ひな祭り🎎「はじめは、ひな祭りの起源を知っているか」
あれは、バレンタインデーを過ぎた頃。
まるで、話し始めるきっかけを探していたように彼が口を開いた。
奇妙な村で引き合うように出会ったおれたちは、元の生活に戻った後も定期的に連絡を取り合っている。
東京に住んでいるおれと青戸さんは、時々こうして喫茶店で会うことがあった。
彼の所属する雑誌社はオカルト系の伝承なんかも扱っており、まあ娯楽雑誌ではあるのだが、時々奇祭が元になっている事件なんかも取り上げていて、単なるうわさ話が解決の糸口になることもある……らしい。
兄だという彼が言うには、これまで解決に導いた事件は九十九に及ぶとか。
また何か調べてほしいということか、と思いながら口を開く。
「……厄払いだよね」
「さすがはじめ、詳しいな」
「一般教養レベルだよ」
コーヒーを口にしながら、何でもないことのように言う。
「身代わりとして穢れを移し、川に流すなんて行事があったんだよね。今もやってる地方もあるとか」
「そう。本来は良くないものから身を守るための行事だった」
ところが――と彼は続ける。
「ある村では、ひな祭りで鬼の夫婦を祀ってるらしい」
「祓う対象の鬼でひな祭り? 変わってるね」
「そう! しかも数年おきに、その村周辺で見かけたのが最後なんていう失踪事件も起きている」
「……なんか嫌な予感がするな」
次の瞬間、好奇心できらめく目の青戸さんがおれの手をぎゅっと握り熱弁する。
「警察も色々調べてはいるようだが未解決のまま、でも絶対に何かある! はじめもそう思うだろうそこでだ! その村で行われているというひな祭りの取材に一緒に行こう! スクープの予感がするんだ!」
「うわ、マジか」
ああ、絶対ろくでもないことに巻き込まれる。セオリーなんだよこういうのは。
「なあ、はじめも行くよな?」
ぴかぴかキラキラの笑顔がまぶしい。何でよりによってこの人はトラブルに首を突っ込みたがるんだろう。
遠慮したい、行きたくない、でもこの人一人で行ったら帰ってこれないことになりそう。
きっと止めても行くだろう予想にため息をついた。
気が変わらないかもしれないが、一応止めてみる。
「危険な目に遭うかもよ」
「覚悟の上さ」
「おれは? おれを危険な目に合わせることには何も思わないの」
「大丈夫! はじめのことは、絶対にオレが守るから」
きっぱり言い切る目は真剣そのものだ。だからこの人の頼み事は嫌なんだよな。
放っておけない自分にため息をついて、子供に言い聞かせるように釘をさした。
「――危険なことになりそうになったら、すぐに帰るよ」
「もちろん、分かってる!」
ああ、危険なことに巻き込まれると予感していたのに。
アレがまさかああいうことになって、こう展開して、かくかくしかじか何やかんやで。
おれたち二人は村人に捕らえられ、暗いお堂に放り込まれていた。
クモツとか何とか言っていたけどこれ生贄ってやつ?
絶体絶命のピンチなんて、そうそう遭遇しないはずなのにあの村以来よく巻き込まれている気がする。
しかも青戸さんは気を失っているうえ、青白い光に浮かび上がるように角を二本生やした鬼が現れて、こっちも気を失いたいところだ。
その鬼は、着物を肩にかけるように纏い、青い光を灯した行燈を携えていた。光は蝶のようにひらひらとあたりを舞っている。こんな場面じゃなきゃ、綺麗だと思ったかもしれない。
そしてその顔は――なぜか青戸さんに、よく似ていた。
「おや、お前は……」
ふいに鬼が口を開く。
すっかり腰が抜けてしまったおれは、呼吸するのがやっとの状態で、鬼から目をそらしたいのに見ないのも怖くてガタガタ震えるばかりだった。
倒れたままの兄に近づきたいのに、情けないが動けそうになかった。
「……なるほど。これもまた因果か」
ふわりと目の前に降り立った人ならざる存在に、血の気が引いていく。
「ここで会ったのも何かの縁、助けてやろう」
「へ……」
にこりと笑みを浮かべた顔は、やっぱり青戸さんによく似ていた。
鬼が行燈を掲げると、眠りに落ちるときみたいに意識がどんどん沈んでいくのがわかる。
抗おうという意思すら、あいまいにぼやけてしまった。
もう目を開けていられない、という頃、もう一人誰かが現れた気配を感じる。
「――ったく、急に呼び出したと思ったら、何?」
「お前にも縁がありそうだったからな。手伝ってもらおうと思って」
「狐遣いが荒いねェ」
ぼやく声は聞き覚えがあった。
目を閉じる寸前、ふわふわとした尾を数本、見たような気もする。
その後おれたちは、村の外で気を失って倒れているところを発見されたらしい。
気が付いたのは病院で、脱水症状を起こしていたということで数日入院することになった。
おれたちを保護した警察に事情を聴かれたので詳細に語ったところ、村には捜査の手が入り、失踪していた人の持ち物が見つかったことから村長以下村人たち全員が取り調べを受けているそうだ。
おれたちの本当の父だという、雑誌編集長はさんざん青戸さんとおれを叱ったのち、事件解決の糸口を見つけたことに関してはよくやったと褒めてくれた。
「はじめ、オレが守るって言ったのにごめん」
兄は隣のベッドですっかりしょげている。
彼なりに、おれを逃がそうとしてくれていたのはわかっている。でもこの人を残して自分だけ逃げるなんてこと、おれにはできなかったのだ。
「……いいよ。守ってもらったようなもんだし」
「え?」
「何でもない」
捕まっていたお堂に祀られていた夫婦の鬼は、男雛が赤、女雛が青だった。
あの青い光をまとった鬼は、女雛だったのだろうか。男に見えたけど。
それから、意識を失う寸前に現れたもう一人は、おれの声によく似ていたような気がする。
「この村の近くに、稲荷神社があったよね」
「え? ああ、鬼の夫婦雛伝説にも出てくる、九尾狐が祀ってあるって」
「退院したら、お参りしよう」
「どうしてだ?」
不思議そうな兄に、「お礼だよ」とだけ答えた。
ますます疑問が浮かんだように首をかしげるその姿が存外幼く見えて、少し笑った。