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    ラスボス戦後からペアエンドの間のレオクロ

    #レオクロ

    ぼくから失われたすべてのうつくしいもの 翻る裾の汚れた白衣が、飛び立つ鳥を思わせた。視界の端では陽光を受けてさんざめく輝く水面が揺れている。頭上を鴎に似た鳥が横切っていった。一目散に駆けて行く小さな背中が眩しくて、クロードは目を細めた。両親に抱き締められ、緊張の糸が切れたらしい泣きじゃくる子供は普段の言動が嘘のように年相応に愛らしく見える。

    「良かったな」

     心の声が漏れ出たのかと思い、クロードは反射的に口元を手の平で覆った。次いで、横に並び立つ男に視線を向けると、鳶色の視線に搗ち合う。そこでは青空を背にしたボーマンが、柔らかな目尻を更に下げて笑っていた。

    「……ええ。本当に」

     同意すると、クロードは再び両親との再会を喜ぶレオンへと目を遣った。猫に似たフェルプール独特の耳は緩やかに傾いている。

    「大丈夫か?」
    「名残りは尽きないけど、別れを惜しんてばかりもいられませんから」

     寧ろ、これ以上一緒にいたら辛くなるのはクロードの方だ。既に目の奥が熱い。早くこの場を離れたい、とクロードは思った。そこに、ボーマンから沈黙と苦虫を噛み潰したような渋面が返される。何か変なことを口走っただろうか、と小首を傾げながらクロードはボーマンの隣に立つアシュトンを見つめた。アシュトンもまた、ボーマンによく似た苦い笑みを浮かべている。

    「ボーマンさんが言ったのは、君が大丈夫か、ってことだよ。その分だと大丈夫そうだけど」

     アシュトンの隣でボーマンが小さく顎を引いた。

    「親父さんのこととか、色々な。心配になっちまうんだよこっちは」
    「あ」

     得心がいくと、思わず吐息が溢れた。それから、陽の光の下、潮風に髪を弄ばれながら抱き合う親子へと視線を戻す。
     ずっと、この光景を見たいと思っていた。浜辺で泣きじゃくる子供が、それでも立ち上がり直向きに前を向いて両親の許に辿り着こうとする姿を、ずっと傍で見ていた。クロードの欲しかった、けれど永遠に喪われた美しいものを子供が取り戻すことを、ずっと望んでいた。

    「……ぼくは、大丈夫」

     胸は痛む。その痛みが、子供への羨望からくるものなのか、もう子供を傍で見守る理由がない寂しさからくるのもなのか、それは判らない。

    「レオンが両親と再会する姿を見届けられた。それで充分です」

     嘘はない。悔いはない。心の底からそう思っていた。
     両親を失い、クロードまで去ってしまったら、一人ぼっちだと、夜の浜辺でさざ波の合間に寂しくこぼしたレオンの横顔を思い出す。母親に頭を撫でられながらしゃくり上げる子供の円みを帯びた頬は紅潮し、あの夜の陰りは完全に消え去っているように見えた。





     波がうねり、船体が大きく揺れる。欄干に頬杖を突いて、水平線を眺めるクロードの視界が僅かに傾いた。船の移動は久しぶりだ。エナジーネーデでは空の移動ばかりだった。クロードたちを乗せてネーデの空を翔んでくれたサイナードも、星と共に消滅した事実を遅れ馳せながら実感し、何とも言えない気持ちになる。
     野生の最後の一体だった。子供もいた。けれどそれら全ては滅びる星に呑まれて絶えてしまった。種が滅びることも運命だと言っていたノエルは、今何を考えているのだろう。クロードは思った。
     遠ざかるラクール大陸にぼんやりと焦点を合わせたままサイナードのことを考えていると、クロードへと近付いてくる足音を耳が拾う。

