witness これまでにも外国のお客様が訪れたことはあったけれど、彼等はフロアに現れた瞬間から注目の的だった。見惚れてしまうような美貌の成年と、大人にも少年のようにも見える可愛らしい顔立ちの子の2人連れ。いったい何を求めてこのフロアに来たのだろう。勤務中にも関わらず好奇心が抑えられず、ついその姿をちらちらと目で追ってしまっているといくつかのブースをまわった後にその足がこちらに向かってきていることに気付いた。
まさかうちにも?近くでその姿を見られるのは非常にありがたいものの、正直英語での接客にはあまり自信がない。そのうえ、こんな状況で上手く聞き取りが出来るだろうか。そもそも、彼等は英語圏の人なのか。日本語と英語以外の言語はさすがに対応出来ないのだけど。高まる緊張に心臓の音が徐々に騒がしくなってくる。視線を巡らせながらゆっくりと歩いてくるふたりのルートには入ってしまっているから覚悟を決めなければ。
そう言い聞かせて気合を入れていたというのに、にこやかに話しかけてきた彼の口から聞こえてきたのは意外なものだった。
「すみません、えぇと…コウスイのこと、聞きたいです」
え、日本語!?驚きのあまり一瞬ぽかんと口を開けてしまったが、すぐに接客モードに切り替える。うん、日本に来ているのなら喋れても不思議じゃない。それに、日本語で対応させてもらえるのなら接客に集中出来るから願ったり叶ったりだ。
さっそく話を聞いてみると、どうやら探し物があるのは可愛らしい顔立ちの男の子の方で、美人さんは付き添いで来ているだけらしい。今使っているのとは別に普段使いできるものを探しているとかで、ふわりと感じた香りの印象からまさかと思いつつ確認してみると思った通りのフレグランスの名前が出てきた。意外と思うことはあっても、似合わないとは思わない。むしろ、目の前で接客していて香りが強過ぎるとは感じないのだから、この子は香水を使い慣れている。それにしても、この可愛い子があの官能的で甘くてセクシーな香りを……いや、深くは考えるな。
うちで取り扱っているメンズフレグランスの特徴は優しい甘さと香りの持ち時間の長さなので、彼が使用しているものとはタイプも違うし、普段使いにも向いているのではないかとは思う。ムエットを渡し香りを確認してもらった感じもまあ悪くはないといった印象。だけど決め手にも欠けるようで、少し考え込むような仕草をしたかと思うと不意に視線が合いにこりと笑みを浮かべられた。
「えぇと…他にもオススメ、ありますか?」
少したどたどしい喋り口調も相まって向けられた笑顔についどきりとしてしまうけど、今は仕事に集中集中。
個人的にですがと前置きをして、手に取ったのはウィメンズのフレグランス。とはいえ、彼の外見から女性向けのものもいけるだろうと安易に選んだ訳じゃない。アルコールフリーのこのフレグランスは持ち時間こそ短めだけれど、ふんわりとした優しいフルーティさとみずみずしい爽やかな甘さが魅力だ。ヘアミストとしても使用出来るから彼の要望通り普段使いにも向いていて、男性のお客様でも愛用されている方はいる。
一通りの説明をしながらムエットを渡すと、それを顔に寄せてスンと一嗅ぎ。すると、その表情がパッと華やぎ先ほどとはまた違った種類の笑顔が浮かんだ。これは気に入ってくれたと思って良さそうかな?なかなかの手応えに内心でガッツポーズをしていると、彼の視線がふいと逸れて少し離れた位置に立っている美人さんへと向けられる。
「sani」
さに…、サニー、か?そう一声呼ばれただけで美人さんはすぐに彼の隣にやってきて、何か問うでもなく傍らに立って彼の声に耳を傾けていた。ドラマのワンシーンにでもありそうなこの光景も、このふたりにとっては当たり前のやり取りなんだろうか。
「What do you think about this perfume」
差し出されたムエットにも当然のように顔を寄せ、スンと同じように香りを確かめている。それにしても、自分の使うフレグランスを決めるのに友達の意見も聞くものなんだな。友達…だよな?見たところ血縁者って感じでもないし。
そんなことを考えながら黙ってふたりのやり取りを見ていると、聞き慣れない単語を耳が拾った。
「――appetizing」
なんだ?あぱたい…?全く分からない訳ではないけれど、英語に強い訳ではないからすぐには頭がついていかない。なんて意味だったか、確か美味しそうとか……は?聞いたの香水の感想だよな?
「Umm……OK」
何より、それに対しての彼の反応はやけに落ち着いていて妙に慣れを感じる。そうか、このふたりそれでいいのか。
結局何が決め手かは分からないが、おススメしたフレグランスはお買い上げいただけることになった。会計を済ませ、可愛いと好評の小さめの手提げ袋に入れてお渡しの用意をして、いざお見送りといったところで彼はにぱっと笑いかけてくれる。
「ありがとございます!」
いえいえ、こちらこそいいものを見せてもらいまして。可愛らしい顔立ちに似合いの笑い方にそんなことをしみじみ思いながら品物を渡そうとすると、横から別の手が伸びてきてひょいとそれを奪っていく。犯人は連れの美人さん。予期せぬ行動だったのか彼も目を丸くして驚いていたけれど、当人はまるで涼しい顔でさっさとブースを離れていってしまった。
「Wait,sani」
慌てて追いかける姿にありがとうございましたと頭を下げて、数秒待ってから顔を上げてもその後ろ姿がまだ目に入る。なんだか色々とインパクトのあるふたりだったな。身に纏う香りもだけれど、口にする言語でも印象の変わる可愛い男の子に、ただただその美貌で圧倒してくる美人さん。うん、あの人の場合はほぼほぼ口を開かなかった分より圧を感じたというのもあるかもしれない。特に、手提げ袋を奪っていった時に一瞬合った瞳には別の意味でどきりとさせられた。
実際のところあのふたりは……いや、考えたところで答えは分からないのだしこれ以上はやめておこう。