こえた。













     それから目立ったことはなく。ジャックとイソップのおかげで平和な日々が過ごせていた。

     そこで僕は、イソップに自分の家に帰ってもいいか聞いたが、返ってきた返事は「No」だった。せめて「公演が終わってからにしてほしい」と言われ、僕はイソップの言葉に甘えることにした。
     僕自身も彼との生活はそこそこ楽しいので、長引かせてしまっては駄目だという気持ちもある。

    「それで……明日から公演なんですか?」

     キッチンで美味しそうな匂いのする何かを作っているイソップが、練習していた僕のほうを振り向いた。

    「うん。イソップの分もチケットを貰ったんだ。千秋楽のものを取っておいたから、良ければ来てほしいな」
    「千秋楽!?良いんですか、千秋楽なんて融通効かなそうなチケット」

     イソップがこちらを振り向いた。

     滅多に見れないような表情をしている。僕はそれが嬉しくて、つい得意げになって話す。

    「どうせ見てくれる友達はイソップくらいしかいないからね。このくらいは融通が利くんだよ」
    「わぁっ……ありがとうございます。絶対に行きますね!」

     小躍りするようにステップを踏むイソップに僕はチケットを渡した。

    「すぐになおしてきますね」

     「ちょっと鍋を見ててください」と僕に言って、イソップはチケットをなおしに行った。

     僕はイソップの代わりにダイニングに立ち、鍋の中身を見る。ことことっと音を立てながら、ニンジンやジャガイモ、グリーンピースが煮込まれている。今日も美味しそうなスープだ。
     僕はバケットをオーブンに二つ入れる。少し温めながら、スープの様子を見守った。

    「なおしてきましたっ」

     ウキウキとした様子でイソップが上から降りてきた。

    「うん。パンも温めておいたよ」

     僕はそう言いながらスープ皿に鍋の中身をつぎ分けた。イソップがそれを運んでいくのを見届けながら、バケットをオーブンから取り出した。

    「じゃ、食べましょうか」
    「うん。もう、お腹ぺっこぺこだよ~」

     二人で椅子に座り、夕食を食べ始める。イソップのスープは今日も美味しい。

    「明日から公演、頑張ってくださいね」

     イソップにそう言われ、僕は「楽しみにしててね」と満面の笑みで答えた。

     公演自体は初の試みを取り入れたものだったが、客受けもよく大評判だった。入れ代わり立ち代わりと新顔の客が増えるような舞台は珍しく、ジャックもマザーも上機嫌だった。勿論それは僕らも同じだ。
     一日二日と完成度が高くなる舞台の様子が嬉しく、ジャックと夜深くまで舞台についての感想を語ってしまう日もあった。

    「メッセージカードは今日も届きました?」

     ジャックがいつもの様に僕に聞く。

     僕は傍に置いておいた花束とメッセージカードを取り出した。ジャックに渡すと、月光に透かすようにして文字を読む。表には「素敵な公演でした。次の公演も楽しみにしています」の定型文。

    「裏は……」

     カードを裏返したジャックは眉間にしわを寄せた。

    「「もうすぐ、迎えに行きます」……ですか。ノートン」

     自分の所へ来ないか、というような視線を向けられる。僕はほぼ反射的に首を横に振った。

     視界に入ったジャックの瞳は悲しげに……というより、切なげに揺れている。

    「ち、違うんだ。イソップのことを信じたい、というか……たった一人の友達だから。マザーと同じくらい僕と一緒にいてくれたから……」

     ジャックにしっかり伝えようと思って口を開くも、上手く纏められずに言葉がこぼれていく。

    「信じたい……って思うのは、一方的なこと、なんだろうな。こんな風に思うのは、自分勝手だと思うけど。……何だろう、僕はあんまり人に……信じられないような人間だと思うから……」