    「やぁ、クロード」

     肩越しに振り返る。双龍を背負った青年がそこには立っていた。アシュトンだ。

    「どうしたの。こんなところに一人で」
    「いや、サイナードのことを考えててさ」

     あとはノエルさん。付け加えると、アシュトンは形の良い眉毛を八の字にして、困ったように笑った。

    「僕はてっきり、レオンのことでも考えてるのかと思ったよ」
    「どうして今、レオンの名前が出てくるんだよ」

     考えないようにしていたのに。喉元まで出掛けた言葉を飲み込む。

    「だってクロード、ボーマンさんにあの場を任せてお別れも言わずに船に乗っちゃっただろ」
    「船の時間が迫ってたし、親子の涙の再会に水を差したくなかったんだよ」
    「どうだか。面と向かってレオンとお別れするのが辛かったんじゃないの」

     図星だ。

    「そんなんじゃないって。レナだって早くアーリアに帰してあげたかったし」
    「いいよ、無理しなくて。あれだけ懐いてくれてたんだもの。クロードも可愛くて仕方がなかっただろ」
    「だーかーらー、そんなんじゃないってば!」

     クロードを肘で突付くアシュトンの生ぬるい笑顔が腹立たしい。からかうように、背中の赤龍までクロードの髪を啄んでくる。

    「……他に誰もいなかっただけだよ。エナジーストーンを奪われて海に落ちたあのとき、一人ぼっちのレオンを最初に見付けたのが、たまたまぼくだった」

     それだけだ。わかっている。念を押す。すると、可愛くて仕方がないのは否定しないくせに、と欄干に背中を預けてクロードの隣に並び立ちながらアシュトンが言った。言葉に詰まり、クロードはアシュトンから視線を外す。水平線に浮かぶラクール大陸はもう随分と小さくなってしまった。

    「わかるんだよ。ぼくもそうだった。エクスペルに来たばかりの頃、右も左も判らないぼくにとってレナの存在はとても大きかった」
    「だからといって、お別れもしないのはどうかと思うけどなぁ。今頃、ものすごーく怒ってるんじゃない?」
    「……大丈夫さ。大好きなママとパパと、やっとまた会えたんだ。ぼくのことなんて、すぐに忘れるよ」

     そう言って、クロードは目を伏せた。言葉にしたら、辛さが増した。青い空も青い海も、今はもう傍にいない子供を想起させていけない。
     クロードの身勝手な感傷を知ってか知らずか、此れ見よがしに隣のアシュトンが大きな溜め息を一つこぼした。





     細くしなやかな指先に収まった宝石のようなグラスが傾く。淡く色付いた唇の向こうにアルコールが流し込まれていく様子を肴に、クロードも炭酸水を啜った。就寝前なので、色も甘みもない本当に無色透明無味無臭の素っ気ない炭酸水が、口の中で弾けて存在を主張する。窓の外の夜の海は静かだ。停泊した船舶が岩のように沈黙し、控えめな波の音がクロードの鼓膜を揺らす。
     ハーリーに着いた頃には日も傾き、夜の気配がすぐそこにまで迫っていた。先を急ぐ旅でもない。宿を取り、夜が明けてから発つことになった。旅の終わりが近付くにつれて、別れの予感が比重を増していく。皆、口には出さないが寂しいのだろうな、とクロードは思った。だから、どうしても歩みは遅くなるし、寄り道も増える。この分だと明日はマーズで一泊することになるかも知れない。ノエルの住まいも見付けなくてはならないと話し合いもしていたことだし、丁度良い。

    「もっと言ってやって下さいな、アシュトン」

     思考の淵に沈みながら、窓の外を眺めていたクロードの意識を軽やかな女の声が引き戻した。グラスを空にしたセリーヌが眉根を寄せてクロードを見つめている。胡乱な緋色の視線に射抜かれて、クロードは助けるを求めるように隣に座るアシュトンの方を見た。

    「昼間のクロードってば酷いやつだよね、って話の続きだよ」
    「……まだその話、引き摺るのかよ」

     もういいだろ。勘弁してくれ。こめかみを抑えながらクロードは俯いて言った。

    「何も良いことなどありませんわ。レオンが可哀想だとは思わなくて?」
    「いや、まぁ……でも、もう過ぎたことをどうこう言い続けるのも不毛だしさ。ウェルチだって、ほら。いつの間にかいなくなってたじゃないか」

