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    itara_zu

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    itara_zu

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    でが進捗
    台本小説・メモ書き
    将来的になんとかする

    君よ② ガイアの報告を受けたジンは険しい面持ちで頷き、息を吐いた。脱力し、椅子の背に凭れ掛かる。
    「ひとまず……アランが見つかってよかった。ご家族も気持ちの整理がつくだろう」
    「家族……?」
    「エリーゼという妹がいる。バーバラよりずっと幼いくらいの。ここ毎日騎士団に来ていたんだ。……二人で暮らしていたんだ。彼女は、修道院に行くことになるだろう」
    「そうか」
     けして修道院も悪いところではない。彼女の将来はそう暗いものにはならないだろう。しかし、彼女は天涯孤独になってしまった。
     いっそのこと、アランは見つけてやらなければよかったかもしれない。そうすればエリーゼは、兄が生きているかもしれないという一縷の希望に縋りながら生きられただろう。
     この世にただ独りきりのような気になったときに、僅かな光すらなければ気が狂ってしまう。ガイアはよく知っていた。気が狂った方がましだ、とも。
    「ガイア。アランを見つけてくれて、感謝する」
     心中を読んだかのようにジンは柔らかく微笑む。
    「彼は風の通り道で亡くなったから、その魂は風に乗ってモンド城に戻ってこられるんだ。……エリーゼは、風車が回るたびに兄のことを感じられる」
    「そう、だといいが」
    「きっとそうだ。私たちはそう信じ、そのために神に祈るのだから」
     さて、とジンは重厚な椅子に居住まいを正した。しっかりした造りの机には、ガイアが任務に出立した時より高く書類の束が積み重なっている。嫌な予感がする。こういう時、面倒な書類仕事を振られなかった試しがない。代理団長の負担を減らすことに異存はないが、今は如何せん少し休みたい。
     ジンが口を開くより速く、わざと明るくガイアはまくしたてる。
    「いや~、災難な日、……いや、災難な週だった! なあ、分かるだろ、ジン。迷い猫探しで城内を駆け回って、長雨のせいでの崖崩れで地形が変わって、部下が連続失踪事件に巻き込まれ、挙句死体で見つかるなんてな! 前の村一つ焼き尽くした火事の処理とどっこい、いや、それ以上に大変だった! 飲まないとやってられそうにない! お先に失礼するぜ。俺みたいな勤労者のためなら、さすがのディルックだって、日の高いうちから酒を出すことを渋らないはずだからな」
    「ガイア」
    「聞かないぜ? 退勤だ。追加の任務なら明日以降言ってくれ」
    「頼みたいことはあるけれど、追々で構わない。……騎士団だって、そんなひどい顔をした者に任務を振るほど切羽詰まっていない」
    「そんなか? 男前だと思うんだがな」
    「私がディルック先輩だったらホットミルクを出すよ。……アランの葬儀の手配はこちらでする。それから、彼の腕のことだが」
     ガイアの眉がぴくりと動く。
    「調査を進めよう。現状は何も分からない、が、早晩君に頼むことになると思う。そのときはよろしく頼む」
    「ああ、了解だ。……じゃあ今日のところは失礼するぜ」
    「ゆっくり休んでくれ」
    「ありがとな」
     分厚い扉を開こうとしたガイアは、ああ、と呟き踵を返す。
    「忘れるところだった! ジン、これの承認も頼む」
     とん、と紙切れを書類の山に載せる。
     ガイアはクレーと一緒に反省室に入れられる日々から学んだ有意義なことが一つある。
     都合の悪いことは、一番最初に言って反省を示すか、最後に言って逃げるかの二つに一つ。言わないのはいけない。一番怒られるから。
    「なんだ?」
     ジンは首を傾げ紙切れを手に取った。ペラリと捲る。
     それは剣の破損届。
    「今度こそ安物じゃない鋼で作ってくれ! じゃあな!」
     言い捨ててとっとと退室する。
     閉じた扉の向こうから「何本目だ⁉」と叫ぶ声がした。
     四本目だ。全て、安物の鋼しか使えない騎士団の予算不足のせいだ。ガイアはこっそり舌を出した。