     何故か後半がほとんど愚痴になってしまった。

     ああ、こんなことを言うつもりでは無かったはずなのに……。こんなの構ってほしいって言っているみたいでかっこ悪いじゃないか。

     僕はジャックから顔を背け、唇をかむ。不気味なメッセージが書かれているメッセージカードよりも、自分のことを上手く伝えられない自身が一番怖かった。

     僕は一体、何をしたいんだ。

    「ふふふ、ノートンは良い子ですねぇ」

     ふいにジャックが僕の頭を撫でてくれた。血液のように温かい温度が伝わってきて、体の緊張が解けていく。蕩けていくようだ。

     僕はうっとりと目を閉じてから、「どこが?」とジャックに聞いた。自分でも声が上擦っているのがわかる。

    「そんなことを言って自分で悩んでいるところですよ。本当に可愛らしい。貴方が貴方でいることが私にとってはとても嬉しいですよ」

     ジャックはそう言って、僕を抱きしめてくれる。

    「明日は千秋楽です。荷物をまとめておいてくださいね」
    「え?」

     僕は思わず声を上げ、ジャックの顔を見返した。

    「いつまでカールさんの家にいるんですか?これが終わったら私の家へおいでなさい」

     ジャックの優しげな顔がとても綺麗で、僕は幸せな気分になる。さっき言われた言葉が本当だと告げられているようで、僕は何度もうなずいた。

    「そんなに何度も……ふふ。嬉しかったんですか?」
    「う、うん。……女の子みたい、かな」

     僕は恥ずかしさを隠すように沿う言葉をつけ加えた。ジャックはそんな僕に対して「いえ、ノートンはノートンですよ」なんて言いながら笑ってくれた。

    「えへへ、嬉しいなぁ」

     自ら口に出してみれば、嬉しさはより一層つのった。

     だらしなく緩む口元が抑えられない。僕は口許を隠すように手を当てて笑った。















     明るい陽射しが気持ちよくて、ぼうっとうたた寝をしていた。少しだけ開けておいた窓から流れ込んでくる風は、春の香りをはらんでいた。

     控えめに聞こえてくるノックの音に、僕はぼんやりと目を開ける。

     「はい?」と返事をすると、イソップの心配そうな声が聞こえてきた。

    「……ノートンさん、起きてます?」
    「んー、起きてるよ」
    「絶対に起きてませんね、その声……」

     呆れたような声でそう言われた。

     僕は今日はいつもより眠たいなと思いながら、無理やり体を起こした。瞳を濡れたタオルで擦って、両頬を叩く。
     しっかり起きろ、僕。

     今日は千秋楽だ。

     気持ちを新たにして、新品のシャツをおろす。普段なら絶対にしないけど、ジャックの舞台だから「千秋楽」ひとつ取っても重要な出来事だ。素直に楽しかったという思いも込めて、記念におろしておこうと思った。

     僕は、ちょっと気取って茶色のタイを占める。いつもの様に髪を念入りにとかして、軽くメーキャップを済ませた。

     このドレッサーとも今日でお別れだな、と思うと少しセンチメンタルな気分になる。

     鞄を手に取って、下へ降りようとした時に「ノートンさーん」と声がした。くんっと鼻を動かすと、美味しそうなスープのにおいと優しそうなパンの香りが漂ってくる。

    「イソップさん、今すぐにいくよ!」

     僕はそう言うと、階段を勢いよく降りて行く。途中でストップが掛けられなくなって、駄目と言われた扉が寸前まで迫る。

     「おぉっと」と声を上げて、僕は止まった。

     その様子を見ていたのか、イソップがこちらを見ながら笑い声をもらした。

    「元気ですね、ノートンさん」
    「今日は千秋楽だから……ちょっと、張り切りすぎかな?」
    「そんなことないと思いますよ。僕も見に行くのが楽しみです」

     イソップに手招きされ、僕は机についた。つぎ分けられたスープと焼き立てほかほかのパン、アツアツのソーセージにサラダまでついていた。

    「なんだか……今日は豪勢だね」

     僕は並べられた料理を見ながら呟いた。

    「今日は千秋楽ですから、」

     とイソップは言った。マスクが外されているから、にっこりと笑みを描く口元が見えた。

    「ノートンさんが沢山、練習できるように作りました」
    「ありがとう、イソップ」

     僕はそう言うと、サラダを頬張った。シャッキシャッキのレタスと丸いミニトマトがとても新鮮だ。

    「美味しいですか?」

     イソップは今日も、料理に手を付けずに僕に聞いた。僕はサラダを飲み込んでから、イソップに答えた。

    「美味しいよ」

     イソップは幸せそうに笑うと、やっと食事に手を付け始めた。

     イソップは僕より少ない量を食べるのに時間がかかる。僕と一緒に劇場へ行くときのために、いつもより少ない量を食べていたことを僕は知っている。

    「今日は付いていかなくても良い、ですか?」

     彼にそう聞かれ、僕は首を傾げた。

    「ああ、今日のために仕事を早く終わらせておきたいんです」
    「そっか」

     イソップの返事に納得した僕は、残りのパンを口の中へ放り込んだ。

    「じゃあ、イソップが楽しみにしてくれる舞台を完成させるね。……ああ、もう出ないと」

     僕がそう言うと、イソップは頷いた。フォークを皿においてから、僕のほうへ包みを差し出す。

    「はい、頑張ってください。……これ、いつものお昼です」
    「うん。ありがとう、イソップ」

     僕は包みを鞄の中へ入れると、いつもより少し大きなカバンを持って店の外に出た。

     少し浮き脱足取りを抑え、まっすぐに歩いていく。

     相変わらず霧の濃い路地だな、なんて笑みをこぼした。いつものように一つ目の角を曲がろうとした時、腹部に痛みを覚えた。

    「?」

     じくじくと鈍い痛みはどんどん広がってきて、思わずその場へしゃがみ込んだ。だんだん呼吸が不規則になっていくのが分かる。

    「ふぁ……っ、ぁ……れ……っ」

     地面に腕をついて、真っすぐに見据える。体勢を整えようと腕に力を籠めれば、頭痛を覚えた。

    「な、なん……っで……?」

     息が上がる。
     視界が揺れる。
     君持ち悪い。

     僕は息を整えようと口を開けたが、かひゅっかひゅっと壊れた楽器のような音が漏れた。ぼたぼたと唾液が口から落ちてきた。

     オカシイ。

     僕は誰かに助けを求めたくて声を上げたが、音にすらならなかった。

     僕の喉はいびつに絞められたように息を吸えなくなって、冷水を浴びせられたように体が動かなくなる。
     僕は短い呼吸を繰り返しながら、必死で自分の体を温めようと自分を抱きしめる。

