【空蝉日記 短編】晴れやかに鈴鳴らす「ああっ、やだ、またやっちゃった……。」
私は最近買った、身の丈に合わない高性能パソコンの前で小さくそうぼやく。仕事相手へのメールで、納品日の日付を間違えたまま送ってしまった。誤字には気付いていたし、後で修正しようと思っていたのに、また忘れてしまった……。
「あっ、ええっと、早く訂正のメール……。」
私は急いで正しい納品日を記したメールを作成すると、すぐさま送信ボタンをクリックした。
「はぁ……焦った……。」
私は一息付き、そっと椅子にもたれかかる。
ネットにピアノ演奏の動画を上げていくうちに、それらがボーカリストの雨音 冬斗さん、ギタリストの柊 陽太さん、ドラマーの篠見山 心咲さん達の目に留まり、四人組の音楽バンド「Usher of Trip」にキーボード担当として誘われたことで本格的にプロとしてデビューすることになってから半年。
慣れない事務作業が多く、頻繁にミスばかり繰り返している……。
演奏も、一人でピアノを弾くだけなら気が楽なのだが、他のメンバーと一緒に引くとなると自分のミスで迷惑をかけてしまうことになり、緊張する。
こんなだから、演劇部の皆にも嫌われたんだ。私の人生で最も苦くトラウマとして刻まれた中学時代を思い出す。
───どうしてこんな私が誘われたんだろう……?
「……?あっ、冬斗さんから電話……。」
物思いに耽っていた私を現実に引き戻すかのような着信音。私はスマホを手に取ると、バンドのリーダー……雨音 冬斗さんとの通話を開始した。
電話はあまり得意じゃないんだけどなぁ……。
「はい、もしもし?」
「あ〜良かった繋がった!平日にいきなりごめんね澪ちゃん。ちょっと聞きたいことがあるんだけど、1週間前に上げた楽曲の音源データってまた残ってるかな!?」
「えーっと……はい、それならありますけど……。」
「さっきお相手さんから連絡が来て、ちょっとデータに不備があったみたいで……澪ちゃん、今から修正作業って出来るかな?」
「ええっ!?本当ですか?す、すみません……私、ちゃんと確認して送ったつもりなんですけど……今すぐ直します!」
ああ、もう……またやってしまった。
ちゃんと確認したはずなのにミスをする。
これでは事前防止もなんの意味を成さない。
お相手さんだけでなく、冬斗さんにも迷惑をかけてしまった……「なんでデータくらいちゃんと送れないんだ」って思われたかな……?せっかく仲良くなったのに愛想尽かされたらどうしよう……。
「いやいや!忙しくて手が回らないからって僕が澪ちゃんに任せちゃったからさ!修正版の音声データ、僕に送ってくれたら代わりに納品するから大丈夫だよ!」
…………え、それって、私にはもう任せられないってこと?
「え、っと……冬斗さんの方に、ですね……分かりました。本当お騒がせしてごめんなさい……。」
「ううん!いつも色々手伝わせちゃってごめんねーっ!」
…………どうして冬斗さんの方が謝るの?
「それじゃまた明日!収録でね!」
「はい、おやすみなさい……!」
私は、夜とは思えないほど元気な声でそう口にする冬斗さんに言い残すと、通話を終了させた。
どうして、どうして責めないの……?
本当になんとも思ってないってこと……?
それとも、心の中では「使えない奴だな」って思ってたりするのかな……。
分からない、分からない……冬斗さんは優しいから、きっとこれからも私が何かミスをしても気遣いの言葉をかけてくれるのだろうけれど……。
「……ははっ…。」
───我ながら、これからもミスを繰り返す前提で思考が回っていることに失笑した。
*
「おはようございますっ!今日は、よろしくお願いします……。」
「もう〜!初めての演奏じゃないんやからそう改まんなくてええって。」
バンドメンバーの一人、ドラム担当の心咲さんが笑いながらそう返事する。
今日はアルバムの楽曲の収録だ。小さいけれど、ちゃんとしたスタジオを借りて、皆でそれぞれの楽器を設置する。
心咲さんの小柄な体格からは想像もつかないような激しいドラムの音色はうちでも一級品だ。
「えーっと……どこまでやったっけ?」
「前回は4曲目の収録までで終わったかな!今日は5曲目から8曲目まで一気に録り切っちゃうよ〜!」
「あ〜い!」
ギター担当の陽太さんの問いに冬斗さんがそう答えると、心咲さんも元気よく返事をした。
