わたしのふんどし.
ここは平安京。人間と妖怪たちが平和に暮らす賑やかな国都。その都の一角に、とある陰陽師の広い屋敷がある。ここの庭院は居心地がいいと誰からも評判で今日も次から次へと来客が絶えない。そうだとしても饗される側も相応の分別、適切な身なりというものがあるはず。
「!?そ、そのお姿は…!」
もう飽きた別のものが食いたいと言って不満をもらす客に数日控えていたが今日こそは朝餉に何としてでも添えようといくら軍艦の準備を進めるため奔走する小白が庭の前を横切ったところ。まだ客間で眠っているはずだった御人が庭先で真裸に限りなく近い姿で通り過ぎた。一言軽い朝の挨拶を述べると手ぬぐいを勢いよく肩から背負うように背中に叩きつける。
なんの躊躇いもなく庭を闊歩するその姿に小白は目を白黒させた後でやっと落ち着きを取り戻し、客人に尋ねた。
「酒呑童子様。庭に露天風呂はありませんが。冬に池で水浴びですか?」
「はは。そうじゃねぇ。これはだな」
一人だけで始まった彼の早朝の試みはそれを目にした他の式神たちの知るところとなり、一時の流行り歌のように別の客人に語られ我も我もとその様子を眺めに来る者や一緒に試す者も出てきて朝の庭院は早い時間から賑わい始める。
「晴明。今日こそお前もやらないか?」
「すまないが、酒呑童子。私は受けている急ぎの依頼があるので失礼するよ。皆ゆっくりここで過ごしてくれ」
小白に皆を頼むとだけ言い残しそそくさと逃げるように家主は屋敷を後にした。
「帝釈天」
「阿修羅?こんな朝早くからどうしたというのだ。……??なぜそんな格好を。風呂に行くのか?」
声をかけられ振り向くと何故かきちんと身支度を済ませ装飾までつけている自分とは違い、友人が裸に一枚布だけで局部を覆う姿で立っていることに気付き帝釈天は驚く。鍛え上げられた身体をこれ見よがしに眼前に曝されては一緒に湯に浸かる間柄だとしても、直視してよいものかと目のやり場に困ってしまう。
「そうじゃない。酒呑童子たちが面白いことをしていて一緒に混ざっていたんだが。お前にも見せたいんだ」
「これは……。なにかの訓練なのか?」
「身体が丈夫になる運動らしい」
冬の寒空の下で皆が揃って裸に布一枚。連れられた帝釈天が目にしたものは思いもよらぬ珍百景であった。皆等しく、何やら手ぬぐいで上下に背中を擦っている。
いくら天人が薄着を好むからと言って慎ましい国柄である天域の間に、このような伝統行事はない。
犬神にいたっては素肌というより毛皮を擦っているようだがたまに絡まってしまうので雀にくちばしで解いてもらいながら参加していた。
「茨木童子。そんなに強く擦って痛くはないのか」
競争でもしているつもりなのか誰よりも早く手ぬぐいを行き来させ高速で同じ箇所を擦り上げる茨木童子に心配そうに帝釈天が声をかける。
「痛いくらいでなければ生ぬるい!これはカンプーマサツと言って乾いた布で身体をこする修行らしい。だがこれしきの特訓など私には造作もないぞ!なぁ!友よ!…………あ゙ッ!!」
「いけない!摩擦熱で茨木童子の身体から煙がっ!髪にまで燃え移っている!」
「ばか擦りすぎだ!」
小さなボヤを手で叩いて鎮火させると、熱傷の痛みに膝をつき崩れ落ちる茨木童子に酒呑童子が背中を確認するが、軽く火傷のように赤くなっていた。
「……ふっ、ふん。こんなものどうということもない」
「涙目で強がるな。小白、冷やすものとガマの油を持ってきてくれ」
「わかりました!」
「まぁあれは悪い見本のようだが。あんな無茶なやり方さえしなければ……ん?帝釈天?どこへ行くんだ。心配しなくてもお前のふんどしは新しいものがここにあるぞ」
何故か無言でこの場をそっと離れようとする帝釈天を不思議に思い、彼の肩を掴んで阿修羅は相手を呼び止める。