     混濁した意識の中で誰かが僕の名前を呼ぶ声が聞こえた。そちらへ手を伸ばせば、足音が近くまで響いてきた。足音と一緒に頭が揺れるようで、気持ち悪い。

     生理的に出て目元に溜まった涙のせいで、視界が不安定だ。

     ぎゅっと、身体を抱きしめられる感覚がした。ほんのりと体温が伝わってきて安心した僕は、意識を手放した。



    「……大丈夫ですからね、ノートンさん」































     息苦しさを覚え、僕はゆっくりと目を開けた。

     口元からぬるい温度が伝わってきて、息苦しさの元凶に気付いた僕は体を動かそうとした。が、体が動かない。何かが少しずつ動いている気はするのだが、腕も首も動かない。

    「ん...ふ、ふ... 」

     ぬるり、と唇をなめられる。その瞬間、体中に悪寒が走った。

     気持ち悪い、気持ち悪い。
     なに、なんなの?

     イヤだイヤだと首を振りたいのに、振れなくて、ぼんやりと開けた瞳からは相手の顔も見えない。

     上から照らされたライトが逆光になって、妙に光っている灰色の瞳がぐにゃりと歪んだ。

     ただただ不快感が募って、限界を迎えた僕の瞳から涙が溢れてくる。

    「っふ、そんなに嬉しかったんですね」

     恍惚とした表情でそう言われ、僕は震えながら目を細めて相手の顔を凝視する。

     だって、これは、きっと悪い夢で。
     彼がこんなことを僕に対してすることはなくて。
     これは悪い夢だから。

     僕はぎゅっと目をつぶって、さっきまでの光景は夢なんだと思い込む。でも、僕の髪や瞳に触れる感覚はよく知っている手袋のそれで。

     不快感を通り越して、吐き気を覚えた。

    「……?」

     ずっと目を閉じている僕に、イソップかもしれない彼は頬ずりをしてきた。

    「はぁ……あったかい。生きてる人間なんて普段は苦手なんですが、ノートンさんは程よく冷たくて気持ちいですね」

     吐息交じりに「大好きです」と囁かれ、ふざけるなと思った。

     困惑と怒りが同じくらい押し寄せてきて、意味が分からない。
     こんなイソップは知らない、知らない、知らない。

     彼の異常性を初めて目にして、頭が正常に機能しなくなっていく。だって、彼が今しがた僕に告げた「大好き」という言葉は僕に向けられたものじゃない。彼は僕に興味なんて持っていないのに、一方的に愛の言葉を継げながら昆虫標本でも触るように僕の体に触れていく。

    「やっぱりあなたは特別なんですよ。そっちの目のほうが似合っていますもん。何か生きがいを見つけて、それに向かって頑張って、幸せそうにしているなんて貴方には似合わない。僕は知っていますから、たとえ貴方が忘れていても」

     イソップは僕の髪をもてあそびながら一方的に告げていく。

     こんなに饒舌なイソップは知らない。

     彼は一体、誰のことを話しているんだ。

    「それに今の貴方は僕が興味を持っていたそれではないんです。貴方だって僕に嫌われるのは嫌でしょう?大丈夫ですよ。僕は貴方を送りだすまで絶対にあきらめませんから。仕事はきちんとこなす性質なんです」

     マスクを取り払い、ニコニコと人の変わったようにしゃべり続ける彼は僕が知っている友人ではなかった。

     するりと僕の胸元の白いタイを引っ張った。ここで、初めて僕は自分が着ている衣服が朝着ていたものと違うことに気付いた。

    「……あぁ。これね、上手にできていると思いませんか。僕、初めてお裁縫なんて習いました。一応、必要なものなので店で取り扱っていたんですが……貴方を送るためですもの、せっかくの機
    会だから自分で作ってみようと思いまして」

     「布地から買いに行ったんですよ?初めてです」と笑顔で意見を求められ、僕の喉からは悲鳴に似た空気の音が漏れた。

     イソップはすぐに僕から興味をなくしたように、何かを考え始めた。手元へメモ帳のようなものを持ってきて、何かを書き込みながら、値踏みするような視線で僕を見る。

    「ああっ!忘れてました」

     突如、イソップは楽しそうに後ろを振り返った。

    「あなたのアイデンティティが……。これでは足りませんね。大丈夫ですよ?痛くないように、貴方が向こうへ行かれる前に。それはもう寸前に済ませますから」

     彼が何を言っているのかがわからない。

     イソップは遠くを見ながら、「楽しみです……っ」と呟くと、僕が寝かされているところの蓋を閉じた。コツコツ、と足音が急速に遠ざかっていく。

     急に暗闇へ突き落されたように真っ暗になった。僕は閉塞感におそわれて、この状況をどうにかしようと動かない体を動かそうとしていた。自棄になって、目からは涙が溢れて止まらない。

