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    くるしま

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    くるしま

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    できてる雑土に振り回されてる山田先生と山本さんの話。
    雑土自体の出番は少ないです。序盤シリアスに見せかけたコメディです。
    ※前に上げたものの修正版(?)です。特に流れは変わっていないので、前のは非公開にしました。

    #雑土井
    miscellaneousWells
    #雑土
    miscellaneousSoil

    恋の保護者たち 忍び装束の男が一人、夜の山の中を走っていた。木々の間を縫い、男は必死に足を進めている。振り返ることなく。
     男は、逃げていた。
     その後ろから、幾人かの男たちが迫っている。先頭を走る二人は、目を見合わせた。
     これ以上逃げられては、まずい。
     忍びの男が逃げようとしているのは、タソガレドキ領。
     そこまで逃げられたら、追う側の負けだった。
     男と追手の距離は、少しずつ縮まっている。その背中を見失う事はない。
     その時。
     横から、影が飛んできた。
     完全に不意打ちだったが、追っ手の一人である山田伝蔵は、難なくそれを受け止めた。が、足の動きは鈍る。
     代わりに横を走っていた男が、土井半助が前に出た。タソガレドキには目もくれず、ただ逃げた男を追う。
     山田は走りながら、攻撃を仕掛けてきた相手を見る。
     反対側から、もう一人が出てきた。二人を相手にする事になったが、山田が引けを取る事はない。簡単にとはいかないが、突破するだけならば、そう時間はかからなかった。
     攻撃してきた二人も、一時的な足止めだけが役目だったようで、追ってこない。
     そのまま駆けていた山田は、人影を見て足を止めた。
     そこには、土井がいた。土井は地面に片膝を付いている。その彼に覆いかぶさるように、大きな男が見えた。
     男は何かを土井に向けており、土井は男の腕を掴んでそれを阻止していた。
     男が雑渡であると認識する。と同時に、彼が土井へ小刀を振り下ろしているのだと理解した。
     男の刃は、今にも土井の眉間に突き刺さる位置にある。
     上から刺そうとする雑渡と、しゃがんで受けている土井。明らかに土井が不利だった。
    「半助!」
     言葉より先に、山田が苦無を放つ。雑渡を狙ったそれは、その向こうの木に突き刺さった。
     雑渡の腕の力が弱まった瞬間に、土井は彼から距離を取る。そのまま、彼の腹に鞘ごと刀を投げつける。こちらは当たった。だが当てることを優先したため、男を倒すような威力はない。
     雑渡は態勢を崩しながらも、手に持ったままの小刀を土井へ投げる。それは土井の頭を直撃こそしなかったが、どこかに当たりはしたようだ。わずかなうめきが聞こえ、血の匂いがした。
     土井は山田の元まで引き、雑渡へ顔を向ける。雑渡の後ろには、新しい影が立っていた。二対二、と言いたい所だが、そうではない。他にもいる。互いに。
     空気が膠着しかけた時。
     音がした。
     夜の空気に乗った音が、耳に届いた瞬間。土井と山田は振り返りもせず背後に飛んだ。雑渡と山本がそれを追って、跳躍しかけた時。逃げた彼らの後ろから、何かが飛んできた。
     ぱちぱちと燃える小さな火が目に飛び込み、火薬の匂いを嗅ぎ取った瞬間、雑渡たちは足を止め、後ろに飛ぶ。
     煙幕が沸き起こり、消える。その決して長くない時間で、何もかもが消えていた。
    「追いますか」
    「いや。意味がない。こちらも引くぞ」
     雑渡は身を屈めて、己の腹を打った刀を拾う。そして、何事かを呟いた。



