古き吟遊詩人の詩
昔々、未だ世界が争いと苦難に満ちていた頃。
璃月の側に崑崙山という山があった。
世界創世の頃より存在し多くの道士、仙人を要したこの山は、魔神戦争において戦場となり死と血と多く吸い込み多くの汚れを抱えた。
誇り高き崑崙山の民達はそれでも移住をよしとせず、仙達と力を合わせ山の浄化を試みたが力及ばず…やがて汚れから魔が生まれたことで壊滅的な損害を受けた。
魔は汚れを撒き散らしながら山の民を殺し、道士をなぶりものにし、仙を食いあさった。
かつては百を越えた仙達は魔との戦いで、一人、また一人と数を減らし…ついに12仙を数えるまでに追い詰められた。
追い詰められた崑崙山の民と仙は、璃月の守護者、七神の一柱岩王帝君モラクスに助けを求めた。
されど、モラクスは璃月の守護者。崑崙山とは縁なき神。
崑崙の使者は三度伏して助けを懇願したが、モラクスは三度使者を退けた。
もはやこれまで。
そう覚悟した崑崙山の使者が別れの挨拶を告げたその時、モラクスの側に控えた幼子が声を上げた。
『岩王帝君は璃月を離れること能わず。されど、人と仙を見捨てるなど他の七神から謗りを受けましょう。なれば、血脈たる我が身が帝君の名代となり崑崙山の民と仙を助けましょう』
モラクスは幼い息子の言葉に驚き、ならぬと声を上げた。
なお幼子は行くと声を上げ、モラクスは重ねてならぬと諌めた。
そのやり取りを三度繰り返し、苦渋の末にモラクスは許しを与えた。
されどされど、いかな岩王帝君と言えど幼き息子を手離す痛みはひとかどならず。出立のときモラクスはなお三度我が子を引き留めた。
しかれど幼子の決意は変わらず…モラクスは別れの最後の時に一粒の涙を流した。涙は結晶となり幼子に与えられた。
拝領した幼子はその涙石を飲み込み…岩王帝君の神力の結晶たるその力でもって幼き肉体はみるみる成長し、立派な若武者となった。
若武者は崑崙山に至り生き残った12人の仙人、これこそ誉れ高き崑崙十二仙とともに魔と戦い、駆逐した。
されど崑崙山の汚れを払うことはかなわず、時が過ぎれば再び魔が生まれ出ることは確定的であった。
再び魔が生まれ昆崙山から溢れることになれば、最初に魔が襲うのは璃月であることは確定的。
若武者は十二仙と合議し、崑崙山を世界から切り離すことを決意する。
それは七神が治める世界との断絶、愛しき父神との永遠の別れであると知っていながら。
崑崙山が世界から消えたその日、璃月の山が震え、地響きは悲鳴の如く響いた。それは岩王帝君モラクスの、最初で最後の号泣の響きであったという。
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(ふーん、先生子供いたんだ)
タルタリヤはライアーを爪弾く少年(正確には少年の見た目をした七神の一柱)をチラ見しつつ、しっかりと聞き耳を立ててその詩を聞いてほんのすこしため息をついた。
空(とパイモン)、アンバー、ウェンティそしてタルタリヤの四人で秘境に挑んだ帰り道、騎士団本部に報告にいくと抜けたアンバー以外で訪れたエンジェルズシェアで、一等高価な酒を奢る代わりに璃月の、いや、モラクスの詩を一曲とウェンティにリクエストしたのは自分なので文句も言えないが、結果己の地雷を踏んだようでタルタリヤはなにやら凹む自分を自覚した。
微塵も叶う可能性がない片想いの相手が、まさかの子持ちだなどとあまり知りたくなかった。またしても積み上げる壁の高さを見上げて、タルタリヤは立ち尽くすしかない。
(初恋は叶わないっていうけど、あんまりだよなぁ)
片思いの相手で初恋の相手、鍾離の姿を思い浮かべながらただため息をつく。そんならしくない自分に気づいてさらにため息をつく。堂々巡りだ。
タルタリヤは璃月の民ではない。それどころか、璃月を傷つけ損なおうとした張本人だ。結果的に阻止されたあげく、逆に利用されたとしても。
つまり、鍾離にとってタルタリヤは無限の博愛を与える愛しき民ですらなく、むしろ彼らを傷つけかねない異物として認識されてもしかたがないのだ。
