糸遊文
MOURNINGいつ書いたのか分からない作品を発掘したので。胡蝶と逢う「絢さん、息抜きにお散歩しませんか?」
乳白色の原稿用紙から顔を上げ、握っていた万年筆を文机にそっと置いた。ことり、と遠慮がちに机に置かれた桜が描かれた湯飲み。柔らかく立つ湯気を追って、声を掛けた本人の方へと躯ごと向き直った。
「お散歩ですか?」
春の陽気の様に柔らかく微笑み腰を下ろした男性――重森――が、小皿に乗った桜餅をそっと手渡してきたので受け取りながら聞き返す。
「ええ。なんでも、近くで新しく見世物小屋が立つみたいですよ……見に行ってみませんか?」
「見世物小屋……」
「絢さん、見たことが無いと以前仰って居ましたので……息抜きに丁度良いかと思ったのですが」
如何でしょうか、とお茶を啜る私に少し遠慮がちに誘う姿が、少し可笑しくて隠れて小さく口を歪ませた。
2126乳白色の原稿用紙から顔を上げ、握っていた万年筆を文机にそっと置いた。ことり、と遠慮がちに机に置かれた桜が描かれた湯飲み。柔らかく立つ湯気を追って、声を掛けた本人の方へと躯ごと向き直った。
「お散歩ですか?」
春の陽気の様に柔らかく微笑み腰を下ろした男性――重森――が、小皿に乗った桜餅をそっと手渡してきたので受け取りながら聞き返す。
「ええ。なんでも、近くで新しく見世物小屋が立つみたいですよ……見に行ってみませんか?」
「見世物小屋……」
「絢さん、見たことが無いと以前仰って居ましたので……息抜きに丁度良いかと思ったのですが」
如何でしょうか、とお茶を啜る私に少し遠慮がちに誘う姿が、少し可笑しくて隠れて小さく口を歪ませた。
糸遊文
DOODLE夏休み中に書いた作品……多分。夏休みの宿題 カランッ。
汗かいたガラスコップの氷が涼やかな音を響かせて、麦茶の海を揺らした。縁側に置きっぱなしの蚊取線香の香りが、風に乗って僕の鼻を擽ってゆく。りぃーん、と風鈴が戯れる音に耳を傾けながら、主庭の隅にちょこん、と置かれた植木鉢を眺める。支柱に蔦を絡めて精一杯背伸びする朝顔が、萎れて俯いていた。傍らに蝉が引っ繰り返って蟻に運ばれてゆく――もうすぐ、夏が終わる。
「おわったぁ?」
遠くから君の声が静寂をいとも容易く破った。玉砂利を蹴る音を掻き消そうと強まった蝉時雨が、君の笑顔で一瞬にして圧し負ける。向日葵が咲き綻んで、僕からの応答を待ちわびきれずに腕に絡んだ。
「ぁ、」
横倒しになったガラスコップの縁から麦茶が広がって、プリントに染みを描いてゆく。小さく溶けた氷が空白の解答欄に転がって、差し込む陽を反射して虹色に瞬いた。先の丸まった鉛筆を転がして濡れたプリントもそのまま、君に手を引かれて沓脱石に置かれていた雪駄を引っ掛ける。
695汗かいたガラスコップの氷が涼やかな音を響かせて、麦茶の海を揺らした。縁側に置きっぱなしの蚊取線香の香りが、風に乗って僕の鼻を擽ってゆく。りぃーん、と風鈴が戯れる音に耳を傾けながら、主庭の隅にちょこん、と置かれた植木鉢を眺める。支柱に蔦を絡めて精一杯背伸びする朝顔が、萎れて俯いていた。傍らに蝉が引っ繰り返って蟻に運ばれてゆく――もうすぐ、夏が終わる。
「おわったぁ?」
遠くから君の声が静寂をいとも容易く破った。玉砂利を蹴る音を掻き消そうと強まった蝉時雨が、君の笑顔で一瞬にして圧し負ける。向日葵が咲き綻んで、僕からの応答を待ちわびきれずに腕に絡んだ。
「ぁ、」
横倒しになったガラスコップの縁から麦茶が広がって、プリントに染みを描いてゆく。小さく溶けた氷が空白の解答欄に転がって、差し込む陽を反射して虹色に瞬いた。先の丸まった鉛筆を転がして濡れたプリントもそのまま、君に手を引かれて沓脱石に置かれていた雪駄を引っ掛ける。
糸遊文
MOURNING落書き。オパール 《守りたいものはありますか?》
無造作に貼られたポスター群の中から、その言葉だけが僕に強く問いかける。ぽたり、顎を伝ってアスファルトへ落ちた滴。熱暑で霞む僕の思考は、ぼんやりと誰かの影を追った。見知らぬ顔を貼り付けた人々が行き交う舗道、ゆらゆらと陽炎が戯れる。僕の視界が白黒から徐々に色味を取り戻し、見知った後ろ姿がふり返って――あぁ、君だったんだ。僕が守りたかったものは。
舗道の真ん中で立ち尽くす僕を邪魔だと言わんばかりに顔を顰め擦れ違う人々。それすら、今の僕にはどうでもよくて。君にまた、巡り逢えた。ただそれだけが、嬉しくて哀しくて。僕は今、どんな顔をしているだろうか?
