卒業💐「おいちゃん、おはよ」
卒業式の朝、いつも通りに起きたオレに、一松おいちゃんは「ん」と短く返事をした。
古びた灯油ヒーターの上にはやかんが乗っていて、シュウシュウと白い湯気を出していた。
部屋の真ん中にあるこたつの上には、白いご飯と山菜の煮物と、から揚げが山になっていた。
から揚げはウチではお祝いの時に食べる、ちょっと特別なおかずだ。
両親を交通事故でなくしたオレを、父ちゃんの一番下の弟だった一松おいちゃんが引き取って育ててくれた。
五歳の時から、だいたい十年。
いっぱい遊んでもらったり怒られたり喧嘩したり褒められたり、そうしているうちに時間が経っていた感じだ。
山間の村は、小中学校が一緒になっている学校がひとつだけで、高校は電車で二時間くらい離れた隣の市に行かないとなかった。
中卒でいい、おいちゃんの山の仕事を手伝いたいと言ったオレを、おいちゃんはそれはもう怒った。
一松おいちゃん自身が中卒で、たくさん苦労したこと。
勉強はどれだけしたって無駄にならないこと。
オレは勉強があまり好きじゃないし、得意でもない。
それに高校は寮に入ることになる。
隣の家まで歩いて二十分の田舎から、人の多い街へ出るのは気が進まなかった。
でもいつもは無口なおいちゃんが、真剣な顔で言った。金はどうにだってするから、できるだけ学校はいいところに行けと。
だからオレは、一生懸命勉強して、高校に合格した。
合格の報せを受けたおいちゃんは、くしゃくしゃに笑って、オレの頭や頬を犬にするみたいに撫でまわして、よくやった、よく頑張ったとたくさん褒めてくれたし、夜はオレの大好きなから揚げだった。
そうして、今日は小学校中学校合同の卒業式だ。
お祝いごとの日だから、今日のご飯もやっぱりから揚げだ。
おいちゃんのから揚げは、小さいころから食べてきたいつもの味で、ほっとする。
いつもはジャージだけど、今日は式があるから制服を着た。
あまり着ないから、ちょっとごわごわして慣れない。
玄関に立ったオレを、一松おいちゃんはちょっとまぶしいみたいに目を細めて見た。
保護者として出席するから、おいちゃんもいつもの作業服じゃなくてスーツを着ている。
「おいちゃん、似合わないな」
「悪かったな」
「いつものほうがいい」
「今日は我慢しろ」
軽トラックの助手席に乗り込んで、シートベルトを締める。
田んぼが広がるこの道を行くのは、今日で一区切りになるんだなあと思って、でもあまり実感はない。
あと何週間かしたら、この風景もしばらく見られなくなる。
ふと、隣のおいちゃんを見ると、いつもみたいにまっすぐ前を見て、まじめな顔で運転している。
「おいちゃん」
「なんだ」
「今までありがとう」
「あ?」
「オレを引き取ってくれて、育ててくれて、いっぱい叱ってくれて、いっぱい愛してくれて、ありがとう」
おいちゃんは口をぎゅっと結んで、ブレーキをかけた。
急ブレーキだったからがくんと体が前に出て、慌てていすにしがみつく。
「おいちゃん、危ないだろ!」
「あぶねえのはお前ぇだ!」
こっちを見るおいちゃんの目からは、涙がボロボロあふれていた。滝のようだ。
「なんで、んな事言うんだ! しかも今!」
「だって、この道とおることもなくなるんだなって思ったら、言いたくなったんだもん……」
「だもんじゃねえ! クソ、卒業式は今からなのに何で……何で……」
「ご、ごめん」
車に積んであるティッシュを取っておいちゃんに渡すと、何枚も引き抜いてズビーッと勢いよく鼻をかんだ。
真っ赤になった目にも押し付けて、はあとため息をついた。
「お前はそういう奴だったよ」
「どういう?」
「……イタイってこと」
「え? おいちゃんどこか痛めたのか? 大丈夫か!?」
慌てて背中をさすろうと伸ばした手をさえぎって、おいちゃんはゆっくり運転を再開した。
「今のが予行演習だと思うことにするよ」
「何の?」
聞いたけど、おいちゃんは苦笑いするばかりで答えなかった。
ちなみに、卒業式でもおいちゃんは号泣していて、先生やほかの保護者から慰められていた。
卒業式から日が経ち、今日は高校の寮へ向かう日だ。
荷物は全部送ってあるから、身の回りのものだけ入ったバッグを持つ。
おいちゃんが駅まで送るというので、いつものように助手席に乗り込んだ。
駅に向かっている途中、話題が切れたところでおいちゃんが口を開いた。
「カラ松、今までありがとう」
「え?」
「驚かされることもあったし、腹の立つこともあったけど、お前との暮らしは楽しいことばっかりだった」
運転しながらも、おいちゃんはちらりとこちらを見る。その目は、ひなたみたいに暖かかった。
「お前はいい子に育った。どこに行ったって、大丈夫」
心がじんと暖かくなる。おいちゃんはいつだって、オレを見守ってくれていた。
「おいちゃん……オレ、頑張る」
力強く頷くと、おいちゃんはポンと頭を撫でてくれた。嬉しい。
「おいちゃんにこうやって褒められるのは初めてだな」
嬉しさが全身をめぐってむずむずしながら言うと、おいちゃんは呆れたような顔になった。
「こういうことにはタイミングってものがあるんだよ。卒業式みたいな、あんな不意打ちで言うものじゃない」
「そういうもんか?」
「そういうもんなの」
タイミングについてはこれからお勉強だな、とおいちゃんが言った。
駅のロータリーで停車したので、シートベルトを外してドアを開ける。
「オレ、おいちゃんに認められるように頑張るから。――そんで、いつかオレのこと嫁さんにしてくれ!」
「え? あ? はあ~~~~~~~!?」
大きな声であんぐり口を開けているおいちゃんに、笑顔で大きく手を振って改札口へ駆け出す。
山しかないような田舎だけど、たくさん勉強して戻ってきて、きっとおいちゃんの役に立ってみせる。
弾むような気持ちで、切符をポケットから取り出した。