7日のデート「毎月3日は妻の月誕生日なので」という、淀みなく説明する葉山の様子を見聞きするたびに、汐見はもぞもぞと隠れ穴を探す小動物のように、居心地の悪さを覚える。
遠月最年少教授の記録を塗り替えた優秀すぎる弟子は、生徒からの質問やメディアへのアンケートにも「好きな女性のタイプはスパイスの世界的権威、趣味は妻に料理を振る舞う事」と公言して憚らない。
社会人になってから多忙に拍車のかかった葉山にとって、愛妻家のイメージ付けが、仕事の上で一種の防御策に繋がっているのは理解している。ただ、親しくない人間からも葉山由来で「3日は汐見教授のお誕生日なんですってね」と声をかけられるのは、なんともいたたまれない。
2人のゼミ室の横に設けた私室のソファに腰掛け書類に目を通していた葉山に、その事をしどろもどろに伝えると、いつものようにグイと腕を引き寄せられた。葉山の硬い膝の上は、結婚後から汐見の定位置と化している。
「冬はともかく夏場は暑いから、あまりくっつきたくないんだけどなー」とは内心思うものの、幼少時のスキンシップ不足に遠因があるのではと苦しくなり、口には出せずにいる。それに「くっつかないで欲しい」と告げた所で、拗ねるか面白がって余計に密着してくるだけな気がする。
書類をサイドテーブルに置き、汐見の肩に顎を乗せ、葉山はどこか責めるように言う。
「最初に始めたのは潤だろ」
「へ」
言葉と連動して、触れた体の振動が心に響く。
「毎月7日は俺とデートする日」
「デート ……って、ああ、外に遊びに行く日だったよね。懐かしい」
それは葉山が中等部に入学するまで続いた習慣だった。
当時は汐見の仕事や書類提出の締めが5日の物が多く、翌6日は散らかったゼミ室を片付けたり実験にあて、7日は一日中遊ぶ日、ということになっていた。
「デパートに買い物行って、レストランでお子様ランチ頼む度に『俺はお子様じゃねぇ』って怒ってたね」
「ああ。迷子案内にも何度も世話になったな。『東京都からお越しの汐見潤ちゃん』」
「ゆ、遊園地も平日行ってたから空いてて、たくさんアトラクション回れたよね」
「よせばいいのに、絶叫マシンに乗って泣いてただろ」
「動物園も」
「パンダ見たさに並んでたら、子供の優先列に入れてもらえて近くで見られて喜んでたよな」
「そうだ、電車で水族館にもよく行ったね」
「イルカショーを最前列で見て、潤だけ水かかってたな」
「植物園に」
「ハーブにばかり夢中になって、気がついたら閉園時間ってパターンばっかだった」
「博物館とか」
「シルクロードや大航海時代、東インド会社関連は熱心に見るのに、スパイスに関係ないところはスルー」
「魚市場も移転前に行ったね」
「潤はフラフラ歩くから、作業の邪魔になってたな」
「わ、私、いいとこ無しみたいじゃない」
一応毎回、葉山が興味を引きそうなものや、同年代の子供に人気の場所を入念に調べて連れて行ったつもりだったが、葉山の中では自分の間抜けな姿ばかり印象に残っているのだろうか。
ーー確かに、10才過ぎた頃にはアキラくんの方が電車の乗り換えも詳しくなってたけど。
「ガキじゃないから手なんか繋がねぇ」とつっけんどんに言われたが、汐見が道に迷えば先に立って手を引いてくれた。
ーーあれはデートだった
腹部の前でシートベルトのように組まれた葉山の腕に力がこもり、抱き締められる。
「教授になったばかりで忙しかったのに、遊びに行く日だけは毎月守ってくれただろ」
「それはまあ、保護者代わりだもん。小さい子に研究の手伝いばかりさせる訳にはいかないし、その為に君を連れてきた訳じゃないし」
「じゃあ、何の為」
汐見は「う」と言葉に詰まる。
助けてもらった恩返し。才能を埋もらせたくなかった。放っておけなかった。
ーー少なくとも。
結婚相手を育てる為に連れてきた訳ではない。
だが、全ては結果論になるのだろうか。
汐見は葉山の腕の拘束の、強さと熱に参りそうになる。口をついて出たのは、我ながらとぼけた答えだった。
「パンダの優先列に並ぶ為」