     空から現われたツインテールの少女の名前を上げる。だが、あまり効果はないようだった。

    「今話しているのはあなたのレオンに対する態度のことですのよ。過ぎたことかどうかを決めるのはクロードではないでしょう。それは加害者の言い分ですわ」
    「僕ら第三者でもないけどね」
    「もう!アシュトン、あなたどちらの味方なの?」

     目くじらをたてるセリーヌに曖昧な笑みを返すと、アシュトンはクロードを見下ろして肩を竦める。苦笑で以て返しながら、クロードはテーブルの上で照明を受けて輝く口紅の残るグラスに真っ赤なフルボディを注いだ。少し頭を冷やすことにしたのか、セリーヌは物言いたげな唇をグラスに押し当てて黙り込む。

    「まぁ、クロードもだけどレナもそういうとこあるよね」
    「わたし?」

     それまで黙ってやり取りを聞いていたレナが、ハーブティーの入ったマグカップをテーブルに置きながら疑問符を飛ばした。クロードから逸れた矛先が急に向いた為か、黒目がちの大きな瞳を更に大きく見開いてアシュトンを見つめ返す。

    「セリーヌに聞いたことがあるよ。マーズ村で大活躍だったのに、挨拶もろくにしないでさっさと出てっちゃおうとしたって」
    「そ、それは……あのときはセリーヌさんも大変だったし、部外者がいつまでも居座って親子水入らずに水を差したくなかったのよ」
    「それを水くさい、と申しておりますのよ。わたくしが急いで追い掛けなければあなたたち、あのまま行ってしまっていたでしょう?」

     目の前で繰り広げられる三人のやり取りを眺めながら、水がゲシュタルト崩壊してるな、とクロードは思った。口の中で炭酸水を転がす。幸い、三人はレオンに対するクロードの仕打ちから思い出話に花を咲かせる方に興味が移っているようだった。このまま傍観者に徹し、嵐が過ぎるのを待とう。集中が途切れることのないよう、三人のグラスやカップの中身が空になる度にクロードは細やかに飲み物を継ぎ足した。

    「ぼく、お湯を沸かして来ますね」
    「あ……すみません。ありがとうございます」

     クロードの意図を汲んだらしいノエルが、ケトルを手に立ち上がる。この場にいるのはエクスペル人とエクスペル育ちのネーディアンであるレナだけだ。話題について行けないのは仕方がない。それでも、自分のことに、手一杯で置き去りにされたノエルにまで気が回らなかったことをクロードは申し訳なく思った。

    「気にしないでください。みんなの話を聞いているだけでも、ぼくはとても楽しいです」

     後ろ暗さの滲むクロードの不明瞭な応答に、ノエルは快活な笑顔を返してくれた。

    「自分がされそうになって悲しかったことを、クロードさんがレオンにしてしまった。だから、セリーヌさんはあんなに怒ってるんですね」
    「それ、解ったところで楽しいんですか?」
    「動物にはない人間の心理ですね。共感性というものは」
    「……楽しいんですね」

     今一つ真意の汲みにくいネーデ人から目を逸らし、歓談する三人の方へと視線を向ける。いつの間にか当たり前になっていた光景は、けれどいつの間にか少し寂しくなっていた。そして、そう遠くない未来、この当たり前は終わる。当たり前の終わりに、手始めにレオンの手を放すことになった。それだけだ。
     「エクスペルに残る僕や皆さんとは、レオンがその気になればまたいくらでも会えるでしょう」ノエルはまだそこにいた。「けれどクロードさん、あなたは違う」
     その通りだ。クロードは笑う。地球に帰ってしまえば、それで終わりだ。レオンにも会うことはない。レオンがその気になっても、決して会えない。

    「エクスペルを発つ前に、一度レオンに会った方が良いと思いますよ。あの子の為にも、あなたの為にも……昨日まで元気だった友人が、明日も元気であるとは限りませんから。遠く、星を隔てて離れてしまっては尚のこと」
    「……そうですね。アーリアにレナを送り届けたら、考えてみます」

     曖昧に濁す。けれど帰る故郷を失くし、家を、友人を喪い、ただ独り異邦の星に降り立ち生きていかなければならない彼の言葉を聞き流すことはしたくなかった。同時に、地球で周囲に合わせて不誠実に愛想を振り撒き嘘で塗り固めた学生時代を思い出す。最悪だ。最悪で反吐が出る。クロードは笑った。