     今から何をされるのか分からない恐怖で息が浅くなっていくのを感じる。体温も急速に冷えていくようで、背中にじわっと広がった汗が不快でたまらない。

     嫌だ。
     嫌だ。

     どうして僕がこんな目に合わないといけないんだ。

    「っは、っは、っは、……やぁ」

     短く意識的に呼吸をしないと、息をすることさえ忘れてしまいそうだった。

     必死で声を出さなければ、という気持ちだけは頭の奥にあって、僕は喉をこじ開けるつもりで口を動かす。

    「やら。だ、っ……かひゅっ、うぇっ……だひてっ、だしえ……」

     口を動かしていると、だんだん口がまわる様になってくる。

     吐き気を我慢しながら、必死で言葉を紡ぐ。ここがどこなのか知らないが、誰かに聞こえないかと願う。

     でも箱の向こうからは何の音も聞こえてこない。嘘のように静まり返っていて、僕はもっと怖くなった。

     彼は一体何の準備をしに行ったのか。
     どうして帰ってこないのか。
     一人は嫌だ。
     一人は怖い。
     暗いところも、もう沢山だ。
     早くこんなところから出たい。
     怖い。
     怖い。
     怖い。
     気持ちが悪い。
     死にたくない。


     誰か助けて。


    「ぁっく、らすけて。やっく……あっく、あっく……」

     僕は舌っ足らずな口調で恋人の名前を狂ったように呼び続けた。

     そうし始めると、箍が外れたように彼の名前しか呼べなくなる。僕はもう冷静じゃなかった。たった一人の恋人の名前を呼びながら、今まで信じてもいなかった神様とやらに願う。




     ガタン。と何かが落ちるような音がして、僕の体は硬直した。 
     さっきまで馬鹿みたいにジャックの名前を呼んでいたのをやめて、耳を澄ます。

     自分が呼吸する音と自分の心音で居場所がバレてしまうんじゃないかと思った。どくん、どくんと鼓動が波打ち。自分の耳が壊れてしまったように感じた。

     足音は真っすぐにこちらへ向かってきている。

    「ひゅっ……」

     僕の喉が空気のような音をたてて、涙からはぼたぼたと水が溢れてくる。

     至近距離でがたがたっと音がして、僕はいよいよ殺されるのだと思った。下腹部のあたりがじんわりと温かくなった気がして、最悪な気分になる。

     ゆっくりと蓋が明けられ、あまりのまぶしさに目も明けられなくなった僕は目を細めて。最後の抵抗とばかりに、動かない腕と足に力を込めた。

     酷い逆光で、やはり相手の顔は見えなかった。

     でも僕は彼のことを知っている。

     僕のことをこんな風になってまで探してくれる人はこの世界に一人しかいないのだから。

     ジャックは何も言わずに、僕の体をやさしく抱き上げた。体に力が入らなくて、ジャックの首に腕を回したいのにできない。

     僕はできることがないから、必死でジャックのほうを見て、弛緩した口で彼の名前を呼んだ。

    「やぁっく……」

     ジャックはそんな僕を見ながら悲しそうな表情をした。でも真っ赤に染まる瞳はいつもと同じで、僕はひどく安心した。

     ああ、彼はもう二度と僕を離してはくれないだろう。

     僕の頬をいとおしそうに撫でてくれて、涙やよだれでべとべとな顔をやさしく拭いてくれる

    「可愛そうに、ノートン。……もう、大丈夫ですからね。これからは、私が一生涯かけて貴方を傍に置いてあげますから」

     その言葉に僕は心底ほっとした。

     僕はもう何もいらない気持ちになっていたからだ。頂点へ上り詰めるためのダンスの技量だとか、買ってもらえるための愛想だとか、生活していくためのお金だとか、大切な友人だった人だとか。

     ただ一つだけ気がかりなことがあって、それを聞こうと僕は視線を動かした。

     その時、ジャックが羽織っている深緑色のコートの襟の部分が少し黒ずんでいるように見えて、僕は今度こそどうでもよくなった。

     素敵な童話が迎えるハッピーエンドの裏には、たいてい言いにくいことが幾つかはあるものだ。それに自ら首を突っ込もうとして幸せな終わりを迎えられた主人公は少ない。シンデレラがどうして美人なお姉さんより先に結婚できたかとか、ラプンツェルはどうして二人の子供を一人で育て上げたかとか、ヘンゼルとグレーテルの父親はどうして一人で生きて入れたかとか。

     イソップ・カールはどうしたか、とか。

     きっと聞いてはいけないことなのだ。

     何も知らない、ただのダンサーの僕はとても素敵な支配人で、僕だけのパトロンに助けてもらいました。

     おしまい。

     僕はジャックの胸元に力の入らない腕で縋りつくようにして、彼の心音を聞きながら目をつむった。

    「さぁ、ノートン。早く私たちの家へ帰りましょう。あったかいお湯を張って、貴方の体を洗ってあげなければ」

     僕はジャックに頷いて見せた。















     あれから数日たった。

     僕はダンサーをやめ、ジャックの家の一室を借りていた。見たこともないような高級な調度品の数々に目を丸くしていたが、だんだんと慣れていき、今はそれらを使うことに最初ほど引け目を感じなくなっていた。

