「君が自分から病院に来るなんて珍しいですね」
「寂雷がそろそろ僕に会いたい頃かなって思って」
「病院は、用がない人が来る場所ではないのですが……」
PCに映し出されたカルテに視線を向けたまま、どうせ冷やかしだろうと言わんばかりに投げやりに言う寂雷に、これで本当に体調が悪かったらどうするんだと言ってやりたくなる。
一時期はあれほど病院に来いとしつこかったくせに、最近のこいつはなんだかおかしい。診察の後、どうでもいい世間話をする時間がなくなって必要なことだけを済ませてすぐ診察を切り上げるようになったし、以前は時間が合えば一緒に病院の食堂でご飯を食べたり、売店をうろついたりしていたのにそれもなくなった。一週間に一度ほどの頻度で来ていたLINEだって、もうしばらく来ていない。
「なんで用がないって決めつけるの? 乱数ちゃん悲しい〜」
「では、どこが悪いんですか?」
「強いて言うなら、性格かなあ」
「……それは私の専門ではないので、紹介状を書いておきますね。お大事に」
「は? ここはそんなことないって言うとこなんだけど」
椅子のキャスターを転がして寂雷に近づき、寂雷の座っている椅子を軽く蹴る。寂雷は、こちらをちらりと見てため息をついたと思えば、またすぐに画面に視線を戻した。
「性格が悪いのは僕じゃなくてお前だろ」
僕に対して思っていることがあるのは確かなのに、なにも伝えずに急に態度を変えるのだからたちが悪い。神宮寺寂雷という男は、あの頃からずっと陰気で肝心なことは黙っているばかりで嫌になってしまう。
ファイナルバトルで言葉をぶつけ合い、最後に久しぶりにあいつの手を握ったとき、チームを組んでいた頃でさえうまく伝えられなかったお互いの気持ちがほんの少しわかったような気がした。
すべてが終わった今になって思えば、きっと俺も寂雷も、あと少し自分の思いをちゃんと伝えようとして、あと少し正面から相手に向き合えば済んだことのはずだったのに、それができなくて小さな綻びはどんどん大きくなっていってしまったのだろう。
偽りの関係だったとはいえ、寂雷と過ごした時間を楽しいと感じていたのは本当の気持ちだったということを、ようやく認められるようになった。――そして、嘘偽りなく互いのことを友達と呼べるようになったことが、悔しいけれど嬉しかったのだ。
だから、寂雷の病院に通うようになったし、食事に誘われればそれに応じた。相変わらず寂雷は嫌味っぽくて憎たらしかったけれど、以前と違い取り繕わずに一緒にいる時間は悪くなかった。
それなのに、どうしてこいつは突然こんな態度をとるのだろう。
「なにに怒ってるのか知らないけどさ、なんか言いたいことあるなら言えばいいじゃん。感じ悪」
「……怒っているわけでは」
「怒ってるわけじゃないならなに?」
露骨に声色に苛つきを滲ませると、寂雷とようやくちゃんと目が合った。けれど、瞳が困ったように揺れている。怒りや憎しみをぶつけられたことこそあっても、この男がこんなに弱々しい視線を向けてくるのは初めてで戸惑う。
「私は……」
言葉を詰まらせる寂雷の次の言葉を待ってみても、その先に続く音は出てこなかった。
「まあいいや、帰るね。次はちゃんといつもの診察で来るから」
これ以上粘っても埒が明かないと判断し、席を立つ。寂雷が慌てて席を立ち追いかけてきて、扉を背にして向き合う形になる。こんなに大きな男に壁際に追い詰められると、すっかり自分の上に影ができてしまって強い圧迫感を覚える。こうして追いかけてきてもなお、寂雷はなにを言うか迷っているようだった。
寂雷は押し黙ったままで、静まり返った室内にドアの向こう側の廊下の物音や話し声がうっすらと響く。
このままこいつを置いて帰ってしまったっていい。でも、それではなにも解決しないのではないだろうか。静かな診察室内で、言葉を発しようと吸った自分の息の音が鮮明に聞こえた。
