初めて彼を見たのはインターハイの試合の時だった。日本の高校バスケで日本一の選手がアメリカに行きたがっていると連絡があって、あまり期待はしていなかったが、スカウトマンとして品定めの為に来日した。みんな同じ髪型で誰が誰やらと見極めが難しい中、それでもさすがは名門校。レギュラーを取るだけの選手達はそれなりのプレーをしていた。その中で唯一、目を奪う存在がいた。一番、というわけではない。でも彼の動き一つで周りの選手が光ってくる。的確なパスと、シュート数は少ないが確実に決める正確さに、中からも外からも打てる柔軟さ。でも、目を奪われたのはそこじゃない。人を惹きつける魅力。しなやかな体に汗が光って艶が溢れる。あまり表情を変えないが、だからこそ、一瞬綻ぶ瞬間が堪らない。プレーは派手じゃないのに、目が離せない。気づけば、無我夢中でその子だけを追いかけていた。
見つけた、この子が欲しい。
「綺麗だな」
思わず、独り言のように声に出る。
隣で部下の「そうですね」という言葉が入ってきて、そう思ったのは自分だけじゃない事を知る。魅力がある人間は誰の目にも惹きつけられてしまう。人生をそれなりに生きてる人間なら、尚更それに気づきやすい。
権力者が好みそうだな。
多分、自分もこれが仕事じゃなければ、いろんな手段を使って手に入れるだろう。でも、それをしてしまうと、この子の魅力が無くなってしまう。自然なままの彼がいい。欲しいけど、今回の目的はプレーとして一番の選手。見るべき相手が違う。仕方なく視線を変えるが、やはり片隅で追いかけてしまう。誰か一人の選手に対して期待する事はあるが、“焦がれる”のは初めてかもしれない。欲しいと思いながらも、すぐにそれは諦めて、仕方なく仕事としての責務を果たした。
次に彼を見たのは、クラブハウスのカフェテリアだった。エージの声がいつもより大きくて、おまけに日本語で話している。他の選手も家族や友人を連れてくるから、いろんな言語が飛び交う場所だが、日本語を聞くのは珍しい。ただの興味本意で振り向けば、目の前に花が咲き乱れた。
あの子だ。
目を奪われるのはこれで二度目。
少し髪が伸びて、大人びた雰囲気がまた彼の良さを引き出していた。どうやらここにはエージが連れてきたらしい。カフェテリアで会うスタッフが興味本位で声をかけていて、その度に嬉しそうに紹介している。誰も彼が日本ではそれなりの名前が通ったプレーヤーという事を知らずに、彼の雰囲気だけで人が寄ってきている。人を惹きつける魅力は学生の時以上に増していて、これは他がほっとかないな、と嫌でも思い知らされる。喋ったこともないのに、他人が寄ってくるのが気に入らない。自分のパートナーだったら、嫉妬で何処かに閉じ込めている。スカウトマンからGMになった今の立場なら、この場で彼を呼び出して誰もいない部屋に連れて行ける。やっぱり無理をしてでも日本で声をかけておけばよかったと、こうやって再び見つめる事ができた今、改めて後悔した。エージが私に気づいて手を振っている。自分のものを紹介したくて仕方がないという感じで、こっちに来いと手招きしている。その招きには喜んで応じよう。彼を近くて見る事ができるのは、今の自分にとっては、ここ最近では味わっていなかった、最高という名に近い喜びかもしれない。向かう足が思ってる以上に速度を増して、浮き足立っているのが分かる。目の前まで行けば、遠くで見ているよりも妖艶で、彼の世界に吸い込まれそうな感覚に陥った。周りに人がいることも忘れて、彼の姿だけが目に映る。少し垂れた瞳が私を見つめて、思わずその目元にキスしたくなった。
「ノア、この人ね、俺の高校の先輩で深津一成さん」
エージの声で現実に引き戻されて、夢から覚めた事に少し苛立ちを覚えた。
「一個上で山王のキャプテンしてた人。三年間レギュラーだったから、試合見てたら見たことあるかも」
知ってるよ。
初めて見た瞬間、一瞬で心を奪われたから。
「深津さん、この人ね、俺をスカウトしてくれたノア・テイラーさん。みんなノアって呼んでる。今はGMになったから、かなり偉い人」
「初めまして。君の事、試合で見たよ。いいプレーをするよね。エージがいなかったら君が欲しかった」
「なっ、ちょっと、マジでっ⁈」
自己紹介をして握手を求めて手を出したのに、エージが私の言葉に反応して喋るから、エージと話してると思われたのか、握り返してくれなかった。
