episode:白の家-Week1- 気がつくと、知らない場所に立っていた。
数メートル前方にはピタリと閉じられた重厚な門があり、その奥には屋敷と思しき二階建ての建物がそびえ立っている。
屋敷の周囲は背の高い木々が乱立している上、濃霧が立ち込めており、樹海の奥深くのような、不穏な静寂に包み込まれていた。
ふと隣を見ると、同じように立ち尽くしていた人間と目が合う。
1人は白い羽の刺繍のある赤い帽子を被ったココアブラウンの髪の女性で、もう1人は左頬に獣の爪で引っ掻かれたような傷痕のあるオレンジ髪の青年。
お互いよく知っている人物だった。
「あら、Pico!」
「…GFか……」
探索者GFと探索者Picoは互いの存在を認知し、──大きな違和感を感じながらも──自分たちの置かれている状況を瞬時に悟った。
また怪奇的事象に巻き込まれたのだ、と。
もう何度目かの“お約束”にため息を吐きつつ、GFが口を開いた。
「再会して早々だけどPico、ここがどこか分かるかしら?
私の感覚的には〈夢の郷〉の中ではないとは思うんだけど…」
「……分かっていたら、こんな所で立ち止まらずにさっさと帰っている」
「うーんそうよね〜…」
辺りを軽く見渡してみるが、どこもかしこも木々と霧で見通しが悪く、まともな道は見当たらない。それどころか、建物や標識といった人工物らしいものは目の前の屋敷以外に何一つとして存在しなかった。
記憶を辿ってみても、GFは街を散策していたところ、Picoは仕事を終えて後始末をしていたところまでしか思い出せず、どうやってここまで来たかは全く覚えていない。…まぁそれは大体いつものことだが。
いずれにせよ、このままでは帰れない。
「解ってはいたけど、やっぱりあの屋敷に入るしかないのね…」
「………」
PicoがGFの言葉に無言で頷き、門に近づこうとしたその時、
「ちょっと待って、」
不意にGFがそれを制止した。
「BFってどこにいるのかしら?」
「!…………」
返答する代わりに、そういえば……と言うように微かに目を見開く。
こういった怪奇的事象に巻き込まれるときに、いつもなら一緒にいるはずのもう1人の人物。
常に落ち着きがなく、毎回必ず何かしら問題を起こす問題児……ないし生き急がないと死ぬ呪いにかかっているパウダーブルーの破壊神が、どこにもいないのだ。
そのことに気づいた途端、先程感じた違和感に合点がいった。
「珍しいわね、こういう事象に巻き込まれた時にあの子がいないなんて…」
「……俺達2人だけってこともたまにはあるんだろ。それよりも、今は目の前の問題を解決するのが先だ」
「……そうね」
探索者2人は門に歩み寄る。
錆で覆われ、色褪せた重い青銅製の門。その両サイドには火の灯っていないランプが備え付けられている。
念の為門の向こう側の様子を伺って耳を澄ましてみたが、何も聞こえてこなかった。
「ん〜。もしかしたら、BFが先に閉じ込められてたりするかなーって思ったけど、こんなに静かならそんなことはなさそうね」
「…………」
「この門とても重そうだけど、私たちの力で開けられるかしら?」
「…………」
Picoは尚も無言で門の硬い表面に触れた。
すると、両サイドのランプに橙色の明かりが灯り、金属の擦れる耳障りな音と共に勝手に門が開いていった。
「開いた!!え、あなた魔術使えたの?!」
「使えるかンなもん。……ただとっとと開けろって思っただけだ。あっちから招いておいて入れない方がおかしいだろ」
「そっか、心の中で呪文唱えたから開けられたのね!!すごいわPico!!」
「唱えてねぇって……」
そんな会話(?)を交わしながら、門を通り抜け敷地内へと足を踏み入れた。
◆◆◆
屋敷の前には小さな庭が広がっていた。
