100日後にくっつくいちじろ27日目
「え?熱?二郎がですか?」
昼過ぎ。一郎は家電搬入の依頼で訪れた客の自宅で二郎の高校から電話を受けた。もう既に搬入は完了しており、依頼主が茶でも飲んでいけと出してくれたシュークリームを食べながら縁側で世間話をしていた時だった。
「はい、ええ……もちろん。大丈夫です」
朝はピンピンしていたのに。38度の熱が出ているらしく、本人は自分で帰ると言って聞かないが、流石にひとりでは帰せないと学校側が一郎に連絡してきたのだ。とりあえず迎えに行くことを告げ、終話すると依頼主はバタバタと立ち上がり、冷蔵庫からスポーツドリンクのペットボトルを出してきた。
「真ん中の子だろ?早く行ってやりなさい。これ持ってって」
「すんません……!ありがとうございます」
「氷枕とか、家に色々あるの?」
「はい、大丈夫っす」
心配しながら一郎を玄関先まで送ってくれた。一郎はそんな依頼主に頭を下げ、乗ってきたバンでそのまま二郎の学校へ向かった。
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程なく到着。保護者用の入り口から受け付けにあった電話で事情を説明すると用務員が駆けてきて入校証を渡され、保健室の場所を聞く。
コンコン、控え目にノックをして引き戸のドアを開けると中に教員の姿はなく、その代わりに閉まったカーテンが動いて、中から女子生徒が出てきた。
「山田君、ここで寝てます」
「ああ……もしかして二郎のクラスの子か?」
「はい、授業中に苦しそうだったので付き添いで」
カーテンの中へ入っていけば、口元まで掛け布団を被った二郎が赤い顔で仰向けで寝ていた。汗で額にはり付いていた髪をどけてやる。
「二郎君、お昼くらいから何だか体調悪そうで、お弁当も食べられなかったみたいで……」
「そうか……」
朝、もっと注意深く見ていれば気づけたのだろうか。二郎は昔から前触れなく急に体調を崩す子供だった。電池が切れたように急にバテるのだ。
「これ、二郎君の鞄です。中にプリントも入れてあって……」
彼女は二郎の荷物を一郎へ渡した。
「吐き気とかはないみたいです」
彼女がそう説明したとき、ゴホゴホと二郎が咳き込んだ。起きたのか、と覗き込むと彼女が先に「二郎君、大丈夫?」と優しく駆け寄り、自身のものと思われるチェック柄の可愛いタオルで二郎の額の汗を拭いた。
「薬は学校で出せないみたいで、お弁当は全然食べてないのでゼリーとか食べさせてあげて……それから薬とか飲ませてあげたほうがいいと思います」
「……ああ、悪いな。色々と」
「いえ、私が心配でしただけなので」
その時、ドアが開いて保健医が入ってきた。挨拶をして、彼女から聞いたよりも詳しい症状や、対処法を教えてもらう。その間も彼女は二郎に寄り添い続けている。
「じゃあこのまま連れて帰ります。世話になりました」
「あ、あの……」
「ん?」
二郎を起こして帰ろう。そう思ったところで彼女が一郎へ声をかけた。心配そうに眉を下げて一郎を見上げる。
「二郎君、お兄さんに迷惑かけないようにって連絡しなかったんです。だから自分で連絡しなかったこととか、早めに早退しなかったこととか、あんまり怒らないであげてください」
きっとこの子は二郎が好きなのだろうな。一郎はそう思った。わざわざ授業まで欠席して、保健医がいるにも関わらず付き添って。極め付けに『怒らないでくれ』と。ははあ、よく言ったものだ。甲斐甲斐しい世話焼き女房のように健気で、まるで俺よりも二郎のことを分かってるかのような口振りで。二郎が俺に迷惑をかけないよう我慢をする性格であることなんて、わざわざ他人様から言われなくても分かっていることだ。一郎はそんなことを思いながらも優しく笑って口を開いた。
「ああ、もちろん。世話になって悪かったな」
「いえ……」
仕事のおかげで営業スマイルは得意であった。愛想よく笑ってそれから二郎の肩を優しく揺する。
「二郎、悪い。一回起きれっか?」
「ん……?あにき……?」
「おう、迎えにきた。車で来てるからしんどいだろうがそこまで歩けるか?」
ぼうっと赤い顔で頷くと二郎は上体を起こした。そこでクラスメイトがいることに気付いたようで「あれ」と声を漏らす。
「悪い、俺迷惑かけたっぽい……」
「全然、それよりお大事にしてね」
「サンキュー……」
二郎はにへらと笑い、ベッドから足を下ろすと踵が潰れた上履きをのろのろと履いた。二郎の鞄を肩にかけ、弟の背中を支える一郎。二人は授業中で静かな廊下へと出た。
「おぶってやりたいんだが、流石に学校じゃ恥ずかしいだろお前」
「はは、うん」
ゆっくりとしたペースで駐車場まで辿り着き、バンの助手席におさまる二郎。鞄を後部座席に乗せ、自身も運転席へ落ち着くと二郎へ自分の上着を掛け布団のように被せた。
「寒いか?」
「んー、そうでもない」
「このまま病院行こうと思うけど、大丈夫か?」
「市販薬で治るよ……」
「……しんどいならとりあえず市販薬にして、家戻るけど」
「はは、ごめん。そこまでしんどくないよ。ダイジョブ。病院いく」
「そっか、じゃあもうちょっと頑張れ」
帰ったらお粥つくるけど、何なら食えそうだ?アイス?ゼリー?優しくそう尋ねると二郎は「兄貴の卵粥」と力なく笑って目を閉じた。
額にかいた脂汗を自身のタオルで拭ってやって、アクセルを踏んだ。
先程の彼女への態度、大人げなかっただろうか。牽制になってしまった気がしなくもないが、きっと彼女は気づいていないだろう。自分でも気付きたくなかったんだが。一郎は自嘲しながら行きつけの病院を目指したのだった。
2024.11.19