「…深津一成です」
それでもずっと出してることで、自分が握手を求められる事に気付いたのか、やっと手を握ってくれて、英語で話しかけたのにちゃんと名前を言ってくれた。綺麗な厚みのある唇に釘付けになって、今度はその唇にキスしたくなった。
「一成…カズって呼んでもいい?」
手を握ったまま問いかけると、なんとなく言ってる事が分かったのか「ピョン」と返ってきた。どういう意味なのか分からないけど、響きとか言い方とか全部彼に合っていて、凄く可愛いと思った。
「いつまで手ェ、握ってんの。もう離してっ!」
無理矢理エージが腕を掴んで、その手を剥がされる。せっかく触れられたのに残念だ。そのまま指を絡めて手を離さず、何処かに攫ってしまえたらどんなに幸せか。この歳でそんな想像をしてしまえるくらい、彼は魅力に溢れている。エージの態度で恋人なのはなんとなく察しがついたが、もしあと十歳若ければ、無理矢理にでも奪っていたかもしれない。こんな子が恋人なんて、エージも大変だ。でも苦労すればいい。…なんて、大人気ない考えがよぎった。私より年齢が二十以上も離れてるエージに嫉妬してしまうほど、この子の事が欲しかった。
それからちょくちょく、エージが彼を連れてくるようになった。普段いろいろと飛び回っているのに、偶然そこに居合わせる事ができたのは、運命に近い。彼を見る度、心が躍る。彼が誰かの恋人でも構わない。見るだけでいいから、その姿を近くで見ていたい。そう思うようになったのは、エージがカズをアメリカに呼び寄せる提案をしてきた時だ。一瞬で彼のいる生活を想像すると、私の世界が鮮やかに色づいた。だからエージの提案に乗った。乗ったはいいものの、実際話を進めると交渉は難航した。それは単純にカズの会社の社長が首を縦に振らなかったから。手放したくないのが一目瞭然。やっぱり彼は権力者が好みそうだ。それでも、どうしても手に入れたい。それなりの金額とそれなりの技術とシステムの構築の提供。それで駄目ならやはり人材で。同等の対価を払うなら、それなりのビッグネームが必要だ。最初からエージが話を持ってきてくれてよかった。エージなら十分に交渉材料になる。日本代表のキャプテンでもあるカズの存在は、選手は無論、精神的にも支柱の存在で、NBAプレーヤーにも引けを取らない。それに加えて権力者特有の囲っておきたいという欲求を駆り立てる魅力。両方兼ね備えれば存在としての価値はエージ以上だ。トップに立つ人間はそういう事をよく分かっている。こちらがどこまで譲歩できるか。底を見てこちらの顔色を窺ってくるのは本当に憎らしい。結局、エージとの広告契約が追加されて、やっと二年間の契約まで取り付けた。条件として英語が喋れないカズに、社長の孫であるケイが専属の通訳としてつけられた。娘がアメリカ人と結婚してラストネームが違うから、誰も孫だと気づいていない。カズより一つ下で、エージと立場的には一緒になる事で、カズが気を許せるように仕向けている。例外になくケイもカズのファンらしく、一家でカズを追いかけていて、自分の手から離しはしたが、孫を使いカズの動向を逐一報告させている。厄介な事に、ケイもファンという言葉ではおさまらないほど、カズにご執心だ。カズの横にベッタリとくっついて、全てを見逃すまいという意思が全身から見て取れる。献身的な行動と、日本語が話せる安心感からか、カズはエージの次にケイに気を許していて、あまり遠慮する事なく話をしている。こちらがカズをどんなふうに扱っているのかも全部筒抜けだろう。勿論、会社の大事な社員、何より日本代表でもあるカズを、大事に扱わないなんて事はあり得ないが。それに加えて、カズはあの見た目だ。放っておく人間の方が少ない。誰からも好かれて可愛がられる。だから、手放しても変な虫がつかないように、一番信頼できる身内をカズの側につけた。全て社長の思い通り。見張られているプレッシャーはあるが、ある意味それは都合が良かった。本当にカズに変な虫がつかれては困るのだ。双方が気を張っていれば、トラブルに巻き込まれる事はない。カズに何かあればエージのメンタルにも影響するし、それは私個人にとってもマイナスだ。私はほとんど側にいられないから、スタッフからカズの状況を逐一伝えてもらってるが、カズ自身が隙を見せない行動をしていて、これまでこれといった心配事は起こらなかった。