     外に出ると、潮の香りが一層強くなった。エクスペルでもこの巨大な水たまりは海と呼ばれ周囲に微生物の死を強く帯びたにおいが漂う事実は、今でもクロードを不思議な気持ちにさせる。夜の港町は未だ活気に溢れ、そこかしこから店の灯りが漏れ出ていた。頭の中を整理しようと外に出た筈が、これでは気が散って仕方がない。クロードの足は自然と人の気配の疎らな方へと向いた。
     喧騒から遠ざかるように足を運んでいると、やがて静かな夜の海の横たわる波止場に辿り着く。月に似た衛星の隠れる夜は、瞬く星々がよく見える。静かに凪いだ海の沈黙を破るように、船着き場に今日の最後の定期船が着港した。海面が仄青く幻想的に波を打つ。外部刺激で発光するプランクトンでも群生しているのかも知れないな、と波止場に腰掛けながらクロードは思った。
     穏やかな波の音に耳を傾ける。思い出すのはエル大陸で打ち上げられた浜辺や、ラクアで過ごした最後の夜だ。夜の海は、どうしたってレオンを思い起こさせる。今も、隣にあの子供がいないことが不思議でならない。未練が募る。それでも後悔がないのは、最後に目に焼き付けたレオンの姿がクロードの望みそのものだったからだ。
     寂しい感情を置き去りに、理性だけが満ち足りている。だからつらい。つらくて仕方がない。
     情けなさに、引き攣るような笑いが溢れた。こんなことならこっそりアルコールでも持ち出せば良かった。一線を超えることも出来ない中途半端な理性が恨めしくなって、それがおかしくてクロードは笑った。周りには誰もいない。クロード一人だ。だから、声を出して笑った。笑い過ぎて涙が出た。
     やがて、クロードは静かに冷たい石畳の上に上体を横たえた。エクスペルの夜空に散りばめられた星に、いつも目を奪われる。手を伸ばせば掴めそうだなこの小さな光のいくつが、既にもう宇宙には存在しない星の光なのだろう。昔そんな歌を聞いた気がする。クロードは思った。
     不特定多数の死んだ星の光を眺めながら、微生物の死骸を分解する湿った空気で肺を満たす。静謐に包まれた海辺はクロードの他に動くものもない。鼓膜を揺らす控え目な波の音だけが、確かな時の流れを教えてくれた。生き物の気配は遠く、辺りは無数の死で埋め尽くされている。全ての命が絶えてしまったかのような静寂に身を横たえていると、クロード自身の輪郭も融けて死の底に埋没していくかのようだった。
     目を閉じて外界を遮ってしまえば、鼓膜の裏側に蘇るのはクロードを呼ぶ変声期前の幼さが残る声だ。お兄ちゃん。そう呼ばれていた記憶の中、ただ純粋にクロードを慕う小さな子供の、零れそうに大きな瞳に映る自分はいつも笑っていたように思う。だからいい。あの子供に抱いた羨望も同族意識も庇護欲も綯い交ぜになったこの醜い本性を連れてこの星を去る。それでいい。
     微睡みにも似た倦怠感を覚える。このまま眠っても良いかも知れない。宿には夜明け前に戻れは良い。クロードは意識を手放すことにした。

    「お兄ちゃん」

     さざ波の囁きを縫って、クロードを呼ぶ子供の声が聞こえる。幻聴だ。酒が入っているわけでもないのに、いよいよ重症だ。早く地球に帰ろう。クロードはうっすらと目蓋を押し上げながら思った。

    「お兄ちゃん」

     また聞こえた。今度は更に強く、はっきりと聞こえた。駄目だ。これは重症を通り越して末期だ。自覚しているより疲れていたのかも知れない。こんなところで感傷に浸ってないで、宿に戻ってきちんとした寝床で然るべき睡眠を得よう。急に頭が冷え始めたクロードは、のろのろと上体を起こした。

