◆前回のあらすじ◆
様々な部屋を探索して回るBFとPico。
リビングに飾られた写真と写真の不自然な隙間が気になったり、暖炉の中には何故か花の香りがする黒猫のぬいぐるみがあったりと、いろいろと怪しいものが出てくる。
しかも別々の部屋を調べていた最中、BFは白い触手みたいな何かにどこかへ連れ去られそうになった。
なんとか事なきを得て安堵したのも束の間、魔導書を解読したGFの口から、この屋敷に関する恐ろしい事実が語られようとしているのでした…………───
episode:白の家-week4-
「まず、この魔導書…日記も兼ねてるから日記の執筆者でもあるわね…これの持ち主は無名の魔術師だったの」
GFはそう前置きして、内容を簡潔にまとめていく。
それはこんな内容だ。
─老齢に差し掛かり、老い先短い人生の中で何も残せていないことに焦った日記の筆者は、何としてでも魔術師として名を上げるべく、様々な魔術やクリーチャー召喚の方法などの研究を行なっていた。その努力の跡か、日記の節々には未完成の呪文や、描きかけの魔法陣などが書き散らされている。
だが、そんな途方もあてもない努力はなかなか実を結ばず、どれもこれも中途半端に終わっていったのだった。
そんな老魔術師の無謀な挑戦に吉兆が見えたのは、辞書のように分厚い日記も中盤に差し掛かったところだ。
「──『あくる日、不思議な子供に出会った。彼は楽しそうに、地面に魔法陣のような落書きをしているのだ。その陣の形を見て、何故か私は昔文献で見た〈闇に沈む白きもの〉を封印する手立てを思い立ったのだ。
何故そのようなものを不意に思いついたのか自分でも分からない。が、これを完成させれば、私も一流の魔術師を名乗っても許されるだろうか。』──」
日記の文章を読み上げたGFが、これで日記自体は終わってるわ、と付け足す。
「あとはそのクリーチャーの召喚方法と、彼が編み出したかもしれない封印の方法とかがいろいろ書かれていた…かもしれないわね」
「かもしれないって…まさか」
「ええ」
Picoの呟きに応えるように、GFは本を裏返して見せる。
そこには、抉られたようにごっそりとページが消失した跡のみが残されていた。
「この通り、日記の最後の文から少し進んだページから先は読めなくなってるわ…」
「あー…えーーっと…ごめんなさい…」
数十分前の自分のやらかしを思い出し、BFが申し訳なさそうに目を泳がせる。
「いいのよBF。私にとっては、クリーチャーの名前が分かっただけで有難かったもの」
GFはしょぼくれるBFを慰めると、一呼吸置いて説明を始めた。
彼女によると、ここに潜んでいるのは〈闇に沈む白きもの〉、または〈白きもの〉とも呼ばれる、幻覚操作と空間創造の能力を持つクリーチャーらしい。BFだけが最初に視たのはそれが創り出した幻覚とのことだ。
いつもは自分が創り出した空間に引きこもっているが、〈覚醒郷〉、つまりBFたちが今いるこの世界に出てくることもある、と。
GFはそこで一旦話を区切ると、メモ帳とペンを取り出し何かを書き始める。
時間にして数十秒経過した頃、筆を止めて2人に見せてくる。
メモ帳の紙面上には、可愛らしいタッチの絵が描かれていた。
犬の頭にメンダコのような足と無数の触手が生えたものと、こちらも可愛らしい犬の頭に触手だけが生えているものの2種類の絵だ。
次いで、触手だけが生えているほうに丸をつけ、整った筆跡で〈arousal dimension〉と書き足す。
「この世界に顕れるときはこの姿で、力もそこまでない。
省エネモード、とでも言えばいいかしら」
「…ということは、特定の条件下では本来の姿が拝めるってわけか?」
Picoの皮肉交じりの言葉に、GFはその通りというように頷き、話を続ける。
これは、自身の創り出した空間内でしか本当の姿をとることができず、本当の力を発揮することもできない。
そのため、いつもは空間の歪みに潜み、確実に獲物を仕留めたい時は、自身の空間に呑み込んで逃げられないようにする、という狩猟スタイルをとる、と。
「あ…じゃあ、さっきオレを引き摺り込もうとしたのって…」