     退却の合図をして、二人の退却の手助けをしたのは、後方にいた安藤だった。
    「逃してよかったのですか?」
    「学園長先生からは、無理は禁物と」
     山田と安藤が話す後ろから、土井が追いつく。その動きからすると、土井を傷付けた凶器に毒はなかったようだ。
    「怪我は」
     山田が言うのに、土井が短く返す。
    「少し顔を切っただけです」
     そうか、と山田が言ったきり、もう誰も話さなかった。
     任務は失敗した。が、死者はもちろん、たいした怪我もなく全員が帰還できる。それで満足するしかない。
     誰もが重い足取りで、それぞれの思考に沈む。
     そんな中、山田は今夜の任務以外の事を考えていた。
     今、斬られたのであろう傷口を押さえている土井半助と、その傷をつけた雑渡昆奈門の関係について。
     それはここしばらく、山田の頭から離れない問題事であった。



     山田がそれに気付いたのは、本当にたまたまだった。
     まず最初に、土井が出掛けることが増えた。
     外出が多少増えた所で、問題という程ではない。授業や忍務をすっぽかしたり、おろそかにしたり、そういった所はなかったからだ。
     それが時折、朝帰りになった。
     ここで、ピンときた。「良い相手」がいるのかもしれないと。
     土井もそろそろ世帯を持つのかと、気が早い事を考えていた。今にして思えば、呑気すぎる己に呆れてしまう。
     黙って見守っていると、そのうちに違和感が出てきた。
     土井は、誰かに会いに行っている。それは確かなのに、相手の輪郭がまるで掴めない。
     相手を隠しているのだ。それも、かなり巧妙に。
     ふつうの相手ならば、ここまで隠す必要はない。じわりと、良くない予感がした。だからある日、夜更けに帰ってきた土井を捕まえた。
    「誰と忍び会っていた?」
     普段の山田ならば、これほど野暮な事は言わない。土井もそれはわかっているから、たちまち困った顔になった。
     ここで隠されても、必ず調べる。山田は、その位の気持ちになっていた。だから、誤魔化すんじゃないぞ、と目で伝える。
    「あー……はい、その……」
     土井はいつになく歯切れが悪い。照れているのとは違う。ただ困っている。
     悪い予感が決定的になった。
    「相手の名を言え」
     ここで問い詰めなければという焦燥感は、本当にただの勘から来たものだ。
    「相手の名は、えぇと………………雑渡昆奈門、です」
     言い辛そうに土井が口にした名前を聞いて、ひっくり返りそうになった。
     山田はそのまま、土井を学園長室へ引っ張っていった。間違っていたとは思わないが、性急な行動だったと、今は思う。
     急に訪れた山田の剣幕に驚きつつも、学園長は彼らの話を聞いた。
     学園長はさすがに驚いた様子こそ見せたが、いつもと変わらぬ調子で、土井に詳細な事情を聴く。
     土井は尋ねられたすべてに、素直に答えた。その姿は落ち着いており、横で聞いている山田の方が動揺を隠すのに必死だった。
     会い始めた時期を聞いた時は、「そんなに前からか」とつい口を挟み、学園長に目で制された。
     すべて話し終わると、
    「申し訳ありません。軽率であると、己でもわかっております」
     土井は、深々と頭を下げた。
    「ふぅむ」
     学園長は顎を撫でて、土井を見る。
    「半助。もしわしが二度と会うなと申したら、もう雑渡とは会わぬか?」
    「はい」
     躊躇いも戸惑いもなく、土井は言い切った。目を逸らさずに真っ直ぐ学園長を見返す土井は、山田から見ても嘘をついている様子はない。
    「わかった。では、わしが土井先生にそれを言うまでは、ここだけの話にしておくとしよう」
    「学園長先生!?」
     それでは、条件付きの容認だ。山田は声を荒げたが、土井も、
    「えっ」
     と声を上げた。
    「よ、よろしいのですか?」
     と尋ねたのも、山田ではなく土井だった。
     土井は困惑した様子で学園長を見て、学園長が頷くと、次に山田を見た。困った顔で。
    「何でおまえが困っておるんだ……」
    「いや、そうなんですけど、でも」
     あたふたとする様子に、先ほどまでの落ち着きはない。ある意味、いつもの土井半助だった。
    「さぁて、ではわしも休むとするか。二人とも、ご苦労だったの」
     話はそれで終わってしまった。
     学園長室から教員の長屋に戻るまで、二人は一言も喋らなかった。戻っても、明日の授業について事務的な話をしただけだ。
     眠る直前に、土井が躊躇いがちに口を開いた。
    「あの」
    「学園長先生が構わないとおっしゃられるなら、私からは何にもありませんよ」
     土井の言葉を遮るように言えば、彼も「はい」と口を閉じた。
     これがだいたい、一月ほど前の話だった。



