100日後にくっつくいちじろ21日目
「ほら、じろちゃん、一緒いこ」
「……やだ」
まるでコアラの親子だった。
二郎は不服そうな顰めっ面で兄のお腹に短い腕を回してしがみついている。兄の一郎は、そのまるこい弟の頭を見下ろしながら困ったように笑った。
「どうしたの、いつもはお友達とすぐ仲良くなれるのに」
幼い兄弟は公園にいた。最近、一郎が近所の友達と遊んでいる場所である。入り口で立ち尽くす二人を他所に、他の子供達は滑り台の周りで既に走り回っている。
「……にいちゃん、じろちゃんとずっと一緒じゃない」
まだ上手く文章にできない二郎だったが、小さな胸の中でモヤモヤしていることをどうにか口にした。しかし一郎はピンとこず、首を傾げる。
「ずっと一緒にいるでしょ。ご飯もお風呂も、寝る時も」
「ちがう、最近ずっとお友達でしょ」
どうやら最近はお友達と外で遊んでばかりで自分との時間が減ったとヘソを曲げているらしい。どうしたものか、このまましがみつかれていては遊べないし。
「……とられちゃうもん。じろーのにいちゃんなのに」
ぎゅ、と小さな手が一郎のシャツに皺を作った。兄は困りながらも笑って、それからその小さな手をゆっくり掴んで離すと、しゃがんで二郎の目を見つめた。
「俺はずうっとじろちゃんと、さぶちゃんだけの兄ちゃんだよ」
「うそつき、遊びいっちゃうくせに」
「うーん……」
むんむん、ウンウン、ふん、と鼻を鳴らしながら左足で地団駄を踏む二郎。
「遊んだら楽しいよ?」
「やーだー」
「兄ちゃんもいるよ?」
「やだ、きらい」
遂に出ました。最終奥義『きらい』
ふん、と顔を背けられてしまった一郎。弟は最近いやいや言うようになっていた。一郎も、ただ我儘を言いたいだけなのだと分かってはいたが、大好きな弟から「嫌い」と言われてしまい、悲しくなる。父がよく言われているが、兄はそれを慰める係で、自分に向けられて『きらい』攻撃を受けたことはなかった。
どうしていいかも分からないし、もう帰ろうか。ちょっと泣きたくなりながらも、俺は兄ちゃんだから泣いちゃ駄目だとどうにか踏ん張り、二郎の着ていたサロペットの胸ポケットから飴玉を取り出す。
「じゃあこれ食べて、帰ろっか」
「……ん」
「おいで、座ろ」
公園に着いたら食べていいと言われていた飴だ。二郎は道すがら、ずっとこれを落としていないか確認していた。楽しみにしていた飴。これを食べて、機嫌を直してそれから帰ってお家で遊ぼう。そう提案して、一郎は小さな手を引き、近くの子供用ベンチに座った。
「かして。やったげる」
「……ん」
飴を袋から出せなくてぐちゃぐちゃしていた二郎から飴を受け取り、ピリリと切り口から破いてやった。袋から半分だけ飴を覗かせて、二郎の口元に差し出してやる。パクリ、小さな口がそれをキャッチした。
「なに味?」
「……」
「ぶどう?」
「……んーん」
「じゃあイチゴだ」
「ん……」
頷く二郎。良かったね、イチゴがいいって言ってたもんね。そう言って、まだヘソを曲げている弟の頭をくしゃくしゃ撫でた一郎。弟に駄々をこねられると困るし大変だし、泣きたくなる時もあるけれど、自分が『お兄ちゃん』をできていることが誇らしい気持ちが大きかった。母は「お兄ちゃんなんだから我慢しなさい」など言うタイプではなかったが、一郎本人はよく「僕はお兄ちゃんだから」と自ら胸を張る子供だった。
「……にいちゃん」
「ん?」
「……はい」
サロペットのポケットからもうひとつ飴を取り出した二郎。同じ種類のやつだ。
「もういっこ食べるの?まだお口入ってるでしょ」
「……にいちゃんの」
「……にいちゃんにくれるの?」
こく、と頷く二郎。一郎は嬉しくなって、笑いながらまた二郎の頭を撫でた。頭を撫でるのは父や母の真似だが、これをしてやると自分は兄ちゃんなのだと思えて好きだった。
