「指輪」「涙」涙の数だけ強くなれる、なんて嘘ですよ。泣いたら泣いた分だけ惨めさが増すだけです。
そう言っていた茨が、私の目の前で泣いていた。声もなく、しゃくりあげもせずにただ雨粒が静かに床に染み込むように、涙が流れていく。
真っ赤に腫れた目蓋に触れないように、よしよしと頭を撫でようと手を伸ばしたら逆に手首を掴まれてしまった。
「お〜と!自分に触れてはいけませんよ閣下!おそらくOCガスの催涙スプレーでありますから後遺症などの心配もございません!ただ、カプサイシンが主成分なので皮膚に触れるとピリピリする恐れがあります。自分は訓練されているので平気ですよ!」
「でもどう見ても痛そうだし、涙もものすごく出てるよ」
「なあに1時間もすれば元に戻ります!ちょっとお見苦しい姿を晒してるのはなかなか業腹ですが……名誉の負傷とでも思えば我慢も出来ましょう。ええ!下手人はちゃんと捕えましたしね!」
「びっくりしたよね。まさか宝石強盗に遭遇するなんて」
日曜日の昼下がり、たまには一緒にお出かけしようとお願いして多忙な茨がようやくつくってくれた久々のデート中の出来事だった。
高価なジュエリーショップで客は疎ら、男性客は私と茨だけ。ショップ店員も華奢な女性が2人だけの時間帯だった。
白昼堂々と現れた強盗は3人組で、そのうちの2人は茨が早々に制圧。残りの1人が私に向かって何かのスプレーを取り出したところで茨に庇われてしまった。
眼鏡をかけていたとしても、霧状であれば普通に目に薬剤が入るのは道理で。たまに眼鏡をゴーグルかなんかと勘違いしてる人がいるけれど、眼鏡自体に防御力はあまりない。
それでこの有様だ。
「とはいえまあ、眼鏡のおかげで多少は防げているはずですよ」
「眼鏡を過信しちゃいけないよ、茨」
「はっはっはっ!なんだか蓮巳氏に激怒されそうな発言ですなあ!それでも裸眼の閣下に掛からなくて本当に良かったです。自分は慣れてますから」
「こんなことに慣れないで。もうちょっと頼ってくれてもいいんじゃないかな」
強盗犯を拘束して、ショップ店員が警察を呼んだり救急箱を探したりしてる間に人目を避けて店のバックヤードで待機させてもらっていた。今は私と茨の2人だけ。そんな状況でも茨は気丈に振る舞うからぎゅっと抱き締めた。
「ちょっと閣下…!いつ人が戻って来るかわからないんですから離れてください!」
「大丈夫だよ。きっと空気を読んでくれるはず」
「読まれても困りますって!!」
そんなやり取りをしてる間も茨の涙は止まらない。胸板を力いっぱい押し返されるけど、力は私の方が強い。びくともしないことで諦めたのか、茨は大きなため息をついて力を抜いた。
「そもそもなんでジュエリーショップなんかに来ようとしたんです?閣下は歴史的価値のない装飾品なんかに興味はないでしょう?」
確かにいま着ている服もたまにつけるチョーカーや指輪も全て茨が用意したものだった。
「……そうだけど、私もたまにはGPSの付いてない装飾品を持ってみてもいいかなって」
「……なんのことでしょう?」
「しらばっくれるんだ。別にいいけどね、それに茨とお揃いの物が欲しかったんだ」
指輪、とか。
そう茨の耳元で囁くと、ぼっと火がついたように目蓋だけじゃなくて耳や首筋まで真っ赤に染まってしまった。
でもこんな騒ぎになってしまったから今日は購入することはできなさそう、とても残念。
指輪の代わりに薬指に口付けすると、すげなく払い除けられてしまった。