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    りんごのしずく

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    りんごのしずく

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    肉体的に惹かれ合うふたり、という感じです。⚠️オーエンがカインに仮死魔法をかけます。

    #オーカイ
    #忘れたって何度でも!
    forgetIt,AgainAndAgain!

    Obedient BoysObedient Boys
     ラスティカのピアノの演奏に合わせて歌うオーエンをはじめて見たときの、心地よい寂しさや、子どもに戻ったような感覚を、カインは複雑な思いで、捉えていた。心を打つ力を持ちながら、ずっと聞いていたくなるくらいには抜けた、ジャズの演奏だった。オーエンははじめこそ文句を垂れていたけれど、ラスティカが演奏をはじめると、仕方がないなというようにくちびるをひらいて、美しい旋律を奏でた。
     カインがオーエンの歌声は楽器のようだ、と思っていたら、ラスティカも、同じようにオーエンの歌声を評した。どんな曲や演奏にも調和して寄り添いながらも、聴く者の心を打つしなやかな強さや、音楽への愛を持っていた。それこそ、魔法のようだった。カインがつい最近まで知らなかった魔法使いの世界に、足を踏み入れたのだ、と実感させるような、魔法使いらしい不思議があった。
     その不思議を作る一要素に、カインの知らないオーエンがそこにいたこと、があると、カインは自ら分析していた。なんとなく、オーエンのことはわかってきているつもりだった。なんだかんだと言いながら自分のことを気にかけてくれているんだ、と思うようになってきたし、やられたことを許すつもりはなくても、怒りを抱いたまま、彼と友人になることができるんじゃないかと、思ってしまいそうになっている。
     ふた月ほど前、カインはオーエンの部屋を訪れたとき、椅子に括り付けられたり魔法で身動きを禁じられたりして、散々なことになったことがあった。ちょうど暇してたんだよね、と言いながら、オーエンは上等な革靴の先で、カインの脚をなぞったり、魔法で電流の走るような、さほど強くはない痛みを、カインの身体中に走らせたりした。ずっと続けられていると、段々と軽い痛みから性感を拾い上げてしまい、逃げ出したくなる恥じらいと、もっと味わっていたい欲求が芽生えるのを感じた。カインは愚かなことに、抵抗を忘れてしまったし、その様子に気づいたオーエンが、ただ薄く微笑んだだけだったことにも、カインは驚いた。息が乱れて浅くなった呼吸と、吐息の熱、薄くひらいた口、迫り上がるじりじりとした性感を逃がすように時折くねらせる身体、そういうものを見て、満足気に笑ったオーエンを見て、カインは、もうどうにかなってしまえばいいのに、と思った。けれど、その思考が冷静ではないことくらい、カインはわかっていた。ただ、お互いに、相手と関係を持つことになったって、不可能ではないんだ、となんとなくわかってしまった、ということが、カインの中でずっと渦巻いて、指に薔薇の棘が刺さったように、意識から消えなかった。
     そういう男が、一切自分に目もくれず歌うことを純粋に楽しんでいるところを見るのは、心地よくもあり、寂しくもあって、寂しいと思う部分がほんの少しでもあることが、カインにはすごく可笑しいことに思えた。オーエンに恋をしているのか、と問われたとしても、そんなわけないだろ、と笑い飛ばせるようには思う。けれど傍らでずっと、彼の部屋で見たオーエンの薄い微笑みと、あの性的緊張を思い出している。彼の、朝の鳥のように美しい歌声を聴きながら。

    「ラスティカ? ここにいたんだ……あ、ごめん! 演奏の邪魔だった?」
     ラスティカを探しに来たらしいクロエの姿を認めて、ラスティカは演奏を止めた。オーエンもうたうのをやめた。カインは、オーエンがこのまますっと姿を消すような気がして、咄嗟に駆け寄って腕を掴んだ。
    「は?」
    「クロエ。僕に用かい?」
    「頼まれてたハンカチの刺繍できたから、見せようと思って。でも全然、あとでもいいよ! ラスティカのピアノもオーエンの歌も聞きたいから!」
     クロエはラスティカとオーエンの演奏を聞きたかった様子で、ハンカチをしまって席につこうとした。
    「僕は嫌だよ。部屋に帰るから。騎士様、この手は何? 離せよ」
     オーエンは不機嫌を隠さずに言った。歌っているときも、わかりやすく機嫌が良さそうなわけではなかったけれど、それでも音楽があれば歌うんだな、ということがカインには少し面白くて、愛おしかった。
    「え〜……。俺、オーエンの歌好きなのに」
     クロエは寂しそうに言った。
    「わかる、俺もだ! 咄嗟に手を掴んじまった」
    「ふん、おだてたって歌わないよ。じゃあね」
     オーエンが外套を翻して去ろうとしたとき、ラスティカは品のある微笑みを浮かべて言った。
    「それなら、音楽会は閉幕して、お茶会を開催するのはどうかな? 冷蔵庫に、西の国の老舗のパティスリーのサヴァランがあるんだ、昨日シャイロックが買ってきてくれてね」
     オーエンは数秒黙った。あのラスティカが目を輝かせるサヴァランなんて、絶品に決まっているから。