     土井が雑渡に切られたのは、右目の下辺りだった。
    「出血はそれなりでしたが、跡は残らずに済みそうです」
    「そうか」
     医務室から自室に戻った土井は、顔の包帯を撫でながら、笑顔を見せる。それにつては、安心した。
     雁首揃えて任務の失敗を報告した時、学園長はあっさりと、
    「わかった。ご苦労だったの」
     で話を終わらせた。その後の指示もなかった。
     山田は肩透かしをくらった気になったが、といって、食い下がる事でもない。ただ、小骨が喉に引っかかったような感覚だけが、残っている。
    「ところで、半助」
     一旦思考を切って、目の前に座る男を、その顔にある傷を見る。
    「はい」
    「その傷を作った男と、縁を切る気にはなっておらんか」
    「あー……はい」
     笑顔が、困った顔になる。その表情も答えも、いつもと同じだ。
    「なーんで、よりによってあの男に引っかかったかねぇ……」
    「はは……どうしてでしょうね」
     この件に関して、土井は強情だった。何度雑渡と切れるよう言っても、困った顔はしつつも即答で否定する。
     手段を問わなければ、無理やり引き剥がす事はできたかもしれない。だがそれでは、意味がない。
     土井の心を傷付けたい訳ではなかった。
     しかし、今のままで良いとも思えない。
     山田の悩みは、どんどん深まっていく一方だった。



     そんな悩ましい日々がしばらく続いた、ある日。
     まだ日が高い時間に、山田が学園長に呼ばれたのは、土井が出張で不在の日だった。
    「山田伝蔵、参りました」
    「うむ。入ってくれ」
     声を掛けて、障子を開ける。中には、見覚えのある忍び装束の男が座っていた。
     タソガレドキ忍軍の山本。
     彼は山田を見て、頭を下げた。
     山本に会うのは、あの夜以来だった。山田が構えずに礼を返したのは、学園長と彼の間に、緊張した空気がなかったからだ。
     中に入った山田の目に、彼らの間にある刀が映る。
     見覚えがある。
     土井の刀。土井が雑渡に向けて鞘ごと投げた、あの刀だった。
    「こちらを返しに来てくれたのじゃよ」
    「それは……ご親切に」
     今回の任務について、山田は詳細を知らない。学園長からの命は、逃げた忍びを追って捕えよというシンプルなもので、それだけで十分だった。
     だから、学園長とタソガレドキにどんな話し合いが持たれたのかは、わからない。
     ただ、刀を返される意味はわかった。
    「今、土井先生は出張中じゃ。代わりに、山田先生が預かってくれぬか」
     つまりは、先の件はこれで双方に遺恨はないと、その確認だ。
     忍術学園は、タソガレドキと戦がしたい訳ではない。
     タソガレドキも、忍術学園と本格的に事を構えたくはない。
     幸い、大きな怪我を負った者はいない。遺恨を残す程の傷は、双方には残らなかった。
     入りかけたひび割れの修復のために、タソガレドキが動いた、という事だ。
     そもそも手を出したのがこちらであるのに、タソガレドキが先に動いたのだから、今、忍術学園と揉めたくない、という彼らの意思が見える。これは恐らくタソガレドキに、何やら別件の厄介ごとが持ち上がったのだろうなと、山田は予想した。
     が、それは山田が追求する事ではない。
    「では、私がお預かり致します」
     土井の刀を手に取る。
     雑渡に当たった後、地面を転がったはずの刀には、何の汚れもなかった。