「……。考えてみてほしい阿修羅。この布の形状がわたしの体型に合うかどうかということを」
「うん?」
「軽装であることが問題なのではないんだ。非常に素朴で無駄がなく誂え向きのこの体操に適した装いなのだということはわかる。今の貴方も勇ましく立派な姿だとわたしは心から思う。だがこの、ふん……ふっ、ふん……」
「ふんどし」
「そう、ふんどし。このふんどしという装いが何というかその、このわたしの基本精神に沿わないような気がするのだ」
「?俺はどんな格好でもお前に似合うと思うぞ?」
「…………」
「帝釈天?」
無言になった帝釈天は感情を伝えてもこないまったくの無表情で阿修羅を見上げる。顔を逸らすと黙って去って行ってしまった。
「…………」
「追わなくていいのか」
茨木童子の手当てを終えた後で歩み寄る酒呑童子が阿修羅に声をかける。
「でも……何故怒らせてしまったのか俺にはわからない」
「理由がわからないからといって傷ついた親友を放っておくような男だったのか?お前は」
「!」
お互いに力量や心根を認め合う仲である友人の言葉に気付かされ目を覚まされたように阿修羅の瞳に光が宿る。それを見た酒呑童子はニッと笑い阿修羅の背を叩いた。
「あいつのところへ行ってくる!」
その手に勇気をもらったように背筋を伸ばす。屋敷の中に引き返した帝釈天を追い、阿修羅は駆け出した。
「こりゃあ二人は暫くしっぽりで戻ってこねぇかもな」
「しっぽり?しっぽりとは何だ?友よ」
「喧嘩の後の仲直りってのは熱く燃え上がるもんだと相場が決まっている」
「熱く!?戦いか!!」
「なんだ、本当にわからんのか。しょうがねぇやつだな。じゃあ俺様がお前にじっくり教えてやろうか?」
「是非!教えて欲しい!実地で!!手取り足取り腰取り!!!」
「わっ!冗談だっつうの!冗談っ!!」
「そう言わず!身体を張ってこの私とぶつかり合ってほしいぞ!濃密な時間を過ごそうではないか!我が友よ!!」
「ああ!?お前本当にわかってないのかよ!?待っ……!!乗り上げるな!うわぁ!助けてくれ…!阿修羅!!」
「帝釈天様なら善見城に戻ると仰ってましたよ」
屋敷中を探したが帝釈天の姿が見つからず、小白に確認すると既にこの屋敷にはいないと聞かされた阿修羅は、うなだれる。帝釈天のような術は使えない。自分を善見城に戻してほしいと頼んだが、晴明様がいないので無理ですと断られてしまう。
「あ。もうお戻りになられたようです」
「!」
気落ちする阿修羅の横で何かに気づく小白が、人一倍鋭い嗅覚で嗅ぎ分ける。
「というか阿修羅様。小白みたいな毛皮がないんですからそろそろ服を着ないと風邪ひきますよ……って、あれ。もう行ってしまわれたみたいですね」
探し人の早い帰還に阿修羅も気付き彼の所へ向かうため、帝釈天が寝泊まりしている客間を目指した。
「怒っていない」
「だけど」
「本当に。怒っているわけじゃないんだ」
何故急に黙っていなくなったのか俺が何か怒らせたのかと問い詰めるとばつが悪そうに答える帝釈天はそれでも怒っているわけではないと静かに言って阿修羅に返す。
「わたしのわがままで皆と同じ格好が出来ないなんて。そんな自分にがっかりして、幻滅していただけなんだ」
「帝釈天……」
「みんなと一緒に楽しく過ごしたい。本当はわたしも混ざりたかった」
落ち込んだように悲しげな声で珍しく本音を洩らした帝釈天の姿を見て心を揺さぶられる阿修羅は彼に手を伸ばす。
肩を抱いて慰めようとしたが何かが宿ったように急に顔を上げる帝釈天の表情は先ほどまでとは違っていた。
「だがしかし問題はない!自分でも抵抗なく身につけられる装いを考えてわたし自ら細部までをも設計し天域屈指の絹織り職人を結集してわたしのための独創性に満ちたふんどしを創り上げたのだ」
