和ホラー?サンフリそれはある暑い日のことでした。
私はいつものように学校に行こうとして、忘れ物に気付いて慌てて家に戻りました。
それで遅刻しそうになって、友達もとっくに先に行ってしまっていたので、つい一人で「近道」を通ってしまいました。
その「近道」はせんじゅさまのいる神社の境内です。
せんじゅさまは私たちの村の神様で、普段は優しいけれどとっても怖いところもある神様らしいです。
嘘か本当かは分かりませんが、昔はせんじゅさまを怒らせないように何年かに一度、子どもが捧げられていたという噂もあります。
現代ではさすがにそんなことはなく、村の若い人たちはせんじゅさまへの畏れと感謝を忘れ、神社は管理する人もおらず寂れた様子でした。
そして、その境内に入る時には、いくつか約束事があると祖母から聞いていました。
その一つが「子どもは決して一人で境内に入ってはいけない」というものでした。
私が最初にそれを聞いた時には、どうせ子どもを脅かすための嘘なんだろうと思いました。
大して気にも留めていなかったから、遅刻しそうなことに気を取られて一人で「近道」してしまったのです。
古そうな鳥居をくぐると、夏の朝というのは早くから日が高く暑いのに、周りに鬱蒼と茂る林のおかげか、少しひんやりとするほど涼しく感じました。
普段の通学路は神社を迂回するような道で、境内の中を突っ切れば確かに近道でした。
トンネルのように続く林の先にいつもの通学路と先に行った友達が見え、いつもと違う空気に少し緊張していた私もほっと息を吐いて友達の方へ走り出そうとしました。
バキッ
その時、木の枝の折れる音がやけに響いた気がして、思わず振り返りました。
誰かがいる気がするのですが、後ろには人影もなく、怖くなって早く通学路へ出ようとしました。
「おい、人間。初めて会うのに挨拶もなしか?」
誰もいなかったはずの背後から声がして、一瞬で金縛りにあったように動けませんでした。
「こっちを向いて握手しろ」
振り向きたくないのに、その声に操られるように身体が勝手に後ろを向いてしまいます。
怖くて怖くて、唯一自由に動かせる目線だけは俯いて上げられませんでした。
震える手は勝手に持ち上がっていき、やけに硬くて冷たいものに触れたと思った瞬間、
妙に明るく下品な音が静寂な神社の境内に響き渡り、私は恐怖心も忘れて呆けてしまいました。
おそるおそる顔を上げると、そこには確かに人ではないもの――真っ白な骸骨がいました。
普通ならば悲鳴を上げるところなのに、その骸骨があんまり人間らしい笑顔を浮かべていたので、私は怖がっていいのか笑っていいのか分からなくなってしまいました。
「ハハ…引っかかったな。手にブーブークッション仕掛けておいたんだ」
「オイラはサンズ。見ての通りスケルトンさ」
何の反応もできない私を尻目に、目の前の骸骨は自己紹介を始めました。
どう見ても人間ではないのに、人間のように話し始める姿に私はますます混乱するばかりでした。
「……す、スケルトン…??せんじゅさまじゃないの……?」
「センジュサマなんてヤツにオイラは会ったことないぜ」
「そう、なの…?ここはせんじゅさまっていう神様のお家…みたいなものだと思うんだけど…」
「へー。オイラ最近こっちに来たからな。誰もいなさそうだから勝手に拝借してるんだ」
神様のお社を勝手に拝借しているというおしゃべりな骸骨のペースにのまれて、気付けば私も普通に喋っていました。
「えーと、さ……っ、サ、ン……?」
「サンズだ」
先ほど聞いたばかりの彼の名前は、口にしようとすると少し引っかかりを感じました。
しかし会話するのに名を呼ばないのは不自然ですし、彼も呼ばれるのを待っているような気がしたので、違和感を無理に飲み込んで口にしてみました。
「さ……サン、ズ……?」
「……へへ……そう、サンズ」
彼は不思議と、とても嬉しそうな顔で笑ったので、なんだか私も嬉しくなったのを覚えています。
「サンズは、神様じゃないの?」
「んー、オイラはただのイタズラ好きな妖怪みたいなもんさ」
「ようかい……」
「別にこっちから人間に酷いことはしないぜ?オイラは子ども好きだから、さっきのアンタみたいにちょっとしたイタズラを仕掛けてびっくりさせるのが趣味なんだ」
「……最初は本当に怖かったんだけど……」
「へへ、イタズラにはメリハリが必要なんでな」
全く悪びれもしない彼の様子に少しムッとしましたが、私はそこでようやく学校のことを思い出しました。
「あっやばい!!学校行かなきゃ!」
「もう行くの?」
「うん!遅刻しちゃうから!」
「そっか……そういえばアンタ、名前は?」
「あ、言ってなかったね、私は――……?」
あの時の私は無意識に、名乗るのを躊躇ったのだと思います。それでも、少し寂しそうなサンズを見て、またこの友達に会いたいという気持ちが勝ってしまったのです。
「――フリスク!私の名前!」
「フリスク……フリスクか……よし、覚えた。
……オレのこと、忘れないでくれよ」
「そんなすぐ忘れないよ!またね、サンズ!」
「ああ……"また"な」
名残惜しくも彼と別れ、急いで境内を出ると、先ほど林の先に見えた友達が数m先にいました。
おかしいな、だいぶ長く話していた気がするのに全然進んでないような……あれ、そもそも、私は誰と話していたんだっけ……?