地面には灰色の不規則な石畳が敷き詰められており、周りは高い石塀で囲まれている。その他には白い石像が1つと、カフェのテラスにあるようなテーブルセットが1組置いてあるだけ。
この殺風景さは最早庭というより広場と呼ぶ方が合っているかもしれない。
そんな殺風景な景色の中で、2人の目はテーブルセットの方に釘付けになっていた。
……こちらに背を向けて座っている、淡い青色の小さな人影があったからだ。
「「…………」」
無言でテーブルに近づいてみる。
そこに座っていたのは、パウダーブルーの頭に、オレンジの禁止マークが端に描かれたネイビーのバンダナを巻いた少年……否、少年並みに小柄な青年だった。
目の前のテーブルには美味しそうなドーナツがいくつか載ったトレイが置いてあり、彼はドーナツ1個を大きな瞳を輝かせながら頬張っていたところだった。
恐らくドーナツショップでおやつタイムをキメている最中にでも“連れてこられて”しまったのだろう。
「おーい、BF?」
GFは小柄な青年──探索者BFに声をかける。
しかしドーナツにすっかり夢中になっているようで、こちらに気づく様子はない。
それならば、とさっきより深く、大きく息を吸い込み、
「BF!!!!!!」
あらん限りの声量で耳元で叫んでみた。
「Beeeep!?!?何dゲホッゴホッ!!!!」
ようやっと反応したBFは、驚きのあまり盛大に咽せながら椅子から数センチ飛び上がった。
「ケホッケホ……って、GF!?どしたのそんな大声出し、て……………………ん??ちょっと待って!?ココドコぉ!?!?」
やはり今の今まで自身に起こった異変に気付いていなかったらしく、周囲をキョロキョロ見渡し頻りに目を瞬かせている。
「落ち着いてBF……。ほら、いつもの怪奇的事象よ」
GFが苦笑いしつつそう伝えると、
「え?…あ、そっか、またこのパターンか」
と秒で納得した。流石巻き込まれ慣れただけはある。
BFは手に持っていた食べかけのドーナツをムシャムシャと平らげ、一息ついたところで口を開いた。
「……で、2人はここで何してたの?」
「特に何もしてないわ。私たちもさっき来たばかりだし。
門の外は森が広がってるだけで、特にめぼしいものはなかったわ」
そう言って目を遣った先には、先程の重厚な門があった。その向こう側に広がる森は依然として静かで、3人が合流する前より濃くなった霧が重く立ち込めている。
「ほへぇ。じゃ、今回はここを探索しなきゃいけないってこと?」
「そういうことね。ちなみにBFは何してたの?」
「ずっとドーナツ食ってた」
「だろうと思った。…にしても、あなたも案の定巻き込まれてて逆に安心したわ〜」
「えへへ〜マジ〜?」
そうやって呑気に会話していると。
「…お前らさ……いっつも思うが、よくこんな状況で能天気にお喋りしてられるよな。
……もう少し緊張感を持ったらどうなんだ」
なかなか進まない状況に痺れを切らしたのか、平生よりも一層眉根を顰めたPicoが呆れと微かな苛立ちを含んだ声を立てた。
「そう言われてもね〜。ガッチガチに身構えてても疲れるだけだし、どれだけ警戒してても殺られる時は殺られちゃうもの」
対してGFはいつものふわふわとした口調で答える。
そのあまりにもあっさりとした返答に、Picoは諦めたようにため息を吐いた。
「……元〈悪魔〉のお前が言うと、妙に説得力あるな…」
「あら、今も〈悪魔〉よ?」
失礼しちゃう、という言葉とは裏腹に楽しげに笑う瞳の奥に鮮やかな赤い光が灯る。ほんの一瞬だったが、それは正しく〈悪魔〉の目だった。
彼女は人間に変化していた時に何者かに魔力を奪われ、元の〈悪魔〉の姿に戻れなくなってしまったのだ。
だから探索者として魔力を強奪した犯人を捜している訳だが。
「でもまぁ、いろんな修羅場を潜り抜けてきた私らなら何とかなるわよ!
