◆前回のあらすじ◆
GFから告げられた、日記の内容とこの屋敷に潜むクリーチャーの正体。
どうやら〈白きもの〉とかいう奴が住みついているらしく、これまた厄介な相手だと判明したものの、何とか希望を見出し3人は探索を続ける。
キッチンで見つけた日記には幸せ家族に降りかかった狂気が綴られており、風呂場の浴槽には小さな金色の鍵を握った"残飯"が放置されていた。
紆余曲折あったがこれで1階は全て回りきった探索者たち。
どこで使うかも分からない鍵を携えて、異形の住まう屋敷の2階へと足を踏み入れるのでした───………
episode:白の家-week5-
───ギシ、………ギシ、………
2階へと続く階段を登る3人。
年季の入った踏み板は時折嫌な軋み音を立てたが、難なく2階に到着する。
登りきって最初に立ったそこは、1階のよりも長い廊下だった。その廊下を挟む壁は、一方は窓も何も無くまっさらで、もう一方は両階段による空間を挟んで左右に2つずつ扉が並んでいる。
GFとPicoが4つの扉を順々に眺めていると、2人の間に立っていたBFが徐に動き出した。
「│Eeny, meeny, miny, moe《どれにしようかな》…」
そう歌いながら、4つの扉を順々に指さしていく。
歌い終わった頃に彼の指が指し示していたのは、彼らから向かって、右から2番目の扉だった。
「よっし決めた。こっちから行こ!」
「適当だな…」
「まぁまぁ。そのくらいがちょうどいいんじゃない?」
◆◆◆
聞き耳もそこそこに扉を開け放った先は、1階で見てきた部屋と同様に窓がないらしく、一切光のない闇に閉ざされていた。が、手当り次第に壁を弄りスイッチを押せば、暖色系の照明が室内を照らした。
本来窓がある側の壁に並行になるようにダブルベッドが、その傍らには小さなベッドサイドテーブルが置かれ、部屋の隅や壁に沿うように机やドレッサーなどの家具が配置されている。
ここは夫婦の寝室のようだ。
ざっと部屋を見渡した後、3人は各々違う箇所を調べ始めた。
◆◆◆side B◆◆◆
BFはベッド付近を調べていた。
夫婦が使っていたであろうゆとりのあるダブルベッドには、若干皺の入ったシーツや柔らかい枕、綺麗に畳まれた布団がそのまま放置されている。
ベッド下を見ても埃が溜まっているだけ、掛け布団を捲ってみても特に何もなく、ベッドの上で飛び跳ねてみてもマットの反発と共にスプリングが軋む音が鳴るだけだ。
数秒ほど飛び跳ねて遊んでいたが、これ以上は2人に怒られる、と我に返ってそそくさと探索に戻る。次に調べにかかったのはベッドサイドテーブル。
引き出しは2段ある。1段目より2段目の方が深さがあるタイプだ。
天板の上にはナイトライトと、小さな写真立てが置かれていた。写真には夫婦が寄り添っている様子が写っている。その表情はどちらも非常に穏やかで、今やほぼ肉塊、肉片と化したあの死体たちと同一人物とはにわかに信じ難い。
「……」
BFも、このときばかりは少し翳りを含んだ神妙な面持ちになる。
…たった数秒後にはいつものアホ面に戻って、鼻歌を歌いながら引き出しを漁り始めたが。
1段目にはティッシュ箱があるだけで、2段目には数冊の本が詰められていた。2段目を少し漁ると、奥の方に小さな黒い布袋が、隠すように仕舞ってあるのに気づく。
取り出したその布袋の中には、古ぼけた鍵と折りたたまれた紙切れが入っていた。
紙切れの方を広げてみると、『5319』という謎の数字が書かれている。
(どっちもどこで使うのか分からないけど…なんかいい収穫できたな!ラッキー)
BFはニコニコしながら、収穫したブツをポケットに仕舞ったのだった。
◆◆◆side G◆◆◆
GFが目をつけたのはドレッサーだった。
シンプルながらも上品さを感じるそれは、落ち着いた部屋の雰囲気に見事にマッチしている。円い鏡に曇りはなく、台には小さな化粧品が綺麗に並べられ、日頃から丁寧に大切に扱われてきたのが窺える。
