やってしまった。しくった。やらかした。やったってなにを、鍾離とキスである。あの鍾離との、である。
凡人一年生で、人の情緒をいまいち理解していなくて、財布を持ち歩かなくて、璃月滅亡耐久テストをして神から降りた人外と、キスした。彼とは、気の合う友人であると思っていたのに。
なんで?なんでキスなんかしたんだ。なんで、鍾離の腕の中でうずくまる羽目になったんだ。ぐるぐるぐるぐる、考えるけれども何もわからない。そうだ一旦落ち着け、ファデュイの執行官、公子・タルタリヤよ。
「公子殿」
びくっと肩が跳ねた。冷静になれとか前言撤回、無理だ。いやいやいや、なんだそれ不甲斐なさすぎる。でも、正直鍾離の声を耳元で聞いてしびれない人間なんていないんじゃないか。だっていい声してるじゃん。…そうではなく。
「顔を上げてくれないか、公子殿」
いやだよ。こんなひどい顔見せられるわけない。馬鹿じゃないの、だから情緒がわからないとか言われるんだ。ばーかばーか。
「……自らキスをして照れるとは」
「……………うるさいな」
「小さすぎてきこえない」
うるさいうるさい絶対聞こえてるだろ!耳が遠くなるなんておじいちゃん?その若々しい体は見掛け倒しなわけ?ていうかいい加減離してくれないかな、あつい。不本意ながら主に頬のあたりを中心にポカポカしてつらい。しかしぎゅうと背中に回された腕は岩のように動かないのだ。明らかに人間の力じゃないよ。どこにファデュイの執行官が力を入れても全く動かないくらい拘束できる人間がいるんだ。
「……ふ、愛いな」
なにこれなにこれ。なんでそんな優しい顔をするんだ、なんでそんな声を放つんだ。やめてほしい、こちとら生涯を戦いに捧げて生きてきたんだ、そんな、俺の知らない顔をしないでくれ。真綿で包むみたいな、降り始めの柔らかな雪のような、家族から向けられるのに近しいそれを。
「先に手を出したのは公子殿だからな」
だからうるさいって言ってるだろ。だって。しょうがないじゃないか、鍾離にならできると思ってしまったのだ。キスが。一瞬だけ。
俺は心も忠誠も、もう全部渡してしまったけれど、もし、俺がただのアヤックスで、なにもかもをこの手に持っているのなら、それを全部渡すことができると思った。何を望むこともなく、全部をひっくるめた俺を。……けれどそれはきっと俺じゃないんだろう。
鍾離の顔が近づいて、影を落とす。
「んぐ」
二度目のキス。触れるだけのはずなのに、異様に頬があつい。血が上りすぎてくらくらする。
「……ね、も、やめよ…これ」
鼻がくっついてしまいそうな距離で見つめ合って、タルタリヤはようやっと白旗を振った。もうむり。限界。
「う”ぅー…」
本当に顔が火照ってひどいくらいだった。いつもふわりと香る鍾離のにおいが鼻孔いっぱいに広がる。呼吸する息が触れる距離だ。
やけくそになって、額を鍾離の肩口に押し付ける。においは濃くなるばかりで後悔するが、離れられそうにない。
「公子殿は…」
鍾離の溜息の様な声に、タルタリヤは小さく顔を上げた。真っ赤に染まって、ぐずぐずと鼻を鳴らし始めている顔。
黒い手袋に覆われた指先が泣き始めに近いタルタリヤの目じりをなぞる。
見上げた鍾離の顔はどこか驚いたような、微笑む様な悩まし気なような…一口には言えない表情をしていて。
「……存外、純粋なのだな」
これでは手をだせない。
そう苦笑されてタルタリヤは目を真ん丸にした。自分の腰に回された腕、至近距離の顔。しっかりとした武人の体つきをした男に抱き込まれているという事実を今更思い知って、固まる。
「おっ…!」
声がひっくり返った。
「おれだって!せんせいとえっちなことできるもん!」
お前は一度意地を張ることをやめたほうがいい。
背後のベッドに押し倒されながら聞こえた言葉に後悔することになることは確かでも、やっぱりやめられそうにはないのだ。