強い心持ちでいけば大丈夫だわ、多分!」
「そうだよPico、オレたち3人一緒なら何があっても絶対だいじょーぶだって!
それに、楽しそうにしてたら悪いのもどっか飛んでくって誰か言ってたし。
だからきっとバカ騒ぎしてるくらいがちょうどいいんだよ!知らんけど!」
「いいわね!賑やかにいきましょ!」
えいえいおーと、能天気に拳を天に突き出す探索者2人。
「……ハァ…………」
周りにお花が飛んでいそうな、ゆるゆると緊張感の欠片もないBFとGFのテンションに呆れ返り、深い深いため息を吐くPicoだった。
◆◆◆
「ここで調べて何かありそうなものって言ったら…テーブルと石像ぐらいかしら?」
「そだね、じゃあテーブルから調べてこ」
茶番を済ませ、ようやく探索に乗り出した3人。
まずはついさっきまでBFが座っていたテーブルを見る。
オシャレな庭先やカフェのテラス席に置いてありそうな、アンティーク調の白いテーブルセットだ。
丸いテーブルを4つの椅子が囲んでおり、卓上にはドーナツのトレイが置いてある。
トレイ、後でお店に返さなきゃな〜、なんて言って返せばいいんだろ、とかなんとかこぼしつつテーブルを調べていると。
「…あれ?なにこれ」
BFはテーブルの裏面に刻まれた黒い円状の紋様を発見した。
「GF、GF〜!これって魔法陣じゃね?」
呼ばれたGFは、紋様──魔法陣を見て首を傾げた。
「うーん…。絶対にどっかで見たことはあるはずなんだけど……。何の魔法陣だったかしら?」
「ん〜〜〜…………。わっかんね!!」
「まぁそりゃそうでしょうね…」
GFは再び苦笑いしつつ、シンプルなメモ帳とペンを取り出して魔法陣の位置や特徴を記録した。このメモ帳は彼女が日頃から持ち歩いているものだ。現代社会に早く溶け込むべく、人間観察を通して気付いたことをよく綴っているらしい。
「メモるよりスマホで写真撮った方が早くない?」
「まぁそうなんだけどね、私にとっては手で覚えた方が楽なのよ」
「ふーん…?」
若干納得できていなさそうなBFだったが、ふとあることに気付いた。
「あれ?Picoどこいった?」
ずっとテーブルの近くにいるものだと思っていたPicoの姿が、いつの間にか忽然と消えていたのだ。
「あ、彼ならあなたがテーブル調べ始めた辺りから石像の方に向かってったわよ」
「えっマジかいつのまに?!」
叫ぶや否や突然ダッシュをかますBF。
「えっ!?ちょっと待って!急に走らないでー!?」
GFも慌ててそのあとを追った。
「Pico〜〜!!何かわかったことある〜〜!?」
Picoは自身のあだ名を叫びながら走ってくるBFに一瞥を寄越しただけで、すぐにそっぽを向く。
その視線の先にはBFの背丈ほどの大きさの白い石像があった。
何やら触手の生えた犬のような生物を模した造形のそれは、これまた白い立方体の台座に行儀良くお座りしていた。
そしてその石像を中心とした周辺の地面には、艶のある正方形の黒い石畳が縦横7枚ずつ、合計42枚、規則正しく並べられている。
「なぁPico、聞いてる!?」
「……」
2人が近くまで寄ってきたのを確認して、Picoは無言で石像の背面に周る。程なくしてカチッというスイッチを押したような音が聞こえてきた。
すると。
「うおっ!?おお……!!」 「!」
どういう原理か、白い石像が黒い石畳の上を滑るように移動し始めた。
屋敷を背に門側の方角を向いていた石像は、左へ2、奥へ3、右へ3、手前へ1、右へ1、手前へ3、左へ1、手前へ2、左へ4、奥へ2、右へ2、奥へ2、右へ1、そして最後に手前へ1…といった道順を等速で進み、1分程度で元の位置に戻ってきた。