     ❊

     結局オーエンは、サヴァランの誘惑に屈したようだった。ラスティカが出してくれる菓子はどれも絶品だと、魔法舎中の誰もが知っている。サヴァランと共に出してくれたチョコレートも、甘いだけでなく深みのある味で、甘いものを好まないカインも感動したほどだった。
    「そういえばさ、クロエって仮死魔法が得意なんだよな」
     ラスティカ、クロエ、オーエン、カインのお茶会は、傍から見れば不思議な集まりだった。オーエンがいることはやはり珍しいし、予定や鍛錬でスケジュールが詰まったカインがゆったりお茶会に参加する光景も、それなりに珍しかった。
    「採寸とかのために魔法使ってたら、いつの間にか得意になってたんだよね。さすがに大いなる厄災相手には使えないだろうけど」
     黙ってスイーツに舌鼓を打っていたオーエンも、仮死魔法の話になるといつもの人の悪い笑みを浮かべた。
    「おまえもいつか、人を苦しめるために仮死魔法を使う日が来るよ。ふふ。その日が楽しみ」
    「全くお前は、そういうことしか喋れないのか? ていうか、気づいたら使えるようになってた感じなのか。俺、クロエみたいにこれと言って得意な魔法ないから、気になってさ」
     カインはオーエンに会話の主導権を握らせないよう意識しながら話した。
    「そんなことないよ! カインは戦闘に慣れてるけど、俺はほとんど未経験だから……。でもそうだね、気づいたら使えるようになってた。使うときって大体、服とかアクセサリーのことで頭がいっぱいだから、いつからかはわかんないけど……」
    「魔法は心で使うからね。自分が強く求めていたり、気質と合う魔法がいちばん上手くいくよ」
     ラスティカが言った。ラスティカが口を開くと、空気が一気に平和になるような感じがする。 
    「なるほどな。西の奴らは楽しい魔法をよく使うもんな! 北の魔法使いたちはやっぱり戦うのが上手いし」
     言いながらオーエンの様子を伺うと、ふん、と微かに鼻を鳴らしているのがわかって、カインはうっかり微笑みそうになる。
     しばらく得意な魔法や苦手な魔法の話で盛り上がっていたら、隣に気配を感じなくなって、横を見るとオーエンはいなくなっていた。
    「あれ? オーエン帰っちゃった?」
    「……みたいだな。あいつ、元からスイーツ平らげたら帰るつもりだったんだな」
    「ふふ、喜んでもらえて何よりだよ」
     しばらくラスティカとクロエの旅の話を聞いたり、騎士団の話をしたりした。ふたりの旅の話を聞くと、休暇を取ってゆっくり旅をしたりするのもいいかもしれない、と思えてくる。会話を楽しみながらも、カインは意識の隅で、オーエンの行方のことが気にかかった。部屋に戻ったのだろうか、オーエンの部屋の静かさが好きだと思っていることや、あの整頓された空間、長い人生で、あの上質な、こだわりのありそうな肌触りの良いシーツの上で、誰かを抱くことがあっただろうか、どんなふうに抱くんだろう、そういうことが頭に浮かんでは、すぐにまた会話に意識が向いて、消えていく。

    「ありがとう! 美味かったし、楽しかったよ。またやろう!」
    「うん! 今度カインにも洋服作らせてね」
    「また夕飯でね。カイン」

     お茶会を終えてふたりと別れてから、カインはオーエンの部屋に向かった。帰るならひとこと言えよ、みたいな小言を言いたい気もしたし、オーエンもまた、カインが部屋に来ると知っていそうな気がした。引力にひかれるようにして、五階へと足を進めた。

    「オーエン? いるか?」
     返事はないまま、数十秒経った。けれどなんとなくオーエンは出てくる気がして、もう一度ノックしたりはせず、ただ立っていた。
    「……何?」
     カインはつい、笑ってしまった。
    「ふは。やっぱり、出てきてくれると思ったんだ」
     カインがそう言ってオーエンの目を見つめたとき、空気が変わった。カインには元々、無意識に人をその気にさせてしまうような面があるけれど、オーエンには見分けられなかった。今のカインの瞳に込められた甘いきらめきが、故意のものであるのか、そうでないのか。
    「黙って。帰らせてほしいの? 魔法で吹き飛ばしてあげようか」
    「違うよ。入れてくれ」