    「お兄ちゃん!」

     円みを帯びた輪郭が、仄青く浮かび上がる。夜目にも判るほどに頬を紅潮させ、肩で息をする子供の姿が起き上がったそこにあった。幻聴だけでは飽き足らず、幻覚まで見え始めた。自分で自分がこわい。別れる前にボーマンに薬でも出して貰えば良かった。クロードは頭を抱えて唸った。眉尻を下げた子供は、今にも泣き出しそうな目で見つめてくる。憐れみに彩られた子供の幻は、クロードの罪の意識が見せているのかも知れない。馬鹿馬鹿しい。別れも告げず利己的な理由で幼い心を傷付けてでも、逃げることを選んで子供を置き去りにしたのはクロードだ。だのに、こうして責められて楽になりたいだけの、都合の良い幻覚を見ている。クロードは心底自分にうんざりした。
     クロードが緩やかな自己嫌悪に頭を痛めている間にも、波止場を弾むように駆ける子供の足は止まらない。いつも思っていた。サイズの合わない白衣でこんなふうに走ったら、裾を踏んで転んでしまう。幻だと解っていても、受け止める為の腕が伸びた。腕の中に、吸い寄せられるように子供が飛び込んで来る。中途半端に起こしただけの上体は平衡感覚を失くし、無様に倒れ込んだクロードは強かに石畳に後頭部打ち付けた。激痛が走る。だが、痛みなどどうでも良かった。

    「……レオン?」

     腕の中を恐る恐る覗き込みながら、クロードは子供の名前を口にした。幻であるなら、存在する筈のない感触と質量、そして体温が腕の中にある。レオンだ。幻覚ではない。本当にレオンがいる。痛みで散りそうになる理性を掻き集めて認識した事実にクロードは困惑した。

    「ひどいよ、お兄ちゃん」

     レオンが言った。馬乗りになった子供の、濡れた瞳からこぼれた大粒の涙が降り注ぐ。仄青く光る海を宿した涙は、どんな宝石よりもうつくしく、どんな星よりもかがやいて見えた。
     ひどい。ひどい。子供は繰り返した。手を伸ばして指先で涙を掬っても、次から次へと溢れ出てくる。ふくよかな頬を手のひらで包めば、子供の柔らかく確かな温もりを感じる。この何処よりも冷たい場所において、ただ一つの確かな息遣いをクロードは抱き締めた。お互いに言葉はなかった。腕の中に閉じ込めた子供は、小さく嗚咽をこぼし続けた。





     青白く光る夜の海を眺めるふりをしながら、隣に座る子供の様子を盗み見る。泣き腫らした目尻は夜目にも判る程に紅く染まり、クロードの罪の意識を刺激した。レオンは何も言わない。一頻り泣きじゃくり涙と鼻水でクロードの胸元をべたべたにしたきり、ずっと沈黙を守っている。一度だけ、何か飲み物でも買って来ようかと腰を浮かせかけたクロードのジャケットを掴み無言で制したが、それだけだ。

    「……何でいるんだよ」

     先にクロードが口を開いた。問題の先送りが不毛に思えたからだ。

    「ママとパパも一緒なのか?ラクール王への報告は?」

     ラクール王への報告はボーマンに任せてあるので心配はしていなかったが、何となく付け加えた。
     エナジーストーンを採取したときのことを思い出す。ボクがエクスペルを救ったんだ、と跳ねるようにはしゃぐレオンの姿は想像に難くない。両親との再会が済んだのなら、クロードの不義理に多少の腹立たしさを感じながらも王都を目指すと思っていた。だのに、レオンは今、クロードの隣で鼻を啜っている。

    「黙ってちゃ分からないだろ」

     溜め息と共に言葉を吐き出した。レオンは何も言わない。クロードと話したくないのかも知れない。クロードがレオンの方に向き直っても、仄青く燦めく水面に視線を落としたまま、顔を上げようともしない。

    「一度、宿に戻ろう。みんなもいるからさ」

     立ち上がるよう促すと、下ろしていた足をもぞもぞと引き上げたレオンは膝を抱え込んでしまった。お手上げだ。無理矢理立ち上がらせて抱えて行くことは簡単だが、ますます頑なになりそうだったのでやめた。
     悲しんで怒らせると解っていて置き去りにしたのに、いざこうしてその姿を突き付けられると、これ以上傷付けたくないと思ってしまう。身勝手な話だ。
     諦めて、クロードは待つことを決めた。自分の着ていたジャケットをレオンの肩にかけて、居住まいを正す。

