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    雨音@ししさめ

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    雨音@ししさめ

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    2023.9.3。雨抱きに参加しました。

    雨が通り過ぎたそのあとで 不意に、手元が暗くなった。
     窓の近くのデスクに腰掛けてパソコンを弄っていた獅子神は、顔を上げた。
     外が暗い。
     先ほどまでは快晴……とはいかずとも、それほど雲が多かった記憶は無かった。
     雨が降るか? そう、考えた次の瞬間。パタ、と窓を雨粒が叩いた。パタパタパタ、と。続いた音はやがて連なり、ザーっと一続きになった。灰色の雲から落ちた細い雨の糸が、地上へと落ち続けるのを見守る。
     雨か……と、呟いて。
     視線は自然、スマートフォンに移る。端末に表示された時間は、12:15。
     そろそろ……と、考えるのは恋人のこと。もうすぐ夜勤が終わるだろう、お医者様。
     彼は、傘を持っているだろうか?
     昨日家を出ていく時、持っていた記憶はない。或いは置き傘くらいあるかもしれないし、職場で借りることも可能だろう。
     けれど……
    『雨、スゲェけど、迎えに行くか?』
     ほんの、一瞬の逡巡の後。端末に打ち込んだのはそんなメッセージ。考えているくらいなら、直接訊いた方が早い。
     そんな思いで送信するも、当然のように既読はつかなかった。まだ勤務中なのだろう。
    「………」
     だから、もう一度考える。
     自分の仕事の進み具合と、雨の降り具合と、もうすぐ勤務時間が終わる彼と、その機嫌のこと。
     悩んで、しばらく考えて……出した結論は、シンプルだった。
     車のキーを手に、玄関に向かう。念の為、二本の紳士用傘を持って行く。
     ガレージに移動しながら、無意識に口を突いて出ていたのは、雨の歌。
     そう、とても結論はシンプルなのだ。
     迎えに行けば。それだけ、早く、会える。
     
     
     ***
     
     不意に、手元が明るくなった。
     窓近くの自席でペンを握っていた村雨は、顔を上げた。
     つい先ほど俄雨を降らせていた雲はどこかへと去っていったようだ。
     そんなことを考えながら、眉間に指を持って行く。
     揉み解せば、多少、目の疲れが取れた気がする。けれど、一時凌ぎでしかないことは理解していた。
     もうすぐ勤務時間が終了する。そうすれば、帰宅して、恋人にマッサージをしてもらえるかもしれない。いや、彼ならば、頼まずとも村雨の身体を真っ先に気遣い、風呂だ美味い飯だマッサージだと動き回るだろう。
     元々、誰に対してもどんな環境ででも、真っ先に動く男ではある。ある、が……これらは、村雨専用だった。
    「村雨先生」
    「……はい」
     不意に声をかけられて、顔を向ける。すぐ近くに寄られるまで、同僚の存在に気を留めていなかった。
     疲れているから、だろうか。
    「なんでしょう?」
    「いえ。なんだか、柔らかな表情をされていたので……」
    「は?」
    「何か、良いことありましたか?」
     世間話の体で続く言葉に、しかし村雨は軽く驚いた。
     柔らかな表情。
     そんな自覚は、少しもなかった。ただいつも通り、淡々と目の前の仕事をこなしていただけで……
     だから、否定しようとして。いつも通り、と答えようとして。
     端末が、二通目のメッセージの着信を告げたのは、その瞬間だった。
     ちら、と、ロック画面に表示された文字列。送り主は、恋人である獅子神敬一。
     
    『雨、やみそうだな』
     
    「………はい」
     気が付けば。自然と、村雨は目の前の同僚からの問いかけを肯定していた。
     そう、良いことがあった。恋人が迎えに来てくれる(彼が既に出発していることなど、勿論お見通しである)。いつもの車で。多分、雨が止んだな、と。少しだけ決まり悪げな顔をして。けれど、村雨を見て微笑んで。
     その、まさに今の空のような笑い方が好きなんです、と。そんなことまで、言葉にするつもりは無いけれど。
    「ありましたね……良いこと」
    「そうですか」
     良かったですね。
     続けられた言葉に頷いて。書きかけだった書類に、目を落とす。これを仕上げたら、職場を出ようと思う。
     きっと、そこに彼は居るはずだ。
     
