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    まめこ

    ジャンプ漫画が好きです。
    供養したり書きかけをぽいっとしたいと思います。よろしくお願いします。

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    まめこ

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    アンナちゃんと一之倉くんとミッチーのお話。CPはありません。アンナちゃんにとっての秘密基地(泣き場所)はどこだったのだろうと考える……。
    三人で色々食べる話になる予定でした。書けたところまで供養します。

    bitter twelve to sweet thirteen「冷静に考えて三日もバスケ出来なかったら死ぬぞ」
    「冷静に考えて死なないけどバスケはしたいね」

    足場の組まれた体育館から忙しなく電動工具の稼働する音が聞こえる。立ち入り禁止と書かれた看板の前で立ち尽くした三井に、工業高校では馴染みのある音たちに懐かしさを覚えながら、一之倉は「一週間前に言われただろ」と言って、この世の終わりのような横顔を一瞥した。

    「湘北近くて良かったわ」
    「湘北だって来月には予選始まるんだろ。長居は出来ないと思うけど」

    春、なんとか進学した県内の大学のバスケ部で三井を待っていたのは、広島で激闘を繰り広げた山王工業の松本稔と一之倉聡だった。インターハイで三井の執念に翻弄されまくった松本は三井の顔を見るなり便所ダッシュを決めて、一之倉はそれを見て苦笑いしていた。苦笑いしている一之倉に三井もまた苦手意識があった。松本と同じく、三井はインターハイでこの男にボロボロにされたのだ。
    坊主頭ではなくなった二人を、三井は最初認識することが出来なかった。久しぶり、と言った一之倉に「お前誰だ」とかましてしまった。一之倉は怒らずにぺろっと前髪を上げて「一之倉だよ。山王の」とかつて彼の所属した、全国の高校バスケット選手が憧れて止まない名門の名を口にした。

    「なんか茶道の家元みてーでかっけーけどよ、お前呼ぶのむずいわ。何て呼ばれてんの」
    「山王では「イチノ」って呼ばれてたよ。クラスでは「イッチー」とか「ノクラ」とか」

    修学旅行の長風呂選手権で当たり前の一位を取ってしまい、クラスの男子に一週間くらい「聡さん」と呼ばれていたことを一之倉は内緒にしておいた。からかいの燃料を投下するだけだ。

    「イッチーはオレと被んな」
    「なんで?なんて呼ばれてた?」
    「ミッチー」
    「可愛い」
    「後輩だから許すけどタメに呼ばれたら殴るぞオレは」
    「呼ばないよ。別に長くないし三井でいいだろ。オレはイチノでいいよ。一番呼ばれ慣れてる」
    「おう」

    再会数秒で始まった気安い交流に、便所から戻ってきた松本は恐る恐る参加をし、結局魂のぶつかり合いをした男たちはなんだかんだ打ち解けた。
    入学して二ヶ月。履修している授業も数周して段々とサイクルがつかめるようになり、ようやく大学でのバスケ生活にも本腰を入れられる。そんな矢先の出来事だった。
    体育館が室内は三日、外は一ヶ月の工事に入るとのことだった。

    「あー……。わりぃっすけど、無理かも」

    なんとかコートの一部を借りられないだろうかとやってきた三井の顔を見るなり、体育館の脇の扉から出てきた宮城は、そう言った。

    「そうだよな。邪魔してごめん。ありがとう」
    「おわ。山王の一之倉。ガードの」
    「深津じゃなくてごめん」
    「悪夢じゃん」
    「悪夢て」
    「先輩への呼び捨ては試合以外では禁止よ」

    宮城の頭を姉御肌の湘北名物マネージャーの彩子がハリセンで叩いた。どうも、と言われて一之倉もどうもと頭を下げた。バスケ部の使うフロアに女性がいることに、大学と併せていまだにあまり慣れなかった。
    叩かれた頭を撫でつつ宮城は「こっちも半面使えないんだよ」と県立ならではの事情を説明した。山王も県立だが代々築き上げてきた功績によって、公立高校とは思えないほど設備は充実していた。対してインハイ初出場オンリーの湘北は、ジャイアントキリングをしたとはいえ、早々学校から出る資金が変わるわけじゃない。体育館も去年と変わらぬままだ。