     山田が刀を手にしたのを見て、山本は己の仕事が終わったと思った。
     本来ならば雑渡が来てしかるべきだが、何しろ、今回土井に傷を負わせた本人である。
     今、雑渡は動けない。忍術学園とはまるで別の方向から、きな臭い情報が入ってきたからだ。
    「今は手が離せない。代わりに行ってくれ」
     と刀を渡されて、山本は素直に従った。
     学園長は何もなかったかの様子で山本を迎え入れ、タソガレドキの事情を斟酌した上で、事を荒立てる気はないと言った。
     山本は安堵した。ここでこじれたら、面倒な事になる。
     だが学園長は、山本が差し出した刀を受け取らなかった。一瞬緊張したが、
    「土井先生に返すのが良いだろうが、今は出張中でのう。山田先生を呼ぶから、少し待ってくれぬか」
     タソガレドキの忍者を二人、手負にした山田が、土井の刀を受け取った。
     これで本当に役目は終わりだ。
     話が終わると、山本は早々に帰ろうとした。が、学園長に呼び止められる。
    「まあそう急がず、もう少しゆっくりするといい。ほれ、雨も降ってきたようじゃしの」
     学園長の言葉が終わるか終わらないかのうちに、雨の音が耳に届き、湿った土の匂いが濃くなった。
    「山田先生。ちょうど良いから、話し相手になってもらうといい。二人とも、似たような悩みを持っておるようじゃからのぅ」
    「は。悩み、ですか……?」
     山田が眉を寄せる。山本も、何のことやら分からない。
    「では、わしは先に失礼する」
     学園長が去って、残された二人は、顔を見合わせた。
    「何のお話でしょう」
    「さて。悩み、と言われましても……さすがに、は組の事ではないでしょうし」
     悩みと言われて真っ先に思いつくのが、生徒たちの事というのは、いかにも先生らしかった。
     山本にしても、悩みがあるかないかと問われれば、もちろんある。
     だが、忍術学園に所属している山田と似た悩みなど、あるだろうか。生徒の事ではないだろう。では忍務の事か。そういう風でもない。学園長の口調も表情も軽く、面白がっている風さえあった。
     あとは。
    「あ」
     二人は、同時に呟いた。
     ひとつだけ、あった。
     ただこれは大分微妙な問題で、もし山田が知らないのなら、知らせずにおきたい話だった。
     二人は互いに、探るような目線を交わす。
     先に踏み込んだのは、山田だった。
    「……実はこのところ、私は困っておりましてな。土井先生と、それから……雑渡殿に」
     含みを持たせた言い方が、山本の顔を上げさせる。
     雨音はどんどん強まり、遠くから雷鳴も聞こえてきた。互いの声が聞こえづらくなっている。だが大声は出せない。山本は、ぎりぎり聞こえる声で応えた。
    「私も困っておるのですよ。うちの組頭と、それから、土井殿の付き合いの事で」
     雷の音がした。
     遅れて、ぴかりと光が届く。まだ遠いが、そのうち、近付いてくるだろう。
     山田は外に視線をやった。
    「しばらく、やみそうもありませんな。ここでは落ち着きませんし、どうです。私の所で一服して行かれては」
    「では、お言葉に甘えさせて頂きます」