     
     ***
     
    「………止んだし」
     村雨の勤務先の病院の駐車場に車を停め、外に出た獅子神は溜め息を吐いた。
     雨が、止んでいる。むしろ、容赦なく晴れている。
     九月に入ったとは言え……今日は、暑い。とても暑い。雨が降った影響で温度が下がるどころか、湿気ばかり増している。
     それでも、まぁ、せっかく来たんだし。
     そんな想いで、歩き出す。病院の前で待てば、それほど待たずして村雨が出てくるだろう。
     ふと、空を見る。日光は、太陽を直接見なくとも、目に刺さるほどで。眩しい、という言葉だけでは足りなくて。
     昼飯どうしようかな、と。ふと浮かんだ取り留めない思考に文字通り水を刺す勢いで……空から水が、降った。
    「……っは!?」
     さぁ……っと。晴れた空を駆け抜ける、細かい雨。晴れた空の下、雨粒がきらきらと輝いてさえ見える。
     先ほどの、大雨の残滓か。或いは、気まぐれに狐が嫁入ったのか。晴れた空はそのままに、雨が降る。
     情け容赦なく、獅子神の服を、髪を濡らす。ポタポタと、髪の毛から水が落ちる感触。
     ああ、と。
     無意識に漏れた声は、自分でもどういう感情かわからなかった。
    「………あなた」
    「!?」
     不意に、背後から声がする。同時、全身を濡らしていた雨が止む。視線を上げれば、空を隠すような黒い傘。
     それを持つのが誰なのか。振り向かないでも、わかっていた。
    「何をしている?」
    「オメーを迎えに来たんだよ!」
     振り返り。金縁眼鏡の奥の、暗赤色の瞳に向けてそう告げた。
    「………見る限り、迎えが必要なのは、寧ろあなたの方だが」
    「ほんとにな。なんで、晴れてるのに降るんだよ……」
    「気まぐれな狐が、急遽嫁入りでもしたんだろう」
    「急すぎるだろ」
     軽口を叩きながら、乱暴に顔を拭う。村雨が差し掛けてくる傘を自然な動作で奪い取り、二人で入るようにする。そのまま一つの傘で並んだまま、停めた車へ足を向ける。
    「お前、傘持ってたんだな」
    「置き傘は備えとして常備してある」
    「あー……なら、これからは雨でも迎えは要らねぇか」
    「そうは言っていない」
     なら、どうなんだよ、と。言いかけた言葉が途中で止まる。傘の外に視線をやるようにすれば、村雨も隣で従う気配。
    「あー………止んだな」
    「そうだな」
    「お?」
     腕を上げ。恋人の肩越しに、彼方の空を指す。都会のビルに挟まれた、狭い青。
    「見ろよ、村雨」
    「………」
     振り向いた村雨の目が、ほんの少し見開かれる。それに、気分が良くなったのが自分でも分かる。
    「虹」
     光の柱。七色。何色、だったかはいまいち覚えてないけれど。
    「外側から、赤・橙・黃・緑・青・藍 ・紫」
    「……教えてくれてありがとよ」
     相変わらず、思考は読まれていた。
     そういえば、根元に宝物が埋まってるんだっけ? と、昔誰かに聴いことを思い出す。
    「探しに行くか?」
    「行かねーよ」
     何を、とは言われなくても分かったので、即答する。そもそも、虹は追いかけても近付けないのではなかったか。
     それに、探さなくとも……
    「オメーが……」
    「私が居る。からな」
    「!!」
     先越され、言葉を無くす。代わりに言えることは、流石にすぐには浮かばない。
     だから、数瞬、口をパクパクさせて。減らない口を塞いでやろうと、ほんの少し身を屈め……己の唇に触れたひんやりとした感触に、また言葉を失った。
    「………」
    「………」
    「………そう、いつもいつも……先を越すことを、許す私ではない」
    「……お、おま、お前、ここ……職場の前……」
    「あなたがそれを言うか?」
     呆れた医師が、助手席のドアに手をかける。慌ててロックを解除してやれば、そのまま当たり前のように乗り込んで。
    「帰るぞ。私は早く休みたい」
    「お、おう……?」
    「昼食は軽く素麺などを所望したい。あなたに茹でてもらうことになるが……」
    「お、おう。任せろ」
    「夕飯はステーキだ。あなたが用意している赤身肉がいい」
    「あ、ああ」
    「可能ならマッサージも頼みたい。どうも眼精疲労と肩凝りが激しくていかん」
    「お疲れだな」
    「あと……」
    「あとなんだ?」
     睨め付けるように視線をやれば。ふっと、いつも結ばれている唇が柔らかく綻んだ。
    「迎えに来てくれて、ありがとう」
    「!!」
     思わぬ言葉と、思わぬ表情に、三度、言葉を失って……けれど今度は、それほど復活に時間は必要としなかった。
    「おう。任せろ」
     
     そう、言って微笑んだ獅子神の顔は。
     村雨が先ほど思い浮かべた、青空のような笑い方だった。
     ……獅子神だけが、それを知らない。


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