     ❊

    「おまえ、勝手にいなくなるなよ。クロエ、びっくりしてたんだぞ」
    「知らないよ。僕は甘いものに用があっただけ」
     テーブルにはチェスのナイトの駒がいくつかと、グラスに入った水だけが置かれていた。振り返ると、オーエンは不意に笑い出した。
    「そういえば、お前、仮死魔法にやたら食い付いてたけど。やってみたいの? 殺してみたい相手がいる?」
     オーエンが人をからかうときの、あのニヤニヤとした笑いが浮かんでいた。
    「いるわけないだろ。得意な魔法がある奴らはどんなふうに習得したんだろうと思ったんだ」
    「僕のことは殺したいほど憎んでいるでしょう?」
    「なんでそうなるんだ……。殺したくなんかないよ。目玉を返してほしいだけだ」
    「はあ、つまんない。まあ、騎士様が僕を本当に殺したところで、僕は生き返るから。仮死魔法でしかない。殺されたりしないけど」
     カインは、オーエンがつまらない、と言って落ち着いた態度になるときが、少し好きだった。
    「目玉を取り返すときも、殺したりしないさ」
    「ふん。くだらない信念……。そうだ、仮死魔法、教えてあげようか」
    「え? いや……覚えても使うことあるか……?」
    「あるだろ。仮死魔法かけてその間に剣やらナイフやらでそいつのこと刺したら殺せるじゃない」
    「あー……」
     カインはあまり乗り気がしなかったけれど、オーエンに魔法を教えてもらえるのは、意外と学びが多いので、お願いしようかな、と言いかけた、そのときだった。
    「じゃあ、かけてあげる。動かないで」
    「え?」
    「《クアーレ・モリト》」
     その瞬間、静寂が訪れた。まるであたりを静かにする魔法をとなえたみたいだった。
     オーエンはそのままカインをベッドに横たえた。ベッドの脇に座って、動かなくなって、息もしなくなったカインを観察した。心臓のあるあたりに触れて、鼓動がないことを確認したり、息がないことを感じ取ると、血の気が引いていくような恐れがオーエンの身体を走る。同時に、この男がいま自分の手のひらに収まっているのだ、ということ、生殺与奪の権を握っていることに、どうしようもない気の昂りも覚えていた。目を覚まして、あの大きな声で何かしら喋ってほしい、目を開けて。夏の花が見えない、いま首を絞めて本当に殺したら、カインを愛する者たちは悲しみに暮れるだろう、そうしたらカインは、永遠に僕の獲物だ。あらゆる相反した思念がオーエンを支配した。案外長い睫毛を見つめる、瞼に触れてみる。喉仏を指先でなぞる。その指先をそのまま、心臓のあたりまで滑らせる。そして、指をパチ、と鳴らした。
    「は……! な、何?」
    「……」
     カインは目を覚ましてすぐ、仮死魔法をかけられていたことに気がついた。オーエンの表情がいつも通りに戻りきっておらず、ミステリ劇に出てくる、殺害現場を目撃してしまった人のような顔をしているのを、見逃さなかった。白い頬が、いつもよりさらに白い。
    「……そんな顔するなら、やるなよ」
    「うるさい。ほら、君もやってみなよ。特別に殺されてあげるから」
    「お前が死ぬの、見たくないかな。特に今は」
    「はぁ?」
    「……顔色悪いぞ、お前。ここから仮死するなんて、顔が白通り越して青になっちまう」
    「馬鹿にしてるの? 北の魔法使いがお前ごときの仮死魔法でダメージを受けるわけがないだろ」
     オーエンは語気を強めて、地鳴りのような怒りを顕にしはじめた。
    「そういうことじゃないさ。ただ俺の気分が乗らないんだ、今は」
     不満気な顔を隠さないまま押し黙ったオーエンは一瞬子どものような揺れ、孤独を見せたから、カインはまたあの厄災の傷がはたらいたのかとさえ思った。
    「ああそう。じゃあもうお前、帰ったら? 何しに来たんだよ、そもそも」
    「……帰りたくないって言ったら、お前はどうする?」
     オーエンはそのひとことと声色で、大体のことを察したようだった。カインはふたりの間に、何かセクシャルな欲望があることを、暴いてしまおうとしている。睦言もないまま、決まっていたことであるみたいに、因縁の相手に抱く愛欲を、ただ満たそうとしている。
    「本気で言ってる? 騎士様」
     ここで頷いてしまえば、もう後戻りできないことも、カインにはわかっていた。刺さったままの薔薇の棘も愛おしかったけれど、ずっとそのままにしておくのは性分じゃない、と気が急く。
    「俺は本気だが、本気じゃないってことにしても、いい」
     カインはオーエンの手を取り、自身の胸の当たりに置いた。そのまま、誘うように指を絡ませて、蜜の目を向けた。
    「それとも、先延ばしにしたほうが燃える?」
     オーエンは大きく、深呼吸のようなため息をつき、やっと北の魔法使いオーエンの顔に戻った。
    「北の魔法使いをなめないで。朝まで、帰さないであげる」
     カインは、本当に心の底から、恨めしいと思った。人生がどんどん狂っていくのを知りながら、悪い魔法使いに、離さなくていい、と望んでいる。
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