    「なんだ、リョータ。あ、三井さん」
    「見ろよヤス。インハイコンビ。三井さんと一之倉さん」
    「雑にまとめんな」
    「じゃあ我慢できる男と我慢できない男」
    「オメーオレが何言ってもキレねーと思ってンだろ」
    「目の上のたんこぶ……」
    「アァ!?」
    「仲良いなあ」

    ミニゲームに混ぜてもらえるかという申し出にも、宮城は首を横に振った。

    「昔、不良に体育館襲撃されて、部外者の出入りに厳しくなったんだよ。前もって許可取らないと無理。破ってまた学校に睨まれるのキツいんスよ」

    災難だったね、と眉を潜めた一之倉の横で「名指し」された三井はグッと黙り込んだ。何も言い返せない。
    山王でも、バスケ部が他の部活に恨まれることは稀にあった。でもそれは「サッカー部の練習試合は閑古鳥なのに、バスケ部はマスコミ用の公開練習で満員御礼とか、バスケ部が地方紙の一面を飾ったが、その割りを食って、野球部の県ベスト8の記事が新聞の隅で一行とか、体育館を二つも使ってるとか、そういうレベルの恨まれ方だ。教室では部活が何であろうと生徒たちは皆それなりに仲は良かった。暴走族とかヤンキーが釘バットで廃倉庫で殴り合いとか神奈川県のやばい噂は一之倉も聞いていたが、一県立高校が不良に襲撃されるレベルとは思わなかった。秋田とは治安の悪さのレベルが違う。
    崖から落ちた友人をあと一歩のところで助けられなかった後悔を噛み締めるように、目を瞑り天を仰いだ三井を、湘北の宮城は遠慮がちながら生暖かく見ている。なんだろう。一之倉からすれば、結構やばい話しをしているように思えるが、再びこの世の終わりのような顔をした三井とは反対に、湘北の雰囲気は和やかなままだ。自分が知らない何かがあるのかもしれない。

    「わーった……悪かったな、急によ」

    バスケが出来なかったら死ぬとあれだけ言っていた三井が、先の宮城の言葉を聞いてあっさりと引き下がった。

    「リョーちゃーん!」
    「お、アンナ」

    背後からこのところ大学の体育館でもよく聞くようになった声が聞こえた。一之倉と三井が振り返ると同時に、制服のスカートを揺らしながら、宮城アンナが彼女の兄に飛び付いた。彼女の三倍は力のある屈強な男たちと普段部活で接触している宮城は、一旦彼女を受け止めたが、結局体重と勢いに耐えきれずアンナを抱えたまま尻餅をついた。

    「リョーちゃん元気だった?」
    「同じ家に住んでんだろ」
    「リョーちゃん今日朝練だったじゃん。朝一緒に食べてないので久しぶりですー」
    「はいはい」
    「ヤスくん彩子さんもこんにちは」
    「はい、こんにちは」
    「あ、ミッチー!聡くんも!」

    飛び付かれた拍子に尻餅をついていたままの宮城から離れるとそう言ったアンナは、一之倉と三井にも両手を振った。

    「聡くんだァ?」

    あまりに気安すぎるアンナの呼び掛けに三井は片眉を吊った。
    この春、小学校から中学に進学したアンナの通う公立中学校は、三井と一之倉の進学した大学と湘北のちょうど間にあった。第三学年になり、チームを任される立場となった宮城と、昨年その兄と共にインターハイで戦った三井、そして湘北のチームメイトたちの通う湘北とその大学が、放課後の時間を持て余したアンナの遊び場となるのに時間はかからなかった。

    「アンナちゃん」
    「アンナちゃん!?なんで俺がミッチーでこいつが聡くんだよ」
    「はて?私を宮城妹と呼び続けていたのはどこの誰でしたかなー」

    先程から年下にやり込められている三井を横目に、宮城は三井と会話することを諦め、一之倉に提案をした。うるさい目の上のたんこぶはともかく、たんこぶに巻き込まれたらしい一之倉には、体育館を貸せないことについて申し訳なさもあるらしい。

    「近くにストバスコートならあるっスよ。結構穴場」
    「ほんと?助かる」
    「暇こいてるからアンナに連れて行ってもらって。アンナ、三井サンと一之倉さん連れてってやって」

    どうやらアンナは大学だけでなく、湘北にもストバスコートにも頻繁に出没しているらしい。兄のやっていることに強い興味を示して、バスケあるところにところ構わず顔を出している姿は、縦横無尽に駆け回る子猫みたいで可愛らしいなあと微笑ましい気持ちになる。一之倉は実家のきょうだいのことをふと思い出した。