引き出しは3段あり、1段目、2段目には化粧品や手鏡などが綺麗に整頓されていた。
一番下の段には鍵がかかっている。
(そういえば、さっきちょうど鍵を手に入れたばかりだったわね)
もしかして、とポケットから例の鍵を取り出し、鍵穴に挿入してみる。睨んだ通り、小さな鍵は穴にぴったりと納まった。
そのまま解錠し開け放たれた引き出しの中身は、1、2段目よりも遥かに少なく、奥の方にピンク色の小瓶があるのみだった。
「あら」
これは何だろう、と小瓶を手に取ってまじまじと見る。
全体的に丸みを帯びたそれはGFの手の中に収まるほどの大きさだ。ピンクに見えていたのは中を満たす液体の色らしく、透明なガラス越しに液面が揺れていた。
そして、表面に貼られたラベルには"Parfum, Rose"と書かれている。
「……!!」
ラベルを眺めていたGFは、ふとあることを思い出した。
手に入れた小瓶と共に、その思い出したことを2人に共有しようと立ち上がった。
◆◆◆side P◆◆◆
Picoは机に目を落とした。
綺麗に整頓されたその上に、1冊のノートとペンが無造作に放置されているのが目につく。
ノートの表紙には"Diary"とある。
(またか…)
キッチンにあったのは夫の日記だったから、恐らくこれは妻の日記だろう。夫のとはまた違う整った筆致で、ありふれた日常が丁寧に綴られていた。
ざっくり流し読み、夫の日記で「異音を聞いた」と書いてあったのと同じ日付まで辿り着く。
その日の筆跡は、焦っていたのか普段よりも少し乱れていたが、異音に関するものとはまた別の問題が書き連ねられていた。
『8月16日
一番お気に入りの香水が無くなっていた。
いつも決まった場所に仕舞っていたはずなのに、どこを探しても見当たらない。
一体どこにやってしまったのかしら。』
この日はそれで終わっている。
続いて、次の日付に書いてあったのはこんな内容だ。
『8月17日
昨日の香水、元々半分以上使っていたし、失くしてしまったものは仕方ないから新しく買い直してきた。
今度こそ失くすといけない。そうだ、鍵を掛けられるあの場所に大切に仕舞っておきましょう。』
この日は昨日より安定した、いつもの筆跡で綴られていた。
……その次の日以降は、父親のそれ──よりかは大分落ち着いているものの──と同じように乱れていったが。
『8月18日
廊下から変な音が聞こえた。
何かを引きずるような、這いずり回るような音。
昨日あの人が動揺してたのはこれが原因だったのね。
夜になるとより音が大きくなった気がする。
気味が悪い。』
『8月19日
昨晩は音のせいであまり眠れなかった。
でも、朝になって音が減っていて少し安心した。
そういえば、リビングのあの写真はどこにいったのかしら。
あの人に訊いたけど、疲れたような笑みを浮かべるだけで答えてくれない。
きっと何か良くないことが起こってる。』
『8月20日
あの子が部屋に篭もりきってスケッチブックに何かを描いていた。
声を掛けても反応はない。
クレヨンを握りしめて紙を殴るように絵を描いてる。まるで悪魔に取り憑かれているみたい。
本当にどうしちゃったの。』
『8月21日
目が、黒い目、めが、めが私を見つめてくる
私を食べようとせまってくる
めが、めが、こわい、こわい、こわいこわいこわいこわいこわいこわいこわ
たすけて』
日記はそこで途絶えていた。
最終日は文章というより、単語の繰り返しが書き殴られているといった有様だ。
Picoは小さくため息を吐いて、ノートを閉じた。
◆◆◆
3人はそれぞれ入手した物や情報を共有し始めた。
「オレはこれみっけた!!」
意気揚々と言い放つBFが、2人の前に鍵と紙切れを差し出す。
「また鍵?しかも何かしら、その数字」
「分かんねー。でもま、これもどっかで使えるっしょ」
尚も楽観的なBFの様子に、まぁそうかもね、と若干苦笑しつつも、GFは自身が見つけたものを2人に見せる。
「GF、これなに?」
「香水よ。バラの、ね」
「香水…」