これまで黙って話を聞いていたBFが、ハッとした表情で呟く。
「〈白きもの〉ね。
真っ先に獲物認定されたのよ、あなた」
GFからどストレートに真実を伝えられ、BFの表情は様々な感情の入り交じった、何とも言えぬものになった。
「うわマジかぁ…。
クソ〜〜っ、ナメやがって!次会ったらシバき倒してやる…!!」
「それは無理な話ね」
GFが、憤慨し息巻くBFを一蹴する。
その声色は極めて冷静だったが、ただならぬ気配を帯びており、流石のBFも思わず息を飲んで黙り込んだ。
「あなた、さっき襲われたばかりでしょう。
いくら省エネモードと言っても人間よりも強いことは確か、足を取られたら一巻の終わりよ。
さっきはなんとかなったけど、あれは運が良かっただけ…舐めてかかってたら確実に死ぬわ」
真剣な表情でそう語るGFの言葉は重く、威圧感さえ感じる。
それがクリーチャー側からの忠告だという事実が、さらに説得力を増す。
「それに、この屋敷は奴の根城そのもの。
今も空間の歪みから監視されてるかもしれないわね。
…獲物が、どう動くか」
「…!」
GFの最後の言葉に、Picoは思わず後ろを振り返る。
勿論そこには何もいない。
それでも、何かに見られているような気がしてならなかった。
◆◆◆
「…それにしても、こっからどうすればいいんだ?」
暫くの沈黙の後、困ったような表情を浮かべたBFが口を開いた。
「倒すことも無理っぽいし、封印方法はオレが消し飛ばしちゃったし…。
それに、下手に動いたらまた捕まっちゃうかもなんだろ?オレもう捕まるのやだよ…」
一度引きずり込まれそうになった体験がやっと今になって堪えてきたのか、あからさまにゲンナリとしている。
そんなBFの様子に苦笑いを浮かべたGFは、まぁまぁ、と宥めるように彼の頭を撫でた。
「まぁ…確かに動き方によってはさっきの二の舞になりかねないわね。でも、あなたが襲われたとき、あなたたち2人はどういう状況だった?」
「?」
突然の質問にハテナを浮かべるBF。
が、しばらくして意図を汲み取ったらしく、意気揚々と答えた。
「なんか、Picoと別行動とろうとして、扉で離れ離れになって…1人だった!」
「そう、単独行動だったわよね。
…群れから外れたものは真っ先に狙われる。逆に言えば、皆で行動すれば奴も寄り付きにくくなるし、もし襲ってきてもすぐに助け合うことができる」
「確かに…!」
希望を見出し、BFの目が再び輝きを取り戻す。
「それに、封印方法に関してはそこまで心配しなくていいと思うわ」
「えっ、そうなの?」
「今、〈白きもの〉の対処法についての記憶を掘り起こしてる最中だけど…4割思い出したってとこかしら」
「え!?」 「!!」
そう言ってのけるGFに、BFだけでなくPicoも驚きに目を見開いて彼女を凝視した。
それはそうだ。つい先刻まで活路を絶たれたとばかり思って、若干絶望と諦観の空気が流れていたのだから。
「え、GF、封印方法知ってたの!?」
「まぁね。大昔からいろいろと教えこまれてきたのよ、こういう知識は」
彼女によると、そもそもクリーチャーに対抗する魔術の知識は、〈悪魔〉や他の物好きなクリーチャーによってもたらされるのがほとんどらしい。
そう言ってGFは得意気な笑みを浮かべていたが、ただ、と付け加えたかと思えばその表情が苦笑いに変わってしまう。
「まだはっきりと、全部は思い出せてないのよね…。
あとこのクリーチャー、弱点が何個かあったはずなんだけど…それも忘れちゃったみたいだわ。
長く生きてるといろいろ物忘れが激しくて嫌になっちゃうわ、ごめんなさいね」
GFは申し訳なさそうに謝って話を一段落させ、閑話休題、Picoにキッチンには何があったのかと聞いた。
急に話を振られたPicoは一瞬呆けたが、すぐにあるものの存在を思い出す。
「…ノートが捨てられてた」
「ノート?」
「なんのノートだったんだ?」
「何か分かったの?」
矢継ぎ早に質問してくる2人の圧に更に眉間の皺を濃くし、「分からん。まだ中身は見てない」と答える。
「なら、ノート見てみましょっか。