    「しょーがない。このアンナ隊長がミッチー隊員と聡くん隊員をストバスコートまで先導してさしあげよう」
    「お願いしますアンナ隊長」

    女子中学生に対して適応力の高すぎる一之倉に若干引きつつ、三井は「頼むわ」とぶっきらぼうに答えた。
    湘北に来たのは、実は後輩の様子が気になったのも一つの理由だったからだ。卒業をした三井があそこに通うには建前が必要だ。「会いたいから来ちゃった」なんて可愛い彼女みたいな本音は口が裂けても言えない。そしてアレを引き合いに断られたのでは退く他なかった。あの体育館に入りたかった。あわよくば安西先生の姿も一目見たかった。三井は強烈なホームシックに今さら襲われている。

    「両隊員は海見えるのと見えないのどっちがいいかね」
    「そんなのどっちでも……」
    「見える方」

    自己を主張しない男が珍しく口を挟んだ。「体育館襲撃事件」の罪悪感が若干尾を引いている三井はややげっそりしながら、一之倉を見た。三井の周りには、チームメイト然り、友人しかり、喜怒哀楽の激しいタイプの人間しかいなかったので、一之倉のような顔の下の読めない人間と三井は付き合ったことがなかった。一之倉は決して冷たい人間でもましてや悪党でもなく、むしろ善良で穏やかな人間なのだが、感情が表情に出ないということだけがいつまでも三井に何故?を抱かせていた。同じ山王でも松本や沢北は分かりやすいタイプだ。一之倉や深津はよくわからないの極みなのだ。

    「なんでだよ」
    「太平洋」
    「湘南の海をそんな言い方するやつ初めて見たわ」
    「太平洋は太平洋」

    太平洋にこだわる一之倉の三ヶ月前まで住んでいた秋田県からは日本海が見えた。愛着と郷愁はあれど、遠浅の浜辺は少なく、一年の半分は荒涼としていて、日本の反対側にあるこちらの海とは雰囲気が全然違う。絶対に、何がなんでもその海を見ながらバスケがしたい。

    「りょーかいした!では海の見えるストバスコートへしゅっぱーつしんこー!」

    ぐんぐんと進むアンナの後ろをついていく三井と一之倉のテンションは真反対だった。

    「こらー、平隊員たち、返事はどうした!」

    試合で相手が震え上がるほど美しいスリーをバシバシと決めて、力強く拳を突き上げたあの姿からは想像も出来ないほど弱々しく拳を顔の横に挙げた三井の横で、一之倉はあと一年で成人する男性とは思えない勢いで、女子中学生の気まぐれに、高く拳を突き上げた。

    「お前そんな元気なやつだったんだな」
    「海、すごい楽しみ」
    「そうかよ……」


    ーーーーーーーーー


    「そういえば今日松本は?」
    「六限までだって」
    「詰めてんなあ」
    「次は連れてきてやろう。太平洋に」
    「松本も太平洋を欲してんのか?」

    太平洋を欲しているかもしれない男こと、松本稔は昨年のインターハイで三井と戦ったもう一人の男だった。後半戦、ほぼ記憶がなかった三井は松本がどんな選手か覚えていなかったが、大学でチームメイトとなった今、こんなやつのことを覚えていなかったんだと思うくらいバスケの巧い男だった。山王に下手くそがいるはずはないので、当たり前と言えば当たり前なのだが、こんなに強かったんだなという意味で、「お前のこと覚えてねーわ」と言ったら、松本は「そういうところだよ」と三井に言った。隣で一之倉が「そういうところだよ」と同じ言葉を繰り返した。

    「ケーキ屋とかあるんだ。おしゃれだ、湘南の海沿い。あ、魚屋もある。コンビニも」
    「いや、コンビニはあるだろ」
    「ないんだよ。ないところには、ないんだよ」

    海岸線に真っ直ぐと伸びた県道の脇は北に向かって緩い登り坂になった造成丘陵地に、住宅街が広がっていた。庭のないぎゅうぎゅうに詰まった住宅街のところどころに、個人経営とおぼしきこじんまりとしたカフェや、小さなフランス国旗のなびく可愛らしい雰囲気のケーキ屋、昔ながらの魚屋、観光客向けに経営しているのだろうコンビニが見える。