     ここへ来てからの数日間はずっとベッドの上で寝たきりだったが、日常生活に支障をきたさずに動けるようになった。ジャックと一緒に踊ることがもう難しいのは哀しかったが、彼の隣に入れるのはそれ以上の喜びだった。

     ベッドからゆっくりと降りて、ジャックが用意してくれた衣服に身を包む。

     丁度着替え終えたころに扉がノックされ、ジャックが僕の大好きな微笑みを浮かべて「おはよう」と言ってくれた。僕はゆっくりと動く足を疎ましく思いながらも、彼に抱き着いて挨拶をかえす。

    「体は大丈夫ですか?」
    「うん、大丈夫だよ。相変わらず手足は動かしにくいけどね」

     僕がそう言うと、ジャックは意地の悪い笑顔を浮かべた。
    「それなら今日も私が食べさせて差し上げますね」

     その笑みに僕は苦笑いしながら、釘をさしておく。でもきっと、ジャックが言うことを聞いてくれることなんて無いんだろうな。

     彼の家に来てから気づいたことだが、ジャックは結構わがままで人の話を聞かない。たまに僕へ見せる笑みには薄ら寒いものさえ感じるし、裏で何をしているのだろうと首をかしげたくなるほど高いものを僕へプレゼントしてくれる時もある。

    「……あ、あんまり意地悪しないでね」
    「それはどうでしょう。ノートンが可愛らしいのが問題ですね」

     ジャックはそう言いながらも僕に歩調を合わせながら、食堂へ向かってくれる。

     僕にはそれで十分だった。

    「そうだ、ノートン。リハビリついでにレッスン室を作ってみたので、気が向いたら使ってみてくださいね」

    「は?」

     僕は口をあんぐりと開けて、ジャックの顔を見た。

     彼は人畜無害そうな笑みを浮かべながら、事も無げに「部屋を一つ作ったんです」と続ける。

    「きっと貴方は、また私と一緒に踊ってくれますよ」

     そういって笑いかけられれば、僕は断らないわけにはいかなかった。

     心配な気持ちと不安と、それよりも大きく勝る嬉しさを隠しながら、ジャックの手を握る。

    「仕方ないなぁ……。じゃあ、踊れるようになったら踊ってね?ジャック」

     ジャックは僕の手を握り返しながらこう言った。

    「勿論、よろこんで」
     














    とある支配人の幻影



     幼心に不思議だった。私を見た両親、親せき、親兄弟は皆、口をそろえてこう言うのだ。「どうして君だったのだろうね」と。
     そういわれても、私自身は何とも言えなかった。
     ただ、私では何かが駄目なのだと気づいたその日から、塞込んでいったことは確かだ。内向的に自分を嫌悪する気持ちの裏で、両親に認められたい、自分のことを見てほしいという気持ちが肥大していった。
     そしてある日、教えられたのだ。
     実はお前には兄がいた、と。私とは二桁に近いほど年が離れていたそうだ。
     家を継ぐのならば知っておくべきだと言われながら、近づくことを禁止されていた母屋へ案内された。
     酷くボロボロな壁は風化でそうなったのでは無いとすぐに気づいた。扉を押せば、壊れそうにキィキィと音を立てながら開いた。
     中はひどいものだった。
     破れた人形の首元からあふれる綿。意図的に引き裂かれたような画用紙。何かを追い求めるように広げられた絵具や筆は壁や床にまで痕跡を残していた。
     部屋の隅に置かれた麻袋の中から漂う腐臭が私の心を丁寧に攪拌した。
     父親が言うには僕の兄となるべきだった人間は、心を病んでいたようで、ある日ついにどこかへと消えてしまったようだった。
     この間、警察が捜索をあきらめたようだった。そこで初めて兄の死亡が確実なものとなり、私に家を継がせられるようになったのだと言っていた。
     僕はその話を半分に聞きながら、壁に設置された本棚を漁った。そこから見つけた日記を眺める。
     それは幻想小説の様で、夢物語のような、おおよそ信じられないことが書かれた日記だった。
     「自分は殺人鬼だった。」、「あの荘園でのゲームが忘れられない。」、「何かが足りない、足りない。」、「救い出してほしい。」、「ripper」……。
     交錯するように書かれた単語を拾い読みしながら、二冊三冊と日記を床に捨てていった。
    「……そろそろ出るぞ、×××」
     僕は名前を呼ばれ、一泊置いてからその言葉に従った。
     目についた他の本よりもきれいな背表紙の本を隠し持って、父親についていく。
     次の日から僕はあの部屋から持ってきた日記を読み進め始めた。それは格別、中毒性のある読み物のように僕の心にずぶずぶと浸透していった。
     そしてある日。
    「Hello,Jack」
     私のことを「Jack」と呼ぶ存在に出会った。















    とある支配人の響酩



     私が酒を飲んでいるとき、彼も隣でたしなむ。
     酔いがまわってくると決まってノートンとの出会いや日々の出来事を語るのがうるさくて仕方がなかった。

     ある日のこと。

     その日も上機嫌で話していた彼の言葉に、私は引っ掛かりを覚えた。グラスを机の上に置いて、ソファで上機嫌の彼に声をかける。

    「ノートン、というのはサバイバーだと、この前言ってませんでした?」
    「ああ……。主催者に頼んで、貰ったんです」

     彼の物言いに私は一応、納得した。だが大部分では納得できていなかった。

     そもそも彼が語る荘園でのゲームには不明瞭な点が多いのだ。人ではないものと人が鬼ごっこのようなものをする、だなんて常軌を逸しているし、現実的ではない。
     しかも彼はそこで追いかけることを仕事としていた、と言った。彼は人ではなかったのか?

