Let's surf「グッモーニン!ボクの名前はマイケルです。よろしくお願いしマス!」
陽気に挨拶するこの男が、今日のレッスンのコーチだった。夏の日差しが良く似合う眩しい男である。自己紹介を聞くと、彼はアメリカ人の父と日本人の母の間に生まれ、ハワイ生まれハワイ育ち。日本語は母親に教えてもらって覚えたというが、数回親戚に会いに来日もしたことがあるという。アクセントは多少英語混じりだが、事前情報の通り会話は十分できるようであった。サーフィンを日々しているからか、真っ黒に焼けた肌に健康的な筋肉がよく映える。好青年に見えるが、年齢は以外にも四十歳を超えているとのことだった。
「OK。まずは……二人の名前を教えてもらってもイイ?」
マイケルが何かの書類にメモを取りながら、名前を聞いてくる。
「オレが獅子神で、こっちが村雨だ」
「OH、それはファミリーネーム、苗字じゃない?ココでは名前で呼ぶのが普通だから、名前を教えてヨ!」
「そっか。オレが敬一で、こっちが」
「……礼二だ」
「THANKS!アナタの名前は発音が少しムズカシイから、ケイって呼んでもOK?」
「オーケーオーケー!なんか新鮮だな」
ハワイでサーフィンができることに大層上機嫌そうな獅子神と、暑さで溶けそうになっている村雨のアンバランスさに、マイケルは思わず笑っていた。
「アナタたち、本当に正反対でオモシロイ友達同士ネ!」
陸でストレッチや基本の姿勢の練習もそこそこに、海に出る。
二人が来ていたのは、ホテル近くのワイキキビーチの端である。せっかくならと最初はサーフィンの聖地と呼ばれているノースショアという場所でレッスンを申し込もうとしていたのだが、直前すぎて日本語対応ができるレッスンの予約が埋まっていたのと、調べてみるとノースショアの波は初心者には扱いが難しいようだったため、比較的波に乗る経験がしやすいワイキキビーチかアラモアナビーチで考え、予約が取れたのがワイキキだった。
日頃から筋トレをしていると見抜かれた獅子神は、自分自身の腕力でクロールのように波を漕ぐ『パドリング』をして沖に出てみることになった。対して、誰が見ても筋肉のなさそうな村雨は、サーフボードに腹這いになりマイケルが沖に連れていくことになった。されるがままの姿の不服そうな村雨を見て、獅子神は爆笑していた。
沖に到着すると、先ほど陸地で練習した姿勢を波のタイミングに合わせて早速実践するようだった。波に乗るのは一人ずつ順番に。マイケルが指導しやすいようにというのと、安全面への配慮だろう。
まずはうつ伏せのまま。次はうつ伏せから正座に短い時間で動いて。その次はうつ伏せから正座、そしてバランスを保ちながら起立する。
「レイジ!アナタは腰がよくない~もっと腰を下げて!ワタシのようにバランスを取る!まっすぐ立ってクダサイ」
「ケイ~!アナタはとってもNICE!初めてと思えないくらい上手だネ!」
そう声を掛けられながら、二人は千本ノックのように何度も波に乗る練習を行う。あの村雨礼二がサーフボードの上で生まれたての小鹿のようにフラフラしながら立とうとしている姿が面白すぎて「スマホで動画に残しときたかったな」とつぶやくと、マイケルが「安心して。ボクが撮ってるから!後で送るヨ~」とウインクした。これはいい。いつものメンバーのグループに送ってやろうと獅子神がニヤニヤしていると、ヘロヘロになった村雨が「悪巧みは私に気づかれないようにしてもらえるか」と睨みつけてきた。
波に乗れても乗れなくても、マイケルが待つ沖までパドリングで戻らなくてはならないことで、じわじわと村雨の体力を奪っていく。
「……少し、体調が良くない。戻ってもいいだろうか」
村雨がこの日初めて自分からマイケルに話しかけた。