    「ミッチー、大学はどう?」
    「どうって?」
    「なんだかんだリョーちゃんたちみんな寂しそうだったからさあ」
    「なんでオレが心配されなきゃいけねーんだ。もうすぐ十九だぞ。平気だわ」

    正直まんざらでもない。後輩たちが、まだ自分を心に置いていることを。三井のしぼんでいた気持ちは、アンナの言葉でいくらか回復し、ストバスコートに着いたところで完全に回復した。
    バスケを辞めていた時、街中のコートが全てなくなってしまえばいいのにと思っていた。錆びたゴールや誰かの置き放したボールを見るたびに、そのなくしがたいその気持ちから目をそらして、バスケがしたくてしたくて、ボールに触りたい気持ちを万力で握りつぶした。苦しくて堪らなかった。

    「サイコーの場所でしょ?どーぞ二人とも入りたまえよ~」

    自分の庭のようにアンナがふん、と鼻をならして二人をコートに手招いた。
    海から国道と申し訳程度の防砂林、フェンスを挟んだ無人のストバスコートは海から舞ってきた砂でざらっとしていた。

    「お前こんなところにも来てんのか」
    「うん」
    「一人で?」
    「うん」
    「変なやつに絡まれたりしねーのか?」
    「しないよ」
    「もっと遊ぶとこあんだろ。知らねーやつばっかのとこ来て楽しいのか?」

    アンナはバスケをしないのに、と三井は思った。

    「最近リョーちゃん忙しそうなんだ。手伝いながら見に行ってるんだけどさあ」

    どうやらインハイに向けて始動した新生湘北は忙しいらしく、行っても邪魔になることも増えたとアンナは言った。通りでここのところアンナは三井たちの大学のバスケ部を覗きに来る回数が増えた。いつの間にか「アンナちゃん」「ミッチー」「聡くん」になるほどに。

    「あんま行くと未来のマネージャー候補になんぞ」
    「うーん、悪くないねえ。検討しよう」
    「ってか俺たちが暇みてーじゃねえか」
    「だってミッチーたちの大学、中学から近いんだもん」
    「応援に来てくれてるのにその言い方はないんじゃないの?」
    「そーだそーだ!」

    鞄を下ろして、上に着ていたジャージを脱ぎ、誰よりも最初に準備万端となった一之倉の肩に隠れて、アンナは拳を振り上げた。

    「海綺麗だな」

    アンナを肩にぶらさげたまま、白く輝く波を見て一之倉は感嘆した。バッシュの紐を結びながら、三井も一之倉の向いた方へ顔を向ける。もう何年も見慣れた地元の海だ。夏には観光客でいっぱいになる。閑散期は犬の散歩をする人やサーファーがちらほらと見える、そんな海だ。

    「秋田が恋しい」
    「わはは。ホームシックか」
    「いいね。地元にこんな海があるの」

    揶揄られたので、三井を無視して一之倉はアンナに話しかけた。

    「実はわたしの海は沖縄なのです」
    「え、宮城家沖縄出身なんだ」
    「リョーちゃん言ってないの?」

    あいつほんと自分の話ししねーな、と三井は後輩の他人行儀が少し寂しくなる。

    「沖縄恋しくなったりしない?」
    「うーん……沖縄っていうか、ソーちゃんが」
    「ソーちゃん?」
    「お兄ちゃん」
    「お前兄貴と仲良いよなあ」
    「うん。ソーちゃんもリョーちゃんも大好きだよ」
    「宮城三人兄妹か。宮城の上?」
    「うん」
    「バスケするの?」
    「するよ。大好きだった」
    「「そーちゃん」いくつよ」
    「生きてたら二十一」

    アンナが海を見た。白波は静かに、繰り返し、砂浜に打ち寄せていた。

    ーーーーーーーーー

    喪失の悲しみから逃れるように沖縄を離れ、宮城カオルが選んだ新天地は海のある街だった。神奈川県の海沿いのマンションや団地がひしめき合う賑やかな街。観光地と観光地を繋ぐ、ローカル線も走っていてターミナル駅へ行けば東京にも乗り換えなしで出られる。便利よね、と言ったカオルはまだソータの死を受け入れられていないのだとアンナは思った。団地の数キロ先には今も海がある。ソータのいなくなった海と繋がっている。