さっきまでそこにあった記憶が急に抜け落ちたようで、私は頭を傾げました。
すると前にいた友達が私に気が付き、話しかけてきました。
「あれ、フリちゃん?さっきお家戻ったのに速いね!」
「う、うん!近道してきちゃった」
「え、近道って神社の!?一人で通って大丈夫だった…?」
「あはは、へーきへーき!"何にもなかった"よ!本当に近道だったし」
「なんだ〜、やっぱり嘘なんだ。あたしおじいちゃんから聞いてすっごい怖かったのに!」
「あ、そういえば……神社に入る時の約束事って、子どもは一人で入っちゃいけないっていうのと、他にも何かあったっけ……」
「えーと確か……
境内で名前を聞かれても答えちゃいけない、
だったかな?」
あの後、通学路に戻った私はすっかり境内で体験したことを忘れ、少しして親の都合で県外へ引っ越すことになりました。
その後は大学へ進学し、夏休みになり祖父母の家へ帰省していたところ、ふとあの神社のことを思い出して10年ぶりに立ち寄ってみることにしました。この時までずっと神社のことなど忘れていたのに、不思議です。
子どもは一人で境内に入ってはいけない……その約束事が頭に浮かびましたが、大学生の自分はもう子どもではないだろうと鳥居をくぐりました。
すると、10年前までは入り口に1つだけだった鳥居が奥へ奥へと連なっていました。信心深い人が寄進したのだろうか、と思いつつ沢山の鳥居をくぐって行きますが、なかなか社殿に辿り着かないのです。中はそんなに広くはなかったはずなのに、という疑問と共に、これ以上先へ進むな、早く戻れという自分の内なる声が聞こえてくる気がしました。
しかしそう思っても足は勝手に進んで行くのです。まるで呼ばれているかのように。
どんどん奥へと進んでいくうちに、酸素が薄くなったように息が上がり、動悸が激しくなります。
吸っても吐いても苦しい、息ができない、と思ったその時、突然鳥居の列が終わり、見慣れた社殿が現れました。
苦しかった呼吸も落ち着き、周りを見ても特に10年前と変わったところのない様子でした。
私は少し安堵して、さっとお詣りだけして帰ろうと一歩踏み出しました。
「よう、また会ったな」
後ろから突然かけられた、聞き覚えのある声。なのに何故か思い出せないのです。
親しみをもって呼びかけられているのに、背筋に冷たい汗が伝い、脳がその記憶を思い起こすことを拒絶しているかのよう。
「……忘れないって言ったのに、やっぱり忘れちゃったんだな。オイラのこと」
「っ!ち、が……」
実際に忘れてしまっているのに、哀しげなその言葉を聞きたくはなくて、必死に思い出そうとしました。
「アンタが覚えてるなら……あの時みたいに握手しようぜ」
握手しようと言われると、やはりあの時のように身体が勝手に振り返るのです。ゆっくり、ゆっくりと。そうしてまた震える手を持ち上げて、硬くて冷たい手と握手しました。
今度は間抜けな音も鳴らず、かえって拍子抜けするほど何も起こりません。私はあの時のように俯いていた顔を上げ、ゆっくりと相手の顔を確認しました。
相手の顔は案の定、にやりと笑っている真っ白な骸骨の顔でした。
この顔には怖い思い出などないはずなのに、何故こんなに己の心は恐怖に支配されているのだろうと他人事のように感じました。
「……オイラの名前、覚えてる?」
「オイラはアンタの名前覚えてるよ……フリスク」
名前、と言われてビクリと肩が竦みました。
さらに自分の名前を呼ばれ、逃げられない、という言葉が脳裏に浮かびました。
彼の名前……名前は……
「あなたの、なまえ……」
「フリスクに呼んでほしいんだ」
「……な、まえは……っはぁ、は……っ!」
彼の名前を呼ぼうとすると、急にまた先ほどの息苦しさが襲ってきます。
息が詰まり、上手く話せません。
それでも彼はじっとこちらを見て、呼ばれるのを待っているようでした。
「はぁっ、はっ……は……っさ、……げほっ!」
「うん」
私の身体も心も、その名を呼んではならぬと必死に拒絶しているようでした。
