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    雨音@ししさめ

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    雨音@ししさめ

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    2023.11.28。ふぉろわさんの誕生日に捧げました

    ##花言葉

    Azalea 行かないで。
     その、五文字が、意味を持ったことは無かった。
     雷が轟く深夜も、熱が出て息苦しい夕暮れ時も、見てほしくて堪らなかった発表会の朝も……ドアを開ける『その人』は、振り返ることなく家を出た。
     まるで、何も聞こえていないように。
     誰も、存在していないかのように。
     だから、いつからか、それを言葉にするのをやめた。
     他にも……「いってらっしゃい」も「おかえり」も「ありがとう」も「大好き」も。
     全てを、言葉にするのをやめて。大人になるまで、こうして汚れた部屋の隅で、膝を抱えているしか無いと思った。
     だから………だけど。
     
     ***
     
    「……ん」
     小さく呻き、獅子神は目を覚ました。目を擦り、小さく欠伸。
     家事を一通り終わらせてから、デザートでも作るか、と思ったところまでは記憶にある。
     ただ、そう。リビングに入ると、ソファが初夏の日差しに照らされて。真っ白なクッションがツヤツヤして見えて。
     とても、暖かそうで。気持ち良さそうで。
     ちょっとだけ……と横になったら、そのまま眠ってしまったようだ。
     視線を上げれば、眠る前は麗らかな日差しを投げかけていた窓から、今はオレンジに染まる空が見えた。
     何処からか、カラスの声が聴こえる気がする。
    「やべ……寝過ぎだろ」
     どう見ても、完全に夕方だ。
     恋人が帰るまでには、もう少し時間はあるだろうが(医者の彼は、日付が変わるまで帰らないことも珍しくない)、早く準備をしておきたかった。
     己の仕事は……この際、仕方ない。目を瞑ることにする。
    「早くしねーと」
     口ではそう言いながら、顔をぼすっとクッションに押し付ける。
     眠る前の染み入るような温かさはないが、洗濯され清潔なクッションカバーは、気持ちがいい。
     ………清潔に保たれている空間がこんなに気持ち良いなんて、大人になるまでは知らなかった。
    「……… よし」
     先ほど見ていた、夢のせいか。余計なことを考えそうになるのを振り払う。起きるか! と、体を持ち上げて、床に……汚れの一切ない、塵の一つない床に足をつけ。
    「……は?」
     ダイニングの食卓からこちらを見る、眼鏡越しの濃赤の視線と、目が合った。
    「ああ。起きたのか」
    「て。オメー、なんっっでいるんだ!?」
    「私の家だからだが」
    「オレとオメーのな!! て、そーじゃねぇだろ!!」
     多忙な勤務医様は、今はまさに仕事中の筈だ。
     こんな時間に家に居るなど、白昼夢以外にありえない。
    「仕事は? 具合でも悪くなったか?」
    「いや」
     ふるり、と、首が横に振られる。
     パチパチと目が瞬かれ、細い指先がその薄い唇に当てられる。
     しばし、何かを考えるような、間。
    「今日は、早めに仕事を片付けて帰宅した」
    「……は?」
    「私が、そうしたいと思ったからだ」
    「……なんで?」
    「あなたが」
    「オレが……?」
     続いた言葉を。たぶん、自分は生涯忘れないと、獅子神は思った。
     
    「あなたが、今朝……私に『行かないで』と、言っている気がした」
     
    「!?」
     カッと、顔が熱くなる。
     そう、確かに。今日、彼を見送る一瞬、そう思った自分が居た。
     いってらっしゃい、のキスの時。意外と柔らかな唇の感触を、味わっていたその数秒。
     何か深い理由があったわけではない。ただ、今日は良い天気だとか、一緒に何処か出かけられねぇかな、とか。最近、恋人の帰りがいつも遅くてあんまり一緒に居られねぇな、とか。そんな、取り止めない……一つ一つは取るに足らないような、そんな「理由」。
     けれど恋人は、きっとそこまで読み取っていて。その上で、「自分がそうしたいから」、早く帰ってきたと言うのだ。
     恋人が。
     あの、村雨礼二が。
    「あー…………そう、か。あー……」
    「言いたいことがあるなら言うといい」
    「いや、あ……ん。おかえり」
    「ただいま」
     言葉と共に軽く持ち上がられる口端に、目を眇める。
     そう。いつからか、オレの前でだけ、こんな風に柔らかく笑ってくれるようになっていた。
    「夕飯、食うか? まだ早ぇか?」
    「ああ、そうだ、な……」
    「ん? どした?」
     不自然に切れた言葉に訝しみ、視線を辿る。
     村雨が見ていたのは、窓の方。
     窓辺の棚に置かれた、鉢植え。そこに咲く、ツツジにも似た、八重咲の、濃いピンクの花。
    「あ、咲いたのか」
     いつだったか、村雨が抱えて帰ってきた鉢植え。
     恋人になる前からある、ガザニアとアングレカムの鉢植えと並べられている。
    「そのようだな」
    「これ、何の花だ? ツツジ?」
    「アザレア……西洋ツツジとも呼ぶので、あまり外れてはいないが」
    「ふーん?」
     近くまで歩き、花を見る。
     数年前。村雨から押し付けられたガザニアが初めて咲いた時も、確か、こうして二人で見ていた。
     あの時から関係性を変えて、けれど変わらずに共にきた道を思う。
     その……ひどく、満たされた日々を。
    「ん? どーした?」
    「……いや」
     声をかければ、恋人は軽く首を振った。
     その唇が、何処か満足げな笑みを湛えていたように見えたのは……決して、見間違いでは無かったと思う。
    「腹が減った。夕食を所望する」
    「はいはい、仰せのままに」
    「デザートはプリンが良い」
    「今からだと、固まる時間が足りねーよ」
    「……待とう」
    「マジで!?」
     笑って、硬い黒髪に触れて。
     どちらからともなく、キスをして。
     愛してる。耳元に囁く言葉は、恋人に届くことを……もう、ちゃんと、知っていた。
     
     ****
    アザレア(azalea)
    花言葉は「愛で満たされる」


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