     山本は、雑渡と土井の関係に、自分で気付いたのではなかった。
     ある日、雑渡に重要な話があると呼ばれて、膝を付き合わせた時も、何の話かと少し緊張した位だった。
     その頃は、大きな任務もなければ、周辺に不穏な動きもなく、呼ばれる理由も特に思い付かなかったのだ。
     雑渡は山本を見て、潜めた声で、だが素っ気なく言った。
    「厄介な相手と恋仲になったから、一応、伝えておこうかと思って」
    「はい?」
     耳を疑った。
     一瞬それは良かったと思い、すぐに、いや良くはないと思い直す。
     雑渡に恋仲になるような人間ができたのは良い。良いが、雑渡は「厄介な相手」と言った。
     彼がそう言うという事は、本当に厄介で、山本が困るような相手なのだ。腹に、鉄の塊が埋まったような重さを感じた。
    「相手の名前を、聞きたいか?」
    「聞かせるために、私を呼ばれたのでは?」
    「そうだけど、聞きたくなければやめておくよ」
    「お気遣いありがとうございます。ですが、そこまで聞いてしまっては、余計に気になるだけです。聞きますよ。ただし!」
     と山本は片手で雑渡を制する。
    「覚悟を決めますので、しばしお待ちを」
     と言って、山本は目を閉じた。
     思いつく限りの「厄介な相手」を頭に浮かべて、最悪の事態に備える。
     しばしの沈黙の後、山本は気合を入れて座り直した。
    「お待たせしました。どうぞ」
    「そこまで期待されると、逆に言い辛いな」
    「勿体ぶらず、私の覚悟が揺らぐ前に教えて下さい」
     余裕ない山本の様子に、雑渡は簡潔に答えを告げた。
    「土井先生だよ」
     どいせんせい。
     雑渡がそう呼ぶ相手を、山本は一人しか知らない。
    「土井先生、とは……忍術学園の、一年は組の、教科担当の」
    「そう」
    「今日、有給を取った尊奈門が挑戦に行っている、あの土井半助先生ですか?」
    「そう。今頃、尊奈門を叩きのめしているだろう土井半助先生」
    「あぁ……」
     身体中から空気が抜けたような、おかしな声が出た。
     最悪、という程ではなかったが、なるほど、これは厄介な相手だ。
     とはいえ、山本はそこまで土井半助に詳しい訳ではない。その厄介さは、ひとえに彼の所属によるものだ。
    「忍術学園……しかも教師の方でしたか……」
    「え、まさか生徒の方だと思ってた?」
    「なくはないと思っておりました」
     正直、生徒の方がマシかもしれない。生徒であれば、何年かすれば卒業する。所属が変わる。
     だが教師は卒業しない。そして忍術学園の教師というのは、すなわち忍術学園の戦力だ。
    「で、どう思う?」
     山本はしばらく答えなかった。雑渡は急かさず、山本の反応を待つ。
    「…………私の思う最悪の相手ではなかったので、反対はしません」
     苦渋の思いで、言葉を絞り出す。
     反対はしない。その言葉が、精一杯の反対だった。
     もちろん反対しようと思えば材料はあるが、即座に言い返されそうなものしか浮かばない。何より山本は、土井の人となりについて、深くは知らない。
     だから、そのうち調べてみねばと思っていた矢先、忍術学園との衝突があった。