    ***

     相変わらずの仏頂面のディルックは『午後の死』を音もたてずにカウンターに置いた。
    「ありがとな」
     ガイアが手を伸ばそうとすると、グラスをスッと引く。
    「話したいことがある。君が酔ってしまう前に」
    「一杯程度で酔うわけないだろ。それで酔っぱらっちまうのはお子様かお前くらいだ」
    「ふうん……? 僕は今後一切君に酒類を提供しないことだってできるんだよ、ガイアさん」
    「酒を人質にとるのか? 悪質だな」
    「そうでもしなきゃ君は話を聞かないから」
     はあ、とガイアは溜息をつき、耳の高さでひらりと手を振る。
    「こーさんだ。いいぜ、話せよ。でもなるべく手短にな」
    「長い話じゃない。君が良い聞き手ならばね」
     ディルックは視線をすい、と店内に滑らせる。
     西向きの窓からは橙の光がゆるゆると差し込んでいる。陽はまだ落ちきってはいないが、気の早い者たちは今日の仕事を終いにして酒精に浸っている。テーブル席は既に盛り上げりを見せ、声が大きい。
    きっとこれならばわざわざ声を低くする必要もないだろう。しかし万一のこともある。ディルックは不自然にならない程度に身を倒し、カウンター越しにガイアの耳元に口を寄せた。
    「祓者の会については、騎士団の耳に届いているか?」
    「祓……なんだって? 名前からすると稲妻の何かか?」
     ディルックは呆れたように言う。
    「相変わらず情報が遅いみたいだね」
    「で? 皮肉が言いたかっただけか? 違うだろ。そいつらがどうかしたのか?」
    「ガイアさん、死者は生き返ると思うか?」
    「……はあ?」
     ガイアは思わず大きな声をあげた。しまった、と視線を伏せる。幸いにして賑やかな店内では誰も二人の会話など気にしてはいない。ディルックだけが不機嫌そうに睨んでいる。
    「……悪かったって。あまりに馬鹿馬鹿しいから。しかし、なるほど、祓者の会は……」
    「そう、彼らは死者の蘇生を謳っている」
    「冗談みたいだな」
    「僕はこんな冗談は好かない」
    「はいはい。冗談じゃないんなら、相当イカれた組織だな。なにせこの世は死んだら終いだ。本当に死者が生き返る方法があるんだとしたら、璃月で仙人になるかスメールで論文でも提出すればいい。モンドでみみっちいことをするんじゃなくてな」
     ただ、とガイアは続ける。揺れるピアスが陽光を反射した。
    「ただ、言ってるだけなら狂人の妄言だ。放っておけばいい。騙されるほうも悪いしな。……でも、お前が気にしてるってことは、何か裏があるんだな。本当に生き返る、とか?」
     半笑いでガイアが言う。
     死者蘇生を謳ったところで、本当に生き返るわけがない。しかし、本当に生き返るのなら、それは大問題だ。
     ディルックは首を振る。
    「それは、さあ、どうだろう。分からないけれど。君、先月の火事を覚えている? 星拾いの丘の村の」
    「村一つ焼き尽くしたやつだろ。当然だ」
    「あれが……」
    「ディルックさん、注文いいかい?」
     テーブル席の方で手が掲げられている。ディルックは硬い表情を若干和らげて頷いた。
    「……注文取りに行く前に酒返せ」
    「はいはい」
     返された午後の死を呷る。待ち焦がれたアルコールが喉を焼く。注文を取るディルックの揺れる後ろ髪をぼんやりと眺めた。
     戻ってきたディルックがシェイカーを振りながら言う。
    「……やっぱりここは長話には向かないね。後で君の部屋に行って話すから寝ずに待っているように」
    「はあ? 横暴だろ。お前の話が長いのが悪いんだ。こちとら寝たいから飲んでるのに」
    「……さっきも言ったけど、本当に今後一切ノンアルコールにするよ? 酒を睡眠薬代わりにしないでくれ」
    「してない。仕方ないだろ、手足が冷えやすくて寝づらいんだから。炎元素使い(お前)には分からないだろうけど」
    「健康的じゃないよ」
    「うるさいな。お前がその気ならキャッツテールの方行くからな」
    「好きにしたらいい。ディオナにも口添えしておくから」
    「陰湿だ」
    「なんとでも。……とにかく、寝ててもいいけれど、起こすから」
    「はあ……。分かったよ。それだけ急ぎの話なんだな? じゃなきゃ本気で恨んでたところだ」

