バレンタイン🍫「いちまつせんせー、久しぶり」
呼び止められ振り返ると、一人の女子生徒がこちらに近づいてくるところだった。
三年生で、先月中頃から自由登校だ。大体一か月ぶりなので、こちらも久しぶりと返す。
まだ午前中だが、マフラーを巻いている姿からは、今から帰るところに見えた。
「今日何か用事あったの」
「昨日試験だったから、その報告」
「ああ……」
受験シーズンだ。この子は確か、医療系に進みたいと言っていたような記憶がある。
担任から職員室に呼び出されていた彼女が、数学とかマジ意味わからないとこぼし、たまたま近くの席だったおれにお鉢がまわってきて、補講したり、放課後に何人かで質問しに来るのを対応したりしていた。
最初は赤点ばかりだった成績が、一年弱で志望校の合格安全圏まで引き上げたのだから、相当努力していたことは知っている。
「どうだった?」
「分かんないけど、やれるだけはやった」
「そう、それならたぶん良い結果だと思うよ」
ほんと?と笑う顔からは、プレッシャーからの解放を感じさせた。
「報告は終わった? なら気を付けて帰って、ゆっくり休んで――」
「えー? せんせー何かないの?」
「合格したらその時は何かやるよ」
「そうじゃなくて!」
今日何の日か覚えてる?と聞かれ首をかしげる。
「バレンタインですよ、せんせー」
「おれみたいのには関係ないんで」
「あれ、せんせー貰えなかったの?」
にやにやとからかうような顔を軽くにらむ。
数年前までは、教職員の女性陣から全員義理チョコをもらえていたのだが、本命のみに渡すようにしましょう、といつの間にかルールが改訂され、その後はさっぱりだ。
ちなみにご自由にどうぞ、と十円チョコ等が山盛りにされたお菓子かごはあったが、既におそ松先生や十四松先生によって狩りつくされている。
「じゃあ、かわいそうなせんせーに、私から」
目の前に差し出されたきれいにラッピングされた箱に、柄にもなくうろたえた。
「えっ……お、おれ?」
「そうですー。色々勉強教えてもらったから、お礼」
「あ、そう……ありがと……」
受け取ったのを満足そうにして、じゃあね!と走り去る背中へ、廊下は走らない!と呼びかけたが無視された。
放課後保健室に立ち寄ると、上機嫌なカラ松が朝にはなかった手提げバッグを一つ増やしている。
「何それ」
「フッフーン……モテる男はつらいってやつだな」
中身を覗けば、駄菓子が山のように入っていた。職員室のお菓子かごから持ってきたのかと思ったら、生徒からだと言う。
「あ、そう……どれもこれも義理だね」
「気持ちが嬉しいだろ!?」
そうですね、と言いながら、ふと自分も午前中に貰ったことを思い出す。
「おれも貰った」
「ええ!? お前が!? 嘘だろ!?」
「そんなに驚く?」
おれのこと何だと思ってんのとぼやきながら、カバンの中から現物を取り出せば、信じられないような表情で見つめている。
「妄想じゃなかったのか……」
「だいぶ失礼だな」
「え、しかもこれいいやつ……」
「そうなの?」
この時期どこもチョコレート商戦が激しく、駄菓子から高級なブランドチョコまで様々だが、正直違いはさっぱり分からない。
「これくれた子、お前のこと好きなんだろうな」
じっとチョコレートを見つめる表情がぽつりとつぶやき、少し唇を尖らせている。
焼きもちかな、と思うと少し嬉しい。
「なに。心配してんの」
「お前がオレよりモテるのが嫌だ」
「クソ松め」
「お前がいい男なのはオレだけ知ってればいいんだ」
「――は?」
今聞いたセリフが信じられなくて目を丸くすると、耳まで赤くした顔が違う! 今のはつい! 等と墓穴を掘っている。
こんな風にこいつが独占欲を見せるのも、慌てるのも珍しい。
「早く帰るぞ」
「顔が怖いんだが……」
「うるせぇ! とっとと鍵閉めろ!」
校内では密着しない、なんて決めたせいで何もできないんだからさっさとしてほしい。
「本命からまだ貰ってないし、家に帰ったら即行食べるから」
「お、おぉ……」
まだ赤い顔が、視線をさまよわせたあとしっかり頷いたのを見てペロリと唇を舐める。
おれのバレンタインは、まだ始まったばかり。