    アンナはもうすぐ十三になる。

    「ソーちゃんね、身長168あったんだ。十二の時」

    ソータは十二歳でリョータとアンナの兄なのに、リョータの身長はソータに追い付いき、アンナはまもなくソータの歳を追い越す。「お兄ちゃん」のソータはどこに行ってしまうのだろう。
    十二歳のままでいられたらずっと、ずっと妹でいられる。初めて大人になるのが怖いと思った。誕生日がやって来る。勿論分かっていた。ソータがもうとっくに遠い島よりももっとずっと遠いところへ、二度と会えない場所へ行ってしまったことを。
    でも改め思った。アンナが小学校に入学して勉強をして遊んで神奈川に引っ越し友達を作って年齢を重ねた間に、ソータはずっと十二歳のままだった。本当に、いなくなってしまったのだと、感じた。

    「お母さんとリョーちゃんはわたしに「ソーちゃんは遠い島で暮らしてる」って言ってた」

    アンナがソータの死を知ったのはもっとずっと後だった。
    それまで数年、アンナは墓参りにも行かなかったし、ソータの部屋に花が飾ってあることに疑問を持たなかった。帰ってきたソータが寂しがるからだと勝手に思っていた。
    ソータと会えなくなって、ソータの遠い島での暮らしを想像していた。ソータは釣りが好きだったし、美味しい魚を山ほど採ってお腹がいっぱいになったらその辺のバスケットコートでいつもみたいに練習をしているんだと。
    いきなりお墓に連れていかれても、位牌を見ても、ソータが死んだということは頭では分かっても実感には遠かった。そうかソータは遠い島よりももっと遠くに行ってしまったのだ、と。でも自分の思っていたことの方が真実で、ソータはあのいつものからっとした笑顔で帰ってくるんじゃないかと、なんとなくそう思っていた。
    生きていたら十六、十七、十八、一九、と毎年数えた。ソータが四人がけのダイニングテーブルには座ることはもうない。覚えているのは沖縄のちゃぶ台を囲んで、カオルの作った料理を食べていたあの姿だ。
    ソータは神奈川の住所を知らないから教えてあげなきゃな、とも思っていた。

    沖縄の一番近い海は左右を砂糖きび畑に囲まれた一本道の先にあった。脇道に逸れて畑に突っ込んでいくと、ソータは「危ないからやめろよ」と言った。リョータも口調を真似て「危ないからやめろよ」と繰り返した。リョータはこの間アンナと同じことをして顔を切ったばかりなのに。でも「やめろ」という言葉の強さに反して二人の声色は優しかった。危険からアンナを遠ざけようとしていたのだと、今になって気づいた。なんで二人がすることを、自分だけが禁止されなければいけないのか。ずるい。といういかにも末っ子らしい反発心でいっぱいだったあの頃は気づけなかった。きっと他にも気づけないものがあった。そういう二人にいつもいつも守られていた。
    それなのに。

    「最近ソーちゃんの声思い出せなくなってきちゃった。ビデオを観てると、こんな声だったけーって思って」

    十二歳には受け止めがたい現実に感じるそれをアンナは淡々と話している。先程コートに入ったばかりの時と何も変わらない。
    亡くなった人の記憶の中で一番最初に忘れるのは声らしい。それはアンナが薄情だからとかではなくただの脳のシステムの話しなのだ、と一之倉は言おうと思ったが、それがなんの慰めにもならないことも、彼女の悲しみの輪郭を鮮明にしてしまうこともわかりきったことだった。口を吐く言葉が感情と重なるとは限らない。
    平気な顔をして、まるで明日遊びに行く場所を決めるようなトーンで家族の話しをしていた。アンナは一之倉の、三井の他人だ。兄弟ではなく友人でもない。
    ある日家族が突然いなくなるというのはどれくらいに寂しいことなのだろう。大切な誰かを亡くすまできっとその痛みに共感できることはない。喪失を知らない二人がアンナの寂しさを真に理解することもない。

    「涙が出てこないから、悲しくないとは限らないよ」

    その言葉を誰に向けていたのか、一之倉は自分でも分からなかった。
    苦しさと寂しさで両手がいっぱいになった彼女の家族の前で、ずっとこうして明るく、淀みなく、必死で調和を保っていた。それが、他人の自分達の前でようやく緩んだ。そうなのかもしれない。他人の空の手なら、その悲しみを受けとることが出来る。一時の気休めで、これからも繰り返し、幸せな思い出の分、埋めがたい隙間を覗いては、アンナはいなくなったソータの大きさを確かめる。もう更新されることのない思い出が、これ以上こぼれ落ちないように掻き抱いて、二度と話すことは出来ない事実を眼前に突きつけられながら生きていく。

