a波音が遠くから寄せては返し、白い砂浜が真昼の太陽に照らされ、きらきらと眩い光を放っていた。空気はじっとりと重く、じりじりと肌を焼くような暑さが、そこに立つ四人の身体を包み込む。
サクッ、と軽やかな音を立て、彼らは甲板から砂浜へと飛び降りた。その背後には、旅を共にしてきた海のオーケストラ号が、波間に揺れながら停泊している。
フレドリクソン、ロッドユール、ヨクサル、そして遥か未来、ムーミンパパとなるムーミン――四人は新たな島の地を踏みしめ、潮の香りに混じる未知の気配に、無言の期待を寄せた。
「数日間、この地で準備を整え、次の航海に備えようか。」
フレドリクソンがそう告げると、それぞれは違う足取りで砂浜を離れ、島の奥へと散っていった。出航までの僅かな時間、自由に己の時間を過ごす様に。
フレドリクソンは街へ機械の部品を買いに。
ロッドユールは新たなボタンに出会う為、フレドリクソンと街へ。
ムーミンは心躍る冒険の始まりを掴む為に洞窟へと探検に。
さて、ヨクサルはと言うと、特にする事も無く海岸沿いを歩いていた。
ポケットに手を突っ込み、ヨクサルはどこか気怠げな足取りで砂浜を歩いていた。陽は高く、燦々と降り注ぐ陽光が肌を焼くように突き刺さる。潮風が熱を孕んで吹き抜けるたび、長い旅の疲れを少しだけ癒すような気もした。
目を細めながらぼんやりと海を眺めていたその時、不意に微かだが確かに耳に届く、掠れた声があった。
「うぁ……ぐ、…」
呻くような、かすかな息遣いだった。それが人のものだと気づくのに、時間はかからなかった。
足を止めて辺りを見渡す。波の音と風のざわめきの中、目に飛び込んできたのは、岩陰に倒れるようにして身を横たえる少女の姿だった。ぐったりとしていて、まるで意識を失っているように見える。
ヨクサルは眉をひそめた。こういうのは、あまり好まない。面倒だし、手間がかかるし、場合によっては厄介事に巻き込まれることもある。でも、それでも見て見ぬふりはできない性質だった。
躊躇いがちに足を踏み出し、少女に近づいてそっと声をかける。
「やぁ、大丈夫かい?」
かすかに目を開いた少女が、こちらを見た。
「……大丈夫だと思う?」
返ってきたのは、冗談めいた返事だった。だが、その声は弱々しく、まるで体の芯から力が抜けてしまったような響きを持っていた。
「いいや、全く。こんなところで寝るのはやめておいた方がいいと思うぜ。干からびるよ、君」
少女は小さくため息をつき、ゆっくりと瞼を閉じた。その肌は日差しに焼かれ、うっすらと赤みを帯びている。呼吸も浅く早く、まるで熱に浮かされたようだった。
このまま放っておけば、本当に命の危険すらあるかもしれない。一瞬だけ迷ったあと、ヨクサルは少女の肩に手を伸ばし、軽く揺さぶった。
「立てるかい?」
「……無理」
まるで蚊の鳴くような声で返された返事に、彼は肩をすくめて笑った。
「なら、少しだけ頑張ってくれ。おぶってやるから」
そう言って彼女の手を取る。熱い。まるで炎に包まれているかのように高い体温が、手のひら越しに伝わってきた。
ゆっくりと身体を起こさせ、ヨクサルはしゃがみこんで背中を向けた。少女は一瞬だけためらったようだったが、やがて観念したように、そっと彼の背に身体を預ける。
「……ごめん」
掠れた声に、ヨクサルは笑って、軽く肩を揺らした。
「ふっへっ、貸一で良いさ。いずれ返してもらうから、覚えておくといい」
彼女の体温がじんわりと背中に染み込んでくる。それはまるでカイロを貼り付けられたような暑さだった。
少女を背負ったまま、ヨクサルはゆっくりと歩き出す。自分の船へと続く、先程歩いてきた道。
このまま街まで出れば医者を探すこともできるだろう。しかし、それには時間がかかる。今は一刻を争うかもしれない。ならば、自分の船に戻った方が早い。
ちょうど、フレドリクソンが戻っている頃かもしれない。あいつなら看病も慣れている。特に、あのムーミンときたら、困っている人を放っておける性格ではない。そんな光景を思い浮かべて、ヨクサルは再び小さく笑った。
「……まったく、旅は予想外ばかりだな」
誰に言うともなく、呟いた言葉が風に攫われていった。
