狐と狸の化かし愛 知らない天井だ。シミの付いた低めのそこは、三井の家ではありえない。のそりと起きて、自分の体を見下げる。全裸。の上に、明らかに情事のあとがびっしりと付いていた。ひく、と口元が震えた。
「あ、ミッチー起きた?」
ひょこ、とベランダから男が顔を出してくる。口に咥えていたタバコを灰皿に押し付けて、捨ててしまう。まだまだ吸えただろうに。
部屋に入ってきた、髪を下ろすと途端に幼くなる男を見つめて、三井は気まずげな顔を作った。
「あー、悪い水戸。その、俺昨日スゲー酔ってて……」
「あ、そなの?もしかして記憶飛んでる?」
「……わりぃ」
嘘である。
バッチリ残っている。三井は嘘つきであった。
水戸に対する恋心を拗らせ続けて早10年。親友の先輩という微妙な立場で水戸となんとか関わりを持ち続け、ついに我慢ができなくなった。我慢ができなくなり、せめて体だけでもという結論に至った三井は、ちょうどよくやってきた飲みの機会に、水戸の家に入り込んでやったのである。
秘技、酔ったフリという技によって。
今まで水戸の前で酒の弱い演技を続けてきたのは今日この日のため。……いや、酔ったフリをすると水戸の態度がこころなしか甘くなるからでもあったが。とにかく、三井は昨晩ぐずりにぐずって水戸の家に上がり込み、見事手を出させることに成功したのだ。
「マジか。体大丈夫?色々やっちゃったんだけど」
「いろいろ……」
「うん。ミッチー寂しいって言ってたから」
嘘である。
寂しいなんて言っていない。水戸もまた、嘘つきであった。
こちらも三井に対する恋心を拗らせ続けて早10年。高校時代の後輩の親友というなんとも脆い立場を必死で繋いで関わり続け、ついに我慢ができなくなった。我慢ができなくなり、せめて体だけでもという結論に至った。こんなところまで一緒の思考回路。
当初の予定ではほろ酔い程度にしてうまく家に連れ込み、そこでまた飲ませて判断力を極限まで鈍らせるつもりだったのだが、いざ呼び出してみれば三井は店ですでに判断力がゼロになってしまっていた。顔を赤らめてベタベタひっついてくる三井に、家に帰るまでの間煽りに煽られ続け、『寂しい』なんて言わせる間もなく玄関で押し倒した。獣だ。
「え、そんなこと言ってた?俺」
「うん。言ってた。何かあったの?話くらいなら聞くけど」
「……あー、俺じつは、失恋して」
作り話である。
しかも即席の。三井の頭は今試合中もかくやという速度で回転している。
ははあ、水戸。さてはお前昨日のことうろ覚えだな?適当に補完してんじゃねーか。まあいい、これはチャンスだ。優しい水戸のことだから、同情くらいしてくれるだろう。もしかしたら慰めてほしいとか縋ったらもうワンチャンあるかもしれねえ。
と。そんなところだ。三井はずるい男であった。
「失恋!ああ、そういえば好きな人いるって聞いたことある。その人?」
「え、ああ、そうそうソイツ。男なんだけどさ、やっぱ同じ男は無理って」
「そりゃ酷い、可哀想だね、三井さん」
紙よりうっっすい言葉である。
心のなかではガッツポーズだ。よっしゃあ!と叫んだかもしれない。ひく、と口元がにやけそうになるのを必死で抑えている。
バスケ部が集まる飲み会で、その話を耳にしたとき人生最大の失恋を味わった心地だったのだ。だから今回、体だけでも、と求めてしまった。その原因がなくなって、最高のチャンスとして回ってきたのを感じて水戸はハイテンションだ。
「だろ?つか、普通に話しちまったけど俺ゲイで。引かねー?」
「はは、誰に聞いてんの。俺昨日アンタのこと抱いたんだけど」
「……あ、マジだ。お前もゲイなの」
半分ウソである。
三井は水戸が好きだが、男が性的対象ではない。女に勃つし、男で萎える。ただ、水戸だけが例外だった。
三井は昨晩抱かれたことを水戸の口から再確認でき、心に幸福感が広がっていくのを感じた。これを持続させるためにも、なんとかして『次回』を取り付けなくてはいけない。
「まあね。でも最近はなかなか出会いがなくてご無沙汰だったけど。ミッチーは?」
「俺はほら、アイツに抱かれたかったから。ずっとシテねえよ。でもなんとか立ち直らなきゃな」
「なに三井さん、新しい恋が必要とか言っちゃうタイプ?」
嫉妬である。
『アイツに抱かれたかったから』というワードに嫉妬の炎で丸焦げだ。冷笑で思わず言い放ってしまい、三井が驚いている。
あと、単純に新たな恋を始められたら困るというのもあった。他の誰かにお熱な姿を見るのは、もう勘弁だ。
この男、ここで『俺と新しい恋を始めない?』とか言えないのである。考えもつかない。言える人間であったら高校時代からしっかり付き合えていた。
「え、いや、そうでもないけどよ。水戸、お前もなんかあったのか?聞くぞ?」
「あー……まあ、同じようなもんだよ。失恋」
「失恋!マジか。辛えよな……」
羽よりかっっるい言葉である。
心のなかでは駆け回っている。おっしゃあ!と叫んだかもしれない。今だったらスリーを100発100中で入れられる自信がある。
軍団の飲み会にお邪魔した時、水戸が席をたった隙に水戸に好きな奴の話になったのだ。なにやら特徴やら職業やらを事細かく、ヒントでも出すように教えられたが、正直一つも聞いていなかった。今は水戸の好みを知るためにも聞いておけばよかったと後悔しているが、当時はショックでその後どうやって帰ったかも覚えていないほどだ。
その出来事があったからこうやって体だけでも、と思い立った。
びっくりだ、水戸と三井、計画を思いつく経緯まで同じだった。
「そー。辛いの。だから正直、三井さんが寂しいって言った時ラッキーって思っちゃった」
「みと……」
「俺もすげぇ寂しかったからさ」
大した演技力である。
ふっ、と儚げに笑った水戸だが、寂しいなんて思った試しがない。
友達は軍団が入れば十分だし、親友の応援と10年にも及ぶ恋に実生活は大いに充実している。
片恋に辛いと思うことはあるが、寂しいと思ったことは一度もない。三井はあくまでそこにいてくれたらもっと幸せになれる相手であって、決して寂しさを埋めるための相手ではなかった。
「水戸っ!俺、お前の辛さ、痛いほどわかるぜ!なあ、寂しいときには呼べよ、俺、いつでも来てやるから」
「ほんとに?優しいんだね三井さん……あのさ、好きな人としたかったこともしていいかな」
「おう!俺もしたいことがいっぱいあったんだ。失恋同盟組もうぜ!」
なんとも綺麗な笑みである。
もう三井は勝利を確信している。ただの性欲処理でなく、水戸のしたかった色々なことにも付き合えるとのことで、ウキウキだ。演技も白々しさが出てきた。
失恋同盟といったものの、もちろんこの男、諦めるつもりは毛頭ない。この機にかこつけてなんとか水戸に惚れてもらおうと、早速次の作戦を練っている。無駄とも知らないで。だって水戸は三井にべた惚れだ。
「うん、じゃあよろしく、三井さん」
「おう、よろしく、水戸」
ぎゅ、と握手。
この時、真っ向から告白することもできない意気地なし二人の心境が、完全に一致した。
『この人/こいつ、チョッッッロ!!!!』