「壱成?」
僕を呼ぶ声音は優しくて、どこか懐かしい。閉じ込めて、奥底に眠っていた遠い日の愛おしい記憶が蘇る。降り注ぐ日の光を遮って、俯いていた僕の前に差し伸べられた君のものではない掌。白く柔らかかった君の掌は、硬く鈍色に変わっていた。柔和に微笑む顔は変わりはしないのに、どこかぎこちなくて。壊れ物を扱うように、そろりと手を繋ぐ。今度は大切に、大事に愛そう。視界を滲ませる涙を拭って、君じゃない君に微笑む。
533無造作に貼られたポスター群の中から、その言葉だけが僕に強く問いかける。ぽたり、顎を伝ってアスファルトへ落ちた滴。熱暑で霞む僕の思考は、ぼんやりと誰かの影を追った。見知らぬ顔を貼り付けた人々が行き交う舗道、ゆらゆらと陽炎が戯れる。僕の視界が白黒から徐々に色味を取り戻し、見知った後ろ姿がふり返って――あぁ、君だったんだ。僕が守りたかったものは。
舗道の真ん中で立ち尽くす僕を邪魔だと言わんばかりに顔を顰め擦れ違う人々。それすら、今の僕にはどうでもよくて。君にまた、巡り逢えた。ただそれだけが、嬉しくて哀しくて。僕は今、どんな顔をしているだろうか?
「壱成?」
僕を呼ぶ声音は優しくて、どこか懐かしい。閉じ込めて、奥底に眠っていた遠い日の愛おしい記憶が蘇る。降り注ぐ日の光を遮って、俯いていた僕の前に差し伸べられた君のものではない掌。白く柔らかかった君の掌は、硬く鈍色に変わっていた。柔和に微笑む顔は変わりはしないのに、どこかぎこちなくて。壊れ物を扱うように、そろりと手を繋ぐ。今度は大切に、大事に愛そう。視界を滲ませる涙を拭って、君じゃない君に微笑む。
糸遊文
DOODLE筆休め。無題あの日もこんなふうだった。
蒼天高く、清涼な空気が私を包み込んで、
何処までも飛んで行けると期待する。
折り畳んでいた大翼を悠々と広げて、風の路を掴んだ。
止まり木から脚と心が浮き、大空へと飛翔。
際限ない天色に真っ白な真珠が舞い上がって、深縹色に墜ちた。
浮遊する私の心を掬いあげてゆく琥珀の魚群は、
緩やかに深淵へと潜って眠る。
――私の還る場所はここだった。
194蒼天高く、清涼な空気が私を包み込んで、
何処までも飛んで行けると期待する。
折り畳んでいた大翼を悠々と広げて、風の路を掴んだ。
止まり木から脚と心が浮き、大空へと飛翔。
際限ない天色に真っ白な真珠が舞い上がって、深縹色に墜ちた。
浮遊する私の心を掬いあげてゆく琥珀の魚群は、
緩やかに深淵へと潜って眠る。
――私の還る場所はここだった。
糸遊文
CAN’T MAKE盲目の友人と友人を崇拝する主人公の激重巨大感情を描こうとしていた模様。※描きたいこと※
・主人公の身勝手さ
・主人公の友人に対する、巨大激重感情
・友人の主人公に対する、息苦しさや葛藤、愛しさ
・友人が舞台へと戻れない哀しさ、息苦しさ、苦悩
・主人公の闇落ち感情、言動
・現実にありそうでない、幻想的な世界
・光や触感、声音を重点的に描写したい
闇夜の悲劇 僕は埃かぶったボロボロの舞台の上に立っている。
その昔、ピカピカに磨き上げられた床、ワインを染み込ませた様な暗幕に金糸の装飾が舞台を彩り輝かせていた。そして、その中央には、目が眩むようなスポットライトを浴びて輝く君が居た。
――今はもう、その姿は無い。
僕は色褪せてしまった暗幕を強く抱き締めながら、声さえも立てられず蹲って啼いた。月光がそんな僕を嘲笑うかの様に照らした。
****
しんと静まりかえった少し肌寒い廊下。噎せ返る様な消毒液の匂い。「死」が昏く横たわる殺風景で湿気たこの空間が、僕は大嫌いだ。何も考えないように足早に歩を進める。「609号室」と書かれたプレートの部屋の前で止まり、重い溜息をひとつ。そして、音を立てずドアをスライドさせ中へと足を踏み込んだ。ドアノブを握る手が微かに震えていたのを見ぬ振りをして。