    ***

     ペン先が引っ掛かり、ガイアは報告書を書く手を止めた。
     騎士団で行方不明になっているのはアランだけではない。数週間前から失踪者が相次いでいる。
    うち何人かは足抜けだ。刻一刻と近づいている天理との戦争を恐れてのことだろう。神の目を持つ者もそうでない者も、騎士団員であれば矢面に立つことになる。
    しかし、アラン含め、それ以外の者たちは、複数回の遠征を超えてきた勇敢な騎士だ。士気に関わるため公表は控えているが、何らかの事件の影があるとジンとガイアはふんでいる。
    羽ペンを置き、凝り固まった体をぐっと伸ばす。酒のおかげで温まった体はすっかり冷えてしまったが、脳にうっすらと眠気が広がっている。まだ処理するべき書類は残っているし、ディルックも来ていないから、ベッドに潜り込んで今日を終えてしまうこともできない。
    立ち上がり窓を開ける。
    冬の終わりの冷たい空気が侵入し、部屋と身体と脳を冷やし、覚醒させる。
    気味が悪いほど美しい満月は、丁度頂点を超えたところだ。
    ドアノッカーがコン、と鳴った。木製の薄いドア越しにくぐもった声。
    「僕だ」
    「鍵は開いてるぜ」
     部屋に入ったディルックは眉をひそめて言う。
    「不用心だ」
    「お前以外に誰も来ない」
     闇に溶けこむような黒の上質なコートを脱いだディルックは身震いする。
    「部屋が寒いから身体が冷えるんだよ。窓、閉めるからね」
    「さっき開けたばっかだぜ」
     ガチャン、と無慈悲に窓は閉められる。
    「じゃあ部屋が悪い。引っ越した方がいい。ちゃんとした暖炉のあるところに。引っ越しやすいだろう。相変わらず物をあまり持ってないんだから」
     ディルックは部屋を一瞥して溜息を吐く。
    「……本当に何もない」
    「書類はある。山積みだ」
     書きかけの報告書をディルックが覗き見る。
    「……アラン、亡くなったのか。無念だろうな。妹がいたのに」
    「おい、あまり見るな。情報漏洩だ」
     ガイアは古びてギシギシうるさい椅子をディルックの方に足で押しやり、自分はベッドの縁に腰かけた。来客を想定していない部屋に椅子は一脚しかない。
    「本題だ。祓者の会、だったよな? そいつらが星拾いの大火に関わっているって?」
    「ああ」
     星拾いの大火。
     ひと月前、モンドの長い冬の真っただ中に起きた、記憶に新しい大火事だ。強風に煽られて、炎は村一つを飲み込んだ。
     騎士団が鎮火と復興にあたったため、ガイアも惨状はよく知っている。住居は皆潰れ、灰燼に帰した。タンパク質の焦げた嫌な臭いが漂う中、炭化した柱や梁を片付け、骨を拾った。
     生存者は、たしか一人。しかし心を壊し、療養所に入れられたはずだ。
    「たしかに、あまりに火の勢いがひどかったから出火元も分かっていないが、じゃあ祓者の会が火をつけたっていうのか?」
    「いや、違うらしい。ただ彼らが関わっている、と」
    「おいおい、曖昧だな。お前は誰からそれを聞いたんだ? 信頼に値するんだろうな?」
    「ロサリアだ。……彼女は、懺悔室で聞いた、と」