他の部屋の探索とこの後のこと考えるのはそのあとね」
「さんせーい!」
「……(頷く)」
◆◆◆
3人はキッチンに移動し、Picoが放り出したノートを拾った。
表紙をめくると、丁寧な筆致の文字の羅列が目に入る。
いつ書いたものかを示す日付と若干長めの文章で構成されたそれは、ここに住んでいた家族の、父親の日記のようだった。
日記は6月上旬頃、この屋敷に家族3人で引っ越してきて、新しい環境で心機一転、何かを始めようとこの日記を記すことにした、という旨から始まっている。
そこから、妻の"レイリー"が作ってくれた料理が美味しかったとか、娘の"エリカ"の絵がまた上手になったとか、何気ない幸せが綴られていた。そこの内容から見れば、普通の生活を送っていたようだった、が──
『8月16日
夜更けに、廊下から変な音が聞こえた気がした。
何かを引きずるような、這いずり回るような音。
何かは分からなかった。』
──それまでの何気ない日常は、この"変な音"がしたという日以降、大きく変化していったようだった。
最初は整って丁寧だった筆致も、日々を綴る言葉も、彼の心情を表すように日を追うごとに乱れていく。
『8月17日
あの音とすれ違った。
何もいなかったはずなのに、音だけが聞こえた。
ただ、一緒にいたレイには何も聞こえなかったらしい。
これまでも、レイやエリカは音に気づいていなかったようだった。
2人には聞こえないのか、それとも僕の気がおかしくなってしまったのか。
いずれにせよ、怖がらせるといけないから黙っておこう。
8月18日
2人とも廊下の異音に気づいてしまったようだ。
レイは気味悪がり、エリカは怯えて廊下を歩きたくないと泣いてしまった。
どうしたものか。
8月19日
異音は収まってきた気がする。
が、その代わりなのか知らないが、リビングに飾ってある写真の1枚に変なものが端に写り込んでいた。
これまでこんなものは写っていなかったと思うのだが。
みんなのお気に入りの写真だったが、気味が悪いのであそこに仕舞っておこう。
8月20日
エリカが部屋から出てこなくなった。
様子を見に行ったら頭から布団を被って震えていた。
声をかけても反応しない。放置されてたスケッチブックには変な生物が描いてあった。
写真に写り込んでいた変なものにどこか似ていた。
エリカはあれを見てしまったのか。
8月23日
ふたりとも消えた。つれさられたのか。
次は僕の番かもしれない。かんがえたくない。ぶじでいてくれ。
8月24日
いやだいやだいやだいやだいやだ
8月25日
ふたりをとりかえしにいく』
日記はそれで終わっていた。
最後に至っては、判読に若干時間を要するほど滅茶苦茶な筆跡になっており、焦燥と絶望と狂気に囚われていたのが嫌でも伝わってくる。
「……"2人を取り返しに行く"って、あのキモいヤツと戦おうとしたってこと、だよな…?」
「そう、ね…。もしかしたら、あの倉庫の亡骸が…そうなのかもしれないわね」
「……」
日記を読み終え、暗く沈んだ空気の漂う中、BFが口を開く。
GFはそれに翳りを含んだ面持ちで応え、Picoは何も言わず感情の読めない眼差しで日記を見つめるばかりだった。
◆◆◆
日記をカウンターの上に置き、1階でまだ探索していない箇所はないかと3人で考える。
探索者たちは今キッチンにいる。キッチンには食堂に続く扉の他に、もう1つ扉があった。
それを開け放つと、その先には暗く長い廊下が伸びており、数10m先で行き止まりになっている。
探索者たちから向かって右側には窓もなにもなく、左側には居間に続くと思われる扉と、エントランス、間隔を大きく空けて2つの扉が見える。
廊下を見つめていたPicoは、そういえば、とあることを思い出す。
──1箇所、探索を後回しにしていた箇所があった。
「おい」
「ん?」 「どうしたの、Pico?」
「……一番奥の扉」
そこをまだ調べてないと言外に含ませるかのように、自分たちの現在位置から最も遠い扉を指差す。
「ん〜……?
あ!そういえば調べるの後にしようっつってたとこあったな!!