2302その昔、ピカピカに磨き上げられた床、ワインを染み込ませた様な暗幕に金糸の装飾が舞台を彩り輝かせていた。そして、その中央には、目が眩むようなスポットライトを浴びて輝く君が居た。
――今はもう、その姿は無い。
僕は色褪せてしまった暗幕を強く抱き締めながら、声さえも立てられず蹲って啼いた。月光がそんな僕を嘲笑うかの様に照らした。
****
しんと静まりかえった少し肌寒い廊下。噎せ返る様な消毒液の匂い。「死」が昏く横たわる殺風景で湿気たこの空間が、僕は大嫌いだ。何も考えないように足早に歩を進める。「609号室」と書かれたプレートの部屋の前で止まり、重い溜息をひとつ。そして、音を立てずドアをスライドさせ中へと足を踏み込んだ。ドアノブを握る手が微かに震えていたのを見ぬ振りをして。
糸遊文
MOURNING絢が女学生の頃の物語。絢×モブ(下級生)
女学校での姉妹制度なるものを書いてみたかったのです……
中途半端なところで投げたけど。
野薊の冠を 学び舎に集う少女達に一人一人与えられる磨き上げられた椅子と机、規則正しく並んだ其れ等にひっそりと潜む甘く濁った秘密が有る。
窓側一番奥の机が私に与えられた席で、今日も退屈な時間をどう過ごそうかと憂いながら椅子を引いたのだった。鞄から教科書や筆記用具を取り出して机の中へ収めようとした時、真っ白な封筒がひらり、と膝に舞い落ちる。差出人の名前は書かれておらず、誰からだろうかと訝しみながら封を開けた。
『廿樂 絢様
前略、私は高千穂 桐子と申します。
校舎へと向かう桜並木を歩む絢様のお姿を拝見し――』
真っ白な便箋に少し丸味を帯びた可愛らしい文字が彩り、見慣れた社交辞令にも受け取れる文言が並んでいた。なんとまぁ、面倒な事を……と愚痴をこぼして仕舞いそうになる。
1090窓側一番奥の机が私に与えられた席で、今日も退屈な時間をどう過ごそうかと憂いながら椅子を引いたのだった。鞄から教科書や筆記用具を取り出して机の中へ収めようとした時、真っ白な封筒がひらり、と膝に舞い落ちる。差出人の名前は書かれておらず、誰からだろうかと訝しみながら封を開けた。
『廿樂 絢様
前略、私は高千穂 桐子と申します。
校舎へと向かう桜並木を歩む絢様のお姿を拝見し――』
真っ白な便箋に少し丸味を帯びた可愛らしい文字が彩り、見慣れた社交辞令にも受け取れる文言が並んでいた。なんとまぁ、面倒な事を……と愚痴をこぼして仕舞いそうになる。
糸遊文
PROGRESS『茜さす哀』の対にしたいと思っている作品。未完。
茜さす愛 涼やかな夕風が緩やかに流れて、ゆったりとスカートの裾を弄ぶ。手にしていた原稿用紙を両手で思いっ切り引き裂いた。びりりっ、と小さな雑音が私の心を少しだけ揺する。掌の上に小さな山となった紙屑をふぅっ、と空へ吹き飛ばしてゆく。穏やかも燃ゆる黄昏空に真っ白な雪が舞い散って、ゆっくりと死んでいった。私の足元に取り残された切れ端が一枚、所在無げにはためいている。
「……怖いのかなぁ」
八の字に垂れた眉を更に下げて苦笑しながら摘まみ上げた切れ端には、藍色の夢が滲んでいた。ぐしゃり、と思いっきり握りつぶして、私の背丈よりも高い柵の向こう側へ投げ捨てる。綺麗な放物線を描いて、呆気なく墜ちていった。黄昏を呑み込んだ藍は深さを増して、薄らと星々が瞬き始めている。
837「……怖いのかなぁ」
八の字に垂れた眉を更に下げて苦笑しながら摘まみ上げた切れ端には、藍色の夢が滲んでいた。ぐしゃり、と思いっきり握りつぶして、私の背丈よりも高い柵の向こう側へ投げ捨てる。綺麗な放物線を描いて、呆気なく墜ちていった。黄昏を呑み込んだ藍は深さを増して、薄らと星々が瞬き始めている。