今日は、4曲も収録するのか……一度のミスもなくいけたらいいけれど。
私達は各々の楽器のテストを終えると、楽譜を用意し、早速演奏に取り掛かった。
まずは、1曲目……アルバムでは5番目に収録されている、アップテンポなロック。
主に陽太さんのギターパートが目立つ為、私の仕事はあまり多くはなかった。
だが、陽太さんが2番のサビ終わりのギターソロを一発で演奏しきった時には、思わず曲が終わったあとファンさながらの歓声の声を上げてしまった。
本当、いつもはあまり主張しない性格なのに、その手から奏でられる激しいギターの音色はとてもかっこよくて……憧れる。
次に、2曲目……6番目に収録されている、EDM系の楽曲だ。
EDM……ということもあり、キーボード担当である私の演奏パートが殆どで、鍵盤を押す度に私の中で燻る緊張が大きくなっていった。
『今の部分、間違えてなかっただろうか?』
『手が滑って隣の鍵盤を押してしまっていたかもしれない。』
『他の皆の演奏とちゃんと合っているだろうか?』
演奏に集中しなきゃいけないはずなのに、余計な不安ばかり脳裏を過ってしまう。結局……演奏終了後も、皆からは何も言われなかったので、恐らく大丈夫だったのかもしれないが……。
「いや〜やりきったな澪ちゃんっ!」
「えっ、あっ、はいっ、良かったです……!あの、ミスなどなかったですか……?」
「いや?めーっちゃかっこよかったで!」
私の心配を他所に、心咲さんは背中をポンポンと軽く叩きながらそう笑顔で答えてくれた。バンドメンバーの中でも、心咲さんは特に私に優しくしてくれる。
「澪ちゃんにかっこいいって感想もなんか変な感じするけど……。」
「いやだって今回はEDMやったからさ!本当、こんな可愛い娘があんなクラブさながらの演奏してるんやで!ギャップ萌えやない!?」
「え、ええ……?」
「んもー!心咲さんセクハラしないで!次行くよー!」
「ギャップ萌えって言っただけでセクハラなんっ!?」
「姐さんが言うから気持ち悪いんだよ……。」
「いや、うちのことなんやと思ってんねん!」
冬斗さんと陽太さんのツッコミに心咲さんがそう声を荒らげる。
私はそれを後ろからくすくすと笑いながら微笑ましく眺めていた。本当、この三人はまるで兄弟みたいに和気あいあいとお互いに接していてすごいなぁ……。
私は、『こんなこと言ったら流石に傷付くだろうか?』『失礼じゃないだろうか?』とか色々考えちゃって、あんな親しげな冗談やツッコミなんて出来っこない。
「んじゃ、次行っちゃうね〜!」
冬斗さんの掛け声で、再び演奏準備に取り掛かる。
次は、3曲目……アルバムでは7番目に収録されている、落ち着いたピアノの音色と冬斗さんのハイトーンが響き渡るバラードだ。
……そう、つまり、私のキーボードがほぼ全てのメインパートを占める。
この曲では、心咲さんのドラムや陽太さんのギターも殆ど目立たない。
つまり、もしミスをしたら一発で気付く。
あくまでスタジオを借りての収録で、お客さんがいる訳でも無いからやり直しは利くんだけど……それでもやっぱり不安だ。
───冬斗さんの歌い出しに合わせて鍵盤を押す。
この曲は終始ゆったりと響き渡るメロディが特徴的だから、音のタイミングにも気をつけなければならない。
(あっ……。)
心の中で小さく声が上がる。
……少しテンポが早すぎただろうか?
そんな不安が過りつつも、曲はサビを迎え、ラストの盛り上がりに向けて進んでいく。
「ふぅ……OK〜!!やっぱ超良い曲〜!!」
「お前が作ったんだろ。」
「そう!僕って本当天才……!」
……演奏が終わり、冬斗さんと陽太さんの掛け合いで少し緊張が解れる。
無事、弾ききった……だろうか?
「ラスサビなんて、お前のアドリブ入ってたもんな。」
「そーそー!臨機応変ってね!」
「ラスサビ?あ〜そういえばキー違ったやんな。」
(ラスサビ……?)
私は少し思い返す。あっ、もしかして……。
「あっ、す、すみませんっ!!それ、多分私がキー間違えて弾いちゃってたかもです……!」
「あ〜やっぱりそうだったんだっ!打ち合わせの時より低く弾いてたように聴こえたから。」
ああ……心配してた事が起こった。
結局、ミスをしてしまった。
どうして私は何事も完璧にやり切れないのだろう?
どうしていつも誰かに迷惑をかけないと生きていけないのだろう?
