深津さんが倒れた。
深津さんがノアと契約して離れるものだと思っていたけど、結局俺も、通訳として一緒に行動することを許された。多分、爺ちゃんとの契約だろう。ノアは思ってる以上に忙しくいろんなところに飛び回っていて、そのアシスタントである深津さんも同じように行動する。日本に行くことになって、深津さんも俺もそれぞれ休暇がもらえて、深津さんは実家に帰り、俺は爺ちゃんのところに行った。休暇の間は深津さんの行動は分からなかった。倒れたと連絡があった時はどうやら深津さんは東京にいて、爺ちゃんの会社にいたノアが一番早く病院に駆けつけて対応した。俺が病院に着いて個室に行くと、ベッドの横にテーブルがあってノアがパソコンを広げて仕事をしていた。深津さんは眠っていて、睡眠導入剤を入れられて明日まで起きないと言われた。ノアを背にしてベッドの横に座って深津さんの顔を見れば、涙を流した跡があった。疲れからくる発作で心配ないと言われたけど、そんな事はないと確信した。多分俺がくる前にノアと話をしたんだろう。何かがあったんだとモヤモヤして、このままだと帰るに帰れなくて、ノアに何があったのか聞いた。案の定、話してくれるはずもなく、それでもしつこく問いただすと、カズのプライバシーの事だからと一喝された。分かってる、分かってるけど、倒れるほどになるまで深津さんがおかしくなってしまった理由を知りたかった。いや、理由なんて沢北のことだって分かってる。ただ何があったのかを知りたかった。
「ケイ、君が心配なのはわかるよ。私もどうにかしてあげたい。でも、私にも分からないんだ。二人の問題、と言ってしまえば、それで終わりなんだけど。ただ、これ以上、カズにこういうことが起きると、私も考えないといけない。だから、私も努力する。プライバシーに踏み込むことは避けたかったけど、ここは私に任せて、もう少し様子を見ていてくれ」
さっき、爺ちゃんにもノアがなんとかするだろうと言われた。本当にそうだ。この言葉で、俺はすでに安心している。
「君も今日は帰りなさい。私が面会時間までいるから」
「えっ、俺もいたい」
「だめだ、私の仕事の気が散る」
「…ひでぇ」
多分、それが深津さんなら、ノアはこんなこと言わない。
「ずっと顔、見たかったのにぃ」
「じゃあ、尚更だな。君がいつ寝ているカズにキスをするか分からない」
そんな事を言うってことは、ノアはもうキスをしたんだろう。自分だけおいしいとこ取りなんて許せない。
「大丈夫だよ。君が考えてることなんてしないから。それより明日は私は来れないから、君が来てくれ」
トップに立つ人間はなんでもお見通しだ。俺の頭の中も、覗き込まれてるみたいに当ててくる。そして、ちゃんとご褒美をくれる。
「じゃあ、明日、面会時間すぐにくるから」
ノアの言った言葉に合わせるように、俺も同じ事を言う。
「先生の話、ちゃんと聞いてね。もしかしたら、体調次第でもう一日、入院かもしれないから」
「はいはい。ノアも無理しないでよ」
「ありがとう、いい子だね」
いい子だね、なんて言われるくらいには、ノアと俺との歳の差は親子くらい離れてる。でも、俺と同じように、ノアも深津さんに対しては特別な想いがある。爺ちゃんだってそうだ。孫の俺とは違う意味で深津さんを大事にしてる。年齢なんて関係ない。この人は男を焚きつける、計り知れない魅力を持っている。早く、早く、前の深津さんに戻って、こっちが釘付けになる程、楽しそうにバスケをしている姿が見たい。今は体を隠してすっかり見えなくなってしまった肌を露出させて、流してる汗を舐めたいと思ってしまう深津さんが見たい。もっと筋肉がついて柔らかそうな肌を見たい。それを全部無くしてしまった原因である沢北は、本当に何をしているのか。あんなにも輝いていた深津さんを、どうしてこんなふうにしてしまえるのか。才能のある人間は、周りを輝かせる事もできるけど、こんなふうに壊してしまう事もできる。きっと壊れる理由なんて分かんないんだろう。でも、それを分からせるために、権力や地位のあるノアがいる。力を持っている爺ちゃんやノアが、きっと元の深津さんに戻してくれるはず。だから、俺はこの人達を信じて、深津さんを支えるしかない。
よし、明日は笑顔で深津さんに会おう。
そう決意して、最後に深津さんの髪を撫でて、痩せてしまった頬に触れ、少し濡れてる目尻にキスをする。こうやって、一生、絶対に触れることのできない深津さんを堪能して、ノアにしてやったりな顔を残し、病室を後にした。