それなのに、勝手に口が動いて、その音を形作るのです。
「げほっ、げほっ……さ……ん、」
「うん」
「…………サンズ…………」
それまで激しく咳き込んでいたのに、私は急にハッキリと、明瞭に、その名を口にしました。
それを聞いたサンズはこれ以上ないほど嬉しそうに笑んで、私の右手を取りました。
「ああ、ああ、本当に覚えててくれたんだな。やっぱりフリスクは最高だ。さ、一緒に行こう」
「ま、待って……どこへ、行くの」
「どこって、オレの……いやこれからはオレたちの家だな。目の前にある社。」
「え……この社は……借りてるって」
「ああ……いや、ここは元々オレのだよ」
私の手を取ったまま、サンズが社殿の中に足を踏み入れました。すると、彼の背後に無数の骨の手のようなものが浮かび上がりました。
まるで、千手観音のような、それでいて仏とは程遠い悍ましさ。
「ひっ……!せ……せんじゅ、さま……っ」
「実は、前にアンタと会った時はオレの力は弱まってて……この中にも入れなくなったんだ。自分の家なのに締め出されるなんて、笑えるよな。オレたちは信仰がないと存在を保てないからさ……途方に暮れたよ。
でもそんな時にアンタが……フリスクが来てくれた。オレのことを見つけてくれて……名前を呼んでくれた……本当の、名前を」
彼が淡々と話している間、私は怖くて堪らなくてなんとか逃げようとしているのですが、サンズ――せんじゅさまに捕まれた手を解こうにもびくともせず、ただ彼の足が向かうままに社殿の奥へと引きずられていくばかりです。この社殿の中も鳥居の連なった参道のように、どこまでも続いていくような広さでした。
突然、前を行くサンズがぴたりと歩みを止めました。引っ張られたまま無理やり歩かされていた私は肩で息をしながら、周りを見渡しました。
そこは一般的に参拝するような社殿よりも小さく、賽銭箱などもないところでした。
ただ、中心に祀られている青い勾玉のためだけの場所でした。
「ここは本殿だよ」
「本殿……?」
「そう。神体を安置するところ。本来は人が入れる場所じゃないんだ」
人が入れる場所じゃない、その言葉は物理的に小さくて入れないという意味だけではないと、そう感じました。
「でも、フリスクはもうオレのお嫁さんだから気にせず入っていいぜ」
「お……およめ、さん……?」
サンズから放たれた言葉が、よく理解できませんでした。いえ、言葉の意味はもちろん分かっているのですが、その指すところを知りたくなかったのです。
「そうそう、オレたちのような存在の中では、お互いの真名を呼ぶってのは婚姻の儀になるんだよ。オレは一応ガキンチョのアンタを嫁にするのは止めといてやったけどさ、きっとまた会いに来てくれるって思ってた。そうしたら本当に来てくれたんだ。これって人間がよく言う運命ってやつだよな、ハハ」
「……い、いや……わた、私は、サンズのこと……友達だと、思って……っ」
カラカラと笑っているようで全く感情の籠もっていない声音で語る彼に、私は震えながら言い募りました。
それを聞いてサンズは優しげな表情で私に目線を合わせ、諭すようにこう言ったのです。
「……どの約束事にも何かしら理由があるんだ。オレはちゃあんと村の奴らに守るよう言ったのに、アンタはそれを二つも破った……悪い子だ。
悪い子はカミサマに隠されちゃうんだよ、フリスク」
そういえば幼い頃に聞いたことがありました。悪い子はせんじゅさまに隠されるから、良い子にしていなさいと。
ごめんなさい、私は悪い子だったから、そちらには戻れません。
この手紙を読んだ人が、私の知る人へ伝えてくれますように。
そして、もう誰もこちらへ来ませんように。
xxxx年xx月xx日
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(いつの間にか地面に落ちていたボロボロの紙きれを読んだ)
(かなり昔の日付だ)
(誰かの名前と思しき部分は酷く掠れていて読めない)