幸せのポンチキ 柔らかな日差しが窓から降り注いで、優しい光の帯を作っている。換気のために少し開けた窓からは、風が時折隙間から吹いてきては、白のレースカーテンがゆらゆらと揺れている。
高校二年生という若さで単身渡米し、バスケ留学を果たした沢北は、帰国せずそのまま現地の大学に進学。現在は大学のバスケチームに所属していた。
渡米前、秋田の山王工業高校に居た頃は、沢北の主なポジションはSF(スモールフォワード)だった。一八〇センチをゆうに超える彼の身長は、日本においては高身長だが、アメリカの中でもバスケ界においてはそうとは言えない。留学してからは、主にPG(ポイントガード)のポジションを務めることが多くなっていた。それは大学でも継続している。
沢北以外にも、山王工業から渡米した男がもう一人いる。深津一成だ。彼は山王を卒業した後、バスケットプレイヤーとしては引退していた。今は沢北と同じ大学で、バスケの指導者になるべく勉強をしている。
深津は元々、日本の大学に進学していた。しかし深津が大学二年生になった頃、アメリカに居る沢北から、一緒に住まないかという誘いの電話が来た。
深津は一度断ったのだが、彼の猛アタックに押された形で、最終的には受け入れた。現在二人は、シカゴの街の一角で同棲をしている。
「ただいま、深っさん!」
玄関のドアが勢いよく開く。沢北が、食材が山盛り入って大きくなったレジ袋を、両手に抱えてリビングへとやって来た。深津は窓を拭く手を止めて、沢北の方を向く。
今日はお互いお休みの日。深津は沢北におつかいを頼み、その間家の掃除をしていた。
沢北の手には、スーパーの袋の他に、何やら茶色い紙袋を持っている。
「もしかして……ポンチキピョン?」
そう彼に尋ねた深津は、軽く水で手を洗ってパッパッと手を振り、指先の水を飛ばした。
沢北が、スーパーの袋をテーブルにどんと置いて、紙袋を差し出す。深津が紙袋を開くと、甘い匂いと共に、穴の空いていない丸い形のドーナツが、いくつか入っているのが見えた。
「当ったり〜! 例のポンチキ買ってきましたよ、食べましょ!」
沢北の全身から、はしゃいでいるのオーラが伝わってくる。深津には、沢北に大型犬の耳と、ブンブン忙しなく動く大きなしっぽがある様に見えた。
沢北が紙袋に手を伸ばす。
「待て」
「ん?」
深津の一言に、ピタッと紙袋に伸びる沢北の手が止まった。その動作が、まるで犬の躾みたいだと思ってしまった深津は、じわじわと笑いが込み上げてくる。
「ふっ……その前に手洗って、食材片付けるピョン」
「はーい」
笑われた事に気づいていない沢北は、素直に洗面台に向かっていった。
ポンチキ、それは元々ポーランドのお菓子だ。ポーランド系の大きな共同体があるシカゴでは、様々なフレーバーのポンチキが、スーパー等の身近な所で売られている。
また、ポーランドでは毎年“脂の木曜日”、アメリカのシカゴ等では“脂の火曜日”と呼ばれるキリスト教の祝祭日を「ポンチキの日」として祝い、ポンチキを沢山食べる風習がある。
沢北も深津もキリスト教徒という訳ではなく、これといって関係はない。しかし、この日はチートデイということにして、二人で好きな物を食べることにした。
「そうだ、あとピザも買って来ましたよ!」
手を洗い終わった沢北が、キッチンにやってくる。二人で手分けして、レジ袋から食材を出しては、冷蔵庫にしまっていった。
「珍しく気が利くピョン」
「でしょ〜? って珍しく?」
沢北は、するっと深津の身体に手を回して、後ろからぴったり抱きついた。深津は特に動じない。そのまま、まるでペンギンの親子の様に引っ付いたまま、トコトコ歩いて台所に立った。
深津がインスタントコーヒーの瓶に手を伸ばす。コーヒーメーカーに粉をセットした。
沢北は一瞬深津のそばから離れて、マグカップを二つ取ってきて、コーヒーメーカーの横に並べる。このマグカップは、沢北がお揃いにしたいと半ば強制的に買ったものだ。
深津がマグカップにコーヒーを注ぐと、いい香りがふわっと辺りに漂う。
それから、マグカップとポンチキの入った紙袋を持って、リビングへと向かった。机にそれらを置いてから、二人でソファーにどかっと座る。
「深っさん何味がいい?」
沢北が紙袋を大胆に開いて、深津の方を見る。深津はポンチキをじっと吟味して、一つを指差した。
「これカスタードピョン?」
「そう、カスタード」
深津は、それをひょいと摘んだ。深津さん、カスタード好きだもんなあ。
付き合ってから気づいた事だが、深津さんは結構甘いものが好きなのだ。あと、生クリームよりカスタードがお好みらしい。
「じゃあ俺は、このチョコ味貰いますね!」
そう言って、沢北は隣のチョコレートがかかったポンチキを摘んだ。
ぱくっ。ぽってりした深津の唇が、ポンチキを捕らえる。口の端からカスタードがむにゅっと飛び出してきた。
「深っさん、カスタードほんと好きっスよね〜」
チョコ味のポンチキをほうばりながら、隣でもぐもぐしている深津の口が可愛いくて、美味しそうで、沢北はついじっと見てしまう。
「ん、カスタード好きピョン♡」