「えっ、マジ?全然気付かなかった。」
「た、多分、冬斗さんがアドリブで合わせてくれたから……。」
「本当にっ!?すごいやん冬斗!そんなこと出来るん!?」
「へっへーん!もっと褒めてくれてもいいんですよ?」
「めんどくせーからもう褒めんな。」
「せやな。」
「せやな!?」
そうか、冬斗さんのお陰で私の音程ミスが目立たなかったのか。なんとお礼を言ったらいいのだろう……他人に迷惑をかけるだけでなく、帳消しにさせてしまうなんて。
「……あっ、あの、突然のミスだったのに、リカバーしてくださってありがとうございますっ……!!冬斗さん、凄いです……。」
「もう〜!素直なのは澪ちゃんだけだよ!本当良い子!」
冬斗さんはそう高い声を上げると、飛びかかるようにして突然私に抱きついてきた。
「え、ええ……!?ちょ、ちょっと……。」
「澪ちゃん、突き飛ばしていいぞ。」
「うち、やろうか?」
「やめて!心咲さんのは洒落にならないんだから!」
「……それどういう意味や?」
「メスゴリラっつーこと……っ痛ぇっっ!!俺関係ねぇだろ!!」
「ちょ、ちょっと、大丈夫ですかっ!?」
失言をした陽太さんに、突如心咲さんが目の前でボディブローを決めた。
相変わらず、私より小柄なその体格からは想像もつかない筋力と運動神経……本当、圧巻される。
私は思わず心配になり、片手で腹部を抑える陽太さんに軽く駆け寄る。
「あ〜……本当に澪ちゃんしか良い奴いねぇな……。」
「僕は!?なんも悪いことしてないよ!?」
「ウザ絡みしてくる奴は嫌いなんだよ。」
「ひーどーいー!」
陽太さんの毒舌に、いつの間にか私から離れていた冬斗さんが子供みたいにそう声を荒らげる。
その光景が面白くて、失礼なのは分かってても思わずくすくすと笑い声を出してしまった。
「澪ちゃんがそんな笑うなんて珍しいな!」
「あっ、す、すみません……。」
「ったく……コントじゃあねーぞ。」
そんな雑談を交わしつつ、私達は最後の曲の収録の為に改めて各々の楽曲と楽譜を確認した。
短かったけれど、こうして皆で集まる時間が今は本当に楽しい。
中学を不登校になってからずっと家の中で悩み続ける毎日で、優しかった両親が変貌してから苦労して習ったピアノを通して手に入れたこの関係。
壊れてほしくない、嫌われたくない、見捨てられたくない……。
「あのっ……。」
「ん?」
演奏開始の直前、マイクを直していた冬斗さんに小さく話しかける。
「さっきの音程ミス、本当にごめんなさい……。」
「ええっ、気にしてたのっ!?大丈夫なのに〜!」
「どした?」
「ねーねー!皆も澪ちゃんに言ってやってよー!ミスの一つや二つ気にしちゃダメって!」
「えっ、いや、あの……。」
冬斗さんだけに話しかけたつもりが突如他のメンバーにも話を振られ、思わずどもる。
「あ〜さっきのこと?むしろ打ち合わせの時より全然ええ感じになってるし大丈夫やって!」
「……澪ちゃんに軽いミスずっと引き摺られてたら、周りの俺らは完璧に演奏しなきゃいけねぇみたいだし。」
「なにより僕のアドリブと順応力が輝いた瞬間だよね〜!」
「まだそれ言うん!?」
────責められるどころが、褒められた。認めてくれた。
冬斗さんも心咲さんも何事も無かったかのように笑い飛ばしてくれるし、陽太さんも気遣いの言葉をかけてくれた。
中学時代の……演劇部の時には感じることが出来なかった温かさ。
『誰かがミスしたなら誰かがカバーすればいい』。
「さっ!ラスト一曲録り終わったら皆で打ち上げ行こー!」
「待て、澪ちゃんは未成年だから酒飲めねぇっつーの。」
「てか冬斗も一滴も飲めへんやろ?」
「んもー!じゃあファミレスでも喫茶店でもいいよ!」
そう楽しげな掛け合いを交わしながら、陽太さんと心咲さんは担当楽器を構え、冬斗さんは堂々とマイクの前へ立った。
ああ、そうか。"私、ここに居ても良いんだ"─────。
「……じ、じゃあ、最後の曲も頑張りますっ!今度はミ、ミスしないようにします……けど……もし、どこか間違えちゃったら、またサポートしてほしいなぁって……。」
「任せなさいってっ!僕のこと誰だと思ってるのさ!」
「……うぜぇ奴。」
「身長と体重とキャラが全部見合わない奴。」
「う、うぜぇ奴は百歩譲って心咲さんのそれはやっかみじゃん!!」
「うっさいわ184cm!」
「もう!早く演奏するよ155cm!」
「……うぜぇ奴は認めたのか。」
「ふふっ……『いつも明るくて元気で、猪突猛進に見えて誰よりもメンバーやファンのことを考えてくださる人』っ!」
「澪ちゃぁ〜ん!!」
「澪ちゃん、そいつ甘やかさなくてええって……。」
女の勘?それとも第六感?今、この瞬間に、私は何か確信したような気がした。
私、この四人なら、ずっと、一生、どこまでも行ける気がする──────。