    「ロサリア⁉ シスターの本分を果たすこともあるんだな⁉ ロサリアのことは信用する。……でも、懺悔室でなら相手は分からないだろ」
     ガイアは教会の懺悔室に何度か足を運んだことがある。円形の独立した部屋。内部はカーテンのかかった小窓のついた壁で半分に分かたれている。それぞれの部屋には別のドアから入るため、懺悔する者はシスターの顔は見えないし、シスターも相手の顔は見えないはずだ。
    「彼女は、知り様はいくらでもある、と。知っている者は少ないが、壁に小さな穴が開いているらしい」
    「最っっっ悪だ! もう二度と行かない」
     額に手を当て、かぶりを振ったガイアは、で、と言う。
    「誰だったんだ? ロサリア(覗き魔)曰く」
    「フリードリッヒ。……村の生き残りだ」
     大火で自身も火傷を負い、杖なしでは歩けなくなった男だ。現実と夢の境が分からなくなったように譫言ばかり吐いている、と聞く。
     そんな彼が自由のきかない身体を引きずるように教会を訪れ、涙ながらに告解したのだと言う。
     死んだ娘を生き返らせようとした。祓者の会にそれを願った。祓者の会はそれを承諾し、贄を求めた。そのために村は焼け落ちることになったのだ、と。
     ガイアは眉をひそめる。
     生贄とは穏やかではない。しかも、蘇生が真であれ偽りであれ、たった一人のために村一つ潰すほどとは。
     フリードリッヒは凡庸な男だ。大したところはない。学はないが悪心もなく、善良で。この火事さえなければ、凡夫として幸福に生を終えただろう人間だ。モンドには彼のような性質の者はいくらでもいる。
     それはすなわち、——彼の話が本当であるならば——凡夫でも村一つ壊滅させられるような力を手にできるということ。
     公になってしまえば、悪意あるものに利用されてしまいかねない。
    「まさか、蘇生法とか真偽云々より、その過程のほうが問題とはな。……いいぜ、その調査だろ。引き受けた。思った以上に大事みたいだ」
    「感謝する。僕だけじゃ手に余るから」
    「とりあえず手始めに、明日……もう今日か。療養所に行ってフリードリッヒに話を聞く」
    「僕も同行しよう。君からの報告を待つのは二度手間だからね」
    「いいぜ。……ああ、でも、騎士団に寄らせてくれ。剣をアイザックに返したいし、一応ジンに祓者の会のことを伝えておきたいから」
    「アイザック……?」
    「お前が辞めた後に入ったやつだよ。まあまあ新顔だが氷の神の目も持ってて優秀だ」
    「いや、彼のことは知っているよ。なんで君が彼の剣を持ってるのかってほう」
    「折れたんだ、俺のは」
    「は?」
    「今日、ちょっとな」
    「ちょっと、で折れはしないだろう」
    「折れたんだから仕方ない。理由は言えないぜ。お前、部外者だからな」
    「いつもは聞いていないことまで喋って僕を巻き込むくせに。まあ、話せないのならいいよ。聞いたって困らせるだけなんだろう? じゃあ、明日、騎士団の前でね」
     ディルックは椅子から立ち上がり、黒いコートを羽織った。まるで昔の兄のような調子で言う。
    「もう窓は開けないんだよ。身体を冷やすから」