深津は、口の端に付いたカスタードと粉糖を、親指ですくってぺろりと舐めとった。
「んもー! なんでそんな可愛いことするんッスか」
悶絶している沢北をよそに、深津はどんどん食べ進んでいき、あっという間に一つ平らげた。
沢北は二個目のポンチキを頬張りながら、段々深津の唇に引き寄せられていく。深津さんの唇には、強力な磁石でも仕込んであるのだろうか。
「……これ食べ終わったらチューさせてよ」
沢北は深津にグイッと迫る。深津は「だめピョーン」とひらっと交わして、立ち上がる。干していた布団を取り込んでくると言って、その場を離れてしまった。
***
朝から干していた布団を取り込むと、太陽光でふんわり温くなっていた。深津が寝室のベットにかけ布団を敷いていると、ポンチキを食べ終わった沢北がやって来るやいなや、ポーンと布団にダイブした。優しい温かさと、お日様の香りが沢北の身体を包む。
「深っさんも、ほら!」
沢北が深津の手を引っ張る。しかし、流石は鬼の体幹を持つ深津である。グッと足に力を入れられて、びくともしない。
「ちょっ、深っさん!」
沢北が笑う。ポンポンと布団を軽く叩いて、深津を促した。促された深津は「仕方ねーピョン」と膝をついて、ゆっくり布団に倒れ込む。そのまま沢北に抱き寄せられた。
布団の温かさに包まれながら、お互い向かい合う。沢北が深津の髪を優しく撫でた。
「あったけー……なんか眠くなっちゃいますね」
「食べてすぐ寝るとか、沢北は赤ちゃんピョン?」
赤ちゃんと言われた彼は、「俺、赤ちゃんじゃないし」とプクッと膨れる。本当にすぐコロコロと表情が変わる男だ。
自分で言ってて、なんだか面白くなってきた深津は、沢北の腕の中で肩を震わせる。今度は深津が沢北の頭を軽く触った。
「髪型も赤ちゃんピョッ」
ツボに入ったようで、深津の鼻から息がフスフス漏れていく。
「もー、深津さんだって前は坊主だったでしょ」
そう言って沢北は、深津のほっぺを片手でうりうりと揉んだ。なおもフスフス笑う深津に、そのまま掴んでちゅっと唇に軽くキスをした。
「……赤ちゃんはこんなことしないよね?」
不意打ちを食らった深津はというと、小さくビクッとした。チョコの味がすると言って、くるりと背を向ける。深津の表情は沢北からは見えないが、深津の口角は僅かに上がっていた。
それから沢北は、後ろからぎゅーっと抱きしめる。嫌とは言わない深津に気を良くした沢北は、ちゅっ、ちゅっ、と首筋や頬っぺに軽いキスをしていった。
それから二人で一緒にしばらくゴロゴロしていると、沢北は本当に眠くなってきていた。ウトウト微睡みながら、深津を抱きしめる力を少し強める。
「んー幸せ」
これが幸せってやつなんだろうな。そう思ったら、一つの答えが沢北の頭に浮かぶ。思ったことが自然と口をついて出ていた。
「深津さんと結婚したいなぁ……一つになれたらいいのに……」
沢北は自身が重大なことを口走ったことに、まだ気づいていない。思っただけで言ったつもりが無かったからだ。深津は、まだ気づいてないんだろうと思いながら、そっと沢北の耳元に口を寄せて呟いた。
「……いいピョン」
「んー?」
ぼんやりとした沢北の意識が、じわりじわりと覚醒していく。
「いいって言った、結婚」
結婚。その言葉が聞こえて沢北は、一気に意識が覚醒して眠気が飛んだ。ガバッと飛び起き、深津の顔をまじまじと見る。
「え、あ……? 待って待って待って、なんて」
「二度も言わんピョン」
沢北は深津の両肩を持って、ゆする。
「俺、幸せだなって思って、それで一緒になりたいなって……心読んだんスか」
見当違いの事を言う沢北に、深津は笑いが込み上げる。アホだなあと思いながらも、そんな所が可愛く思える自分は、もはや病気だ。そう考えたら、深津はさらに笑えてきた。沢北と居ると、本当に飽きない。
「……ねぇ、一成さん」
落ち着いたところで、沢北が名前で呼んで、いつになく真剣な顔で手を差し伸べる。深津が手を取ると、グイッと引き上げられた。布団の上にお互い座って向かい合う。
「改めてちゃんと言います、聞いてくれますか」
沢北は真っ直ぐに深津の瞳を見据える。深津がこくりと頷くと、深津の手を取って、両手で優しく包み込んだ。
「一成さん、俺と……ずっと一緒に居てくれますか」
「……ん」
深津が返事をすると、沢北は微笑む。
「俺と、結婚してくれますか」
先程の呟きと違って、面と向かって言われると中々緊張するものだ。沢北の瞳から目をそらすことが出来ない。
「はい」
深津が肯定すると、沢北はホッとしたようで、深津を抱きしめた。
「良かった〜!」
素直に喜ぶ沢北に、深津はそっと手を回した。程なくして、抱きしめた深津から、ずる……と微かに鼻を啜る音がする。
「えっ?」
手を少し緩めて深津の顔を見ると、目の周りがほんのり赤くなっていて、涙が滲んでいた。沢北が人差し指でそっと拭うと、深津の涙が指につく。
「お前の、せいピョン……責任取れ」
珍しく涙目の深津を見て、愛おしくて堪らなくなった沢北は、頬を優しく撫でた。
「はい! 責任取らせてください!」
そのまま沢山唇を重ねて、深津に愛を伝えた。