糸遊文
MOURNING粉雪が舞うのをみて、思い立って書いた作品だけれど……何が描きたかったんだろうなぁ。白んだ空が僕の心を侵蝕する 曇天から降り注ぐ銀華が僕の頬に落ちて、肌に溶けて馴染む。止めどなく降り注ぐ銀華に紛れて消えてしまえたら良いのに、なんて冗談を呟いたら、君に思いっきり頬を叩かれた。乾いた音と共に振り子のように揺れる視界と思考が正解を君に求める。
ぽたり、溶けた銀華が熱を帯びた頬を慰めるように滑り落ちた。凍てついているだろうと思っていたのに意外にも温かくて、赤みを帯びた肌を撫でては滲んでゆく。じわじわと僕の脳が痛みを感知して、クリアになってゆく視界に君の泣き顔が映る。
「なん、で……」
ぐっ、と胸倉を掴まれて、息を乱す君との距離が近付いた。銀華で濡れた睫毛の陰で薄膜を張った双眼が揺らいで、解けてゆく。白に塗り潰された世界にぽってりと咲く紅色と、研ぎ澄まされた黒曜石が輪郭を取り戻して慟哭した。
808ぽたり、溶けた銀華が熱を帯びた頬を慰めるように滑り落ちた。凍てついているだろうと思っていたのに意外にも温かくて、赤みを帯びた肌を撫でては滲んでゆく。じわじわと僕の脳が痛みを感知して、クリアになってゆく視界に君の泣き顔が映る。
「なん、で……」
ぐっ、と胸倉を掴まれて、息を乱す君との距離が近付いた。銀華で濡れた睫毛の陰で薄膜を張った双眼が揺らいで、解けてゆく。白に塗り潰された世界にぽってりと咲く紅色と、研ぎ澄まされた黒曜石が輪郭を取り戻して慟哭した。
糸遊文
MOURNING岐路 ゆらゆらと燃え盛る夕陽が傾き、薄らと顔を覗きだす月。カラカラ、と軽快に回る自転車の車輪に長く伸びる二つの影、僕と君の。自転車を転がして一歩先を行く僕の数歩後ろをゆったりと歩む君、いつも通りの代わり映えのしない橙色に溶ける風景。お互い何も言葉を交わすことなどなく、黙々と家路を辿ってゆく。時折、背中に突き刺さる君の熱視線にどぎまぎしながら、気づかぬ振りでカラカラと車輪を転がした。結局、君からも、僕からも、言葉を掛けることないままに帰路の終着点に着く。これも、いつも通りで当たり前の事。
「じゃぁ……また」
君の家の前で、お決まりの言葉を掛けて自転車に跨がる。
「うん……また、あした」
君もゆるりと手を小さく振って、言葉を返してくれる。名残惜しむように君から前へと視線を逸らし、からり、ペダルを漕ぎ始めた。
1069「じゃぁ……また」
君の家の前で、お決まりの言葉を掛けて自転車に跨がる。
「うん……また、あした」
君もゆるりと手を小さく振って、言葉を返してくれる。名残惜しむように君から前へと視線を逸らし、からり、ペダルを漕ぎ始めた。
糸遊文
MOURNING途 じくりと痛みが走ったんだ。そっと掌を当ててみるのに、どこが痛んだのか分からない。波紋の様に痛みは広がってゆくのに、全てが曖昧で――苦しい。
ぽたり。
透明な滴が零れ落ちて、僕の輪郭をも融かしてゆく。滲んだ視界に映る世界は、蜃気楼のように不安定。ふぅっと吹きかけたら、ゆらりと揺らいで消えてしまいそうな程儚げで。自分も一緒に消えてしまいそうで怖くなって、ぎゅっと瞑ったんだ。真っ暗な世界で僕の心臓が脈打つ音だけが、やけに大きく響く。耳を塞ごうとした腕を誰かに掴まれた。
「生きて、」
僕の声に似ているけれど、違う柔らかな声音が降り注ぐ。じんわりと、掴まれた腕から伝う微熱。溶け合う熱に溺れながら、此れでは駄目だと振り解く。
704ぽたり。
透明な滴が零れ落ちて、僕の輪郭をも融かしてゆく。滲んだ視界に映る世界は、蜃気楼のように不安定。ふぅっと吹きかけたら、ゆらりと揺らいで消えてしまいそうな程儚げで。自分も一緒に消えてしまいそうで怖くなって、ぎゅっと瞑ったんだ。真っ暗な世界で僕の心臓が脈打つ音だけが、やけに大きく響く。耳を塞ごうとした腕を誰かに掴まれた。