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船の姿が視界に入る頃には、背負っていた少女の意識はすっかり遠のいていた。
背中に感じる体温はなお高く、首筋にかかる熱く荒い息遣いが、かろうじて彼女の生きている証を伝えていた。その吐息一つひとつが、まるで命綱のように思えた。
船の足場に辿り着くと、ヨクサルは背中の少女をそっと横抱きに抱え直し、そのまま慣れた手付きで船へと足を踏み入れる。少女の身体は思ったよりも軽かった。だが、その軽さがむしろ、彼女の状態を物語っているようで、何とも言えない不安が胸の奥にじんわりと滲む。
操舵室に入ると、使い慣れたソファに少女を横たえた。火照った頬にかかる髪をかき分け、少しでも風が通るようにと窓を開け放つ。扉も半分ほど開けて、船内に海風を呼び込んだ。熱のこもった空気を少しでも追い払おうとするかのように。
「……おい」
彼女の肩を軽く、トントンと叩いてみる。返事はない。微かに眉をひそめたまま、まるで深い眠りに落ちてしまったかのように身じろぎもしない。
「(これは、ちょっとまずいかもしれないな…)」
そう思った矢先、下のデッキから大声が響いてきた。
「ヨクサル! 買ってきた荷物を船に載せるのを手伝ってはくれないか!」
フレドリクソンの声だった。その隣にはロッドユールもいる。彼らが手にしているのは、部品やボタン、乾物や野菜など、船旅に必要な細々とした生活物資の数々だ。
ヨクサルは手すりに肘をかけて覗き込み、大声で返事をした。
「悪いがちょっと後回しだ、フレドリクソン。女の子を拾ってきた。今、操舵室で寝かせてる。様子見てくれないか? 意識が無くてな」
「なんだと?」
フレドリクソンは目を大きく見開き、荷物を放り出して慌てて船に駆け上がってきた。ヨクサルが操舵室の方向を指さすと、彼は「ああもう」とぶつぶつ言いながら向かっていく。
「本当に拾ってきただけじゃないか……まったくもう。これは日射病か、あるいは熱射病か……飲み水はどこだったっけ? 服も緩めてやらなきゃダメだろう、これは……可哀想に」
その言葉を背中に聞き流しながら、ヨクサルはロッドユールと共に船の荷揚げを始めた。買い込んだ荷物は思っていた以上に多く、地味に骨が折れる作業だった。
「ロッドユール!」
「あっ、うん、僕も手伝うよ!勿論ね!でも、その……女の子、大丈夫なの? ああいや、まさか……死んでなんか……いないよね?」
「さぁね。でも、死んではいないと思うよ」
「ひええ……」
震えながらも、ロッドユールは文句を言わずに作業を続ける。どうにかして全ての荷物を船内に運び終えた時、背後から陽気な声が響いた。
「みんなー! 聞いておくれよ! すごいことがあったんだ!」
ムーミンだった。目を輝かせながら走ってくるその姿に、ヨクサルが半分笑いながら返す。
「へぇ、それってどんなの? 何か良いことがあったかい?」
「そりゃああったさ! 危険な怪物と戦って、それで、すごいお宝を見つけたんだ!」
「それはそれは。……こっちも、なかなかの“拾い物”があったんだよ」
「拾い物?」
興味を引かれたムーミンとロッドユールが、揃って船に乗り込んでくる。ヨクサルが操舵室を親指でくい、と指すと、ムーミンはゆっくりと歩を進めていった。
中には、ソファに寝かされた少女が静かに息をしている。彼女の顔を覗き込んだムーミンは目を丸くした。
「わぁ……女の子? 本物の?」
その後ろから、ロッドユールもそっと顔を覗かせる。彼はムーミンの背に隠れるようにして、おそるおそる尋ねた。
「具合悪そうだね……起きたらどうする? もし、悪者だったりしたら……」
「そうしたら、僕が容赦しない!」
「まぁ、多分ね。そいつ、性格は悪いけど、悪者ってほどじゃないと思うよ」
ヨクサルがそう言って肩を竦めると、ムーミンとロッドユールは同時に小さく「ふぅ」と息を吐いた。騒がしい船の中、ただ一人、少女だけが眠ったままだった。
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かきかけ