     私は一度も外されたことのない彼の仮面を見ながら、グラスを煽った。

     酒を飲んでいるのに小難しいことを考えるのは無粋だ。

    「どういうことか、と聞きたげな顔ですね。ジャック」
    「……ああ。ゲームに勝ったら荘園を出られるうえに多額の報酬を得られる、という話じゃなかったのか」

     仮面の奥で意地悪そうにニヤニヤと笑みを浮かべているに違いない。

    「そうですよ。ま、探し求めていたものが見つかると聞いていた人間もいたようですが……」
    「随分と不明瞭だな。覚えてないのか」

     「興味なかったので」と、彼は言ってのけた。

    「ノートンはゲームに勝ちましたよ。他のハンターなどには捕まらずに、ね。まぁ、私の愛しい人なので当然ですが」

     彼の言葉に私は眉をひそめた。

    「まさか、お前を要求したのか。そのノートンは」
    「要求じゃありませんよ。情緒を解さない人ですねぇ……」

     彼は思いっきりいやそうな表情をしたようだった。「全く、これだから恋を知らない若者は」なんて老人じみたことを呟く。
     それから私を見ながら答えを明かしてくれた。

    「彼は私と共にあることを望んだんですよ」

     私には到底、理解しえない話だった。

    「欲しいものがあったから彼はひどいゲームに耐えていたんじゃなかったのか」
    「そうですよ。彼は逃げてきました、あの荘園へ。それに、常に飢えていた」
    「じゃあ、何故?」

     彼は私の顔を見ながら鼻で笑った。
     その態度が癇に障って、思わずにらみつけると今度は声をあげて笑われた。

    「当然でしょう」

     仮面の下の赤い瞳が炎のように揺らめいた。

    「そんなものより大切なものが見つかったんですから」
    「大切?」

     彼はグラスを傾け、得意そうな様子でつづけた。

    「どんな飢えや渇きも潤し、どんなものからも絶対的に自分を守ってくれる存在ですよ。彼は私を愛し、私も彼を愛しました」
    「……」
    「否、そんな表現では生ぬるいですね。……強いて言うならば、私たちはまるで植物のツタのように互いを支え、互いに甘え、絡まりあっていたのですよ」

     彼は大切な人形でも愛でているかのように小さく手を動かした。

    「彼は私の喜ぶ音なら何でもしたいと思ったし、私も彼が喜ぶことは何でもしようと思いました」

     不思議そうな顔をしていた私に、彼は熱っぽい視線を向けてきた。

    「そういう……響き……何というのでしたっけ」

     ふいっと視線を外し、飲み切ったグラスを机の上に置いた。私が何かを言うよりも早く、彼は自分で答えを出した。

     そうとう酔っている様子の彼は、真っ赤な瞳をこちらへ向けてきた。

    「ああ、そう。共鳴、ですね」











    ※ ここから本編以上に変態なイソップがいます。












    とある納棺師の記憶



     養父に連れてこられたのはこじんまりとした劇場だった。なんでも養父の友人がチケットをくれたのだという。演目は「ドン・ファン」。子どもだった私の心に強烈な印象を抱かせた演目だった。

     欺かれ、だまし、すり抜け……。ハラハラする場面を幾度も潜り抜け、主人公は死に絶えた。

     幕が下がった後も緊張は抜けず、しびれ薬でもまかれたように何も考えられなかった。

     これは、まるで……そう。あの荘園のゲームと同じような感覚。

     ようやく呪縛から解放された私は、養父に手を引かれて席を立った。

     そのとき、後方の立見席で未だ呪いにかかったままの青年を見つけた。
     体格の良い青年で、濡れ羽色の黒髪がぴんぴんと跳ねている。大きく魅力的な黒い瞳が私を捕らえた。

    「……君も?」

     私は返事をする代わりにうなずいた。
     それを見て嬉しそうな顔をして笑う彼は、奇しくも最後のゲームで見た表情と酷く似ていた。
     
     足らなかったものを見つけた子供のように、無邪気な笑顔。

    「僕、ノートン・キャンベル!君は?」
    「イ、イソップ……」

     嗚呼、小さな声で答えた僕の名前は聞こえただろうか。貴方はきっと直ぐに忘れてしまうのだろうが、私は絶対に忘れない。

     今度こそ、私が君の足りない部分を埋めてあげます。













    とある納棺師の憶測




     今日は彼の初舞台らしい。

     これは彼が住んでいる場所の管理人のような女性に聞いたことなので間違いない。彼は初舞台できっと緊張しているだろうから、花でも届けたら喜んでもらえるだろう。

     緊張状態で差し伸べられた手は特別に見える筈だ。逃げられない、後のない状態で助けてくれた彼を見ていた私のように。

     そう思った私は花屋へ出かけることにした。万が一にでも、彼に見つからないように隣町まで足を伸ばした。
     全く知らない街で花屋を見つけるのには苦労したが、こじんまりとした花屋を見つけた。店主は女性で、汚れてツギハギだらけの緑色のエプロンが記憶に引っ掛かった。