「生きて、」
僕の声に似ているけれど、違う柔らかな声音が降り注ぐ。じんわりと、掴まれた腕から伝う微熱。溶け合う熱に溺れながら、此れでは駄目だと振り解く。
糸遊文
MOURNING乾く心と甘い味 僕の片手に収まってしまう君の小さな後頭部を押さえ込み、隙間を埋めるように角度を変えながら深く唇を重ねる。奥で縮こまっている舌を擽って強引に絡めれば、空気を求めて喘ぐ幽かな吐息が洩れる度に僕の嗜虐心を煽った。小さな拳が僕の胸を数回、叩く。名残惜しむようにゆっくりと甘く柔らかな唇から距離をとれば、銀糸がぷっつりと切れて桜唇を酷く淫猥に濡らした。
「……や、めて」
息絶え絶えに懇願する君の悲鳴を聞かなかった振りをして、そっと君の耳を両掌で塞ぎながら唇を再び貪る。先ほどよりも熱を帯びた桜唇は胸焼けしそうなほど甘ったるいのに、膜を張った大きな瞳は僕を拒み続けた。胸に触れる小さな拳が解かれ、縋るように握られた服の皺が幾重にも描かれる。
704「……や、めて」
息絶え絶えに懇願する君の悲鳴を聞かなかった振りをして、そっと君の耳を両掌で塞ぎながら唇を再び貪る。先ほどよりも熱を帯びた桜唇は胸焼けしそうなほど甘ったるいのに、膜を張った大きな瞳は僕を拒み続けた。胸に触れる小さな拳が解かれ、縋るように握られた服の皺が幾重にも描かれる。
糸遊文
MOURNING縹渺の深藍(ひょうびょうのふかあい)縹渺の深藍 夕陽が静かに海へと沈み、夜を引き連れる波を蹴飛ばす君。静かに潮騒と潮風に攫われる砂の音に耳を傾け、じっと目を凝らした。君が夜に攫われないように、君が僕から離れていかないように。
「ねぇ! そんなに睨んでたら、嫌われちゃうよ?」
何時の間にか僕の目の前に君が居て、少し困った様な笑みを僕に向けていた。目を白黒させる僕に構わず、眉間に人差し指の腹を押しつける。
「なに、するん?!」
「マッサージしてあげてんの! 眉間の皺、まぁた深くしてぇ」
垂れ眉を更にハの字にして、くすくすと笑う君につられて僕の貌もふわり、と緩んだ。そんな僕の緩みきった頬に君の髪が、悪戯のように触れる。ことん、と僕の心が動いた。触れようと指が動くその瞬間、君の言葉が僕を曖昧に遠ざけようとする。
2006「ねぇ! そんなに睨んでたら、嫌われちゃうよ?」
何時の間にか僕の目の前に君が居て、少し困った様な笑みを僕に向けていた。目を白黒させる僕に構わず、眉間に人差し指の腹を押しつける。
「なに、するん?!」
「マッサージしてあげてんの! 眉間の皺、まぁた深くしてぇ」
垂れ眉を更にハの字にして、くすくすと笑う君につられて僕の貌もふわり、と緩んだ。そんな僕の緩みきった頬に君の髪が、悪戯のように触れる。ことん、と僕の心が動いた。触れようと指が動くその瞬間、君の言葉が僕を曖昧に遠ざけようとする。
糸遊文
DONE【ムーサの骨と品字様(@Musa_kabe)】にて。柊眞先生と担当編集の河原女さん(@momoto_ssk)が冬に迎えた終焉。
泥中の蓮華 しん、と凍てつく夜に染まった部屋にひっそりと在る火鉢の炭が燻っては、僕の悴んだ手をゆっくりと解いてゆく。賑やかな虫の音も途絶えた静かな夜は、どの季節よりも厭った。嘲うようにゆっくりと頭を擡げる寂寥に呑み込まれて、呼吸さえも満足に出来なくなってしまうから――。深淵へと手招く寂寞から目を逸らすように瞑った。
深く深く凍てつく夜気を肺に入れ、かさついた薄い唇を開いてゆっくりと息を吐くのを数回繰り返す。嗅ぎ慣れたインクの匂いに紛れて幽かに漂う、柔らかく甘い蠟梅の香りが凝った心を解していった。
――先生は、私を信じてくれますか?
