短い雑土の練習02 土井半助は、一人で山道を歩いていた。軽い身のこなしで動く彼は、見慣れた忍び装束ではなく私服だ。肩に大きめの籠を引っ掛けて、あちこち立ち止まりながら、ゆっくりと進んでいく。
時折しゃがんでキノコを取り、籠に放り込む。何度かそうした後、土井は口を開いた。
「さて。そろそろ飯にするか」
独り言にしては大きい声で言ってから、土井は適当な木陰に腰を下ろす。そして、正面の木に向かって呼びかけた。
「よければ、一緒にどうですか?」
応えたのは、笑いを含んだ低い声だった。
「気付いていたなら、もっと早く声を掛けてくれてもいいでしょうに」
「そのままお返ししますよ、雑渡さん。黙って着いてくるから、何事かと思いました」
大木の陰から現れた雑渡は、こちらも忍び装束ではなかった。大柄な身体をうまいこと隠して、土井の後を付けていたのだ。
「急に休みになってね。土井殿も休みのはずだと思い出して、会いに来てみたんですよ」
忍術学園教師の休みなど、あってないようなものだ。であるから、期待はせずに来てみれば、土井は空の籠を肩に引っ掛けて、山に向かって歩いていた。
休日なのか仕事中なのか。判断がつかず、雑渡はしばらく土井の後をつけていた。仕事なら邪魔しないでおこう、と思っていたのだが、どうやらそうではなさそうだ。
と思ったので声を掛けようとしたら、土井に先を越された。
「それにしても、黙って着いてくる事はないでしょうよ」
苦笑いを浮かべつつも、土井は怒っていない様子だ。
「そこは申し訳ない。そちらに座ってもいいですか?」
「どうぞ」
促され、雑渡は土井の横に腰を下ろす。
「土井殿は、何をしていたんです?」
「キノコ取りのアルバイトです」
「きり丸くんの代わりに?」
「よくお分かりで」
ははは、と渇いた笑い声と共に、土井が話し出す。
「まあいつもの流れなんですが、きり丸がアルバイトを入れすぎましてね。私に回って来たのが、キノコ狩りでした」
「きり丸くんは何をしているんですか?」
「今頃は赤ん坊を背負いながら、洗濯をしているはずですよ。乱太郎としんべヱは内職をしています」
「総出で取り掛かっている訳ですね」
「いえいえ。本当に総出なら、は組が全員巻き込まれています」
言いながら、土井は弁当の包みを取り出す。中には小ぶりな握り飯が、いくつか入っていた。
雑渡も、懐から雑炊の入った竹筒を取り出した。想定とは違ったが、並んで食事というのは悪くない。
「これはきり丸が用意してくれたんですよ」
握り飯を手にしながら、土井が言う。
「良いですね」
「いやいや……これを食べて、もっとアルバイトの手伝いを頑張れって事ですよ。下心が見え見えです」
文句のような言葉だが、土井の目尻は下がっているし、声も心なしか弾んでいる。可愛らしい事だ。きり丸も、土井も。
心地よい木陰で、穏やかに過ごす。そのうち土井はアルバイトを手伝いに戻ってしまうのだろうが、この時間もなかなか悪くはない。話題がキノコの見分け方に偏っていても。
話しながら土井の口元に目をやった雑渡は、「おや?」と目を細めた。半分ほど食べられた握り飯の中に、違和感のある物が見える。
「土井殿。そのおにぎりから、足のような物が見えるのですが」
「ああ。イナゴの足ですね」
「変わった具だ」
「ええ、まあ……」
土井が何とも言えない顔をするから、雑渡は続けて尋ねた。
「お好きなんですか?」
「ええ。きり丸が」
「ふむ……。タダだから?」
「そういう事です」
土井は頷いて、残りの握り飯を指差す。
「これもイナゴで、こっちはバッタ入りです」
雑渡とて、虫食に引く柔な神経はしていない。しかし中から虫が出てくる握り飯が、食欲をそそるとは思えなかった。