    ***

     アイザックに剣を返却し、ジンから「今度は不用意に折らないように!」の厳命の下、新たな剣を拝受した。
     細かな意匠が施された白い柄や、見た目より軽い刀身は、一兵卒用のそれとは異なる。物資も不足しているだろうに、一日足らずで新たなものを揃えてくれたのは、ひとえにジンがそれほどに己を買っている、ということだ。感謝を述べると、「当然だ」とジンは満足そうに頷いた。
     兵舎の外に出る。
     冬の終わりの金色の日差しの下、す、と姿勢のいいディルックが立っていた。眩しそうに目を細めている。
    その陰には沈痛そうな面持ちの少女とシスターがいた。少女は栗色の巻き毛に、翠眼を涙で潤ませている。陰に溶けこむような黒い髪をしたシスターは、屈みこんで少女の背に手を添えている。
    衛兵たちは気まずそうに三人に視線を向けては逸らしている。
    泣きそうな少女をどう扱えばいいのか分からないのだろう。ディルックはただ立ち尽くし、せめて、と言った具合に日差しを遮る役になっていた。
     ガイアに気が付いたディルックが「ガイア」と呟いた。
     少女はパッと顔をあげ、暗い表情を僅かばかり明るくしてガイアに駆け寄る。七、八歳だろう。その身長はガイアの胸ほどもない。潤んだ瞳でガイアを見上げ、「騎兵隊長さん?」と問う。
     ガイアは膝を折り、少女より低い目線になる。
    「騎兵隊長、ガイア・アルベリヒだ。君は……」
    「エリーゼ・クルツ。……アラン・クルツの妹です」
    「アランの……」
     衛兵の視線の理由にも納得がいった。
     ジンによると彼女はここ数日兄の安否を尋ねに毎日騎士団に来ていたのだという。
     エリーゼの丸い目の端は涙の跡で赤くなっていた。既に兄の訃報は彼女の耳にも届いているらしい。ガイアは声を落として言う。
    「アランを生きているうちに見つけられなくて、すまなかった」
    「いえ……」
     目を伏せ、鼻をすすったエリーゼは、しかしその幼さを全く思わせないほどの気丈さで顔をあげる。
    「いいえ。兄をモンド城に連れ帰ってきてくださって、私はそれだけで十分です。……父と母は、骨も残してくれませんでした。船が転覆したので」
    「そうか……」
    「今日は、お願いがあって来ました。兄を家に連れ帰りたいのです。葬儀は騎士団の方々が手配してくださると聞きました。どうか準備が整うまで、兄と時間を過ごしたいのです」
    「それは……」
     ガイアは言葉に詰まる。
     本来であれば許してやりたい。
     死体の損傷が酷い場合は原則騎士団預かりになるが、それでも遺族がどうしてもと言えば家に帰してやるのが通例だ。
     しかしながら今回は訳が違う。アランの腕の変異は原因が分からない。伝染性の病の可能性だって捨てきれない。
     ガイアはゆっくりと首を振る。
    「悪いが、それはできない」
    「どうしてですか? 私は兄がどうなっていようと大丈夫です。顔が潰れていようと泣きません! 覚悟しています!」
     エリーゼはガイアに縋り訴える。
    「せめて、一目会わせてください! 兄が……兄が灰になってしまう前に! 私が兄の姿を忘れないように!」
    「すまない……。俺だってアランに会わせてやりたいが、事情がある。俺ではどうしようもできないんだ」
     低い、大人の女性の声。
    「——では、その事情をお聞きしても?」
     驚いたガイアが顔をあげる。
     先ほどエリーゼの背をさすっていたシスターが影のように立っていた。間もなく修道院に入ることになるエリーゼの世話をしているのだろう。赤い唇を微笑みの形にして、ゆっくりと言葉を紡ぐ。
    「シスター・ロウファです。……エリーゼはその事情を聞く権利がある、と思うのですが、どうでしょうか」
    「……機密事項だ。家族であっても明かせない。少なくとも今は」
    「ではいつ明かせるのでしょうか」
    「……調査が終われば、だ」
    「その時にはアランは既に埋葬されていますね」
    「そうだ。……だから、エリーゼをアランに会わせることはできない。……きっと、葬列で顔を見ることは叶うだろう」
    「あなた方にそのような権利があると?」
    「市民の安全を守ることが俺たちの義務だ」
     ディルックが近づきロウファに声をかける。
     エリーゼが涙をぬぐい、ロウファの裾を引く。ディルックとガイアに一礼し、エリーゼは涙を拭って逃げるように去った。
    「……会わせられないのか」
    「そうだ。お前にも言えないけれど。……参ったな」


    ***

     くたびれた灰色の石造りの療養所。十分に寄付は受けているし、予算も割かれているが、物寂しく、全体的に疲れ切った雰囲気だ。
     錆びたドアノッカーをディルックが叩く。
     不機嫌な返事で出てきた白髪交じりの女は、ディルックの炎髪を見てラグヴィンドの人間だと気付いたのか、気まずそうに目を伏せ「失礼しました」と口の奥で言った。
    「いえ、こちらこそ朝早くに失礼しました」
     少しも気分を害していない風に——実際にディルックは他者の些細な言動は意に介さないが殊更そういう風に——言う。
    「僕たちはフリードリッヒさんに会いたいのだけれど……彼はいるだろうか」
     女は黄ばんだ綿のエプロンで手を拭いながらへつらう様に笑う。
    「フリードリッヒさんは、この時間なら、中庭のベンチに。……でも、あんまりラグヴィンドの旦那様のお役に立てるようなことは話せませんよ。気が触れていますから」
    「ありがとう。大丈夫だ、大したことは聞かないから」