    「……どうして、何も言わないで行っちゃったの」

     やがて、くぐもった幼い声がクロードを責めた。レオンから視線を外して、遠く水平線を眺めやる。真っ黒に塗り込められた暗闇に散りばめられた星しか見えない。空と海の境界も判らない。

    「船の時間に間に合わないかと思ったから」

     ぼんやりと、クロードは嘘をついた。
     いつかの二人きりの砂浜のときのように、大きな声で泣き喚いて、責め立ててくれたら良い。クロードは思った。けれど、レオンは何も言わなかった。ますます頑なに身体を縮こまらせて、すすり泣く声だけが夜の海に響く。困ったな、とクロードは頭を掻いた。

    「離れていても友達だ、って言ったろ」
    「うそ」

     すぐに返された明瞭な声に、はっとしながら視線を戻す。懐かしい故郷と同じ色をした澄んだ青い瞳が、星の光を宿して真っすぐにクロードを見ていた。強い感情を伴って揺れる涙の膜が張った双眸に射抜かれて、言葉を失う。

    「ボクが会いたくなったら、すぐに来てくれるって言ったのに。銀河の果てからだって、駆けつけるって言ってたのに」

     クロードは知っていた。大人にとっては軽い口約束に過ぎない言葉が、子供にとってどれほどの重みを持つのか、知っていた。

    「お兄ちゃんの、嘘つき」

     クロードは知っていた。約束を簡単に破る大人に傷付けられ、裏切られた子供の悲嘆を、知っていた。

    「“嘘をつくお兄ちゃんなんか、大嫌いだ”?」

     奇妙な既視感に駆られながら、クロードは先に続くだろうレオンの言葉を奪った。宇宙の闇に消えた星の試練で垣間見た懐かしい記憶の中で、幼いクロードが父に言い放ったものと同じ類いの言葉だった。
     たまらない。たまらなく、情けなくて惨めで、クロードは笑い出す。最悪だ。父よりもひどい。解っていて傷付けた。自分が傷付くことを恐れて先んじて逃げ出した。
     まるで不可解なものを見るかのような目で見上げてくるレオンの頭をクロードは撫でる。

    「かわいいな、レオンは」

     一瞬、毒気を抜かれたかのように目を見開いたレオンの頬が、みるみるうちに紅く染まった。言葉の意味に理解が追い付いたらしい。

    「ぼっ、ボクは今、お兄ちゃんに怒ってるんだからね!……それに、お兄ちゃんのことが嫌いじゃないから、こんなにつらくて悲しくて怒ってるんじゃないか」

     小さく消え入りそうな声は、確かにクロードの耳に届いた。この想いも知っている。クロードが父に伝えることは終ぞ叶うことのなかった思慕と憧憬の念だ。それを、この子供は口にすることが出来た。出来るようになった。喜ばしくも誇らしい一方で、一抹の寂しさと妬みにも似た感情が去来する。

    「どうしてレオンは、ぼくなんかのことそんなに好きになっちゃったんだろうな」
    「す、好きとか言ってないし!確かにボクは嫌いじゃないとは言ったけど、好きだとは言ってないからね。そこのところ勘違いしないでよね」

     頭に触れる手を振り払いながらレオンは言った。行き場をなくした手は、それでも未練がましく碧い髪を求めて指先に絡め取る。

    「……勘違いしてるのはレオンの方だよ」

     そして、勘違いをさせたのはクロードだ。

    「お前は不安だっただけなんだよな」
    「……なに、それ」
    「不安だったろ?ママもパパもいない、一人ぼっちの砂浜はさ。そこに、たまたま一緒に流れ着いたぼくがいた。それだけなんだよ。ぼくらの関係はそれだけ」

     海に似た色の、レオンの瞳が大きく揺れる。泣くかな、とクロードは思った。けれど、レオンは涙を流すことはなかった。

    「それだけの関係なら、どうしてボクを連れてったのさ。置いてけば良かったじゃないか。馬鹿な子供が自分の知らないとこで一人野垂れ死んだところで、それこそお兄ちゃんにとっては“それだけ”のことなんじゃないの」