「ありがと、じろちゃん」
そう言ってやると、何故か二郎は俯いてぷるぷると震え出した。えっ、と思った時にはもう鼻をぐしゅぐしゅさせて、肩をひくひくと持ち上げ、しゃくり上げている。えぐえぐ、と声を漏らして泣き出す二郎。一郎は慌てて自分のポケットに入れていたヒーロー柄のポケットティッシュを取り出した。
「ど、どっか痛いの?」
「あー、ううっ、ああーん」
「な、泣かないよ」
ほら、とティッシュを鼻に押し付ける。すぐびしょびしょになったので、また新しいティッシュに変えようと思って離したが、びよーんと鼻水が伸びる。ええい、とまた新しいティッシュを押し付け「チーン」と声で促せば、肩を窄めて鼻をかんだ。すんすん、と少し落ち着いたらしい二郎は涙を自身の腕で拭いた。
「ごえんなさい……」
「え?」
「にいちゃん、ごめんなさいいー……」
「わっ」
ぎゅっとお腹に抱き付いてきた二郎。またそこでびーびー泣き出す。
兄を取られるんじゃないかとヤキモチを妬いて、遊びたがっていた兄を行かせまいとしたり。来たばかりなのにもう帰るだなんて我儘言ったり。大好きなのに嫌いなんて言って悲しい顔をさせたり。本当は楽しく遊びたかったのに。色んな感情が小さな胸と頭に押し寄せてきていて、しかし幼い二郎はそれらを言語化できずわんわん泣いた。一生懸命泣きすぎて、顔から首の後ろまで熱くなっている。
「だいじょぶだよ、じろちゃん」
既に一郎の服は二郎の涙と鼻水と涎で立派な地図が描かれていた。びしょびしょだ。しかし一郎はその丸まった背中をひたすらさすったのだった。
▼
夕暮れ、依頼を終えて夕飯の買い出し帰り。
ふと通りがかった小さな公園で制服姿の二郎を見つけた。
二郎はジュース片手にベンチで友人達と楽しそうに話をしている。今日あったこと、ムカつく先生、可愛い女の子、部活の後輩。色んな話題が溢れていて、話は尽きないのだろう。自分にはない、二郎との共通会話に花を咲かせている友人達。足を止め、少しだけその光景を眺めていたが一郎は息を吸い込むと声をかけた。
「二郎」
すぐにこちらへ顔が向く。そして兄だと認識した瞬間、パッと顔を明るくして立ち上がった。友人達に何かを告げ、鞄を持つと手を振って一郎へ駆け寄っていく。声をかければ友人との会話を中断して来ると分かっていて、それでも声をかけた。
「兄貴、今帰り?」
「おう、薬局にも寄りたいんだ。荷物持ち手伝ってくれっか?」
「もちろんだよ」
一郎が持っている荷物をひとつ持つ二郎。公園にいる友人達へ手を振ると、彼らもそれに応え、そして一郎に会釈をした。
「悪かったな、話してたのに」
白々しい。自分でも思った。
「いいんだよ、バイトの愚痴聞いてただけだし」
「付き合い悪いって言われないか?手伝いばっかさせてるし」
「言われねーし、言わせねーよ!」
「……いいダチだな」
「ガラは悪いけどね」
夕日に照らされて朱色に染まる弟の笑顔。
サロペット姿で必死にしがみついてきていた子供とはまるで別人だ。
最近、一郎は変だった。
二郎が楽しそうに友人と話をしているだけで、肩を組んでいるだけで、引っ張って連れ戻したくなる。小さな子供でもあるまいし、何が自分をそうさせるのか。何を話していたのか?俺の知ってる話か?全て把握したくなる。……気持ちが悪い兄貴だ。弟を束縛するような兄貴なんぞ、この世にいるわけがない。そんなことを知る由もない二郎は楽しそうに鼻歌を歌いながら横を歩く。
「……薬局でアイスでも買って帰るか」
「いいね!俺、あのカップのやつにしよー」
「……ぶどう?」
「いやー……イチゴかな」
「ふ、そっか」
つかあのシリーズにぶどうなんてあったっけ?
二郎は首を傾げながらも兄の横で一緒に影を伸ばしたのだった。
2024.11.13