    「ソーちゃん元気かな?」

    会いたくても会えないならせめてそれだけは知りたい。でもそんなことは無理なのは勿論わかっている。ぐるぐると渦巻く不安で胸がいっぱいでも笑うしかない。
    時々ふらっといなくなっていたソータもそだったのだろうか。なんでも出来る。自慢の、スーパーマンみたいなソータも。
    突然ふらっといなくなっては、ぼろぼろになって帰ってきたリョータもそうだったのだろうか。
    二人も言えない悲しみを抱えていたのだろうか。
    苦しくて、今にも叫びたくなるような衝動を抱えて、目一杯平気なふりをしていたのだろうか。
    それでも、自分の存在は家族のかすがいにはなれなかったのだな、とアンナは思い知る。ソータでなければダメなのだ。代わりはどこにもいない。

    「ソーちゃん」

    「オレがこの家のキャプテンになる」と言ったのに、ソータがいなくなったのが寂しかった。寂しいのはわかるけど、父とソータがいなくなってからいつもずっと悲しげなカオルの姿を見ているのが辛かった。勝手にどっかに行ったり大ケガして帰ってきたり、全然理解できないことをしているリョータがいつかソータみたいにいなくなってしまうんじゃないかと怖かった。
    リョータもカオルもソータを失った悲しみの中でもがいていたのに、自分だけが平然としていた。
    ちゃんと泣く瞬間を逃していた。あの時、ソータが遠い島へ行ってしまった時、アンナはカオルとリョータの優しい嘘の中で守られていた。
    人が死ぬのは、身体がこの世からなくなった時ではなく、偲ぶ人が「もういない」を受け入れた時だ。この気持ちをどこに持っていけばいいのだろう。今でも誕生日にはホールケーキを四つに切り分けて、プレートにはソータとリョータの二人分の名前が書かれる。それなのに。十二歳のソータは十三歳のアンナの何になるんだろう。

    「ソーちゃん」

    大きな目を覆うまぶたの下が俄に潤み始めた。花がしぼむようにアンナの顔から笑みが消えていく。口許が歪む寸前でアンナは膝に顔を埋めた。

    引き剥がせない思い出は誰の胸にも存在している。

    ーーーーーーーーーーーーーー

    自分があちら側ではなくこちら側だと気づいた。グラデーションはなく、その間にはきっぱりと線が引かれている。

    最初に気がついたのは十三歳の時だった。
    ミニバスのチームで、一之倉はエースだった。点を取るタイプではなかったけれど、仲間をよく活かし試合を回していた。傲りはなかったが自負はあった。チームで一番巧い人間が、チームを引っ張っていくのだという自負。そうであれば、一番に練習をして、常にそこに居続けられるよう、勤勉であること。
    自負と自信が粉々に砕かれたのは、全国でも名の知れたバスケ強豪中学に入学した十三歳の時だった。どれだけ自分が狭い世界で生きていたのかを痛感した。井の中の蛙だったのだ。
    背の低い自分はジェネラリストを目指すことが出来ないと悟った。そこからはディフェンスの技術を磨いた。地味さは加速したが、結局のところ持てるカードで勝負するしかないのだと悟った。奇跡は起きない。線の向こう側にいるチームメイトたちが当たり前の努力をしていることを知っている。同じことをしても勝てない。その時点でやることは決まっていた。
    真の絶望は、練習量は必ずしも結果には直結しないということだ。そんな当たり前のことに目の前が真っ暗になった。
    一人でも点が取れる、ボールも運べる、ディフェンスも巧い。兎に角、全ての技術のアベレージが高い。ディフェンスのスペシャリストとして山王に鳴り物入りで入部したけれど、なんのことはない。「すべて出来る」ことは山王バスケ部にとって、期待された、当たり前の常勝を背負うこのチームの部員として当然だったというだけだ。
    身長は171センチ。日本人男性の平均値にほぼ近い。チームメイトたちは当たり前のように背が高かった。多くのスポーツにおいてそうであるように、バスケットというスポーツにおいても、身長が高いことは有利に働く。
    入部当時、同級生で一之倉より小さい人間は河田しかいなかったが、その河田は一年後には190センチになっていた。171センチは一般人の中で埋もれる。そして部においては最小。そういう身長だった。
    ユニフォームが渡された。番号は8番だ。第三学年の中で五番目の数字。バスケットは五人一組でチームを組む。スタメンにはなれなかった。45679と番号が飛ばされた。ライバルは外ではなく中にいる。嫉妬の前に悔しいと思うべきだった。仲間は強い方が良い。そんなことは分かっている。でもやっぱり自分がチームを勝たせたい。入りたかった。その中に。
    バスケを辞めたら楽になるのだろうかと、考えた。そうしたら、この妬みや嫉みや自己嫌悪がすべて綺麗さっぱりなくなって、実のところ真っ黒な胸のうちを知らない他人に「お前は腐らなくて偉いな」と見当違いの称賛を投げつけられても笑っていられるのだろうかと考えた。
    「誘う気も起きなかった」と言われた。合宿二日目、吐きすぎて胃液しか出なくなったチームメイトたちがついに合宿所を逃げ出した。先輩に捕まり地獄のような追加メニューを課せられていた。謎の優越感が湧いて、なんで誘わなかったと聞いたら、だってお前は逃げないだろ、と言われた。視界がぶわっと開けた気がした。明るい光が濁った瞳に差し込んでくる。
    それは無責任な他人の「お前は腐らなくて偉いな」と似たような響きの言葉だったのに、仲間に言われると無性に嬉しかった。その言葉をもらったところで一試合に一度だけ百パーセントの確率でシュートが入る能力を得られるとか身長が30センチ伸びるとか劇的な何かが起こるわけではないし、選手としての一之倉の何をも保証しない言葉ではあったけど、その乱暴な信頼は過去の自分を慰めて、そして今の自分を支えている。
    一回座ったら立ち上がれなくなる。他の人とは違う。それを認めたらスッキリした。

