【空蝉日記 短編】見えない雨泣「キャプテン、さっきのフォーメーションってやっぱ俺が攻めに回った方が良かったすかね？」

「いや、あそこは俺と永介が前に出ていたのもあって背後の守りが足りなかったから、あの陣形が最適解だな。」



部活終わり、次の大会に向けた練習を通しで終えた部員達は、いつにも増してハードなメニューにみな疲労を隠せない様子だった。

全体的なチームの強化と試合のシミュレーションを兼ねた今回の練習は、いつもなら完全無欠の仮面を決して崩さない帝の顔にも、若干の緊張感を滲ませていた。

……だがそれは、部活の空気感に影響されたというだけではなかった。


各々が着替えや水分補給を済ます中、部員との確認を終えた帝は更衣室の端の方に目をやる。試合中ずっと気になっていた、瀧宮永介のこと。

いつもならどんなシリアスな状況でも明るく振る舞い、周囲を元気づけている……所謂ムードメーカーと言われる彼が、今日はやけに口数が少なかった。

部活自体に影響は無かったので、試合に余計な雑念を持ち込まないためにも今の今まで触れずにいたが……。

「──なんか今日空気悪ぃな。久しぶりに部活来てコレかよ。」

横から、自分の苦手な声がした。実の弟で同じくサッカー部員の怜音。根っからのヤンキー気質だが、やはりコイツはコイツで変に勘が鋭いなと思う。

練習終わりの部室では、いつもなら永介が疲れきった部員達とじゃれあったりしていて場が和んでいたが、今日は当の本人が妙に大人しく……そして大会前のプレッシャーが広がっていたのもあり、確かに良い空気でないことは分かった。

ここは一つ、キャプテンとして動くか。


「永介、ちょっといいか？」

先程からベンチの隅っこで体育座りをしながら、ぼーっとスパイクの紐を弄っていた彼に声をかける。
そっと覗き込んだ顔は、普段あまり見ない無表情だった……が、俺の声と顔を認識した途端にいつもの笑顔に戻った。

「おー！何〜？」

──あまりに普段通り過ぎて拍子抜けしてしまった。まるで何かスイッチでも押して切り替えたかのように、そこに居た永介はもういつもの永介だった。

「今日は少し口数も少なかったし、他の部員達とのコミュニケーションも見られなかったが……何か思う所でもあったか？」

「えっマジっ！？オレ、空気悪くしちゃってた！？」

「いや、部活に影響は無かったが気になってな。もし悩みや不安材料があるなら今の内に解決させた方が良いだろう。大会前に変な縺れを残すよりかはな。」

「？いや？多分天気のせい〜。」

「……天気？」

「おー。ほら今日ちょっと曇ってたじゃん？部活中は降らなかったから良かったけど、オレ、気圧の変化とか弱くてさー。いっつも頭ボーッとすんの。」

『別に動けっから大丈夫なんだけどな！』と、彼は笑い飛ばしていた。

……本当に気圧にやられただけ？
いや違う。
人の感情を察知するのは俺の得意分野だ。
ここははっきりと聞いてしまおう……と思った矢先、突然永介が立ち上がった。

「やべ！もう降ってるって！急いで帰るわ！」

恐らく友人からのメッセージを見たのだろう。片手にスマホの画面を、もう片手に鞄を背負ってそのまま嵐のように更衣室から去っていった。

『逃げたな』。もう俺と怜音だけが残った部屋で、片割れがそう呟いた。





──降りしきる雨の中。先程まで一緒に並んでいた幼馴染と曲がり角で分かれたら、ここからはもう一人の時間。クラスでも部活でも通学路でも、基本誰かと居ることが当たり前となっているオレには、梅雨の中ひとりぼっちで帰るこの時間は中々堪える。

帝のやつ、心配してたなぁ。

前方不注意だとは思いつつも、やはり気持ちと体の動きはリンクするようで視線はぼーっと足元の水溜まりと電柱の端に植えられた白い花を見つめていた。雨の匂いに混じって、甘い香りが鼻腔を擽る。多分この花からかな。



スマホを開いて、今日の日付を見る。

────弟の、命日だ。