いっけね、いろいろありすぎて忘れてた」
てへっと舌を出しておどけるBFに呆れ、本日何度目かも知らないため息を吐いたPicoは、勝手にさっさと歩き出す。
ワンテンポ遅れた2人は、単独行動はダメだなどと文句を言いながらその背中を追いかけた。
◆◆◆
長い廊下を渡り、探索者たちは恐らく1階最後の部屋の扉の前に立った。
Picoが扉の向こうに聞き耳を立て、なんの気配もしないことが分かると、ドアノブを下げて開け放つ。
刹那、鉄錆に混じって何かが腐ったような、微かな臭気が探索者たちを迎え入れた。
数時間前に嗅ぎとったのと同じような匂いに嫌な予感を抱きつつ、いつものように壁のスイッチを押すと、暖色系の明かりが室内を照らした。
ここはバスルームのようだ。縦長の部屋の手前には便器が、奥にはカーテンで目張りをされているがシャワーとバスタブが配置されているのが分かる。
BFは手始めに便器の蓋を開け、水を流そうとレバーを下ろす。が、水道が止まっているらしく流れることはなかった。
首を傾げつつ、2人と共に奥のバスタブの方へと歩を進める。
近くで見て分かったが、暗い色調のカーテンには赤黒い染みのようなものが付着していた。悪臭もまた酷くなっている。この中で何かあったことは明確だ。
しかし、BFはそんなのお構いなしというように勢いよくカーテンを取っ払い、バスタブを覗き込んだ。
「うげぇ」
果たして、その中には水が溜まっていた。が、茶色く濁り、何やら脂や何かの欠片のようなものが浮いており、酷い悪臭を放っている。
お世辞にも清浄とは言えない汚水を目の当たりにし、BFは苦々しい呻き声を上げた。
後から覗き込んだ2人もまた顔を顰めている。
「…これ、どうしましょうか…?」
「うーん、とりあえず流してみっか…?」
「……」
BFは、栓に繋がっているであろう鎖に手をかけ、一気に引き抜く。こぽ、と音がした後、緩やかに水嵩が減っていき、数分後にはバスタブの底と、水の濁りの元凶であろう沈殿物が垣間見えるようになる。
沈んでいたのは、人間の右手だった。
断面は潰れ、水でふやけた表皮は乖離し、見るも無惨な状態である。
そんな状態でも、薬指に指輪らしきものを付けていることや、大きさ、骨格からして恐らく女性の手であることは辛うじて分かった。
「え、何でこんな中途半端に右手だけ…??」
「食べ残しかしら?」
「えぇ〜〜食べ残すなよ…責任もって全部食えよ…」
「そういう問題じゃないだろう……」
「それにしてもおかしいわね…奴なら女性や子供は喜んで丸々平らげるはずなんだけど」
などと、謎の会話を交わしつつ、取り残された右手を見つめていると。
「…あら?」
不意に、GFが何かに気づいたような声を上げた。
「この人の手の下、なんかあるような…?」
彼女の言葉に、BFとPicoも右手をより注意深く観察する。
人差し指と中指の間の僅かな隙間に、照明の光を受けてキラリと光るものが見えた。
「ほんとだ、なにこれ!」
BFは新たな発見に目を輝かせる。
そしてバスタブの底に向かって伸ばした手を、傍らに居た2人が同時に掴んで制止した。
「え、2人とも?なんで…」
「なんでも何もあなた、死体に素手で触る気?しかも腐りかけよ?」
「いいじゃん別に。死体触るなんて今に始まったことじゃないだろ?手くらいあとで洗えばいいし」
「おい。ここの水止まってるの忘れたのか?」
「ぁ」
水道が止まってることを思い出し、「ならやめだやめ」とようやく手を引っ込めた。
確認したのお前なのに忘れてたのかよ、という呆れは言葉になることなく、またもやため息と化した。
一方のGFは、シャワーヘッドを使って器用に右手をずらし、バスタブの底へと手を伸ばす。
拾い上げられ、ハンカチで綺麗に水滴や汚れを拭き取られたそれの正体は、金色の鍵だった。
錆ひとつない光沢のあるそれは、BFの小さな手指の第1関節くらいしかない。
「ちっさ、何の鍵だろ?」
「この大きさから察するに…引き出しとか、道具箱の鍵、かしらね」
「引き出し…」
GFの言葉を聞いたPicoが呟く。これまで回った部屋の中には棚や引き出しなどがある箇所もあったが、鍵を要するものは特になかったように思える。
となると、2階で必要になってくるものである可能性が高そうだ。
新たに手に入れた鍵を携え、バスルームを後にした探索者たちは、エントランスへと戻ってきた。
いずれにせよ、これで1階は可能な限り全て調べ尽くしたはずなので、2階に行くより他ない。
「よぉーし、2階行くぞ!!」
両階段の手前、BFが気合いの入った声を上げた。