     店先に並んでいる花々へ視線を動かせば、そんな情報はすぐに離散した。

     彼が好んでいる色や香りをあしらった花束をプレゼントするのも良いけれど、ここは花言葉に沿って選んでみるのも悪くないかもしれない。

     軒先に並んだ花々を見ながら、私は脳内の花言葉を順々に並べていった。職業柄、偏った意味の花言葉には詳しい。
     そうだ。いっそのこと、彼への私の気持ちを花束に表してみようじゃないか。アイビーかガマズミか黒薔薇か……。ぴったりな花はどれだろう。

     私は上機嫌で花屋に注文した。

    「すみません、黒薔薇で花束を作っていただけませんか」

     女性は一瞬怪訝そうな顔をしたが、すぐに笑顔を浮かべて花束を作り始めた。その様子を観察しながら私は安堵する。

     彼への十分な気持ちを知るのは、私だけで良いのだから。


     黒薔薇…「決して滅びることのない愛」













    とある納棺師の憂鬱



     黒く揺蕩う髪を適当に切り刻み、そこから慎重に刃を入れていく。ときおり鏝を使ったり、水にかけたりをくり返して彼と同じような髪形を作り上げる。
     髪の持ち主には似合わない髪型だが、全く気にしない。どうせ綺麗に結い上げたとしても、着飾らせる胴体など持ち合わせていないのだから。

    「嗚呼、貴方の髪はこんな感じでしたね。あそこにいたときは泥だらけで、碌な手入れをしていなかったから酷いものでしたけど、今の貴方の髪はもっと滑らかで柔らかで……」

     誰も聞いていないであろうこの言葉は練習だ。誰も見ていないであろうこの行為は練習だ。

     いつか彼を手に入れたそのときに、彼へ向ける餞の言葉。彼を送り出し、背を押してあげるためのメーキャップと言ってもいい。

     彼ソックリのシルエットが出来上がる。部屋中の明かりを消せば、暗闇に浮かぶのは彼そのものだ。汚れがつかないように最新の注意をはらって、その髪束に口づける。

     まるで味覚が狂ってしまったようだった。

     これは彼じゃないと理解している筈なのに、彼だと錯覚してしまえば、口付けた髪束はとろけるように甘い味がした。煮詰めた砂糖のように脳の感覚を溶かしていく。

    「んふふ……はぁ、待っていてくださいね。もっともっと上手になったら、貴方を迎えに行きますから」

     そのために彼をメッセージカードで繋ぎとめているのだ。彼は一公演ごとに送られる、たった一枚の同じ文が書かれたメッセージカードで満たされている。














    とある納棺師の鬱憤




     いい加減にしてほしい、あの仮面紳士。また彼との旅路を邪魔するつもりなのだろうか。

     頭は怒らせつつも手先だけは冷静に。

     私は手持ちの燭台に蝋燭を突き刺し、慣れた手つきで火を点けた。すでに周囲には何本ものマッチが燃えカスになって落ちている。何度か踏みつけたので火事の心配は無いだろう。

    「……ッチ」

     出来上がった不格好な火傷に思わず舌打ちをした。
     彼を作り上げるのに必要な要素の一つなのに、今だに成功したことがない。このままイライラとした気分で練習しても成功しないだろう。

     そのことに気づいた私はカラになったマッチ箱をゴミ箱の中へ放り込んだ。部屋の隅におかれていたモップを手に取り、燃えカスも折れたマッチもいっしょにして塵取りの中へ入れた。

     練習台も足りないし調達したかった。だが、誇張された噂のせいで夜中に出歩く人などいない。彼と同じ背格好の人間でなくともいい。妥協し始めた私の元へ残った練習台は、似ても似つかない顔の造形をしたものばかりだ。

    「貴方を送り出すための準備に手間取ってしまってごめんなさい、ノートン。きっとアイツに人知れず絶望して、涙して、苦悩するんでしょう。そんな日々が続かないように、僕が早く迎えに行ってあげたいのに……」

     日に日に長くなっていく独り言をとがめる人間はいない。

     私はそろそろ彼が宿舎へ向かう時刻だということに気づき、あわてて自室から出た。














    とある納棺師の空蝉




     生きている人間を見るのは憂鬱だ。関われと言われれば鬱憤もたまる。

     私が荘園に訪れたのは4人のうちで最後だった。

     メンバーは皆、疑心暗鬼。名前など覚える暇もなく、向けられる視線には殺意と牽制と嘲笑と誹謗と……エトセトラ。誰かも分からない人間たちと、気まぐれに浮かぶ月影のように生活を共にする。
     食事で顔を合わせれば嫌な顔をされ、その感情を汲み取る前に姿を消される。
     廊下ですれ違えばあしざまに悪口を言われる。