     空気の滞留する中庭は、湿った洗濯物の臭いがした。だからだろう、一人しかおらず、彼がフリードリッヒだとすぐに分かった。
     繰り返し洗っているせいで褪色したサイズの合っていない綿のシャツを着て、ベンチに浅く座り、背もたれに身体を預けている。今にもベンチからずり落ちそうだ。ガラス玉のような瞳はどこも見ていない。
     彼をちらりと見たディルックがガイアに囁く。
    「君が話してくれ。僕は愛想がないみたいだから」
    「愛想でどうにかなるかね」
     ガイアが近づく。
     目の前にしゃがみ込み、「お前がフリードリッヒだな」と声をかける。フリードリッヒは彼の世界にガイアなど存在していないかのように、一切注意を向けていない。
    「火事のことは本当に気の毒だった。少し聞きたいことがあるんだが、いいだろうか」
     無言。ガイアは構わず続ける。
    「懺悔室に行ったんだってな」
     無言、しかし、力なく垂れていた指先がピクリと動いたのをガイアの左目は見逃さなかった。
    「死者蘇生、生贄、祓者の会。……なあ、随分キナ臭いところに関わってるみたいだな、お前」
    「……」
    「だんまりか? ずるいぜ。だって、アンタ」
     ガイアは片方の瞳で睨みつける。
    「狂ってなんかいないだろ」
     弾かれるように立ち上がったフリードリッヒの身体が傾ぐ。控えていたディルックがその肩を支え、ベンチに座らせた。
    「火傷を負ってるってのは本当みたいだな」
    「ガイア、言い方。……フリードリッヒ。僕らはあなたに危害を加える気はない。話を聞きたいだけだ。分かるね?」
     青ざめた顔で、フリードリッヒは力なく頷いた。震える唇を開く。
    「なんであんたらが知っているんだ……」
    「はあ? お前が自分で言ったんだろう? なあ、ディルック」
    「ああ。僕もロサリアからそう聞いている」
    「ロサリアだって⁉」
     そんなはずはない、とフリードリヒは呻くように言った。
    「……じゃあ誰がいるはずだったんだ」
     ディルックが問う。
     フリードリッヒは貝のように黙り込み、決して口を開こうとはしなかった。

    ***

     埒が明かないので、一旦無人のエンジェルスシェアに戻る。呼ばれたロサリアもいる。
     遠くに讃美歌が聞こえる。
    「いいのか、練習に出ないで」
    「ラグヴィンドの旦那様と騎兵隊長様に呼ばれているのよ。泣く泣く抜けてきたの」
     これは迷惑料、と、勝手にワインを注いだグラスを傾ける。
    「で、フリードリッヒは誰か特定のシスターと話したかったてわけ?」
    「ああ、そうらしい。懺悔室の担当は決まっているのか?」
    「当番制で担当の日時が割り振られているわ。表もある。だって、カーテンの向こうに誰もいなかったら困るじゃない」
    「神がおわすだろ」
    「いないわよ。残念ながらね。……でも、担当は固定じゃないわ。週ごとに変わるし、外部に今日は誰が聞きます、なんて言わないから、関係者以外知らないと思うけど」
    「ロサリアはその日当番だったんだな」
    「……」
    「違うのか?」
    「違う。私、勝手に当番を入れ替えたのよね。シスターサシャが当番表を作るのだけど、その周知を預かったときに、月曜の昼間を私に書き換えたの」
    「なんでまたそんなことを」
    「月曜の昼は聖堂に集まって合唱の練習をするの。……知らないでしょうけど、本当につまらないし時間の無駄。それなら懺悔室にいた方が合法的にサボれるもの」
    ディ「フリードリッヒは本来、その時間にいるはずだったシスターに祓者の会のことを伝えたかったのか……? ロサリア、誰と交代したか覚えているか?」
    「いいえ」
    「じゃあ、フリードリヒの話は? もう一度話してくれないか」
    「あんまりしっかりは覚えていないわよ。真面目に聞いていた訳でもないし。……約束は果たした。もう一度カタリナに会わせてください。約束は果たしました。次はそちらが契約を履行する番だ。……神よ、我が罪をお許しください。……そんなところね。カタリナは、少し前に亡くなった、フリードリッヒの娘よ。……彼が火事で生き残って療養所にいることは前々から知っていたから、あまりにキナ臭い話でしょ。だから『祓者の会』と『約束』についての推測をディルック(あなた)に共有した。以上よ」
    ガ「懺悔……か? そうかもしれないが、聞きようによっては報告じゃないか?」
     自分の現在の状況を、どこまで進行しているのかを報告し、相手の次の行動を待つ。……もしロサリアではなく、正しく、伝えたかった相手にそれが伝えられていたら、何かが起きていたのではないか。フリードリッヒが中庭から動かなかったのは、それを待ち続けているからではないか。そして、本来フリードリッヒから〝報告〟を受けるはずだったシスターも、未だに懺悔室で彼が〝報告〟に来るのを待っているのではないか。
    ガ「なあ、ロサリア。月曜の昼は、合唱の練習なんだよな? ほぼ全員……お前みたいなサボり魔以外が参加する」
    「ええ、そうよ」
    ガ「じゃあ、懺悔室周囲にも人はいないんだろう? 万一にも他のシスターに聞かれることもない。……そいつ、その日だけじゃなくて、毎週そのタイミングで入ったりはしていないか? 祓者の会の者同士が顔を会わせずに、シスターを介して情報を連絡することができる」
    ディ「……祓者の会の理念は、教会の信仰と相容れない。……ゆえに、足しげく協会に通っている者は、祓者の会員と疑われることもない、か。あり得る線だ」
     外からかすかに、朗々とした歌声が聞こえる。今日は月曜だ。
    「……ちょっと。そんな目で見ないで。今日はサボりじゃないわよ。あなたたちが呼んだの」
     三人で相談して、懺悔室を確認しに行く。誰が連絡係のシスターか確かめるために。
    ガ(しかし……毎週決まった時間に入るとなると。当番を決めるシスターサシャも一枚噛んでいるかもしれないってことか。なかなか内部まで入り込んでいるらしい。いつの間に? ……一筋縄じゃいかないかもしれないな)