呂色の絹糸が柔らかな風に弄ばれるままに縋るでもなく淡々と、月もない夜凪のような眼で真っ直ぐに僕を見詰める女性が眼裏にゆらり、と浮かぶ。ここには居ない薄月を求めて、想いを募らせる。右手からころり、と落ちた空の注射器は、人目を厭うように火鉢の影へと転がっていった。
2824深く深く凍てつく夜気を肺に入れ、かさついた薄い唇を開いてゆっくりと息を吐くのを数回繰り返す。嗅ぎ慣れたインクの匂いに紛れて幽かに漂う、柔らかく甘い蠟梅の香りが凝った心を解していった。
――先生は、私を信じてくれますか?
呂色の絹糸が柔らかな風に弄ばれるままに縋るでもなく淡々と、月もない夜凪のような眼で真っ直ぐに僕を見詰める女性が眼裏にゆらり、と浮かぶ。ここには居ない薄月を求めて、想いを募らせる。右手からころり、と落ちた空の注射器は、人目を厭うように火鉢の影へと転がっていった。
糸遊文
DONE【ムーサの骨と品字様(@Musa_kabe )】にて。柊眞先生と担当編集の河原女さん(@momoto_ssk)が迎えた終焉のひとつ。
落華 未だ昼間の暑さを残す夜風が僕の頬を撫で、闇夜に溶け込む絹糸をさらった。ふと、遠くから幽かに響く潮騒に歩を止め、煌々と冴えた月を見上げれば。
「先生?」
陽炎のような不安げに揺らいだ声が数歩後ろから、遠慮がちに袂を引いた。ゆったりと望月から陽炎へと視線を移してゆく。月白の月光を遮るように佇み、双つの深潭が僕をじっと見詰めていた。何の感情も読めぬ深潭は冷ややかなようで、何処か温もりと悲哀を感じて――真意を探るように見詰め返す。
「せんせい、」
ざァ……っ、と少し冷え込んだ風が吹き、彼女の声と共に僕の心を平らにしてゆく。
「私もお供しますから」
風で乱れる髪を押さえ、真っ直ぐに貫く黒曜石のような双眼と僅かに甘く柔らかな声音が、躊躇していた僕の背をトンっ、と押した。
1203「先生?」
陽炎のような不安げに揺らいだ声が数歩後ろから、遠慮がちに袂を引いた。ゆったりと望月から陽炎へと視線を移してゆく。月白の月光を遮るように佇み、双つの深潭が僕をじっと見詰めていた。何の感情も読めぬ深潭は冷ややかなようで、何処か温もりと悲哀を感じて――真意を探るように見詰め返す。
「せんせい、」
ざァ……っ、と少し冷え込んだ風が吹き、彼女の声と共に僕の心を平らにしてゆく。
「私もお供しますから」
風で乱れる髪を押さえ、真っ直ぐに貫く黒曜石のような双眼と僅かに甘く柔らかな声音が、躊躇していた僕の背をトンっ、と押した。
糸遊文
DOODLE忘却の果て。忘却の果て。 真っ暗な冷たい夜から眼を覚ますと、囂々と燃える仄日がレースカーテンを橙色に染め上げて。業火を背負う貴方の顔が、影で真っ黒に塗り潰されて見えなかった。
肌寒い風が緩やかに吹き込み、消毒液の匂いが鼻を擽ってゆく。腕に刺さった針からチューブが伸びていて――。ぽつん、滴が落ちて滲んだ。
「……おぼえてる?」
私の掌を包み込んでいた影が、震える声で縋る。胸を締め付けられる痛みと共に首を横に振った。橙色の海に沈んだこの空間にひっそりと夜が忍び寄る。
「そっか……」
俯く貴方に影は更に深く差して……ねぇ、貴方は誰なの?