「さすが切り替えが……仕事が早いな!帝釈天」
「上手く仕立てられたと思う。だから、わたしのふんどしをあなたに見てほしくて」
「うん」
彼は自分とは違いとても繊細な感性を持っている。他の者と被るのが嫌で桃色か藤色にしたのかもしれない。色ではなく生地の質感に拘ったのかもしれないと色々想像しながら待っていると帝釈天は帯を解き纏っていた衣を脱ぎ去る。
「これがわたしが考えるわたしのためのふんどしだ。どうだろうか、阿修羅」
少し気恥ずかしそうに自信作をお披露目する帝釈天がまず前の形状を見せた後で裏側にも拘ってみたのだと一回転し阿修羅にそれを見せた。
「!!!」
ドゥゥゥンッ
「阿修羅!?」
自分の姿を観察してから率直な感想をくれるのだろうと思っていた友人が言葉も話さず見せた次の瞬間大きな音を上げて床に倒れ込んだ。ぬりかべのごとく屈強な一枚岩のような巨体が直立を放り出して褌姿の仁王立ちの格好のまま背から倒れ込む衝撃に畳が跳ね上がり、帝釈天の身体も少し浮く。
衝撃による振動がやっと収まった後で慌てて倒れている友人の傍に駆け寄りしゃがみ込んだ。
「どうしよう……頭を強く打っているかもしれない。今何か冷やすものを」
「……待て。帝釈天」
「平気なのか?阿修羅」
「すまん。大丈夫だ」
意識をすぐに取り戻し身体を起こす阿修羅は帝釈天の前に座り直す。
「衝撃で頭に血がのぼっただけだ。打ったくらいが正気に戻ってちょうどよかった」
「あなたを驚かせてしまうほどわたしのふんどし姿はおかしかったのだろうか……」
「そんなことは全くない」
居た堪れなさに目を伏せる帝釈天を宥めるように阿修羅は頬に手を添える。
「思っていたのと少し違っていて斬新だった。だがとても似合っている」
「本当に?」
「ああ。でも何故なのかその姿を他のやつらに見せてほしくないと、同時にそう思ったんだ」
「阿修羅……」
「俺も、わがままなのかもしれないな」
「ひとりじめ……ということ?」
「そう。ひとりじめだ」
「ふふ」
「お前が悩まなくて済むように俺から話す。一緒に、みんなの所へ戻ろう。帝釈天」
蟠りがすっかり解けて笑い合うと二人は手を繋ぎ、絆を再確認しながら共に歩き、皆がいる庭へと一緒に戻った。
「酒呑童子。すまんが出来れば、次は別の遊びに……」
阿修羅が発案者の酒呑童子に声をかけようとすると、彼は先ほどまで持っていたはずの手ぬぐいを放り出し何やら取っ組み合いを始めている。
「……ん?今度は何をしているんだ?」
「絞め技四十八手だ。茨木童子がどうしても教えて欲しいと言うもんでな。なぁ?」
「むぐぐ……!」
遠慮もなく上腕筋で締め上げる相手についには打ち負かされ膝をつく茨木童子を、酒呑童子が見下ろす。
「どうした茨木童子。お前はこの程度で音を上げるのか?」
「なんの!まだまだッ!来い酒呑童子!!」
「そうこないとな!」
「ふははははは!!」
激しくぶつかり合う肌と肌。寒風吹きつける冷え切った空気にも拘らず飛び散る汗に、歓声が上がり見ていた周りの式神たちの中にも熱さが漲る。
「面白そうだな!俺もやる」
それと同様、漢と漢のぶつかり合いと取り巻く熱気に阿修羅は気持ちが高ぶり興奮していた。
この湧き上がる熱さを是非親友と共有したいと目を輝かせ帝釈天がいるほうへと振り向く。
「脱がなくても出来るし。なぁ、帝釈天。お前もこれなら…………ん?」
「帝釈天様なら善見城に帰られましたよ?」
「…………。なぜなんだ……帝釈天」
どんなに時間を共有したいと願っても相容れないこともある。
そう冷静に考え直し、帰って毘瑠璃と蘇摩をお茶にでも誘おうと帝釈天は早歩きで王城を目指した。