夢の中で溺れたい たまに現れる夢がある。
それはヘルタの宇宙ステーションでやむおえず受ける模擬宇宙での事象によく似ていた。天才らが編み上げたプログラム。そのシミュレーションによって書き出された擬似星神と対面するとき、私は亜空間に放り出されて、上も下も、右も左もない空間に漂っている。
あの夢はその感覚に似ていたが、星神が夢の中にまで出しゃばってくるわけでもなく。ただ、私は無重力空間に浮遊していた。
なのに話したら「あんたってほんと変わってるよね」と言われそうだが、恐怖はなくただ懐かしさがあった。過去の記憶がないのに懐かしいと思う。なのの次の言葉は「まあでも、自分のことを少しは知れたってことだよね? それってとってもラッキーじゃん!」とかだろうか。そんなことを考えながら星はゴロリと布を巻き込みながら寝返りを打つ。
真夜中。染み込む沈黙と機械の回る音だけが乗客となった星穹列車の中で、開拓者としての道を歩み始めたばかりの星は眠れずにいた。
スマホの画面を見ると宇宙時間AM3時を示している。
「まぶし、」
人工的な眩しさからぽいっとベッドのわきに放り投げると、抗議するようにピロンと弾む音がする。しばらく無視を決め込んで、星はあてがわれた部屋の天井のしみ……が一つもないことを確認して眠気の訪れを待とうとした。しかし、立て続けにピロンピロンとうるさいので、電波の先にいる相手の息の根を止める勢いでスマホを引っ掴んだ。
それが相手の策略だとは知らずに。
「こんな時間に、誰?」
ロック画面に表示された文字は上から「イベントのご案内!!」「添付画像あり」「添付画像あり」だった。親指でシュッとロックを解除して通知の表示がついたアプリをタッチする。最新のメッセージは……——ベロブルグ下層部で一番 HOT な屋台! ⚫︎⚫︎⚫︎。
「早食い競争……のご案内。上層部と下層部の交通再開を記念した、特大イベントが開催されます。ぜひ奮ってのご参加を……」
添付された画像は、夜中に見るにはいささか不適切な内容だった。メッセージ送信者の罠にしっかりハマった星の黄金色の瞳には添付された画像が映り込む。ベッドの上でスマホを握りしめたままむくりと状態を起こした。
星はボルダータウンにおける、早食いチャンピオンだ。星の刻んだタイムを越した者はまだいない。少なくとも星はそう認識している。実際のところは、早食いに挑む人間の数が少ないせいで記録が塗り替えられるほどの傑物がいないだけなのだが、現チャンピオンの知るところではない。
ああ、惑星ヤリーロⅥ。星にとっては初めて降りた土地であり、初めての開拓の旅だった。開拓の体験は星に多大な影響を与えた。見出した己の胃の可能性。導き出した早食いという競技。物資の乏しいボルダータウンで行われる背徳行為は星のアドレナリン出力の最大値を引き上げた。早食いに挑むこと数十回。その軌跡の中で、たとえ意識が途切れても。体の限界との駆け引きに負けてゲロを吐いたとしても。それが早食いのタイムを縮めることに使命感を覚えてしまった人間の末路だった。
「行くしかない、ボルダータウン」
並々ならぬ闘志をたぎらせながら、星は未来に向けて筆をとった。出来上がった書き置きを殺風景な部屋のテーブルに残して、星はスマホ上で新しいアプリを立ち上げる。地図のようなアプリ画面が浮かびあがると、開拓の星神、アキヴィリの恩恵である界域アンカーの選択画面がすばやく表示される。星は淀みない操作で一覧から「ヤリーロⅥ、ボルダータウン」の項目を親指でタッチした。
一瞬。無重力のような、内臓をひっくり返したような。そんな奇妙な感覚が数秒はさまってから、どっぷりと独特の香りに包まれる。それは丹恒のアーカイブ部屋に踏み行った時や、なの部屋に呼ばれる時。部屋の主人でないことを認識する瞬間にとてもよく似ていた。己とは違う空気の集合体。その密度の濃さに慣れない時と同じだ。
移動の瞬間、目を反射的に閉じた星の瞳に光が映る。目の前に広がるのは夜の明けない街。——ボルダータウン。
うねるような消炎の残り、匂いのキツイ油性の何か、湿った土と石。どれもこれもが自身に属すことのない物で空気は構成されているにもかかわらず、少し懐かしく思う気持ちが星にはあった。記憶に残るほどまでに、ボルダータウンで過ごした時間は濃厚だった……。ということになるのだろうか。