     ここで行われるゲームに勝てば欲しいものを与えられると聞いたが、本当だろうか。僕の望む平穏生えられるだろうか。

     自分自身にさえ疑心暗鬼になっていた頃、食堂に一枚の封筒が置かれた。それがゲーム開始の合図だった。



     見知らぬ場所で何かも分かる影から逃げ惑う。紳士のような格好をしていたが、あきらかに人の手ではないカギ爪が異様さを物語っていた。それに彼からわずかに漂う死臭のようなもの。それが私の心をざわつかせ、同時に安堵した。

     近くの小屋のようなものへ足をひき釣りながら逃げ込む。

     ここへ来るまでに見たあの青白い腕の持ち主はきっと死んでいるだろう。彼女さえよければ私が送ってあげるのに。
     変に緊張した場所にいすぎたせいか、私はポケットの中でしおれていた黄色の薔薇を弄びながら、そんなことを思った。

     その時、真っ黒な影が私を包んだ。さっきの紳士かと思い顔を上げると、妙な青年がいた。

     生きている筈なのに、死んでいるような臭いがする。生気のない真っ暗な瞳が私の呆けた顔を映していた。顔の左半分を覆う大きな火傷が目を引いた。ぼろぼろに敗れた深緑色のブラウスからはところどころ火傷を負った肌が露出している。

    「……参加者です、か?」

     私がそう聞いても、彼は答えてくれなかった。

     その代わり、独り言のようにつぶやいた。

    「見つけた、最後の一人」

     その言葉に彼は荘園の管理人なのだろうか、と首を傾げた。でも、彼の顔はどこかで見たことある。思い出せないのが悔しかった。

     それに、その大きな火傷跡には覚えがある。

     何かが頭の片隅で光り、無意識に口を開こうとした時、腹の辺りから生物のように刃が生えてきた。大きく空いた穴から取り外しずらいのか、何度か蠢いた後に耳障りな音を立てて抜かれた。

     堰を切ったように体中が冷え、私の周りに水たまりができた。

     白くぼやけてくる視界で視線を凝らせば、先程までたっていた青年を抱き上げ、こちらを見降ろす仮面の男。

    「よく出来ましたね、ノートン。おかげで助かりました」

     ああ、彼はノートンというのだった。荘園のどこかで彼の死坊写真を見たのだ。なんて思い出し、私は1人で納得した。
     ノートンと呼ばれた青年は仮面男に頭を撫でられながら微笑んだ。その人動作で彼は生きているように見えた。

     スイッチが入った様に生を受ける。

     今から死ぬのだと分かっているのに、私は彼の表情にくぎ付けだった。

    「見てました?私の手さばき」

     男は僕に興味などなかったよう手、見向きもせずに青年を愛でている。

    「嗚呼、そうだ貴方にも同じような鋏を探してきましょうか?それとも荘園の主にお願いしましょうか。貴方の小さな手でも確りとふるえて、なるべく私のものにそっくりなものが良いですねぇ」

     上機嫌な様子の男の言葉にノートンは幸せそうに頷き微笑むだけ。
     死んでいるようで、生きているようで、その実生きてはいない。

     ノートン・キャンベル。彼を送り出すことができれば、納棺師冥利に尽きることだろう。冷えていく指先、足先とは別の感情によって、体中が興奮で震えるのを感じた。

     生まれて初めてだ。新しい世界へ旅立つことに対して恐怖を抱くのは。今までこんな考えになど及んだことがなかったのに。

     私は体が朽ち果てる瞬間まで彼の表情を食い入るように観察していた。














    登場人物


    #ノートン・キャンベル
     幼い時にオペラ座に拾われ、マザーからダンスの手ほどきを受けながら成長していった。火傷のあとは存在しない。そのおかげか男性ダンサーの中では一番の努力家に育ち、自分にはダンスしかないと思っている。オペラに深い造形があるわけではなく、ダンスのみに努力を注いでいる。だが、舞台背景を意識した踊りは一定の評価を得ている。
     煙草は嗜む程度だが、酒はザル。
     荘園の時の記憶はない。



    #ジャック
     どっかのいい家のお坊ちゃん。芸術に深い造形を持っていて、オペラ座の新支配人として着任することになった。あいまいな書き分けとして、画家さんっぽい時は緑色の瞳。リッパーさんっぽい時は赤い瞳。
     「ジャック」という名前ではなく、もとはきちんとした名前があった。(ウォルターさんだとか、アーサーさんだとか、ピーターさんだとか)「ジャック」はペンネームのようなもので、彼自身も気に入っているから使っている。
     煙草は苦手、酒はたしなむ程度。
     荘園の頃の記憶はないが、実質リッパーさんと同一人物なので後から思い出した。



    #イソップ・カール
     今回の問題人物。ヤンデレではない。ちょっと、送りだしたいと思った人に対して執着が強いだけ。
     ノートン・キャンベルがデビューした時からのファンで、最後まで残っていたパトロンでもある。「切り裂きジャック」と名乗って新聞社に手紙を送ったのは、ノートンさんを怖がらせちゃったしちゃんと伝えとかないとな、という親切心から。
     煙草も酒も駄目。
     荘園の頃の記憶はあるが、ノートンには前世では認識すらされていない。













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