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    糸遊文

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    糸遊文

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    【ムーサの骨と品字様(@Musa_kabe )】にて。
    柊眞先生と担当編集の河原女さん(@momoto_ssk)が迎えた終焉のひとつ。

    #一次創作
    Original Creation
    #短篇
    shortStory
    #ムーサの骨と品字様

    落華 未だ昼間の暑さを残す夜風が僕の頬を撫で、闇夜に溶け込む絹糸をさらった。ふと、遠くから幽かに響く潮騒に歩を止め、煌々と冴えた月を見上げれば。
    「先生?」
     陽炎のような不安げに揺らいだ声が数歩後ろから、遠慮がちに袂を引いた。ゆったりと望月から陽炎へと視線を移してゆく。月白の月光を遮るように佇み、ふたつの深潭が僕をじっと見詰めていた。何の感情も読めぬ深潭しんたんは冷ややかなようで、何処か温もりと悲哀を感じて――真意を探るように見詰め返す。
    「せんせい、」
     ざァ……っ、と少し冷え込んだ風が吹き、彼女の声と共に僕の心を平らにしてゆく。
    「私もお供しますから」
     風で乱れる髪を押さえ、真っ直ぐに貫く黒曜石のような双眼と僅かに甘く柔らかな声音が、躊躇していた僕の背をトンっ、と押した。
    「貴女は……いえ、何でもありません」
     ――それで良いのか、なんて彼女へ問える筈もなく。ぐっ、と唇を噛み締めて押し殺す。そして再び、砂利路を蹴って歩み始めた。寸刻遅れて彼女が砂利路を踏む音を耳にして、隣を歩んでくれない事実に少しだけ淋しさに胸が痛む。

     夜の海は仄かに蒼く艶めき、白い砂地に溶けるように滑らかだった。寄せて返す波が足元の砂を攫い、遠慮がちに手招きする。
    「先生、手を」
     差し出された清らかな小さき掌をとり、包み込むように握ってみた。柔らかな感触と少し冷えた温度がじんわり、と僕の体温に馴染む可笑しさに口元が緩む。漣の音が彼女の声を掻き消してしまうのが厭で、どこまでも透明で清らかな声音だけに耳を傾けていたいと願った。
    「行きましょう」
     ゆるり、と彼女に手を引かれながら傾く冴える望月へと海をふたり、違えることなく歩み続ける。生温い海水を吸った衣服は肌に張り付き、重さを増す枷となった。それでも、彼女と歩む足取りは軽く、全ての境界線が曖昧に溶け合ってゆく。
     凪いだ蒼に墜ちた月が揺らめいて、彼女と重なった。空と海、境界線が曖昧な世界で彼女だけが明瞭になる。仄かに月光を纏う月下美人が咲き綻ぶように微笑む彼女がゆっくりと振り返り、僕の背中へと腕を回して後ろへ傾いた。水膜を張った眼に浮かぶ月が狂おしい迄に美しくて、愛おしくて、言の葉になって溢れ落ちる。
    「月が……」
     月光に晒された二つの黒瑪瑙は寂然と僕を見下ろして、とろり、と闇が溜まった奈落へ堕としてゆく。
    「直に沈んでしまいます」
     柔らかな胸に顔が埋まり、漣の音が混じる声音だけでは、彼女がどんな貌をして答えてくれたのか窺い知れない。どんな意図で紡がれた言葉なのか、もう恐れなくて良い瑣末なことだ。
     緩やかに上る泡沫に微睡む意識、彼女の鼓動と僕の鼓動が重なり合って一つになってゆく――どこか懐かしい心地。ずっと夢にまでみた最期を迎えるその瞬間――僕はやっと彼女を愛せたのだと、幻想をみた。

     ――聖女は永久に僕だけのもの。
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    糸遊文

    PAST『花瓶と眼』をまるっと書き直そうとしていた跡を発見した。
    花瓶と眼 私はいつも通りに今日一日を終えようとしていた。夕陽が海に沈み、月が淡く照らす夜闇を泳ぐように漂う。歩き慣れたアスファルトの路をお腹が空くような匂いを嗅ぎながら進む。家々から漏れる小さな瞬きを眺めながら、少し寂れた二階建てのアパートの前までやってきた。カンカンカンッと軽快な音を立てながら非常階段を上がり、二階最奥の扉へ。手慣れた様にノブを捻る。小さな軋みを立てながら私を歓迎した。
    「やぁ」
     いつものように狭い玄関に足を踏み入れながら声を掛けるのだが、今日は何やら雰囲気が違う。いつもなら煌々と輝いている電灯は眠っていて、なんとも言えない錆びた鉄のような香りが微かに漂っている。なんの匂いだろうか、首を傾げながら靴を脱ぎ捨て奥へと入る。ゴミ袋や服が乱雑に置いてある小さな部屋。開け放たれた窓から吹き込む風に揺れるカーテンと干しっぱなしの服たち。闇夜を全て暴かんとする満月の光を恐れる様に部屋の隅に身を縮こめる影。私は息を潜め、そっと近付いてみる。影は私に気が付いたのか、勢い良く飛び出し私を押し倒した。ひんやりとした小さな掌が私の首を絞め、石榴の様な紅い瞳が私を射貫く。
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