声を殺して泣く姿も、私より熱い体温も知っているようで、知らない。
ねぇ、貴方は私を知っているの。胸を締め付ける切なさと愛おしさが、空っぽな私を蝕んでゆく。さっきまで上手に出来ていたのに、忘れてしまったみたいに呼吸が出来なくて、視界が滲んだ。
527肌寒い風が緩やかに吹き込み、消毒液の匂いが鼻を擽ってゆく。腕に刺さった針からチューブが伸びていて――。ぽつん、滴が落ちて滲んだ。
「……おぼえてる?」
私の掌を包み込んでいた影が、震える声で縋る。胸を締め付けられる痛みと共に首を横に振った。橙色の海に沈んだこの空間にひっそりと夜が忍び寄る。
「そっか……」
俯く貴方に影は更に深く差して……ねぇ、貴方は誰なの?
声を殺して泣く姿も、私より熱い体温も知っているようで、知らない。
ねぇ、貴方は私を知っているの。胸を締め付ける切なさと愛おしさが、空っぽな私を蝕んでゆく。さっきまで上手に出来ていたのに、忘れてしまったみたいに呼吸が出来なくて、視界が滲んだ。
糸遊文
MOURNINGかなり昔(『機械仕掛けの少女~』の書き終わった時期くらい)に書いた作品なのだけれど。結構、自分の作品の中で気に入ってる。春はまだ。「ほら、あれを見て!」
彼が雪に埋もれたフキノトウを指差す。
「もうすぐ春がやってくるね」
ふわり、微笑みながら彼は冷え切った私の掌を包み込む。じんわりと伝う彼の体温。「そうだね」と返そうとした私の口から白い吐息が漏れ、彼の微笑を遮る。彼が、ふっと消えてしまいそうで不安になった。思わず、ぎゅっと強く彼の手を握る。彼は私の気持ちを知ってか、知らずか。
「何処にも行かないよ?」
そう、春の日差しの様な微笑みで私を見詰めてくれたのに。約束してくれたのに。
蝉時雨が降り注ぐ夏。消毒液の匂いと、ピッピッピッと規則正しく鳴る電子音。真っ白に塗り潰された部屋で彼はひとり、私を置いて迷子。少し冷たい彼の手を握って、唯々待ち続ける。それも、彼の“春”は未だ見つからない。
373彼が雪に埋もれたフキノトウを指差す。
「もうすぐ春がやってくるね」
ふわり、微笑みながら彼は冷え切った私の掌を包み込む。じんわりと伝う彼の体温。「そうだね」と返そうとした私の口から白い吐息が漏れ、彼の微笑を遮る。彼が、ふっと消えてしまいそうで不安になった。思わず、ぎゅっと強く彼の手を握る。彼は私の気持ちを知ってか、知らずか。
「何処にも行かないよ?」
そう、春の日差しの様な微笑みで私を見詰めてくれたのに。約束してくれたのに。
蝉時雨が降り注ぐ夏。消毒液の匂いと、ピッピッピッと規則正しく鳴る電子音。真っ白に塗り潰された部屋で彼はひとり、私を置いて迷子。少し冷たい彼の手を握って、唯々待ち続ける。それも、彼の“春”は未だ見つからない。
糸遊文
MOURNING実は『心象の箱庭』が生まれる前から在った、箱庭と黒猫。廻る歯車の箱庭カチッ……カチッ……カチッ。
巨大な二つの歯車が噛み合いながら、ゆっくりと回りながら巡る。歯車が止まること無く廻るから、この奇妙な世界も廻る。ゆっくり、時間を掛けて。
――べしゃり。
灰色の空に半透明な0と1が、迷子になったパズルピースの様に浮かんでいる。小さな黒い塊が、宙から落っこちてきた。背中にゼンマイをくっつけたリスが、小さな螺旋を投げ棄てて飛び退く。もぞもぞ、赤茶の煉瓦の上で小さく身動ぐ黒い塊。
ぴょこんっ、小さな三角の耳が二つ。不機嫌そうにゆらゆら揺れる逆立った尻尾。アーモンドに似た大きな眼が、忙しなく動く。どうやら、宙から落っこちてきたのは黒い猫らしい。黒猫は丁寧に顔や耳を洗い、辺りを一瞥して澄まし顔で歩き始めた。黒猫が向かう先には、小さくペンギンの様なものが見える。
1613巨大な二つの歯車が噛み合いながら、ゆっくりと回りながら巡る。歯車が止まること無く廻るから、この奇妙な世界も廻る。ゆっくり、時間を掛けて。