…だが、そこから特に何か変化が起こるということはなく。
周囲は再びの静寂と微妙な空気に包まれた。
「え…それだけ?どーゆう仕掛けなのこれ」
「知るかよ。後々何かの手がかりにはなりそうだが」
「あー…確かに。もう庭で得られる情報もなさそうだものね」
「じゃあここで立ち止まっててもしょーがないか。
よっしゃ!屋敷行こ!」
◆◆◆
探索者3人は屋敷を見上げた。
こんなに森の奥深くの立地で、周囲に道も見当たらなければ当然かもしれないが、遠目から見ても人が住んでいるような気配はしなかった。
ただ廃墟にしては妙に綺麗で、全体的に年季の入った古い印象は目立つもののヒビ割れや汚れなどは特にない。
また、窓は2階のとある1ヶ所を除いて完全に閉め切られており、中の様子を窺い知ることはできなくなっている。
「何であの窓だけ開いてんだろ?あそこから入れってこと?」
BFはトレイに残っていたドーナツをかじりつつ、不自然に1ヶ所だけ開いている窓を見つめてほざいた。
そのすっとぼけた発言に、GFは至って真面目に反応する。
「2階から入るって言っても…。
私は飛べるからいいけど、あなたたちはどうするの?人間2人を飛んで運ぶなんて私できないわよ?」
「だよなー。うーーーーーん……。
……まずGFが飛んで2階の部屋に入って、オレがそこにマイクを投げ入r」
「却下」
「なんで!?まだ言い終わってすらないのに!!」
「お前投擲死ぬほど下手だろうが」
「ヴッッ……」
BFは痛い所をつかれ苦しそうに呻き、顔がくしゃっ…と歪む。
ナイフで腕とか刺されたときでもこんな顔しないのに。
「た…っ確かに投げるのは下手だけど死ぬほどじゃねーし!
それに失敗してもマイクならたくさんあるから大丈夫だってば!」
「そういう問題じゃない。そもそもマイクはロープ代わりに使うもんじゃない」
「Beeeeeeeee……」
「まぁまぁ…、まだ玄関が開かないって決まったわけじゃないから、まずそっち見てから考えましょうよ、ね?」
「!、そうだった、玄関の存在忘れてた」
ド正論を真正面から突きつけられ、ジト目の不満げだったBFの表情は一変、いつもの愛嬌のある丸い目に戻ったかと思えばすぐにトコトコと小走りで玄関へと向かっていった。凄まじい切り替えの速さだ。
GFとPicoも呆れつつそのあとについていく。
BFはピタリと閉じられた玄関扉へ一直線に走っていく中で少しずつ加速していき、
「ヤーーーーー!!」
という気合いの咆哮(?)と共に渾身の蹴りを一発お見舞いした。
重そうに見えた両開きの扉は存外に容易く開いた。
「ぅわっとっと…っ」
転びはしなかったものの、勢いよく室内に飛び込んだ弾みで大きくよろける。
そして何とか体勢を整え、顔を上げた先の視界に、
巨大な白い“何か”が映った。
「え?」
───扉の先に広がっていたのは小さなエントランスホールだった。
明かりはなく、開け放たれた扉から射す自然光によって中の様子が辛うじて分かる状態だ。
ホールの左右に扉が1つずつ、奥には両階段がある。
巨大な白い何かは、その階段の根本──BFから見て真正面の位置──にあった。
…いや、正確には“居た”と言うべきか。
薄暗い室内で、微かにだが蠢いていたから。
──下顎の無い巨大な白い犬の頭部に、獰猛さを象徴するような鋭い牙。本来胴体との接続部分である部位からは何本もの白く太い触手が伸びており、無造作に散らばるように床を這っている。そして、開かれた両の眼は魚のように間隔が大きく離れ、黒く濡れた光を湛えている──。
そんな悍ましい怪物の姿が、BFの目には確かに映っていたのだった。