2番目のHappy Birthday「そんなところで何してる」
そろそろ日も変わろうかという深夜。ルフィは太陽のシンボルに腰掛け、静かに海を眺めているようだった。春島の気候海域とはいえ、こんな夜中にあの薄着で海風に晒されていると普通の人間なら風邪を引きそうだが、雪の中を素足に草履で歩くような奴が普通であるわけもない。
「おう、トラ男!こんなとこで何してんだ?」
笑顔でこちらを振り返り、同じ質問を返してくる。
「それを聞いたのはこっちなんだが…」
「おれか?おれは星を見てる。きれいだなっ‼」
「お前、星を眺めて感じ入るなんて情緒があったのか…」
冒険好きで五分とじっとしていられなさそうなこの男と天体観望は全く結びつかないし、こいつが興味を引かれるのは奇妙奇天烈なヘンなものばかりなのだと思っていたが、一応人並みの感性があったらしい。
「おいっ!よくわかんねェけど、なんか失敬だぞ‼」
言葉の意味はわからずとも、失礼なことを言われたらしいということは感じ取ったようだ。
「よくわかんねェのかよ」
その正直さがなんだかおかしくて笑いが漏れた。
「明日は誕生日だと聞いたが」
ルフィが「よっ」という掛け声とともに、船首から飛び降りてくる。
「うん。だから、明日は宴だってよ!サンジがごちそう作るって張り切ってたから、トラ男も楽しみにしとけよっ‼」
「ああ、黒足屋のメシは確かにうまいよな」
「だろ〜っ⁉ししし、サンジのメシは世界一うめェんだ〜〜‼」
仲間を褒められたことが嬉しくて仕方ないのか、その顔には満面の笑みが浮かんでいる。
「明日は肉山盛り食えるかなァ…」
脳内には言葉通り、山盛りの肉が浮かんでいるのだろう。その表情は恍惚としており、口からは涎が垂れている。目が肉になってるように見えるのは、おそらく錯覚だ。
「おい、ヨダレを吹け…」
ルフィはその言葉にはっとして、手の甲で涎を拭う。
「サンジがケーキも焼くって言ってたぞ‼あ、トラ男はパン嫌いだけど、ケーキも嫌いか?おにぎりのケーキも作ってもらうか?」
特大おにぎりでできた土台の上に、クリームやらフルーツやらでデコレーションされたケーキが頭に浮かび、げんなりする。それなら普通のおにぎりにしてほしい。
「…さすがにそれは遠慮しておく」
「サンジなら食いたいもん言えば、きっとなんでも作ってくれるぞ。最高のコックだからなっ‼」
「……そうかよ」
船長として仲間を自慢したいのだとはわかる。だが、やたらとサンジを褒めるルフィに、なぜかおもしろくないと心がざわついた。
「それで?他の奴らは明日に備えて早めに休むと言っていたが、主役のお前が何してんだ?」
再度同じ問いかけをすると、「ん〜〜」と唸りながら、思案するように宙を見つめる。
しばらく黙って答えを待っていると、ルフィは海を見つめ、おもむろに話し出す。
「おれさ、父ちゃんも母ちゃんもいなくて。じいちゃんはいたけど、海兵だからたまにしか帰ってこねェし。だから、ずっと山ん中でエースとサボってもう一人の兄ちゃんとダダンって山賊と暮らしてたんだよ」
初めて聞く話だ。しかし、なぜ今そんな個人的な昔話を、同盟を組んだだけのおれにしだしたのか。これが質問の答えに繋がるのだろうか。
「ヘェ、山賊と暮らしてたのに海賊になったのかよ」
「おう!おれはダダン達は好きだけど、山賊は嫌いだ。それに、ダダン達に会う前から今でも、おれの憧れはずっとシャンクスだからな‼」
「四皇赤髪か…」
頂上戦争での光景を思い出す。海軍側は火拳のエースを処刑するという目的を達成し、さらには世界最強の海賊”白ひげ”の戦死という戦果まで得た。しかし、両陣営引き際を失ったまま止まれず、とうに決着している戦いで無駄に命が失われていた。そんな混沌とした世界を揺るがす戦いを、鶴の一声で収めてしまったというあの男。
