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    ケミカル飲料(塩見 久遠)

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    ノスとクラ。心の中に庭を持っているノスと芽吹くはずのなかった花達と、春を運んできたことに無自覚なクラ。ノスクラ思考の人が書いています。いつも以上に雰囲気文章。
    2023/3/17にTwitterにアップしたものの再掲です。

    雪割りて、響くは春の芽吹く音 心の中に庭がある。そこは、ただひたすらにだだっ広い空間で、柵も段も何もない。あるのは、どこまでも続く固い土が敷かれた地面と、一面の雪景色。正直なところ、これを庭と呼んでいいのか分からないような代物だ。しかし、土の下には種やら球根が眠り、雪の下には苗が蹲っているのだから、これは確かに「庭」なのだ。
     
     どう足掻いたところで手に入らないものへの渇望、手を伸ばしたのに掴めなかったものへの執着、確かに触れたのに掌から零れ落ちていったものへの悔恨などなど。水に流すにはどろどろに煮詰まっていて、風に乗せるには余りに重過ぎる。生きていると、そういった心のわだかまりを抱えざるを得ない。しかし、そんなものをおいそれと手放せる訳もなく、かといって、昇華することもできない。行き場のない気持ちばかりが膨れていった。
     これらを直視したくない、でも離れたところに置きたくない。そんな気持ちから生み出されたのが、この殺風景な庭だ。苦い気持ちは種や球根に変えてしまった。そうして、土や雪で覆ってしまえば、気が紛れた。
    いつか、報われて芽吹く日が来るかもしれない。固い土や冷たい雪に覆われて死に絶えているかもしれない。変わらない雪景色を眺めながら、また一つ、穴を掘る。もう、いくつ植えたか分からない。何を植えたのかも忘れてしまった。ただ、雪が積もるだけの場所だ。

     これまでに、雪の下から芽吹いた花は、一つもない。

     これからもその筈だった。

     しかし、ある日突然、雪原に姿を現した花があった。背の高い、鮮やかな紫色のヒヤシンスだ。どうしたことかと戸惑いながら近付けば、その周囲から新たに芽吹くものがあるではないか。ぴょこぴょこと、しかし力強く雪を割って芽吹く緑は、あっという間に色とりどりの花を付けていく。
     アネモネ、スノーフレーク、フリージア、ラナンキュラス、ミスミソウ、名前が分からないものも咲いている。
     まさか、あの苦々しい思いが報われる日が来るなんて思っていなかった。どこまでも渇望していた癖に、自分の手に収まるなんて微塵も考えたことがなかった。そうして、唐突に訪れた幸福がもたらしたのは、困惑と不安だった。
     花の手入れなんてしたことがない。どうすれば、この美しさを保てるのか、いつかは枯れてしまうのか。手に入れたものを失う恐怖を抱えつつ、ただ、その場に立ち尽くすしかなかった。
     それでも、ヒヤシンスを中心として、次々に草花は芽吹いていった。

     「お前は草木に興味があるのか?」
     春を間近に迎えた、とある日のこと。癖毛の男の発言に、心臓が飛び跳ねた。
     向かい合って座る男の話が、突拍子もない方向に展開するのは今に始まったことではない。しかし、それは取り留めもなく、他愛のない雑談が殆どであり、この男にとっては今回の投げかけも他意はないのだと思われた。とは言え、それまで「ご近所さん」の話をしていたのに、随分な急ハンドルだ。何がきっかけでそんなことが口を突いたのかと思えば、彼の視線の先にはいくつも積み上げられた本があった。
     それは、先日購入した図鑑や園芸書だった。花の育て方、保ち方が解説されている。悩みの種となっているのが実在の花ではないとはいえ、知識を得られれば気持ちも多少落ち着くかと思い、苦し紛れに取り寄せたのだった。彼を迎え入れる直前まで目を通していたため、片付けるのを失念してしまっていた。
     本が目についたから、話題に取り上げる、というのは流れとしては自然なことであり、彼を責める謂れはないようだ。しかし、彼の問い掛けにどう答えたものかは別問題であり、非常に窮してしまった。
     「庭に花が咲いたから、その手入れのためだ」
     そう言えれば良かったが、抱えている事情がそれを許してくれなかった。花は咲いているが、実際の庭にそれらの姿はないのだから。結局のところ、口から出せたのは、
     「まぁな」
     という返答だけだった。
     しかし、彼はこちらの不愛想な受け答えに腹を立てた様子もなく、
     「春も近付いてきたから、庭仕事に精を出すのもいいんじゃないか。そういえば、最近はプリザーブドフラワーというものがあるらしいな」
     と新たな話題を提供してきたので、これ幸いと彼に続きを促した。
     「ほぅ?」
     「最初はドライフラワーかと思っていたが、違うらしい。詳しいことは分からないが、とても長く楽しめると聞いた」
     「ご婦人が好みそうなものだな」
     「お前はまたそういうことを…」
     彼の呆れたような口調や溜息も、慣れたものだ。そんな軽口を叩いているうちに、頭が冷静になっていくのを感じた。