――べしゃり。
灰色の空に半透明な0と1が、迷子になったパズルピースの様に浮かんでいる。小さな黒い塊が、宙から落っこちてきた。背中にゼンマイをくっつけたリスが、小さな螺旋を投げ棄てて飛び退く。もぞもぞ、赤茶の煉瓦の上で小さく身動ぐ黒い塊。
ぴょこんっ、小さな三角の耳が二つ。不機嫌そうにゆらゆら揺れる逆立った尻尾。アーモンドに似た大きな眼が、忙しなく動く。どうやら、宙から落っこちてきたのは黒い猫らしい。黒猫は丁寧に顔や耳を洗い、辺りを一瞥して澄まし顔で歩き始めた。黒猫が向かう先には、小さくペンギンの様なものが見える。
糸遊文
PAST『蒼が愛したミモザ』カクテルにハマッてた時に書いた作品。
『蒼が愛したミモザ』 グッと照明を落とし、仄かに灯る橙色のペンダントライトに彩られた箱庭。しっとりとしたピアノの旋律と共に儚い恋心を乗せた歌声が、波紋の様に優しく切なく響く。濃紅色で彩られた唇は甘く恋心を囁き、目を伏せ翳った瞳は哀を漂わせる。今宵も、我が歌姫は誰を想い、その美しい声音で歌うのか。
彼女が一等よく見える席で、仄暗い感情が腹の底で渦巻くのを感じながら、ウォッカギブソンを流し込んで誤魔化す。アルコールで浮つく思考を微かなベルモットの香りと苦味が私を現実に引き戻す。ややあって、美しき旋律は止み控え目な拍手で締めくくられていた。舞台から彼女がそっと下り立ち、ゆったりと此方へと歩み寄る。仄かに輝く水槽を泳ぐセイレーンを捕らえるべく、席を立つ。するりと彼女の細腰に手を回し、私の元へと少し強引に引き寄せる。
759彼女が一等よく見える席で、仄暗い感情が腹の底で渦巻くのを感じながら、ウォッカギブソンを流し込んで誤魔化す。アルコールで浮つく思考を微かなベルモットの香りと苦味が私を現実に引き戻す。ややあって、美しき旋律は止み控え目な拍手で締めくくられていた。舞台から彼女がそっと下り立ち、ゆったりと此方へと歩み寄る。仄かに輝く水槽を泳ぐセイレーンを捕らえるべく、席を立つ。するりと彼女の細腰に手を回し、私の元へと少し強引に引き寄せる。
糸遊文
PAST物語性は皆無ですが、不思議と気に入っている。『悪い夢だと君の瞼を覆った』 僕が覚えている事はただ一つ。澄み渡る蒼、それだけ。心地良い微睡みに躯を委ね、ふわふわと意識を漂わせる。あゝ、このまま――。
「曉?」
さらりと濡れ羽色の髪が僕の視界を遮り、小さな影が覗き込む。
「曉」
くいっ、小さな掌が服の裾を引っ張る。僕はぼんやりと振り向く。先程から僕の名を呼ぶ声は――小さな女の子だった。
「……誰?」
「曉、忘れちゃったの?」
蒼玉のような双眸がじんわりと涙に濡れ、綺羅と瞬く様は綺麗で。僕はつい、其方へと掌を伸ばす。僕の指に寄り添う様に絡む艶やかな髪、指先に触れるきめ細やかな肌。
「また忘れちゃったの、曉は忘れん坊さんだね……」
僕の掌に頬をすり寄せ、小さな吐息と共に微笑する彼女の名は何だったか。僕は未だぼんやりとする意識の中、必死に記憶を手繰り寄せる。透き通る蒼、――蒼?
1919「曉?」
さらりと濡れ羽色の髪が僕の視界を遮り、小さな影が覗き込む。
「曉」
くいっ、小さな掌が服の裾を引っ張る。僕はぼんやりと振り向く。先程から僕の名を呼ぶ声は――小さな女の子だった。
「……誰?」
「曉、忘れちゃったの?」
蒼玉のような双眸がじんわりと涙に濡れ、綺羅と瞬く様は綺麗で。僕はつい、其方へと掌を伸ばす。僕の指に寄り添う様に絡む艶やかな髪、指先に触れるきめ細やかな肌。
「また忘れちゃったの、曉は忘れん坊さんだね……」
僕の掌に頬をすり寄せ、小さな吐息と共に微笑する彼女の名は何だったか。僕は未だぼんやりとする意識の中、必死に記憶を手繰り寄せる。透き通る蒼、――蒼?