不意打ちのキス「えっ!?」
零余子は我が目を疑った。
職場だと言うのに、無惨が突然、秘書である黒死牟の腕を引っ張り、唇と唇を重ねる……そう、キスをしたのだ。
「……そんなことをしてもダメです」
「そこを何とか」
媚びるように笑って、無惨はもう一度キスをする。
零余子は脳内の時計を巻き戻した。
先日、ディーラーに新車の試乗に行き、どうしても新車に買い替えたいと、これまた職場でする話かよ、という話題で二人は揉めていた。
「駄目です。今の車、いくらしたと思っているのですか?」
「綺麗に乗っているので下取りに出せば良い値段になるだろう」
「無理です。外車の中古市場は飽和状態で売っても買い叩かれるのです。別にマイナーチェンジしかしてないのですから今のままで良いでしょう」
車が欲しい、車が欲しいと駄々っ子のように無惨は大騒ぎする。おいおい、ミニカーを買うのと事情が違うだろう。お前の欲しい車で家一軒建つぞ、と零余子は思っていたが、二人がくだらない口論を続けていると、突然無惨が黒死牟にキスをしたのだ。
無惨が少し体を後ろに引くと、しっとりと湿った唇がゆっくりと離れていく。
いつもより輝き二倍増しで無惨は上目遣いで言う。
「新車、欲しいなぁ……駄目?」
黒死牟がどんな反応をするかと思いきや、眉ひとつ動かさず、「駄目です」と即却下だった。
職場でこんなことするか? と零余子の脳内では薄い本が分厚くなるほど原稿が捗っていたが、話している内容は非常にくだらない。そこは脚色して、何か架空の危機を作り上げることにするか、と考える。
零余子的に一番萌えるのは戦場で追い詰められた二人だろうか。
どちらかが敵を引き付けて、もう片方を逃がす。死亡フラグがバンバンに立った状況に腐女子は弱い。
そして、こういう状況の無惨と黒死牟は両片想いの上官と部下が良いだろうか。立場上、好きなんて浮ついたことが言えない無惨と、皆の憧れである上官に淡い恋心を抱いている黒死牟。
そんな二人は敵の砲弾から命からがら逃げるが、もうこの先はない。
「ここは私に任せて、お前は先に逃げろ」
「そんなこと出来ません!」
聞き分けの悪い黒死牟に不意打ちのキス。
「次に会えたら続きをしよう……さぁ、行け!」
「無惨様ー!」
ベタな展開だが、これってウケるんだよねー! と零余子はニヤニヤが止まらない。
そんなことをしているうちに就業時間は終わる。
皆が出払った後、拗ねたまま無惨は仕事し、黒死牟は相手せず淡々と業務をこなしている。
「無惨様、明日党本部でランチョンセミナーがあり……」
無惨は大人気なく無視している。いつものことなので黒死牟は相手にせず、明日のセミナーの資料を渡し説明を始める。
「内容は以上となります」
そう言った瞬間、黒死牟は無惨のデスクに手を突いて、チュッと無惨の頬にキスをした。
何が起こったのか解らず、無惨は目を見開いて固まっている。自分からキスすることはあっても黒死牟からしてくることなど皆無に等しい。
「これで機嫌を直して、早く仕事モードに戻って下さい」
「えっ? もう一度、唇にキスしてくれたら直す」
「調子に乗らないで下さい」
容赦なく黒死牟は無視するが、前屈みになったままの黒死牟のネクタイを掴んで、無惨から再び唇を重ねにいった。