真実はわからない。星にも、きっとクリフォトにだってわからない。
・・・
★なのが次の日の朝、星を呼びにくる
「ちょっと星〜? いつまで寝てるの! もうとっくに朝だよ!! ここ宇宙だからわかり辛いけどさ。ねーえー、せっかくのご飯が冷めちゃうよー?」
「もう! 答えないなら、勝手に入っちゃうからね〜!」
「ボルダータウンで私はチャンピオンにもう一度なる……? え、なにこれ、」
「ちょっと聞いてよ丹恒!! また星が……!」
・・・
私は目の前の女の人を呆れさせた? らしい。
「まるで私が悪いみたい」
「ええ。実際に悪いのは、お嬢さん……あなたの方なのだけど……。自覚がおありでないのでしょうか?」
垂れ目がちの目尻をさらに下げて、引き攣った笑みを浮かべる女の人。彼女のスカートから下は、子どもに見せるには忍びない姿になってしまっていた。おびただしい液体でぬらぬらと怪しげに光っている。一見すればはしたなくも見え、別の側面からは悲惨にも見えた。
それら液体は突如生成されたものだったので、誰にも予防することができなかった。偶然が重なった結果ともいう。一部始終を見ていた店主から言わせれば、不運と自業自得の塊。もしくは、競争に勝った星の内蔵が逆流させたもの。つまるところ、その液体の正体は……、星のゲロだ。
今日の星は絶好調だった。表情変化の乏しい顔の下では、自信と自信がぶつかり稽古をして火花が散るくらいに絶好調だった。
スパムまがいなメッセージを受けた星はボルダータウンに移動し来たるXデーに向けて、胃の調整を数日間にわたって行ってきた。ゲーテホテルを拠点に、地下の環境をリング上に見立てて身体を慣らしつつ、見知った顔ぶれの様子を伺うこともしばしば。彼らも久々の行事を楽しみにしていると言ってた。太陽の日にちなんだ祭りなんだとか。一大イベントの前夜祭はたいそう盛り上がった。
そして、Xデーが来た。
重々しい空気と選手たちの闘志ほとばしる中、戦いの火蓋は安っぽいクラッカーの音と共に切られた。
この日に向けて星は万全で全快な状態に胃をしあげてきた。実際に、早食い競争のライバルたちから頭ひとつ飛び抜けた状態を維持している。
星のひょろりと伸びた身長とその身体つきをみてライバルたちは鼻で笑った。星に与えられた選択肢は二つあり、片方を選べば拳で実力を説明することもできた。が、ブローニャの尊顔に免じて許した。そも、示すのであればこの「戦い」に置いての実力で説明する方がいいだろう。そうでなければ星の気は済まない。
「うそだろ、あの子……なんて早いんだ! もはやあれは、食べてないだろ。吸い込んでいるんじゃないのか? いくらなんでも速すぎる!」
「ねーちゃんが太陽ブリヌイを吸い込んでいってらぁ!! こいつは面白くなってきたぞ!」
「チッ。おい! 負けるんじゃねえぞ、シュラスコ! てめえに何シールドかけたとおもってんだ!」
観衆からは純粋な賞賛と驚き。賭け金の行方を不安がる者。さまざまな声が上がる中、星は目の前に並ぶ太陽ブリヌイを次々と吸い込んでいった。
「太陽ブリヌイ」とは麦粉と卵と牛乳を混ぜ合わせて薄く引き伸ばしてバターで焼いた生地に、鮭やキノコなどの具材を乗せて包んだ食べ物だ。(乗せるだけの場合もある)。ベロブルグでは「太陽の日」という数日にわたる祭日に食べるお祝いを示した料理でもあり、家庭料理のうちの一つでもある。太陽と名がついたのも、丸く焼き上げるその黄色い姿を太陽と見立てているからだろう。太陽ブリヌイは、ベロブルグの人々の逞しさがみてとれる郷土料理だ。
ベロブルグは、ヤリーロⅥは緑に覆われて太陽の陽射しを受けていた時代を諦めていない。分厚い雪雲に覆われた白い惑星。命の灯火をかき消す寒さの中で、あきらめることなく生きる人々を星は垣間見た。彼らが「太陽」へ向ける救いの願いや、羨望は星には計り知れないことだった。
星はさまざまな具材を包んだ太陽ブリヌイを次々と掴んで、口に運ぶ。バターの甘みがする鮭を、歯応えのあるなんとかダケを。口にひたすら入れて、丸呑みにしている。
クジラだ。
星穹列車の照明飾りにも選ばれているクジラだ。あれは何? となのかに聞いて、丹恒が見せてくれたアーカイブ。その映像の中で悠然と泳ぐ「クジラ」という生き物は、食事の際に魚群を丸呑みするのだ。その様が圧巻で、超越的だった。だから星は早食いの最中、その映像を頭の中で繰り返し再生している。