    ***

     途中でロサリアが「あなたまたサボってるの⁉」とシスターサシャに呼び止められる。二人に「行け」と合図するロサリア。デとガの二人で懺悔室のある聖堂に行く。
     薄暗い堂内。飛び出してきた少女とぶつかりそうになる。暗くて顔はよく見えない。
    「悪い。大丈夫か」
    「大丈夫です!」
     少女は逃げるように去る。
    ディ「場所が場所だ。あまり顔を見られたくない人もいるだろう」
    ガ「彼女も祓者の会員かもな」
     懺悔室の前。片方の部屋には既にシスターが控えている。ディルックにそちらの扉の前で待つように手で示して、ガイアは懺悔室に入る。
     神を信仰しちゃいないが(だって神は故郷を滅ぼした! それに最近は正体が飲んだくれだと知ってしまった)、己に罪深いところがありすぎるから、幼いころは懺悔室をよく訪れていた。
     会話を始める。
    「生き返らせたい人がいるんだ」
    「それは神に願うことではないでしょう」
    「じゃあ誰に願えばいいんだ」
    「……ここであなたが話すべきは罪の告解のみです。私はその質問には答えられません」
    「でも。ここでは死者を生き返らせることができると聞いた」
     声が途切れる。少し考えているようだ。
    「……誰から?」
     フリードリッヒ、と言おうとして少し考える。彼は先々週、報告ができなかった。……いや、した。彼はしたが、ロサリアが聞いたためにそれは為されなかったことになっている。彼は、祓者の会にとって、離脱者、あるいは裏切り者になってはいないだろうか。ここで彼を出すのは適切だろうか。脳裏に浮かぶのは少女。いや、それも確実ではない。
     声は再び「誰から?」と問う。ガイアは乾いた唇を舐め、一つ呼吸をして言う。
    「フリードリッヒ」
     カーテンの向こうで溜息。
    「で、誰を取り戻したいの?」
     考え込む。部下は多く死んでいるが、あまりに他人すぎる。不適切だろう。
    「父だ。事故死した」
    「……彼はあなたに正しく伝えなかったようね。反魂の術は死体がないとできないわ。残念だけれど」
    「そう、か」
     このまま相手が誰か突き止められないまま会話が終わってしまいそうだ。
     ふと考える。
     なぜ、あちらのシスターは父が亡くなって久しいことを知っている? 彼女は、こちら側にいるのがガイアだと気付いている。なぜ?
     もし反魂の術が叶うのならば、それをダシに引き留められるだろうが、できない場合は。インチキだと言いふらされると困るのではないか。
    ——俺であれば。脅すか殺すかして口を封じる。それくらいはやる。
     そうだとすれば、あちらも相手を特定する必要がある。そして、一般には知られていないが、それを容易に可能にするのがロサリアの言っていた覗き穴なのだろう。
     ガイアは身を屈め、ロサリアの言っていた穴から覗く。
     暗くて何も見えない。塞がれている?
     ——違う。
     相手も俺を見ている‼
    「ディルック!」
     叫ぶとほぼ同時にシスター側の扉が勢いよく開く音。
     ガイアも慌てて外に出ると、ディルックが若い黒髪のシスターの腕を掴んでいる。
    「シスター・ロウファ……」
     唸るようにディルックが言う。ロウファが力なく項垂れる。絹のような黒髪が、青ざめた面を隠している。