    三年のインターハイで湘北に負けたことは、生涯の悔恨として一之倉に、山王工高に残り続ける。それだけじゃない。そこにたどり着くまで積み重なった、敗北も苦悩も後悔も何もかもが栄光の記憶の奥に静かに重たく残り続ける。たらればが頭を過って押し付けた枕に向かって叫びだしたくなる時がある。
    本当は全部に蓋をして、ぐるぐる巻きに縛って、二度と眼前に現れないようにしてしまいたい。でも、苦しい記憶から目を逸らしたら、結局それ以上強くなることが出来ない。自傷行為のように思い出し、眠れない夜を過ごす。

    それでもバスケットが好きだ。嫌いになんてなれない。どんなに苦しい思いをしても、忘れがたく離れがたく好きなものもある。それを自分から引き剥がすことは出来ないのだと、何度でも思い知る。
    好きと嫌いも憎いと愛しいもゼロ百ではなくて、それは同じ次元に存在しうるものだ。二律背反を抱えながら、それでも光の方を手放すことは出来ない。
    寄る辺のない寂しさに小さな身体を押し潰されそうになりながら、いつかアンナがそれに気づいて、泣いていた自分を抱き締められる日が来るといい。そう願う他人が、今傍にいることで少しでも気が休まるといい。

    苦しいと愛しいが矛盾せず同居する。そんなことがあるのだ。

    ーーーーーーーーー
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    まめこ

    MOURNINGアンナちゃんと一之倉くんとミッチーのお話。CPはありません。アンナちゃんにとっての秘密基地(泣き場所)はどこだったのだろうと考える……。
    三人で色々食べる話になる予定でした。書けたところまで供養します。
    bitter twelve to sweet thirteen「冷静に考えて三日もバスケ出来なかったら死ぬぞ」
    「冷静に考えて死なないけどバスケはしたいね」

    足場の組まれた体育館から忙しなく電動工具の稼働する音が聞こえる。立ち入り禁止と書かれた看板の前で立ち尽くした三井に、工業高校では馴染みのある音たちに懐かしさを覚えながら、一之倉は「一週間前に言われただろ」と言って、この世の終わりのような横顔を一瞥した。

    「湘北近くて良かったわ」
    「湘北だって来月には予選始まるんだろ。長居は出来ないと思うけど」

    春、なんとか進学した県内の大学のバスケ部で三井を待っていたのは、広島で激闘を繰り広げた山王工業の松本稔と一之倉聡だった。インターハイで三井の執念に翻弄されまくった松本は三井の顔を見るなり便所ダッシュを決めて、一之倉はそれを見て苦笑いしていた。苦笑いしている一之倉に三井もまた苦手意識があった。松本と同じく、三井はインターハイでこの男にボロボロにされたのだ。
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