     静かな、それでも強くはっきりとした声だった。レオンの髪を梳いていたクロードの手が止まる。

    「……決まってる。そんなの、ぼくが優越感に浸りたかっただけだ」

     指先からはらはらと髪がこぼれ落ちた。もう追い掛けることはしなかった。

    「優越感?お兄ちゃんが、誰に?」
    「お前に」
    「ボク?」
    「そう、お前」

     下ろした手のひらが、冷たい石畳に触れる。強く握り締めた拍子に、爪の先が少し削れて神経に触れた。

    「お兄ちゃんが、ボクにユーエツカンを感じる必要性なんてあるの?」
    「あるよ。だってぼくはずっと、お前のことが妬ましくて仕方なかった」

     レオンを直視していられなくなって、クロードは海へと視線を落とした。仄青くうつくしい光を放つことをやめた黒々しい油凪の海は、静かに重苦しく横たわっている。

    「レオンは知らないだろ。ぼくが地球で……故郷で、何て呼ばれて、どんな扱いを受けてたのか」
    「……知らないよ。だってお兄ちゃん、何も教えてくれないじゃないか」
    「そうだよ。だってお前には、絶対に知られたくなかったから」

     波の音すら聞えない夜の海に、自嘲混じりの掠れた声がいやに大きく響いた。

    「最初はさ、レオンのこと、同類だと思ったんだ。ぼくと同じ、大人に囲まれて意にそぐわない賛辞と陰口に晒されて、何処に行っても肩書きがついて回る望まない居場所を強いられた子供だ、ってね。でも、違った」

     まるで違った。同じ夜のうつくしい光でも、空にまたたく死を内包した煌きと、海に沈む命が反射した輝きとがまるで違うものであるように、レオンとクロードもまるで違った。

    「何て恥ずかしくて愚かな思い違いをしていたんだろうな」
    「……お兄ちゃんがボクに優しくしてくれてたのは、自分と似てると思ってたからなの?」

     問い掛ける声が震えている。クロードは眉根を寄せて何も映さない水面を睨め付けた。

    「きっかけは。いや、正確には半分は、かな」

     努めて平坦に、クロードは言葉を続けた。

    「言ったろ。優越感に浸ってたんだって……お前はさ、仕方なくレオン“博士”の肩書きを背負ってた訳じゃない。自分で選んで、自分の実力で、両親の期待に応えてた。すごいことだよ。ぼくとはまるで違う。同族だなんて、思い上がりも甚だしい」

     コールタールのようなどす黒い海は、地球の海にも似ている。進化と引き換えに犠牲になったうつくしいものの末路だ。けれど、似ているだけだ。うつくしいエクスペルという星は失われず、昼の明るさを取り戻せば眼前に広がる海は青く豊かに輝く。
     似ているという錯覚だけだ。何もかもが違う。

    「……そんなお前が、エル大陸の浜辺で年相応に泣きじゃくったときは、本当に胸がすく思いがしたよ」

     決してレオンにはクロードの優越感を理解することは出来ない。その確信があった。

    「寄る辺もなく、ただぼくに縋るしかない、自分よりも優れた存在の生殺与奪の権利を手にしたときの高揚」

     口角が上がる。口元が歪む。吐き捨てるようにクロードは言った。

    「ぼくはね、レオン。そういう男なんだ。お前の不安に付け込んで、依存するお前を傍に置いて、自分の劣等感を慰めるような、そういう男なんだよ」

     幻滅したら良い。失望したら良い。そうすればもう、追われることもない。離れていても友達だなんて幻想でごまかして、寂しさを埋める必要もない。敏い子供だ。いつかクロードの浅ましさにも、憧憬が刷り込みと依存でしかなかったことにも気付くだろう。そのいつかに怯える日々を遠く離れて過ごすなら、後腐れなく手を放して諦めてしまいたかった。

