耳の日👂ギャンブルで借金を重ねた男に金を貸すところなど、闇金くらいしか残ってない。
自転車操業で返済に追われ、生活もままならなくなった人間の辿る道などたいてい決まっている。
夜逃げ寸前のところを捕まえ、右手左手の親指を結束バンドで後ろ手に締められた男が床に転がっていた。
「山田さァん。最後の返済期限昨日までじゃったよな」
普段はそろばんを弾いている弟が、男の脇にしゃがみこんだ。
「す、すんません……返す当てが、直前でのうなってしもうて……」
「みんな言うこたぁ一緒じゃのぉ。聞き飽きたわ」
一松はうざったそうに耳をほじり、垢をふうと吹き飛ばした。
「今回こそ耳ィ揃えて返してもらおうか」
ぐい、とはいつくばる男の耳をつかみ上げる。
「……それとも、こっちの耳でも貰うて、われの家族に送っちゃろうか」
低い声は真に迫っていて、男は痛みと恐怖で顔をひきつらせる。
ごめんなさい、勘弁してつかぁさいと繰り返す男を見下ろす目はなんの感情も抱いていない。
「一松、その辺にしとけ」
頃合いを見計らって声をかけると、一松は男の耳からぱっと手を離した。
床に落ちた男は、泣きながらすんませんすんませんと何度も繰り返している。
「なあ、山田さん。オレらも仕事じゃけぇ、回収せにゃ帰れんのよ」
「す、すんません……じゃが、当てがないなぁ、本当で……」
「こっちも鬼じゃないんじゃけぇ、相談してくれりゃあ良かったのに」
もう十分待ったから、これ以上は待てないと言えば、男は不安を張り付けた顔でこちらを見上げる。
「仕事を紹介しちゃる。山奥のブラック工場いうとこじゃ」
「そ、そんな……!」
オレに這いずり寄る男の背中を、一松が足で踏みつける。
「甘えんさんな。工場が嫌なら内臓売ることになるが、ええな?」
「勘弁してつかぁさい!」
「工場か、内臓か、どっちにするんじゃ! アァ!?」
「こっ、工場! 工場でお願いします!」
悲鳴のように叫んだ男に、再度しゃがみこんで目を合わせる。
「そうかそうか。あそこは寮があるけぇ住み込みになる。一年くらい頑張りゃあ完済できるはずじゃけぇ、きばりんさいよ」
工場とはいわゆるタコ部屋送りだ。
何かと物騒な噂がつきまとっており、裏の世界では有名だ。
この男も何か聞いたことがあるんだろうし、実際噂も全部が嘘ではない劣悪な環境で働くことになる。
絶望を顔に張り付けた男を気にせず、十四松に連絡を入れた。
「十四松、悪いがちいと山奥まで配達を頼みたい」
『ええよー! じゃあ回収に行くね!』
電話を切って、再び男に向き直る。
「……さて、山田さん。契約書に、サインもらえるかいの? 近頃は法律も厳しゅうて、こっちも大変なんよ」
十四松が山田を車に乗せて連れて行くのを見送り、隣に立った一松に声をかける。
「付き合わせて悪かったの。予定あったんじゃろ?」
「ええよ、気にせんで。それよりちゃんと、ビビっとったかな」
心配しているような口ぶりに思わず吹き出す。
「何かおかしいかの」
「極道もんに、迫力がないわけないじゃろ」
「兄さんがおりゃあ、周りも迫力に押されるが、おれはしょせん虎の威を借る狐じゃけぇ」
自嘲する一松の背中をポンと叩き、気分を変えるよう声のトーンを上げる。
「そうじゃ、今日は猫カフェに行くんじゃったよな。オレも行ってええか?」
「勿論じゃ、案内するけぇ」
いそいそと車に向かう背中を見ながら、ムショに入る日の朝、ただ黙って頭を下げた姿を思い出す。
顔を上げた時、その目の奥にマグマみたいな炎が滾っていた。
オレがムショに入った後、末弟から「一松兄さんが荒れちょる」と嘆く手紙がよく届いたものだ。
檻から解き放たれた餓えた虎と恐れられ、しばらくは十四松もよう近づかんかったらしい。
チョロ松に乞われ、オレが一松に手紙を送ってから、ようやく大人しくなったとおそ松からも手紙が届いた。
誰の言うことも聞かない猛獣が、オレの掌にだけ頭を擦り付けるのは気分が良いものだ。
「虎の威を借る狐か」
狐はどっちだかと思いながら、鯉が泳ぐ背中をゆっくり追いかけた。