だが、カズが来て一年半が過ぎ、周りとの意思疎通もスムーズになってきて、もうあまり心配する事はないと安心していたが、それは大きな間違いだった。勿論、変な虫はついていない。それに対してはみんな常に目を光らせていた。本質はそこじゃない。私が暫く飛び回っている間に、カズの中で何かがあった。月に何度かは姿を見るようにして、時間がある時は食事にも誘っていたが、忙しさと、クラブハウスにいてもスケジュールの都合で四ヶ月間姿を見る事ができなかった。久々にカズの姿が見れると、年甲斐もなく浮き浮きと心躍らせてコートに向かうと、私の体は一瞬で固まった。待ちに待ったカズの姿は、全くの別人だった。顔は明らかにクマを作り、食事をちゃんと摂っていないと分かるほど痩せていた。なんで、こんなにもやつれているのに、周りは気づかない?あまりのカズの変貌にこれに気づかない周りに怒りが沸き起こったが、それはカズ自身が上手く隠してるんだとすぐに悟った。わざと露出の少ない服で隠して、髪の毛は伸ばしたままで、表情を見えにくくしている。それに加えて態度は気丈に振る舞って、やつれている事を悟らせない。特にエージの前では、いつも以上に視線を熱くして、エージはそれにのぼせ上がって、本当のカズが見えていない。それに唯一気づいているのは通訳のケイくらいだろう。会った時からカズを見つめるケイの視線は、自分と同じものだと気づいていた。だからケイは少し離れたところで、カズの事を見ることができる。今も心配と悔しさを滲ませて見つめている。でも、ケイはカズには何も言わない。本当はどうにかしたいと思ってるんだろうが、自分の立場を分かっているし、祖父から何か言われてるのだろう。私の視線に気づいても、こちらがどう行動に出るかを伺っている。結局、私もケイと一緒だ。その場ではカズには挨拶程度の言葉しかかけなかった。カズが必死に隠しているのに、この場で問い詰めるなんて事はしない。私はいつものように行動し、その後、医師に相談した。案の定、カウンセリングを受けるべきだと言われたが、アメリカ人と日本人の考え方は違う。カズが必死で隠して悟られないようにしているのに、素直にカウンセリングを受けるとは到底思えない。だからこちらもカズに気づかれないように行動する事にした。まず、エージが遠征でいない時に契約の事でとカズをオフィスルームに呼び出し、その時に医師に相談して睡眠効果のあるハーブティーを用意し、それを飲ませてどうにか眠りにつかせた。私はスタッフを呼び、カズについて話し合った。みんな、本当に気付いてなくて、カズがどれだけ上手く隠していたのか、思い知らされた。選手と違い、カズは今、コーチとしてこのチームに入っている。健康面ではされるよりする方の立場だ。それが仇となって、カズの変化を誰も気づく事ができなかった。それにはスタッフもショックが大きかった。カズがこうなった原因はどう考えてもエージだ。カズの変化に誰も気づかなかったという事は、それだけ上手く隠していて、カズ自身がそれを知られたくないという証だ。だから、こちらは何も詮索しない。ただ、カズの体調の管理はちゃんとする。エイジの態度はあからさまだから、スタッフはみんな、カズとエージの関係がパートナーと認識してる者ばかりだ。だから、話は早かった。食事はスタッフと摂らせるようにエージとのスケジュールを調整した。睡眠に関してはカウンセリングを受けるしかない。ただ、もし薬を処方されたとしても、本人がちゃんと飲むかは別問題だ。これはこちら側のケアが必要だろう。なるべく栄養価の高いものを自然な形でカズの口に入るように努力した。ケイの日本側への報告がどういうふうに伝わっているのかは分からないが、もう既にカズの存在はうちのチームには必要不可欠で、誰もこんな事でカズを失いたくはない。だが、結果としては、カズは良くならなかった。一度気づいてしまったら、無理をしているのは見てとれた。体は回復しても、心は違う。できればカズをずっとここに引き留めておきたい。でも、エージといる限り、カズはどんどん弱っていく。私達は話し合った。皆んな同じ考えだった。結果、一度、エージと引き離すという結論を出した。これはかなりの賭けだ。エージには確実に影響が出るが、カズにとっても、それがいいとは限らない。もっと悪くなるかもしれない。どう転ぶか全くもって分からない。でもこのままじゃいけないと思った。だから、私達は決断した。そしてそれに向けて動き出した。