「……せっかく友達に戻ったのに、急にそんな態度取られると、傷つく」
出した声が、思っていたよりもずっと弱々しくて驚いた。今までならこんなことは絶対に言わなかったけれど、今の自分は自分の気持ちを言葉にする術を知っているし、何より言葉にして伝えることの意味を知っている。
寂雷は驚いて目を見開いた後、数回まばたきをし、焦ったように瞳を動かした。
「……飴村くん」
「なに」
「傷つけてしまって、すみません。ちゃんと話すので、聞いてくれますか」
席に戻るよう促され、再び座って寂雷と対面する。迷うように目を伏せていた寂雷が、決意したように僕と目を合わせた。思えば、寂雷とこんなにちゃんと話そうとするのは初めてかもしれない。
「最近、君とまた一緒に過ごすようになって、……私は自分のことが少し嫌いになりました。君といると、普段できていることもできなくなってしまうし、後悔してばかりだ」
「それは、僕ともう会いたくないって意味?」
「いいえ。飴村くんのことは大切な友人だと思っているのに、君を前にするとなぜか思うように振る舞えなくて、私はこんなに未熟な人間だったのかと思います。こんな状態では申し訳ないので、ちゃんとこの問題を解決してからいつものように君と関わることができればと思っていたのですが……」
寂雷はまるで世界平和を実現するにはどうしたらいいか考えているかのように難しい顔をして、難しい言い回しをしているが、 一度噛み砕いてしまえば簡単な話で、そして僕はその問題の解決方法を知っている。
「それはさあ、好……きなんだろ、僕のこと」
あまりにも言ったことがない言葉すぎて、つっかえる。ダサい。けれど、元はと言えば寂雷が悪いのだから仕方がない。
「私が、君のことを?」
寂雷は大真面目な顔で驚いていて、予想できていた反応ではあるのだが、なんだか失礼だ。
「……お前が、僕と同じならね」
言っていて居心地が悪くなり、つい唇を尖らせる。寂雷といると、不必要に苛つくし、過剰に憎まれ口を叩いてしまうし、オネーさんたちと遊んでいる時のようにかわいくいられない。寂雷と同じような問題を、寂雷よりも少し前に僕も抱えていて、寂雷よりも少し前に答えにたどり着いていたから、今の寂雷の気持ちはよくわかる。
もちろん、寂雷のことが好きだなんておかしな話だと思うし心底悔しくて恥ずかしい。だが、寂雷といる時だけおかしい、というようなことを幻太郎と帝統にぼやき、それって好きなんじゃないですか、と言われた時、妙にしっくりきてしまったのだ。
「同じ、というのは」
せっかく先に結論に辿り着いていた僕がありがたい答えを教えてあげたのに、寂雷は相変わらず真剣な顔で考え込んでいる。
「だから、お前は僕が好きで、僕もお前が好きだって言ってるの。わかった?」
椅子から立ち上がり、座っている寂雷に詰め寄る。寂雷は目を丸くしたままなにも言わなかったけれど、こちらをまっすぐに見つめる視線の熱さが、僕の出した答えが間違いではないことを物語っている。そのまま顔を近づけると、寂雷が焦ったように手のひらで僕の顔を遮った。
「ちょっと、待って」
「なんで? 待たないけど」
寂雷の手首を掴み、再び顔が見えるようにする。やろうと思えば僕のことなんて簡単に捩じ伏せられるはずだが、寂雷はそうせず、僕が抑えられる程度の力でわずかに抵抗してみせるばかりだった。
「いい加減、覚悟決めろよ」
そう言って手首を握る手に力を込めさらに顔を近づけると、寂雷の腕の力が抜けた。唇がふれる直前に、寂雷が目を閉じ、僕に合わせて顔を上げるのがわかる。
一瞬触れるだけのキスをして、唇を離したあと、お互いがひどく緊張して体がこわばっていたのがわかり顔を見合わせて笑ってしまった。