BFの質問に対するGFの受け答えに、Picoがハッとしたような表情を浮かべた。
その変化を見逃すGFではない。
「あら、Picoも香水に関して何か分かったのかしら?」
「……机の上の日記に書いてあった」
Picoは日記の内容を端的に共有した。
「お気に入りの香水…やっぱり」
GFは、自身の手中に収まっている香水に目を落とす。
「これはね、ドレッサーの1番下の引き出しにあったんだけど、そこだけは鍵がかかってて。
…あ、鍵はさっき手に入れたもので解錠できたわ。
…鍵のかけられるところに置いておこうって書いてあったのなら、十中八九これだわ。
……それでね」
そこで一呼吸置いた後、とある話を切り出した。
「これを見て思い出したことがあるんだけど…。
〈白きもの〉の弱点がこれ…バラの香りなのよ」
「!」
「そうなの!?」
敵の"弱点"。
自分たちが今まさに欲していたそれを聞いて、2人の目に驚きと希望の色が宿る。
「えぇ。ほら、浴槽に残ってた右手あったじゃない。
〈白きもの〉って、子供や女性は喜んで丸々平らげるはずなのに、あんな中途半端に残されてるのがちょっと引っかかってたの。
でも、これでやっと合点が行ったわ。
…弱点であるバラの香りがするこの香水を、右手首に付けていたから食べなかったんだ、って」
「……わざわざ避けるほど、忌み嫌ってるのか…」
「器用なことするなぁ〜。頭悪そうだったのに」
GFの推理を聞いた2人が、様々な反応を示す。
その数秒後、BFが「あ」と何か思いついたような声を上げた。
「じゃあその香水浴びときゃ一発じゃん!勝った!!」
BFはそう叫ぶやいなや手を差し出し「GFそれ貸して!」と催促する。
しかし、GFは嫌な予感がしたのか、右手を頭上に伸ばしてBFから香水を遠ざけた。
「待って待って!浴びるのはナシよ!
香水って少量付けて使うものだから大量だと結構匂いキツいのよ?」
「えー?なら尚更いいじゃん」
「ダメ!ほんっとーにキツいんだから!
特に貴方、結構鼻利くでしょ!
鼻もげる通り越して腐り落ちるわよ!?」
「またまたぁ〜、そんな大げさな〜」
語気を強めて受け渡しを拒否するGFの声は、BFに全く届いていないらしい。
尚もヘラヘラ笑って引き下がる気配がない。
「まぁまぁそう言わずにさ〜!かーし」
不意に、BFの声が途切れた。
あまりのしつこさに痺れを切らしたGFが、蓋を開けた小瓶を彼の鼻先に近づけたのだ。
強制的に香水の匂いを嗅がされた次の瞬間、BFは何故かベッドに掛かっている布団に頭を突っ込んで、ピクリとも動かなくなった。
「ね?これで分かったでしょ」
「Bea…pi…BopBee…………」
青筋を立て、然れども笑顔を崩さないGFのその声が届いているのかいないのか、BFは唸るように意味のないBeep音を上げるばかりである。相当堪えたようだ。
──唸り声が続くこと数分。
布団の膨らみからようやっと意味のある単語の羅列が聞こえてきた。
「…………タシカニ、コレ、ハナクサル。ムリ」
何故かカタコトのそれは、深い後悔に沈んだ声色をしている。
「分かったならよし、だわ…」
「……」
意気消沈したBFを、2人が呆れ返った目で見ていた。
◆◆◆
「Be…鼻腐り落ちるかと思った……。
次の部屋どこいく…?」
何とか状態異常から復活したBFを交え、3人で次の行動について話し合う。
2階の部屋は、先程描写した通り両階段を挟んで左右に2つずつ、計4部屋ある。
そして現在3人が居るのは、両階段を正面とすると右端から2番目の部屋。何とも微妙な所から探索を始めてしまったものだ。
「やっぱり、近い方から行ったらいいんじゃないかしら」
「近い方…ってことはすぐ隣の部屋?」
「そうそう」
「あーね。いいじゃん、いこいこ〜」
「……」
GFの提案に、ゆるく賛成するBFと無言で頷くPico。
行き先は案外すんなり決まり、BFとPicoはさっさと寝室を立ち去ろうとした。
「あら。香水、付けていかないの?魔除けになるわよ」
