原作雑土で連載してみる1 元はと言えば、一度でも体を繋げてしまったのが失敗だった。
その日、土井が赴いたのは、その辺りでは有名ないかがわしい界隈であった。
生徒は基本的に出入りをしないよう言われる場所。欲に塗れた者が、一夜の相手を物色する場所だ。
上級生ともなれば誰もが知る所ではあるが、出入りは禁止とまではいかずとも、慎重にさせている。学園の中で育った者を無計画にこんな場所に来させれば、足を掬われかねない。
といって、避けさせるばかりでもいけない。好奇心だって、抑え切れるはずもない。
結果、実習という形でここに来させる事になる。土井はその下見として、何度もここを訪れていた。
変装まではしていない。が、普段と違い髪はおろして、みすぼらしさを感じさせる寸前の服装をし、更に顔の下半分を布で隠している。
ここでは、何かで顔を覆い隠している人間が多い。中には編笠を深く被り、口元も隠し、人相がまるでわからない人間もいる。
土井は、なるべく目立たないよう歩いていた。こういう場では顔よりも身体が優先されるもので、体格の良い土井は人目を引く。あまり声をかけられるのも面倒だ。
相手を物色している風を装い、実際に物色していた。こうした場所に何度も来て、誰とも何もないのは不信感を与える。
誰がどこで見ているか、他者への視線にまみれたこの場では掴みにくい。土井を見張る者がいないとも限らない。
そんな事を考えていた土井が、急に立ち止まる。
不意に、目の前に人影が立ったのだ。寸前まで気付けなかったほど、薄い気配。
土井が目を上げる。長身の土井がそうするくらいに、対面した男は大きかった。
その姿を見た土井は、何かを問おうとした口を閉じた。
男は武家のような格好をしている。編笠を被った下には包帯に巻かれた顔がある。
雑渡昆奈門。
黙ったままの雑渡は、土井をじっと見ている。土井もその目を見返した。値踏みするように。
ふ、と雑渡の纏う空気が変わり、口元だけで笑みを作る。土井も目で頷き、歩き出した雑渡に着いていく。
側から見れば、相手を見つけたように見えただろう。
雑渡は黙って歩いていた。土井が付いてきているかを気にした様子はない。
くるくると、恐らく何か意味があるのであろう遠回りをさせられる。結構な距離を歩かされた末に、ようやく宿のような場所に落ち着いた。
ただ欲を満たすだけの場所よりも、少しだけ上等な部屋。密会と密談に使い勝手が良さそうな、入り組んだ建物の一室。
そこに雑渡は入り、腰を下ろした。土井も慎重に中へと入る。雑渡の他は、誰もいない。調度品は少なく、板張りの床も古びていた。
土井は座らず、ただ雑渡を見る。
完全に人の目も耳もなくなって、ようやく雑渡は言葉を発した。
「まさか、このような場所で会うとは」
どこか面白そうな声に、土井は無表情に応じた。
「それはこちらも同じことですよ」
雑渡は明らかに土井に用がある。でなければ、雑渡に気付いていなかった土井の前に、わざわざ現れるはずがない。
「ふむ。実習場所の選定かな?」
「部外者の方にはお答えしかねます」
「なるほど。まずは、座ってもらえるかな。そう睨まれては、落ち着いて話もできない」
促されて、ようやく土井は腰を下ろした。周りに何の気配もないし、どうやら彼の用件は話である様子だ。
土井は対面に座った雑渡を見る。
「そちらは? わざわざあなたが出向くような何かが、この場所にあるのですか?」
探るような目を、雑渡は平然と受け止める。やりにくい相手だ。
「目的など決まっている」
「と言いますと?」
「もちろん、一夜の相手を求めに」
「ほぉ。では、私を選んで頂けた訳ですか」
「あなたは男を探しているようだったからね。ならば、私でも良いかと」
どうやらしばらくは観察されていたらしい。
確かに土井は、適当な相手がいれば、遊んで帰るつもりではいた。そして相手として探していたのは、確かに男だった。
「何が良いのですか」
「野暮な事を言う」
雑渡が口の端を引き上げる。不愉快な笑い方と感じるのは、見張られていた事に気付けなかった自分への苛立ちもある。
「まさか、そのようなお誘いを受けるとは思わず、動揺しておりますので」
「だが、ここまで来たという事は期待しても良かろう……と、私は思ったのだが」
土井が男を探していたのは、単純に、男の方が扱い易いからだ。一晩の相手にするならば、単純で後腐れのない相手が良い。
つまり、雑渡は問題外だ。
だが、すぐさま拒絶の言葉が出て来なかった。興味が、ない訳でもない。
雑渡の言動よりも、それに気を引かれている自分に驚いた。
「それとも、傷痕だらけの男は嫌かな?」
「まさか」
こんな時代だ。大きな傷を持ったり、身体の一部を失った男など珍しくもない。土井は忍者であるから、尚更だ。
「ですが、立場ある方は嫌ですね。のちのち揉め事の種になる」
「ここにいる間は、立場など捨てているつもりだが」
「よく言う」
「実際、私は今、一人だよ」
視線も気配も感じないのは確かだ。しかし、だからといって、言葉をそのまま受け入れられない。
「私が聞きたいのは、あなたの相手として私はどうかというだけだ。好みでないなら、振ってもらえればいい」
「では……」
「また次の機会に、声をかけさせてもらうから」
土井は発しかけた断りの言葉を、飲み込んだ。
そして諦めた。
雑渡の意図が本当に一夜の相手を求めていたとしても、他の目的があったとしても、ここで口は割らないだろう。
土井を帰すつもりもなさそうだ。
土井は黙って雑渡の目を見たまま、彼に近付く。手が届く所まで来た途端に、腕を掴まれた。
そのまま引き寄せられて、床に引き倒された。
やはり大きい男だなと思う。こんなに簡単に転がされるのは久々で、珍しい刺激に好奇心が湧いたのは確かだ。
雑渡がどういうつもりだったかは分からないが、土井の方は完全な気の迷いだった。土井は身体を重ねる行為に、たいした意味を見出していない。
よほど嫌な相手でなければ、まあいいか、と応じてしまう。基準は嫌かどうかと、断って拗れるか応じた方が拗れるか。そのくらいだ。
とはいえ後から考えたら、雑渡は明らかに「応じた方が拗れる」相手であった。
行為が終わって、土井はかなりぼんやりとしていた。何しろ久々であったし、思った以上に雑渡に翻弄されたせいでもある。
普段、雑渡を前にする時は、最大限の警戒を持って接していた。その壁が、その時は、崩れてしまっていた。雑渡と相対して、警戒心が薄れたのは初めてだ。
おそらく、普段は無意識に張り詰めていた意識がゆるんで、心の蓋が開いてしまったのだろう。
雑渡が身支度しているのを見ていたら、心の奥から言葉が湧いてきた。
私はこの人に心惹かれていたのだな、と。
正気であれば、何か他の反応ができたと思うが、だが事後で覚醒し切らない頭は、簡単に衝動に負けた。
静かに近寄ってきて、黙って唇を重ねた土井に、雑渡は少し驚いた様子だった。
唇が離れる頃に、ようやく土井の頭はハッキリしてきた。
そっと、雑渡の首に回していた手を離す。
すぐさま後悔が襲ってきたが、今更、なかった事にもできない。それでも一縷の望みを込めて、雑渡を見た。
「あの……なかった事にして頂けませんか?」
「何を?」
目を細めて口元に笑みを浮かべる男は、それはもう性格の悪さが全開で、土井は胃に加えて頭まで痛くなった。
それが一番最初の話だ。