「そんなこと知らなかったけどな。命の恩人なんだ。こんな偉大な男になりてェって思った。いつか、シャンクスを超える立派な海賊になって、預かってるこの帽子を返しに行くんだ」
懐かしむように、遠くを見つめて語る。
ルフィを連れて逃げる時に受け取った麦わら帽子。あの一刻を争う事態で、わざわざ帽子を拾って寄越してきたのは、その約束があるからか。
「海の皇帝相手に、それは難易度高ェだろ。四皇を超えるといったら、そりゃあもうあとは…」
「大丈夫だ‼おれは海賊王になるからなっ‼なっはっは‼」
自信満々に笑う。
「おい、”ひとつなぎの大秘宝”を狙ってるのはお前だけじゃねェからな」
どうやら他にも狙っている奴が大勢いることを忘れているようだから、一言釘を差しておく。
「勿論だ。同じとこ目指すならトラ男にだって負けねェぞ!」
「……」
ちゃんとライバルの一人として認識されていたようだ。同盟を友達か何かと勘違いしているふしがあるから、おれもそこに入っているかもしれないなんて考えてもいないんだろうと思っていた。こいつは勘がいいのか、相手の本質を見抜くところがある。いつも無茶苦茶言って人を振り回しているようで、相手が本当に望んでいないことは意外としない。おれのことも、友達みてェなもんとは言いつつ、他船の船長であることは尊重しているらしい。それは、仲間への報告時に「”ウチとトラ男の海賊団で”同盟を組んだ」と話していたことからも伺えた。おれはもう会えない覚悟で仲間を置いてきたし、今回の作戦にあいつらを巻き込むつもりもないんだけどな。
束の間考えに耽っていたおれの横で、ルフィが話を続ける。
「エース達に会ったのは、シャンクスと別れた後なんだ。サボとはあんまり一緒にいれなかったけど、エースとはエースが十七で海に出るまで…七年ぐらいか?一緒にいて、ダダン達にはおれが海に出るまでだから十年ぐらい世話になった」
そういえば、白ひげ海賊団二番隊隊長という地位から忘れがちだが、あの時エースはまだ二十歳を超えたばかりの青年だったのだ。
「その山賊は兄貴より長く一緒にいたのか」
「そうなんだよ。おれは母ちゃんって知らねェけど、たぶんダダンがおれ達の母ちゃんみてェなもんだったんだと思う」
「山賊って女かよ」
まさかの展開だ。完全に男だと思って聞いていた。
「ししし。強いし、いい奴だったぞ。ちょっと乱暴で口うるさくて素直じゃねェけどな‼」
ルフィは本当に血の繋がった家族を祖父しか知らないようだ。その祖父も海軍本部勤めなのだから、そうそう帰っては来られなかっただろう。だが、家族であることに血縁があるかは重要じゃない。それはおれ自身もよく知っている。どういう経緯かは知らないが、10年も面倒を見ていてそこに愛があるのなら、それはもう親と言ってもいいだろう。形はどうであれ、本人がこれだけ慈愛に満ちた顔で語るのだから、きっと愛されていたのだろう。
「エースもそうだった」
「……」
「エースはすぐ怒るし、おれが泣いてると殴ってくるし、サボみたいに優しくはなかったけど」
「いつもおれのこと守ってくれてた」
そうだろうな。最期もそうだったのだから。
「…いい兄貴だな」
「うん。おれの自慢の兄ちゃんだ!」
こうして笑って話せるようになったこと、憎しみから復讐に囚われるようなことがなかったことを喜ばしく思う。ルフィは夢に向かって、まっすぐ前を向いているのがよく似合う。なにものにも縛られず、自由であるべきだ。
そういうおれは、まだ縛られたまま、抜け出せないでいるけれど。
「たぶん今も見守ってくれてるかなァって思ってよ。それで星を見てたんだよ」
「ああ、見てるよ。きっと」