早食い競争の内容は至極シンプルで、太陽ブリヌイをどれだけ早く食べれるか。それだけだ。今回のイベントではプラスして、ライバルがいて、食べる皿の数が決まっている。誰が一番早く食べ切るか。
星はこれまでの通りに胃が許す限り、味わい、呑み込んでいた。勝利を掴むのは己の胃だと、信じて疑わない。
「出ました!! 今大会の優勝者は——」
そして、星はめでたくチャンピオンになった。
ボルダータウンで一番の屋台で、星は優勝した。勝者に贈られる5千シールドとチャンピオンベルトを手にして表彰台に悠然と上がった星は、優勝スピーチでたった一言告げてその場を後にした。
「全額、ナターシャの診療所に寄付します」
下層部で久しく行われたイベントを見届けようと訪れた人々はどよめいた。中にはチャンピオンを讃えるものもいれば、邪推するものもいるだろう。だが人々の反応など星は全く気にしなかった。なぜなら、星はボルダータウンで早食いチャンピオンになることが目的だったからだ。チャンピオンになるために、星は宇宙空間を飛んで来たのだから。
人々の思惑を他所に、星はさっさと星穹列車に帰ろうと支度を始めていた。チャンピオンベルトを肩にかけたまま表彰台から降り、スマホをいじっていると声をかけられる。
ふわっと、鼻先をかすめる香水があまりにもこの場に不釣り合いで、星はスマホから素直に顔をあげる。★サンポが香水つけるか解釈を再確認すること
「お姉さん、ちょっと今いいですか?」
「ちょっとだけなら、いいですよ」
「……。えっと、私、下層支部水晶ウィークリーの者です! …‥腰にベルトを巻いた状態で、写真を何枚かお願いしてもいいですか〜? あと、数言いただきたいのですが、お願いできますかー?」
「報酬はある?」
「したたかな姿もすてきですね! ふふっ、もちーろーん! ありますよ〜!」
「ならやる。帰りたいから、なるべくはやくね」
「わかりました〜! では、こちらに……」
そのときに事は起きてしまったのだ。
見栄を張ってギュッと、したのがいけなかったのだろう。少しの圧迫も許さなかった星の胃は、収めていた物をすてきなお姉さんの、すてきなスカートにぶちまけたのだった。
そうして今に至るわけだが、
「……ホテル。とってるから、そこで洗っていったら?」
「あのですね。ちょっとそれは……、なんというか、えっと、」
「それともここで脱ぐ?」
「それは絶対にないですね!」
ああ言えばこう言う。一歩詰めると、一歩下がる。そんな二人のやりとりを見かねた屋台の店主が間を取り持つように話に入って来た。
「記者のネエちゃん、さすがにその格好はまずいよ……」店主は一度視線を下げてから、困ったようにエプロンを巻いた腰に手を当てた。「アー……。まあ、なんだ……チャンピオンもこう言ってんだ。ここは甘えておいたらどうだい? 親切は受け取ってなんぼじゃぁねェか」
「それが、こま……、」
店主の提案にも断りをいれようとした瞬間。大砲のような声が響く。
「あー! やっと見つけたぞ名誉隊員!」
「ドスクロのフック様」
溢れ落ちそうなほっぺを震わせながら大股で(とは言っても、彼女にとってのではある)こちらに向かってくるフックに、ひらひらと手を振って星は「やっほー」と声かけた。
「隣にいるのは……見かけない顔だな! ……って、え? このおばさんすっごく汚ったないな!! なんでそんなに汚いかっこうしてるんだ? うっ……しかも、ちょっと匂うぞ」
フックの純粋さがゲロまみれのお姉さんを刺し抜いたのか。彼女はピシリと岩のように固まって、唐突に胸を押さえた。
「あわわ、どこか痛いのか? 魔女ババァ……じゃなかった……。ナターシャお姉ちゃんに診てもらうか? きっとお洋服も綺麗にしてもらえるぞ。ナターシャお姉ちゃんはお洋服も作れるんだ!」
「あは、あはは。とっっってもお気持ちは嬉しいのですが、遠慮しておきます」
「なんでだ!!」予想外の返答にフックは目を見開く。ややあってから、ふむふむと探偵さながら顎に手をやりながら推測を述べてみせる。「そうか。わかった! 注射が怖いんだ?」
「注射はまったく怖くありませんが……。やっぱり、こちらのお姉さんの提案に甘えようかと」
「なんでだ!!」
★このあとホテル行く流れを作らないといけないんだけど、まったくだめです
.