「どうして中に入れたんです」
「こうすれば、働きながらでも一緒に食べられるでしょう……だそうで」
「なるほど」
実にきり丸らしい。
「よろしければ、お一つどうですか?」
「遠慮します」
雑炊を啜りながら、雑渡は即答する。
土井も「でしょうね」という顔をした。
「きり丸と暮らし始めてから、虫が食事の定番になりました」
「それはまた、大変だ」
「そうですねぇ。とはいえ、もう少し成長すれば、もっと効率良く稼げるようになるでしょう。そうしたらこの癖も改善されて……」
「そういう癖は変わりませんよ」
「……やっぱりそう思います?」
土井は、がっくりと肩を落とす。
だが、きり丸に振り回される生活を、土井は受け入れている。困ったと口では言いながらも、どこか楽しそうに。
そこは、雑渡が入る事のできない領域だ。
土井は話をしながら、ぱくぱくと握り飯を胃に収めていく。職業柄か、彼は食べるのが早い。
「早食いは胃に良くないと、伊作くんに言われていませんでしたか?」
「う……伊作には内職にしておいて下さい」
雑渡は土井のお願いには答えず、呆れた顔で雑炊を啜る。可愛い恋人のお願いは聞いてやりたいが、どう考えても伊作に怒られた方が良いと思える。
「習慣なんですよ。どうしても忍者はそうなるでしょう」
言い訳の様に言いながら、土井は握り飯を食べ尽くした。
「さて。私はそろそろ行きますが、雑渡さんはどうします?」
食べ終えた土井が、早速尋ねてくる。食後に、のんびり過ごす気はなさそうだ。
「私は戻りますよ。土井殿には付き合ってもらえない様だから」
「申し訳ない。でも今日は、それで正解でしょうね」
どうして、という雑渡の目線に、土井は笑った。
「虫の足が歯に詰まった男と、デートしたくはないでしょう?」
揶揄うような笑みを浮かべて、雑渡を見上げる。
雑渡は黙って、土井の顎を掴んだ。
土井が驚いている隙に唇を合わせて、舌を捩じ込む。抵抗しようとする土井の頭を、強い力で固定する。
雑渡の舌が、土井の口腔内を動いた。何かを探す様に、ゆっくりと、順番に歯列をなぞる。
土井が抵抗を諦めた頃に、ようやく雑渡は土井を離した。
「何もないようですよ」
「あ、あんたねぇ……!」
「あれで引くような箱入りだと思われたら困ります」
雑渡が唇を釣り上げる。土井は赤い顔を隠す様に、雑渡から目線を外した。そのまま土井は乱暴に立ち上がる。雑渡も続いた。
「……私だって、雑渡さんといたいとは、思っていますよ」
土井は雑渡に目を向けないまま、ぼそりと呟いた。
「土井殿が忙しいのはわかっているよ」
「組頭ほどではありませんけどね」
「それに土井先生は人気者だから、予約も大変だ」
「前もって言って下されば、空けますよ。特別に」
「では次は、ちゃんと予約を入れるとしよう」
土井はようやく雑渡を見る。顔色はもう元に戻っている。残念だ。
「そうして下さい」
土井は籠を手に持った。まだ籠には余裕があるから、もう少し回るのだろう。
「ではまた、土井殿。私はこれで」
背を向けて歩き出そうとした雑渡を、
「雑渡さん」
土井の声が引き止める。振り返ると、土井は顔だけをこちらに向けていた。
「来てくれて……会えて、嬉しかったですよ。続きは、また今度」
言い終えると、土井はさっさと歩き出す。急いでいるのか、照れているのか。
素早い動きに、返答をしそびれた。
追いかけてやろうか。瞬間的に湧いた衝動を、すぐに抑える。捕まえるのは簡単だが、捕まえたらきっと、さっきの続きをしたくなる。そうしたら、今度こそ土井は怒るし、次の約束も取り付けられないかもしれない。
「また今度、か」
未練を乗せた呟きを残して、雑渡は踵を返した。