こぼれた雫のすくい方②「わるい…」
縋るように掴んでいた手を離して、武道から離れる。
「ダセェなオレ」
「そんなことないっス」
俯いたまま自嘲気味に笑う。あまりに情けなくて、武道の顔をまっすぐ見ることができない。でも、泣いたせいか少し気持ちがすっきりした気がする。
「あの…イヌピー君」
「なんだ」
どういう理由かは知らないが、このまま貫くというなら今は受け入れよう。今日はひどく疲れた。今から問い詰める気力もないし、答えを聞いて理解できる自信もない。
「ここで一緒に住んでるんですよね?なら、オレ今日はどっか他所行きます」
「は?」
武道からの突然の提案に思わず顔を上げる。
「ちょっと状況を整理したいっていうか。話し合うならそれからの方がいいと思うんスよ」
それはその通りだと思う。この状況を引き起こしている武道自身が状況を整理したいというのはよくわからないが、整理したいのは俺も同じ。落ち着いたように見せているものの、頭の中はまだ混乱したままだ。
「それには同意するが…オマエが出てくのは認めらんねぇ」
「いや、出ていくっていうか一晩だけ考えたいって」
「わかってる。だから、オレが出ていく」
こんな底冷えする夜にこいつを放り出すような真似、ケンカしていたってしたくない。それに心配なこともある。
「えっ!そ、そんなのダメっスよ!」
「オマエが出てくよりマシだ。どうせオマエ、マイキーか松野んとこにでも行く気だろ。それはオレが嫌だ」
「う…」
図星を指され、武道の反論が止まる。そうなのだ。武道には頼ろうと思えば頼れる奴等が俺以外にも大勢いるし、頼られて嫌だと言う奴もおそらくいない。特に名前を挙げた二人など、武道に頼られたとなれば大喜びで迎え入れるだろう。そして、この状況を知れば十中八九別れるよう持ちかける。
「とりあえず、オレも一晩頭を冷やす。明日はオマエも仕事だろ?帰ったら話し合おう」
「…わかりました」
納得のいかない表情のまま、渋々といった様子で武道は俺の提案を受け入れた。
先程放り出したバッグを拾って玄関に向かうと、武道は律儀に見送りに付いてきた。
「じゃあな。…ちゃんと休めよ」
「あ、はい…」
思い詰めたように俯く武道の様子が気になったが、今はそばにいても悪化させるだけだろう。
ドアを開け、閉まる間際にちらりと武道に視線をやる。そこには笑顔で手を振る姿はなく、両手を組み眉間に皺を寄せる姿があるだけだった。
「はぁ…さみぃ」
ドアを背に一息つく。吐く息が白い。だが、頬に触れるジンジンと痺れるような冷たさが、火照った頭に心地良い。俺の心とは裏腹に、冬の空気が作る空には星がまばゆく輝いていた。
両引きの自動ドアを抜けると、ブラウンを基調としたシックで落ち着いた雰囲気のエントランスが広がっている。その中を目的地であるフロントに向かって、迷いなく足を進める。
「いらっしゃいませ、乾様」
俺がフロントに到着したと同時にコンシェルジュから声を掛けられる。
「最上階の九井に繋いでくれ」
「承知いたしました」
事前に連絡をせず来てしまったが、この様子だとココは帰宅しているようだ。といっても、別に不在だからといって追い返されることはない。ココには自分が不在の時でも、勝手に上がって好きにしていいと言われている。先程の対応から分かるように、最上階の住人の親友としてコンシェルジュにしっかりと認識されているし、おそらくココにも通すように言われているだろう。それでも俺は、不在時に上がり込んだことはないし、在宅時も必ず取り次いでもらうようにしている。
「九井様、フロントに乾様がお見えです。はい、かしこまりました」
コンシェルジュが受話器を置く。ココに話が通ったようだ。
「ご案内いたします」