    ***

     ロウファを座らせ、尋ねる。
     私も詳しくは知らない、と前置きしてロウファが語る。
     生き返らせる、というよりは、魂を呼び戻し、肉体に戻すものだということ。それゆえ、(極論本人の身体である必要はないが、)肉体が必要であるということ。
    ディ「……モンドの火葬文化とは合わないな」
     ゆえに、死者の蘇生を望む者は「燃やされる前に」という短い期間で決断を下さねばならない。それは、思考力を奪う術でもある。
     大事な人を失った者にすぐに近づき、甘言で惑わす。それにシスターの身分は最適だ。
    ディ「それなら、フリードリッヒの村の人々が亡くなったのは?」
     フリードリッヒの告白通りに、生贄となった。魂魄を黄泉から引き戻すための鎖として他者の命がいる。代価なしにできることはこの世界にはない。
     (★魂が肉体を形作る→ヒルチャールの魂を使うと身体がヒルチャール化する)
     ロウファの身柄は騎士団に引き渡すことにする。
    ディ「君は父さんを生き返らせたいの」
    「でまかせだ。それに、無理みたいじゃないか」
    「もし可能だったら、君はそれを望んだ?」
    「さあな。もしものことなんて考えられない」

    ***

     騎士団に戻り、ロウファを引き渡す。
     エリーゼがアランを生き返らせようとしているのでは? の話し合い。
    ガ「考えすぎ……だといいんだが。今、祓者の会が目を付けているのはエリーゼじゃないか?」
     彼女は修道院に入ることになっている。それゆえにシスターが寄り添っていても誰も不思議には思わなかった。
    彼女が兄に会いたがっていたこと。兄妹ならば不思議ではないことだ。
    全部、正当な理由があるように思われる。ゆえに、考えすぎといえばそうだとしか言えない。
    だが、全て、祓者の会の手で兄を生き返らせるためだった、と。
    シスター・ロウファが祓者の会の者であったこと。それによって全てが違う様に説明され得る。
    エリーゼは、『兄の死体』に会いたがっていた、と。
    『兄の死体』を手元に置く必要があったのだ、と。
    ディ「とりあえず、僕もアランに会わせてもらっていいだろうか」
     ジンが呼び止める。
    「ガイア! ……それに、先輩も。一緒に聞いてほしい。ガイアの部下のアランが殉職したことはご存じだろうか」
    「ああ、聞いている。丁度、彼に会わせてもらいたくて。君の許可を取ろうと思っていた」
    「そうか。もちろん許可する。……ならば、ガイア、彼にもアランの事情について話してもいいだろうか。知恵を借りたいんだ」
     ガイアが首肯する。
    「力になれるかは、分からないけれど」
    ジン「発見時、彼の右腕に異変があったんだ。……ヒルチャールと同じ生体組織になっていた」
     ディルックが息をのむ。
    「奇妙だろう? アルベドに確かめてもらったから間違いない。あの腕に接合痕はなく、間違いなく、『人間の腕がヒルチャールの腕に変異した』としか言えないそうだ」

    ***

     アランの死体を見るディルック。発見時の状態を教えてほしい、と言う。
     ガイアが状況を語る。大腿部の負傷で動きが鈍ったところを追撃され、胸を突かれたのだろう、と考察を述べる。
    「おかしなことを言うようだけれど……おそらく彼は、二度死んでいる」
     ディルックの考察。
     祓者の会を蘇生を試みる際、人間を生贄に使うと言っていた。
     人間の代わりにヒルチャールを使ったらどうなるのか。
     魂が身体を作るのならば。
     魂にヒルチャールが混入したのならば。
     身体がヒルチャールと化すこともあり得なくはないのでは。例えば、アランの右腕のように。
     胸に受けた傷のほうが先だ。そちらの方が乾いていたのだから。
     だから、例えば、アランはなんらかの理由で胸に疵を受け、死亡した。そして、ヒトの代わりにヒルチャールの魂を用いて生き返らされたアランは、己をヒルチャールだと思い込み、集落に向かう。だが、見た目はほとんど人間だ。当然のようにヒルチャールに追われ、大腿に傷を負い、這う這うの体で逃げるが、発見された場所で力尽き、二度目の死を迎えた。
    ガ「妄想がお上手だな。馬鹿な話はやめろ」
    ディ「荒唐無稽だ。分かっている。けれど……人が生き返る、という前提があるから、そこまで狂ってはいないだろう」
     ガイアはにわかにアランが怖くなって後ずさる。
     じゃあ、なんなのだろう、こいつは。
     怪物(ヒルチャール)ではない。
     けれど、きっと、人間でもない。

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