    「お兄ちゃん」

     水滴が水面を打つような、静かな声だった。

    「お兄ちゃん」

     言うべきことは言った。もう何もない。俯き、黙り込むクロードの手に、レオンの手が触れた。クロードより少し体温の高い、子供の温かさだった。

    「指、血が出てる」

     見ると、削れた爪先に確かに血が滲んでいた。笑ってしまいそうなほどの小さな痛みに、幼い手が寄り添っている。

    「やめてよ、こういうの。いくらボクが天才でも、レナお姉ちゃんみたいにケガは治せないんだからね」

     突き放すような言葉とは裏腹に、小さな手がクロードの指先を握り込んでくる。

    「……レオン、痛い」
    「痛くしてるんだよ」

     鼻を啜りながらレオンは言った。言葉とは裏腹に、クロードの手を握る力が和らいだ。代わりに、もう片方の手も添えたレオンの両手の平で包み込まれる。

    「ねぇ。何で?何で今、そういうこと言うの?」
    「……今しかないからだよ」
    「違うでしょ。そうやってやなことを言えば、ボクがお兄ちゃんにがっかりすると思ったんでしょ」
    「何も違わないさ。ぼくは、」

     言い終わる前に口を噤んだ。レオンがクロードの手を口元に運び、唇を寄せてきたからだ。

    「違うよ。ユーエツカンの為だけだったら、ボクみたいな面倒な子供を連れてったりしないよ」

     くぐもった声が不安に揺れている。
     違う。ぼくはお前が思うような「佳いお兄ちゃん」じゃない。違うんだ。都合の良い幻想を押し付けるな――きっと、それだけで良かった。強く、ただそれだけを言い放って、手を振り解いて立ち上がり、海を越えて追い縋って来た子供を置き去りに背を向けて歩き出すだけで良かった。けれど、出来なかった。
     父と絵本を読んで貰えなかったとき、クロードは確かにつらくて寂しくて悲しかった。何もかも違うのに、好意を踏み躙られる寂寥感だけは痛いほど理解出来た。
     不安を追い払うような所作で、レオンが顔を上げる。年相応の、明るい子供の満面の笑みに、クロードは言葉を失くす。

    「そんなことくらいで、嫌いにならない。どんなお兄ちゃんだって……大好きだよ」

     クロードの手を解放した代わりに、腕を回してレオンが首に抱きついてきた。猫に似た形の耳が、こめかみの近くで揺れている。

    「ざまあみろ」

     鼻声で囁かれて、もう駄目だと思った。
     クロードも、レオンの華奢な肩口に額を押し当てて、小さな背中に手を添える。そのまま深く息を吸い込んだ。レオンのにおいがする。

    「まいった」

     溜め息と共に吐き出した。降伏の意図を正しく汲み取ったらしいレオンが、抱き付く力をますます強めてくる。満足そうに笑う子供の気配を確かめるように、クロードは腕の中の体温を掻き抱いた。
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    menhir_k

    REHABILI最終ターン!一応アシュクロアシュ最終ターン!!アシュトンのターンタターンッ!!!
    章を断ち君をとる ハーリーを発ったアシュトンは、南へ急いだ。途中、紋章術師の集落に補給に立ち寄る。緑の深い村はひっそりと静まり返り、余所者のアシュトンは龍を背負っていないにも関わらず白い目を向けられた。何処か村全体に緊張感のようなものが漂っているようにも感じられる。以前訪れたときも、先の記憶で龍に憑かれてから立ち寄ったときにも、ここまで排他的ではなった筈だ。アシュトンは首を傾げながらマーズ村を後にした。
     更に数日かけて南を目指す。川を横目に橋を渡り、クロス城の輪郭を遠目に捉えたところで不意に、マーズ村で起きた誘拐事件を思い出した。歩みが止まる。誘拐事件を解決したのはクロードたちだ。マーズ村の不穏な空気は、誘拐事件が起きている最中だったからだ。どうしよう。戻るべきだろうか。踵が彷徨う。来た道を振り返っても、マーズは見えない。もう随分と遠くまで来てしまった。今戻っても行き違いになるかも知れない。それに、ギョロとウルルンを放って置くことも出来ない。龍の噂はハーリーにまで広まっていた。アシュトン以外の誰かに討ち取られてしまうかも知れない。時間がない。
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