「うん。エースはいつも、一番最初に誕生日を祝ってくれてた。だからおれも一番に最初に報告するんだ」
「そうか」
遠回りをして、やっと答えが返ってきた。
「なァ…なんでおれに話した?大事な思い出なんだろうが」
別に全部話す必要はなかった。楽しみで寝れないのだとかはぐらかすことだってできたし、関係ないと突っぱねることだってできただろう。
「うーん、なんでだろうな?仲間にも話したことねェんだけど。仲間じゃねェからかな?おれにもよくわかんねェ」
眉を下げ、少し困ったような顔で笑う。
「ただ、なんかトラ男に話したいなって思ったんだ。もしかしたら、誰かにエースの話、聞いてほしかったのかもしんねェ。おれは乗り越えたつもりだけど、あいつらはそこには触れてこねェから」
乗り越えたとは言っても、全く傷が疼かないわけではないのだろう。だから、自分からは仲間に話せないのだ。船長だから、できることなら弱いところは見せずにいたい。仲間の前ではいつでも強く、ここぞという時には頼れる、そんな船長でいたいとは誰しも考えるものだ。だがもしかすると、船員は船員で、本当は船長の弱いところも情けないところも知って、寄り添いたいと思っているのかもしれないが。でも、兄の件に関しては、直接見ていないだけに傷の深さを推し量ることができないから、不用意に触れることができないのだろう。
「それに、トラ男はやさしいから突き放せないし、絶対聞いてくれると思ったからな‼」
「……!」
ニッと悪戯っぽく笑うルフィに臍を噛む。疑問に思いながらも、兄を失った時のルフィの慟哭を知っているから、話したいのなら話させてやりたいとどこかで思っていたのも確かで。自分の甘さを見抜かれていたことが悔しく、チッと舌打ちする。
「もうちょっとか?」
「あと一分だな」
「えっ、もうそんなか⁉なんかトラ男と話してると楽しくて、あっという間に時間が過ぎんなァ」
唐突にまるで口説き文句のような言葉を投げてくる。本人にそんなつもりは全くないのだろうが。
「十秒」
「3…2…1」
ルフィはスッと息を吸い込んで、
「エースゥ〜〜っ‼おれはまた一年生き抜いて、夢に近付いたぞォ‼だからおれの〝夢の果て〟、見届けてくれよォ〜〜‼」
手摺りに手を掛け、上半身を海の方へ少し乗り出しながら、空に向かって叫んだ。ルフィの声が止むと、暫しさざ波の音だけが耳を過っていた。
この大海賊時代に明日の保証なんてない。敵に殺られることもあれば、天変地異や野生の力に屈することもあるだろう。どれだけ強く精悍な若者であっても、海に出て海賊をやるなら明日は我が身だ。それはルフィも二年前に嫌というほど実感したはず。だからこそ、こうして無事に誕生日を迎えたこと、ひとつ歳を重ね、これからは兄の歳を超えていくことを毎年報告していくのだろう。
「報告は終わりか?」
「おう!」
ニカッと満面の笑みで、ルフィが振り向く。
「祝ってくれたか?」
「ああ‼」
「そうか。よかったな」
言いながら、ゆっくりとルフィに近付き向かい合う。こちらを見上げる「なんだ?」とでも言いたげなルフィの真っ黒に輝く瞳を正面から見つめる。
別になんとも思っていなかった。船長の誕生日を控え、妙にそわそわとしている船員達を見て、七武海の支配する国に向かうというのに呑気なもんだと、頭の片隅で思った程度だ。ただ、一人静かに遠くを眺めるこいつが珍しくて、その理由を興味本位で聞いてみただけだった。
でも今は…
あれだけ傷だらけだったこいつが、兄の死を乗り越え、笑えるようになるまでには様々な思いを消化してきただろう。その努力があってある今を、祝ってやりたいと、心からそう思った。
「じゃあ、次はおれだ」
ルフィの後頭部に手を添えた。少し身を屈め、顔を左耳に寄せる。
「誕生日おめでとう、麦わら屋」