が、GFはそんな2人を呼び止める。
「Be!?Beee…うぅん………。
もう香水はいいかなぁ…………」
「貴方の弱点になってどうするのよ」
さっきのこともあってか、歯切れの悪い言葉を並べては香水から距離をとるBFに、GFは呆れ顔になってツッコミを入れる。
「……俺も要らん。逃げられたら殺りにくい」
「相変わらずクリーチャーに対する殺意高いわねぇ」
PicoもPicoで物騒な理由を付けて断ってきたため、GFはまたもやツッコミに回った。
クリーチャー絡みの話になると、Picoは冷静さや倫理観──のほうは元々あるかどうか疑わしいが──が欠けるというか、やけに殺気立つ。
「……まぁ、1回くらいは奴に直接噴霧してやればいいんじゃないか」
「それいいじゃん!あ、そのとき絶対一声かけろよな。
オレ全力で逃げるから」
「もう、2人揃って…。
そんな殺虫剤みたいな使い方しないのよ、香水は!」
彼らの発言に、GFは頭を抱えるのだった。
◆◆◆
気を取り直して3人が立ったのは一番右端の扉の前。
いつものように聞き耳を立ててから扉を開けようとしたが、ここは鍵がかかっているらしくすんなり開かない。
そこでBFはついさっき手に入れた鍵を使ってみた。鍵は見事鍵穴と噛み合い、捻ると小気味よい解錠音が廊下に響く。
ビンゴ、と呟いてニヤリと笑いながら、改めて扉を開け放つ。
そのまま部屋へ入ろうとしたそのとき、彼の足がはたりと止まった。
それは他の2人も同じだ。
「…ねぇ、なんか急にキモくなったんだけど」
「えぇ…。扉開ける前まで何も感じなかったのに…」
「……」
にやけ顔から一転、真顔になったBFのアバウトな言葉に、GFが同調する。Picoは依然黙りだったが明らかに不快そうな顔をしていた。
その場にいる全員が、何か嫌な気配を感じ取った。
──まるで、何百年と密閉状態だった地下の石室を開け放ったような。淀み、混ざり合った、陰鬱で邪悪な何か。
BFでさえも思わず少し後退りするほど強い気配だ。
入るのが躊躇われるが、ここでまごついていたらいつまで経っても事が進まない。
腹を括って室内へと足を踏み入れ、明かりを探してスイッチを押す。
「え、何ここ」
室内の全体像が照明によって浮き彫りになるや否や、BFが困惑の声を上げた。
他の2人も、「あら」と声を上げ呆れを含んだ面持ちになる者、微かに目を見開いたかと思えば警戒心を孕んだ険しい目つきになる者と、様々な、しかしどこか似たような反応を示す。
──部屋を挟むように設置された2つの低めの棚と、扉側、(本来なら)窓側の壁に沿うように設置された4脚の長机。そこに置かれているのは、水晶玉やら、どす黒い色の玉をあしらった首飾りやら、得体の知れない動物の骨やらと、いかにも妖しいものばかりだった。
それだけではない。三方の壁にも、魔法陣のようなものが描かれた大判の羊皮紙や、鞘に収められた剣、杖らしき木製の棒などが恭しく飾られていた。
極めつけにはこの部屋の展示品のどれもが、どこか物々しい雰囲気を放っている。
そんな、普通の家にはまず存在しないような、オカルトめいた異質極まりない展覧会が、そこには広がっていた。
道理で空気が重く淀んでいると感じる訳だ。
「急にあからさま怪しい部屋出てくるじゃん…。
何これ、誰の趣味なんだよこれ」
「あの魔導書を書いた魔術師のコレクションじゃないかしら?」
「あー、なるほどね〜…。
てかさ、どれも怪しすぎてどこから調べたらいいかわかんないんだけど」
「分かる。というか魔具を一箇所に集めすぎなのよね…。
魔力が混ざって混沌としてるわ…」
部屋全体を見渡しつつ、BFとGFが言葉を交わしていると、それまで黙って突っ立っていたPicoが、部屋の奥へと歩き始めた。
他の2人は一瞬驚いたものの、互いに顔を見合わせ彼の後についていく。
その向かう先にあったのは、本来窓があるはずの壁に掛けられた、縁に精巧な装飾が施された古い掛け鏡と、その壁に沿うように置かれた艶のある黒い石の台だった。台上には石膏でできた白い像が飾られている。