     一時はどうなる事かと思ったが、今、山本は平和的に忍術学園にいる。
     山田と向かい合い、出された茶に礼を言い、それから遠回しな言葉で、互いの認識をすり合わせる。
     つまり、雑渡と土井半助が恋仲であると、互いが知っている事を確かめた。
     途端に、
    「あの二人は、一体何を考えておるのか……!」
    「いやまったくその通りです……!」
     声量を抑えながらも、力を込めて二人は語り合い始めた。
     ずっと誰にも言えなかった秘め事を言い合える相手を見つけて、二人は、奇妙な安堵感に包まれていた。なるほど、同じ悩みというのは、人の距離を近付けるものだ。
    「ところで、土井殿の傷の様子は?」
     軽傷とは聞いていたが、具体的に確かめたかった。山田は軽く手を振って、
    「たいした事はありませんよ」
     と簡単に答えた。
    「目の下が少し切れただけで、跡も残らずに済みそうです」
    「斬った張本人に伝えておきます」
    「ぜひ」
     詳しく聞けば、山田は土井の様子がおかしいという所から、彼を問い詰めたという。
     その時の驚いた様を話されて、山本は深く同情した。その驚きは、自分も体験したものだ。
    「正直最初は、半助が雑渡殿に籠絡されたのかと思ったのですが……。どうも、そういう風でもありませんな」
     そこも、同じような事を考えていた。
     ただ土井は色仕掛けで人を籠絡するタイプには見えなかったし、雑渡にもそんな様子は見えない。
     悩んだ山本は、一度、雑渡に何故土井なのかと尋ねた事がある。だが雑渡は遠くを眺めた後に山本を見て、
    「さぁ……何でだろうな?」
     と不思議そうに言うから、返す言葉がなかった。その時の様子を話すと、山田が肩を落とす。
    「揃いも揃って、似たような事を……」
     どうも、土井も同じような様子らしい。それでいて、頑固に別れようとしない。
    「折に触れて、切れろと言ってはいるのですがね。まったく頑固な奴でして」
     それは意外な情報だった。良い顔はされていないだろうと思っていたが、正面から反対されていたとは。
     山本から見ても、土井は山田と仲が深い。彼から言われても動かないとなると、土井は土井で本気なのかもしれない。
    「山田殿以外には、誰かご存知で?」
    「他は、学園長先生だけですな。そちらは?」
    「私だけです」
     おそらく押都も恐らく知っているだろうが、直接それを聞いた事はないから省いた。
     山田は、はぁ、とため息を吐く。
    「やれやれ。あの二人を止めているのは、私だけという事ですか」
    「私も賛成している訳ではないのですがね」
     何しろ立場が違う。山田にすれば若手への注意なのだから、言いやすさはあるだろう。
    「学園長先生は、何と?」
    「止めるべき時が来たら止める、と」
    「土井殿は、それで納得されているのですか?」
    「学園長先生の否が出れば、反抗するような男ではありませんよ」
    「そうですか」
     では、その止めるべき時、というのはいつなのか。楽しい想像にはならないから、どちらも深く話そうとは思わなかった。
     大事な相手なのだ。今の状況が幸福なのだと言うならば、少しくらいは長引かせてやりたいと思う位には。
     だが、それぞれの立場がある。絡み合う事情の隙間を縫った、不安定な細い糸の上に成り立つような関係だ。見ている方が危なっかしくて、つい口を出したくなってしまう。
    「お互い、面倒な事に巻き込まれましたな」
    「まったくです。当人は人の気も知らないで、呑気なものですが」
    「それなのですよ。まったく危機感もなく」
     似たような愚痴が、次から次へと出てくる。
     それから不意に、山田が真顔になり、声を顰めた。
    「……此度のことですが」
     少し躊躇うような間があったが、そのまま言葉を続ける。
    「単なる私の感想ですが……もしやすると、半助が学園長先生に試されたのかもしれず」
    「ほう」
     と言いながらも、山本も実は似たような事を思っていた。
     あの忍を追っていたのは、純粋にそれが必要だったからだろう。ただ、あそこまで深追いする必要があったのかは、少し引っ掛かっていた。
     あの夜の退却の指示の早さ、戻った時の学園長の反応から、山田はそう判断したという。
     山本はあの忍びの所属と、持っていた情報から、似たような疑問は持っていた。
     一通りの情報が出揃って、忍術学園へ山本が赴く事が決まった時。雑渡が独り言のような呟きを漏らしていたのを、思い出す。
    「あれは私だったのか、あちらだったのか……いや、両方かな」
     耳にしても、意味がわからなかった言葉。あれは、試されたのはどちらなのか、という意味だったのではないか。
     あの二人がいざ衝突したら、どうなるか。その可能性を視野に入れて采配したというのなら、大川平次にはタソガレドキの動きもある程度は見えていたという事だ。薄寒いものを覚える。
    「……まぁ、あれを見て、ある意味で諦めはつきましたよ」
     山田がため息混じりに言う。
     気持ちがわかるような気がして、山本も頷いた。
    「そうですな」
     外の雨音はもう小さくなり、ほとんど聞こえなくなっていた。
    「見守る立場というのは、何とも、もどかしいもので」
    「まったくもって、その通り」
     困った年下を見守る二人は顔を見合わせて、苦笑いを浮かべた。

     