     彼の話は発想の転換をもたらしてくれた。花を枯らさないようにするというのが目下の悩みだったが、保存加工という選択肢は思いもよらず、画期的に感じられた。
     現在、庭の花々は鮮やかに咲き誇っているが、いつ枯れるか分からないし、今後新しいものが芽吹く保証はどこにもないのだ。それならば、盛りの姿のまま、綺麗に保存しておいた方が良いだろう。
     頭のなかで調べ物の項目を追加しつつ、目の前の彼がプリザーブドフラワーなんてものを知っていたことに、今更ながら意外性を感じた。
     「というか、お前はどうしてそんなものを知っているんだ?花を育てる趣味でもあったのか?」
     そう尋ねると、返ってきたのはこんな答えだった。
     彼曰く、彼が務める猫カフェの関係者から店宛てにプリザーブドフラワーが送られてきたらしい。猫がいるという状況を気遣って生花を避けたのだろうが、結局のところ繊細な扱いが求められるものを猫がいるスペースに設置するわけにはいかない。とは言え、スタッフルームにだって満足な広さはない。そんな理由から、その花は引き取り手を探されることになってしまったとのこと。
     「というわけで、新たな知見を得たのだ」
     事の顛末を語った彼は、何故かちょっと得意そうな表情をしていた。こんなにぽやぽやした奴だったか?と首を傾げたい気持ちもあったが、わざわざ水を差すような無粋な真似はしなかった。代わりに、
     「なるほど。それで、お前はそれを引き取ろうとは思わなかったのか?」
     と問い掛けた。すると、彼は少し目を伏せながら笑ってこう答えた。
     「すごい技術だとは思ったが、手元に置こうとは思わなかったな。花は咲いている瞬間を楽しむものじゃないのか?枯れるのは寂しいが、だからこそ、目の前の瞬間が愛おしくなるのだと思う。例え目の前からなくなっても、記憶は色褪せないのだから、それでいいだろう」

     なんでもないように述べられた彼の言葉が、僅かな棘となって自分の胸に刺さったような気がした。自分がやろうとしていることは、思い出の縁を残したいだけで、まるで一時の夢に必死に縋りついているのと相違ないのではないか。そう思ってしまった。そうしてしまえば、思考はぐるぐると渦巻き始める。彼に否定されたわけでもないのに、急に後ろ暗さまで感じる始末だ。馬鹿らしいと思いつつも、考えるのを止められない。
    急に黙り込んだ自分を怪訝に思ったのだろう。彼に名前を呼ばれると、意識が引き戻されるような感覚がした。
     「どうした?具合でも悪いのか?」
     と顔を覗き込んでくる彼に、軽く手を振りながら「問題ない」と伝えれば、一先ずは引き下がっていった。
     これで花に関する話題も終わりかと思えば、そうではなく、彼は更にこう続けた。
     「先程の話だが、正直なところ、花を永久に保存するという発想がなかったから驚いたんだ。それに、ああいったものを愛でるという習慣がないのでな。私にとって馴染み深いのは薬草や木の実などだから、収穫物とならないことにはどうも実感がなくて…」
     とのこと。

     なんだろう。話が嚙み合っていないわけではないが、本質からは確実にズレている。恐らく、互いに気にしていることが全く違う方向を向いているのだろう。それもそのはず。自分は心にある庭、そこに咲く花について悩んでいる。彼は現実に咲く花について語っている。現実と空想。花に対しての見方、価値観も異なれば、重視するところも違う。それらを混同して考えてしまえば、訳も分からなくなって当然だ。というか、土台無理なことだ。
     そう気付いてしまえば、肩を張っているのも馬鹿らしくなった。

     「お前なぁ、それは最早食料の話であって、花とは関係ないだろう」
     ため息交じりの苦笑と共にこんなことを言ってしまうくらいには気が抜けた。しかし、目の前の彼は至って真面目な顔で思考を巡らせている。
     「確かに花からは逸れてしまったが、よくよく考えてみれば、木の実や茸も保存しようとして色々な方法が編み出されていたな。花は鑑賞のため、木の実は命を繋ぐため。そう思えば、花を保存しようとするのも、それぞれの役割に適っているのかもしれないな」
     と。よく分からない結論に辿り着いたようだが、本人としては納得のいくものだったらしい。満足そうに頷いている。
     そんな彼に毒気を抜かれ、呆気に取られている自分がいる。こちらの悩みなど露ほども知らない癖に、どうしてそう易々と乗り越えていくのだろう。
     結局のところ、物は考え様だということで良いのだろうか。それは余りにも大雑把過ぎやしないか。しかし、彼を見ていると、それはそれで良い気がしてしまうのだから、不思議なものだ。本当に、不思議なものだ。
     「まったく、お前といると飽きないよ」
     堪え切れず、そんな言葉が口を突いて出た。

     するとまた、どこかで春が芽吹く音がした。


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    ケミカル飲料(塩見 久遠)

    DONEミキとクラ♀。クマのぬいぐるみがきっかけでミッキが恋心を自覚する話。クラさん♀が魔性の幼女みたいになってる。これからミキクラ♀になると良いねと思って書きました。蛇足のようなおまけ付き。
    2023/4/8にTwitterにアップしたものに一部修正を加えています。
    魔法にかけられて 「それでは、失礼します」
     深めに礼をして、現場を後にした。ファミリー層向けイベントのアシスタントということで、テンションを高めにしたり、予想外の事態に見舞われたりと非常に忙しかったが、イベント自体は賑やかながらも穏やかに進行した。主催している会社もイベント担当者もしっかりとしており、臨時で雇われているスタッフに対しても丁寧な対応がなされた。むしろ、丁寧過ぎるくらいだった。
     その最たるものが、自分が手にしている立派な紙袋だ。中には、クマのぬいぐるみと、可愛らしくラッピングされた菓子の詰め合わせが入っている。
     「ほんのお礼ですが」
     という言葉と共に手渡された善意であるが、正直なところ困惑しかない。三十代独身男性がこれを貰ってどうしろというのだろうか。自分には、これらを喜んで受け取ってくれるような子どもや家族もいなければ、パートナーだっていないのだ。そして、ぬいぐるみを収集、愛玩する趣味も持っていない。
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