「OH、それは大変!教えてくれてありがとう。それじゃあ、ボクがまた浜辺まで連れていくから、ボードにうつ伏せになれるかい?……OK。ケイ、ボクが帰るまで往復で五分少しだと思うケド、ここで待っていて。流されると危ないから、足はつく深さだから、立って待っててネ」
そうして二時間のレッスンの半分ほどで、村雨は離脱することになった。
「獅子神。これは自分の力量を見誤った私の問題で、あなたは悪くないので気にせずに楽しむように。わかったか」
自分のやりたいことに無理に巻き込んでしまったかと申し訳なさそうにしている姿を見て、去り際に村雨が言葉を残していった。
◇ ◇ ◇
「今日のレッスンはこれで終わりデス!また日本に戻っても、よかったらサーフィンにチャレンジしてみてネ!カナガワとかいい波だって友達が言っていたヨ~」
「ありがとうマイケル!お陰で最高に楽しかった」
村雨がわざわざ言い残していってくれたこともあり、レッスンの終わりまで獅子神は思い切り楽しんでいた。終わりごろには、補助なしでも一人で良い波を見つけて乗れるようになっており、「センスがあるネ」と褒められていた。
「レイジは大丈夫そうかな?ボクは次のレッスンで行かなくちゃいけないけど、このテントの下にはまだ居てもらって大丈夫だからネ!」
「ああ、少し休ませてもらってから帰ることにするよ。えーっと、マハロ!」
「ハワイ語のありがとう、ネ!覚えてくれてボクも嬉しい。それじゃ、ALOHA!」
そう言って、マイケルは次のレッスンを待っていた生徒たちの元に走っていった。(アロハってこんにちはだけじゃなくて、さようならの意味もあるんだっけ)などと考えながら、テントの下で涼んでいた村雨の元に向かう。
「おー、大丈夫か?」
「……ああ、問題ない。彼がクーラーボックスに入っていた冷たい水をくれたのであらかた良くなった」
「そうか。なら良かった」
獅子神も持参していた水筒で水分補給をする。日頃体を鍛えている獅子神も、普段使わない筋肉を動かしたことで幾分か疲労している実感があったが、運動をしない村雨にとってはよりその疲労は深刻なのだろう。それに加え、この照り付ける日差しだ。体力は相当奪われているだろう。
「なあ、このあとすぐ飯食いに行くって話してたけど、少し部屋で休むか」
「……正直、助かる」
「だよな。オレもちょっと疲れた。帰るか」
そうして二人は荷物を整理して、帰路についた。
「何かを学んで自分のものにする感覚が、オレは好きなんだろうなー」
ビーチ沿いの道を歩きながら獅子神が言う。ホテルまでは歩いて帰れる距離だったし、村雨の体調も回復していたのでタクシーは頼まなかった。海風が気持ちいい。日本とは違う、カラッとした空気だった。
「ギャンブルだって、オメーみたいなすげー奴らが周りにいることで、4リンクでやってたときよりも比べ物にならない速さで成長できてるって思う」
「……そうか」
村雨の顔色も戻ってきており、獅子神はほっと胸をなでおろす。
「それにしても、今日のオメーはめちゃくちゃ無口だったな。練習始まる前から体調悪かったとか?」
「必要最低限の返事はしていただろう」
「はーん。さては人見知りなんだな」
「そうでもないと思うが」
「なあ、村雨先生。正直に言っちまえよ」
「うるさい。このマヌケ。さっさと帰るぞ」
そうして二人は、ゆっくり歩きながらホテルに戻っていった。
「そういやマイケルからサーフィンしてるときの写真と動画をもらったんだった。送っておく」
「必要ない」
「……あっ、悪い。個人の方に送ろうとしたらいつもの癖でみんないるほうに送っちまったわ」
わざとではない顔をして獅子神は詫びてきたが、本当はどちらだったのだろうか。時差があるというのに、真経津と叶からの反応で通知が止まらなくなり、村雨は重く溜息を吐いてスマホの電源を落とした。