その石膏像は触手の生えた犬のような生物を模した造形をしており、これまた白い石膏でできた立方体の台座に行儀よくお座りしていた。
そして像を中心とした台の表面は、縦横7つずつ、規則正しく区切られた並べられている。
これには、3人とも既視感を感じた。
「もしかしてこれ、庭にあったやつのミニチュアバージョン?」
首を傾げたBFが、既視感の正体をぽつりと呟く。
彼の言う通り、細かい造形も、盤の目の色と数も、全ての特徴が庭にあった石像とその周辺の地面と合致していた。
「……」
Picoは数時間前に触れた石像の全容を思い出す。
確かあれの台座の背面側に小さなスイッチがあり、それを押すと動いていたが、この石膏にはそんなものはどこにも見当たらない。
──となれば、こちらは自分たちの手で動かすものなのではないか。
(……あれと同じ動きをさせろ、ってところか)
Picoは心底面倒くさそうな表情を浮かべつつ、石膏像の犬の頭を少々乱暴に握り込み、盤上をすべらせるように押してみた。
すると、石膏はレールの上を走る電車のように、必ず盤の目の上を滑っていく。何かしら強い磁力か何かでも働いているのだろうか、持ち上げようとすると台とくっついて離れず、斜めに滑らせようとすると反発し、テコでも動きそうにない。
可動域を把握したPicoは、次に、屋敷の門の方角──庭の石像が向いていた方向──を正面としたときの石像の動きを思い返す。
数分掛けて記憶を掘り返しつつ、石膏像を動かしていった。
左へ2、奥へ3、右へ3、手前へ1、右へ1、手前へ3、左へ1、手前へ2、左へ4、奥へ2、右へ2、奥へ2、右へ1、──ゆっくり、確実に黒い盤上を滑らせてゆく。
そして、最後に手前へ1動かして、元の位置──盤の目の中央に戻す。
すると同時に、どこからか、ガラス容器の中に入った何かが転がるような涼やかな音がした。
……が、しかし。
「……あれ?それだけ?」
BFが拍子抜けたような、素っ頓狂な声を上げる。
それもそう。音が鳴っただけで、特にこれといった変化は起こらなかったのだ。
Picoは小首を傾げて訝しみつつ、もう一度少し動かしてみるも、相変わらず盤の目上のみを滑っていくばかり。
盤上も、石膏像も、特に変化なし。
これでは数時間前の二の舞ではないか。
またもや静寂と微妙な空気が流れ始めたその時、3人の背後で、微かな異音が鳴った。
それは先程のような涼やかな音ではなく、金属が擦れたときに出るような。……丁度、剣を鞘から抜いたときに出るような音だ。
BFとGFは油断しきっており、未だ少しばかり警戒していたPicoだけがこの異音に気づいた。ほぼ反射的に顔を上げ、目の前の壁掛け鏡に映る自分たちの背後を認める。
──途端、彼の目が大きく見開かれた。
「ッ!!」
咄嗟に身体ごと振り返る。それと同時に、素早く上着の下のショルダーホルスターから銃を引き抜き、ある一点に向けて構えた。
「Pico!?」
「ちょっと、どうしたの急に!?」
急変した彼の様子に慌て出すBFとGF。
そんな2人もまた、Picoが銃口を向ける先を見て思わず絶句する。
──果たして、彼らの目の前には剣が浮いていた。
つい先刻まで壁に掛けられていた、ただの展示品の1つのはずのそれは、人間を伴うことなく、独りでに宙に浮いている。
しかもいつの間にか抜き身になっており、鋭く切れ味の良さそうな銀の両刃の表面には、己に銃口を向けるPicoの姿を映していた。
両者が相対し、時間にして数十秒経過した頃だろうか。
剣がゆっくりと動き出し、地面に向けていた刃の切っ先をこちらに向け始める。
本来なら意思も感情も持たぬ無機物であるはずのそれは、どす黒い魔力を纏うと共に、痛い程の殺気を放っている。
「…………マジかよ」
冷や汗をかき、引き攣った笑みを浮かべたBFが、やっとの思いで言葉を絞り出したその刹那、剣が凄まじい速度で3人に襲いかかってきた。