     タソガレドキに戻った山本は、報告のため、すぐに雑渡の元を訪れた。
     忍術学園との話し合いの内容は、概ねこちらの意に沿うものだったから、雑渡は安堵して頷いた。
     必要な事を全て話して終えてから、山本は何の前置きもなく言った。
    「それから土井殿の傷ですが、跡は残らず済むそうですよ」
     雑渡は驚きもせず、
    「そうか」
     と、柔らかい声音で返した。
     山田曰く、苦無の切れ味が良かったため、綺麗に切れて綺麗にくっついた、との事らしい。
     それを聞いた雑渡は、道具の手入れはしておくものだね、と笑った。
     その顔を見ながら、山本の脳裏にあのときの記憶が浮かび上がる。
     あの夜。もう少しで殺せそうだった土井半助を逃した時。
     雑渡は土井の刀を拾いながら、小さく呟いた。
    「もう少しだったのにな」
     近くにいた山本だけの耳に、たまたま入った呟き。山本は、思わず雑渡の顔を見た。それに気付いた雑渡の、特に何の感情も浮かんでいないその目が、山本に向く。
     土井半助を殺したかったのか?
     そんな疑問を持った山本の目と、雑渡の目が合う。
     雑渡はふっと微笑んで、
    「単なる事実の確認だよ」
     とだけ言った。
     あの時の雑渡は、思考が全て忍びとしてのものに切り替わっていた。
     刃が届いたならば、本当に殺していただろう。恋仲と、自ら言う相手を。
     安心すればいいのか、不安になればいいのか。あの日からずっと、山本は混乱していた。
     それが、山田と話しをして、少しだけ、ましになった。
     認識を改める事ができた。
     つまりは、この二人について、理解などしようとするだけ無駄なのだと。
    「学園長先生は、ご存知だそうですよ」
     何を、とは言わない。雑渡には伝わるからだ。
     雑渡は「おや」と小さく呟くと、頰に手を寄せた。
    「あの方がご存知という事は、誰かが報告した……となると、山田殿辺りが気付いたのかな」
     独り言のように呟いて、雑渡は「ああ」と、これも一人で納得した。
    「なるほど。帰りが遅いと思ったら、我々の事で山田殿と盛り上がっていた訳か?」
     何も言わずとも、全て当ててくれるのだから楽なものだ。
    「そういう事です」
    「で、どんな説教があるのかな」
    「私からは何も」
     本心から山本はそう言った。
     雑渡が土井との付き合いをタソガレドキのためにやっているというなら、そこに雑渡の気持ちがなく仕事の一環であるというならば、何がなんでも止める。
     だが実際は、逆だ。
     雑渡は会いたいから土井に会いに行き、欲しいから求めている。
     雑渡は好き勝手にしているようで、その実、彼自身の欲を見せる事は少ない。
     ならば、その数少ない彼自身が求める行動を、止める事ができるか。少なくとも、山本にはできなかった。
    「目に余れば止めますので、それまではお好きに」
     結局のところ、忍術学園と同じ答えしか出せなかった。
     雑渡にとっては意外だったようで、
    「そっちに風向きが変わるとは、思わなかったな」
     と、不思議そうだ。
     何とでも言えばいい。こっちはもう腹を決めたのだ。
     どんな酔狂でも、それが必要だというのなら、付き合うと。
     雑渡は山本の心境の変化が気になるようだったが、説明を求めては来なかった。
     山本に言う気がないと、わかっているからだろう。
     代わりに、
    「そういえば、ひとつ気になっていたんだけど」
     思い出したように言った。
    「土井殿のことを話した時に言っていた、『最悪の相手』というのは誰だったんだ?」
     ああ、と山本は言った。
    「そんなものは、決まっているでしょう」
     山本は真顔で雑渡を見据える。そして少しだけ沈黙してから、重々しく口を開いた。
    「うちの子です」
     一瞬の間が空いた後。
     雑渡は、廊下にまで響くほど大きな笑い声を上げた。
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