To lose is to win.「はーーー、負けたーッ」
そう言って獅子神は、バタンと大の字に寝ころんだ。
宇佐美班のラスベガス慰安旅行で突然開催されたエキシビジョンマッチは、真経津とその相方ペアの勝利で幕を閉じた。ゲームの詳細はここでは伏せるが、命を落としたり大怪我をするものではなく、巨大な会場を舞台に体力を使い動き続けるのが一名と、知力を使いペアに指示を出すのが一名の計二名で協力し合うような仕立てだった。体力の方は獅子神と真経津が、知力の方は村雨とゲスト参加の男が担当していた。
日本の一銀行がこんな会場をラスベガスに急遽設営できるとは思えないため、どこの国でも考えることは同じく、ここにも人の命の輝きに賭けるような裏カジノがあるのだろう。
真経津が現地のカジノでスカウトしたというゲストの男は、彼らが宿泊しているホテルのカジノで一日のうちほとんどを過ごしていたらしい。いつ行っても彼の姿を見かけていたため、目について声を掛けたそうだ。
ゲームが始まる前にMCの紹介で知ったのだが、彼はこのあたりで有名なギャンブラーだった。負けるときは負けるし、勝つときはとんでもなく勝つ。生活も不安定だというが、ギャンブルは本気で遊べる場だからたまらなく好きなのだと、彼は言っていた。そこが、真経津の考えとぴったりあったのかもしれない。
「つ、疲れた……水、水をくれ……」
ゼエゼエと荒い息で近くにいた梅野に声を掛ける。
数時間ひたすら動き回るのは、体力のある獅子神にもなかなか負荷の掛かるものだった。
「お疲れ様です。最後まで肉薄した今回のゲーム、お見事でした。会場も大いに盛り上がっておりました」
水とタオルを差し出して梅野も労いの言葉を告げる。そう、最後の最後まで接戦だったのだ。むしろ最終局面までは、村雨・獅子神ペアが勝っていたのだ。
……例の助っ人男が、最後にとんでもないことをしなければ。
「あんなん、ずりィだろーが!」
「確かに、日本ではなかなか見ない手法でした。ですが、宇佐美主任の事前のルール説明に違反しているわけではないため……」
「だーッわかってる! また真経津にしてやられて悔しいだけだ!」
獅子神と梅野がそう話していると、「獅子神さーん」と声が聞こえた。仰向けになったまま目線だけ動かすと、フラフラした真経津が御手洗に肩を借りてこちらに近づいてくる。
「獅子神さん、おつかれさまー。今回も楽しかったね」
汗は滝のように流れているが、晴れ晴れとした笑顔で真経津はそう言った。
「ったく、どーなってんだよオメーの体力は……」
「えー、ボクもちゃんとヘロヘロだよ。見ての通りね」
笑って言って見せる真経津を見て、(ああ、まだコイツには敵わねえな)と獅子神もフっと笑った。その瞬間、真経津の笑みが怪しいものに変貌する。
「──ねえ、獅子神さん。今回のゲームで、ボクから何か盗めた?」
それは、二人が出会った始まりのゲーム。気分屋ルーシーでの一幕を彷彿とさせる問いかけであった。獅子神はその言葉にゾクっと一瞬身震いをしたが、姿勢を直してこう答えた。
「……『相棒の判断はちゃんと信じる』ってこと、だな」
◇ ◇ ◇
一方、別室から指示を出していた村雨は、深い溜息をついていた。
私情はきっちりと分けてゲームを進めていたはずだった。いつも通り、適切な場所で、適切な処置をする。診察と同じだ。
だが今日に限って、判断を誤ってしまった箇所があった。結局、こちらの指示に従わず獅子神が勝手に動いたことでこちらの意図は無駄になったが、全くもって自分らしくもない。
「いやいや、お疲れ様です、村雨さん。面白いゲームでした。お客さん方も大盛り上がりで帰っていきましたよ」
ヘラヘラ笑いながら、無遠慮に渋谷が部屋に入ってくる。ノックの音すらしなかったように思う。「何の用だ」という意味を込めて睨みつけるが、渋谷には何も伝わらなかったようだ。そのまま彼は話をつづけた。
「ですがあそこで彼に出した指示は、村雨さんらしくなかったですねぇ」
自分でわかっているところを渋谷にも指摘され、村雨のこめかみに血管が浮かぶ。
「あなたの仕事は今ここにはない。今すぐ立ち去るといい」
「ご冗談を! 担当している方の敗北後のケアも、私ら行員の立派な務めですよ」
そう言って渋谷は水とラムネの菓子を差し入れた。
「頭を使った後には、糖分がいいって聞きましてね」
「……間違いではないな」
村雨は渋谷から菓子をもらい、そのまま数粒口に含んだ。
「私で良けりゃ、話くらい聞きますよ」
葉巻に火を点けながら、渋谷は村雨にそう伝えた。
「人と思って話していただいても、壁と思って独り言を言っていただいても構いません。口は堅いほうなので、ご安心を」
「……では、あなた個人として聞いてもらおうか」
珍しく、村雨が心の内を他人に明かそうとしていた。
「獅子神に好意を抱いている。無茶な指示を出して怪我を負わせたくなかった。それだけの話だ」
「いやいや、それだけの話って言われても……そもそも、ルール説明で言った通り、このゲームは死にゃしないし大怪我の心配もなかったんですよ」
「……あなたはすっかり忘れているかもしれないが、そもそも私はギャンブラーではなく医者だ。例え、死なない・大怪我はしないと言われていても、健康な人間をこちらから患者にしに行くような真似は、よほどのことがない限りするべきではないというのが私の考えだ。ギャンブラーも行員も含め、あなたたちはここのあたりの感覚が麻痺しすぎて、時折話が通じない」
ジロ、と再び睨みつけると、渋谷は「おー、怖い怖い」と肩を竦めた。
「ま、私から一つ言えるのは、『もっと相手を信頼したらどうですか』ってことくらいでしょうな。彼も立派な1/2ライフのギャンブラーだ。そこまでヤワじゃない。」
信頼。それは、久しく村雨が誰かに対して抱いたことのない感情だった。少し前までの自分であれば「くだらない」と一蹴していたが、今なら少しばかりではあるものの、わかるような気がする。
ノックの音がして、二人は扉のほうに目線を移す。
「相棒のお出ましのようなので、私はお暇するとします」
ではまた、と、来訪者と入れ違いで渋谷は部屋を後にした。
「お疲れ。その……悪かったな。オメーの指示を無視してこっちの独断で動いちまって。改めて思い返せば、あの判断はオレを守ってくれようとしたんだろ?」
「ああ……だが、私もあなたの技量を信頼せず、パペットのように動くよう指示を出していた。私たちの間には、まだまだ言葉を交わす余地がある」
「オレも、同じこと考えてた。勝手に打ち上げでもするか」
そう言って村雨と獅子神の二人は、煌びやかなラスベガスの夜に店を探しに出かけていった。