100日後にくっつくいちじろ45日目
最近、兄が変だ。
山田三郎には兄が二人いる。ひとりは尊敬してやまない、強く眩しく憧れの長男。もうひとりは能天気でアホの二男。大抵、変なことを言ったり突拍子もないことをするのは後者の兄であるが、今回、三郎が違和感を感じているのは前者の長男であった。どこかソワソワと落ち着かず、時々酷く悩んでいるように見える。
それを二男にも尋ねてみたがアイツはピンときていないようだった。何でだよ、僕が悩んでいたりするとすぐに気付いてお節介かけてくるのに。そういう機微には聡いと思っていたのに。三郎はひとり舌打ちをしてから溜息を吐いた。
しかし悔しいことに、昨日、二郎が発した「恋なのでは?」という意見。これが三郎は妙にしっくりきた。二郎は頭が悪いくせに時々、針に糸をスっと通すように核心を突くことがある。野生のカンだろうか。
恋とかまだ分かんない。……とは言え、現代は恋愛を取り扱った映画、小説、ドラマ、漫画、アニメが充実し過ぎている。実際に体験として恋愛をしたことがない人間でも不思議なもので、恋とはどういうものか何となく分かる仕組みになっているのだ。
一般的に、好きな相手ができると綺麗になるだとか、浮かれたり、相手の言動でいちいち落ち込んだり、日常のちょっとしたやり取りで頬が緩んだり。二郎が言っていた『情緒不安定』という表現もあながち間違っていないのかもしれない。まさかあの山田一郎が。しかし何ら不思議なことではない。ただ、兄のそういう一面を見たことがなかったから驚いてしまったが、兄も人間だ。恋をするということ自体、何もおかしくない。そりゃあ赤の他人に大好きな兄を取られる、だとか、時間を割かれるだとかムカつく部分は大いにあるが、兄の幸せを願わない弟は山田家にいないのだ。
……しかし、問題はそこじゃない。
二郎はひったくり犯から助けた女性が相手だろうと言っていたけれど、果たして本当にそうなのだろうか。連絡を取り合っていると言っていたからメッセージを見てニヤけてみたり、というのは辻褄も合う。服を新しくしたり、というのも食事に行く話が出ていたのなら頷ける。
ただひとつ、どうしても相手がその女性であることで説明できない事象があった。それは─────
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「ねえ、兄貴。どっちがいいと思う?」
コタツに腹から下を入れてうつ伏せでスマホを見ていた二郎が、正方形の隣の面で寛いでいた一郎へ身を寄せた。画面を見せながら「アウター買おうと思ってて、値段はこっちが若干安いんだけどデザインはこっちの方がベストでさあ」と意見を求めている。おそらくファッション通販サイトで購入する服に悩んでいるのだろう。すると一郎は少し迷いながら「どっちでも似合うと思うけど、やっぱこっちかな。こっちの色の方がはっきりしててお前に似合うし、少しボリュームあってもお前いつもぴっちりした細めのパンツ穿いてるし良いと思うぜ」と返答をした。……ここまで見ている分には仲の良い普通の兄弟に見える。
「やっぱそっちだよな!?よし、兄貴が言うんなら間違いない。こっちにしよ」
「おう、絶対似合うと思うぞ」
「つかこれ赤もあるんだよ。兄貴も絶対似合う」
「どれ?」
「ほら、これ。カラバリが四色あって……」
「おー、ほんとだ。いいな」
「おそろいにしちゃう!?」
「はは、お前イヤじゃねーの?兄貴とおそろいなんて」
「イヤなわけねーじゃん!これ着てどっか遊び行こうよ」
スマホ画面に齧り付きながら「黄色もあるわ、これで完璧だろ」ともにょもにょ呟きながらネットショッピングを続ける二郎。そしてその横でそれを見守る一郎の表情。
……それこそが最近、三郎が気になっている兄の見たことがない表情であった。自分達を弟として可愛くて大事に思っているときとはまた違う。この二郎の前で見せる表情だけが、唯一、辻褄が合わない。
ひったくり犯から助けた女性とやらを軽く調べてみたが直近で一郎と会った気配はない。またパズルのピースが合わなくなった。
推理すればするほどに、おかしな答えに辿り着くのだ。倫理的に考えればあり得ない事象に辿り着いてしまい、自分自身がおかしな妄想に取り憑かれているのではないかとゾッとする。
「……もしも、そうだとしたら僕はどうする?」
自室で机に向き合い、三郎は目を閉じて考えた。仮に『そうだとしたら』『自分の予想通りだとしたら』僕はどうする。どうしてなんだ。変だ。理解できない。一兄のことは大好きだけれどそんな視線を浴びたいと思ったことはただの一度もない。何故よりによって。
───兄がおかしな道に行こうとしている。この問題をどう打破するか。
「……正すしかないだろ、僕が」
簡潔な結論に辿り着くと、いつの間にかダラダラとかいていた変な汗はスッと引いた。一度受け入れて冷静になってしまえば対処法など簡単だ。三郎はペットボトルの水を一杯、一気に飲み干すとそのままベッドへ横になったのだった。
2024.12.7