タルタリヤはそう思っているものの、なぜか鍾離はたびたびタルタリヤを食事やお茶に誘う。特別約束するわけではないが、たまたま璃月の港で顔を合わせたりすると自然と誘いの言葉をかけてくる彼を片想い真っ最中のタルタリヤが断れるわけもなく…下手に踏み込めばこの時間と関係すら壊れてしまいそうでその理由を聞くことも出来ないでいる。
ついでにいえば、タルタリヤは彼から無限の博愛を与えられる璃月の民になりたいわけでもない。そんなものを得るくらいなら徹底的に敵対して闘争、いや、殺しあいをするほうがましである。
(まあ、元とはいえ七神様相手な時点で玉砕以前の話なんだけどさ…)
神に恋するなど、無謀にもほどがある。
神が与える愛は博愛であり、タルタリヤが現在進行形で悶え悩む恋愛や情愛は持ち得ないものだ。
一応今の鍾離の自己申告は"凡人"であるらしいが、その力の一端を知れば知るほど凡人詐欺だとタルタリヤはおもっているし、たびたび巻き込まれる旅人こと空もほぼ同意見らしい。
だからと言ってタルタリヤは異国の聖職者のように神様に一方的に純潔と信仰を捧げるのはまっぴらごめんである。
「あー、飲んだ飲んだ。久々に良い酒だったから飲みすぎたよ。風に当たってそのまま帰ることにする。はい、これそこの詩人と相棒の分の支払い込みね」
タルタリヤこのままでは鬱々と酒を重ねて深い酔いしそうだとみきりをつけ、わざと酔った風な声をだしてカウンターの内側にいた本日のバーテンダー、ディルックにたっぷりモラが詰まった財布を投げて立ち上がった。
「ごちそーさま」
タルタリヤはひらりと手をふって、エンジェルズシェアを出た。
季節は夏を迎えていたが、流石にとっぷりと夜が更けたこの時間は夜風が冷たく心地よい。
タルタリヤは己の中の鬱々とした気持ちもこの風が持ち去ってくれないものかと都合が良いことを考えながら城門を抜け橋を渡る。
璃月方面に向けてしばらく夜道をすすんだところで、後ろから追いかけてくる声に気づいて足を止めた。
「タルタリヤ!」
「おーい!公子!!」
「ん、相棒にパイモン?なにどうしたの?急用?ヒルチャール狩りならいつでも」
「ディルックさんが、タルタリヤは今夜一滴も酒を飲んでないのに酔うわけないって教えてくれたから」
「あんな嘘ついて店を出ていくから、ろくなこと考えてないんじゃないかってディルックの旦那がいってたぞ!」
空とパイモンが勢い言う内容を理解して、タルタリヤはあちゃあ、と自分の軽率さを後悔した。
確かに今夜タルタリヤは一滴も酒を飲んでいない。注文したカクテルは全部ノンアルコールだ。とはいえ、わざと小洒落た名前のものばかり頼んだので周囲の、特にまだ酒を飲めず酒に詳しくない空とパイモンが気づくはずはないと思ったのだが。
そのカクテルを作ったバーテンダーにリークされてはしかたがない。
璃月方面から歩いてくる男。
目深にフードを被り顔は見えないが、背は高く袖からのぞく手首や槍をもつ掌から鍛え抜かれた武人だと一目でわかる。
この時間に一人で出歩くとかわけありか?と自分達のことは棚にあげてタルタリヤが不審に思っていると、フードの男はタルタリヤからみて丁度槍の間合いに一歩足らないところで立ち止まると間髪いれずに言いはなった。
「お前がタルタリヤだな」
「んー?他人に名前を訪ねる時は自分から名乗れってお母さんにいわれなかった?」
「ちょっと、タルタリヤ!」
明らかに挑発的な、侮蔑を含んだ声でいったタルタリヤの態度に空がとめようと声をあげる。
勿論夜道で突然投げつけるような声で名前を尋ねられるのも無礼だが。
が、空の努力むなしくフードの男の殺気が膨れ上がる。そして回答はシンプルだった。
「その命、貰おう」
一閃。
まさに目にも止まらぬ神速で振るわれた槍を、しかしタルタリヤは事前に予測していたこともあり見事に回避する。
「我が父の仇、討たずしてどうして息子を名乗れようか!!」
「あはは…!敵討ちか、いいね!」
「よくない!!って、タルタリヤまさか」
「んー、心当たり有りすぎてわかんね」
「あーもぉぉう!!!」
空が地団駄踏まんばかりに叫ぶが、解決策などまったくみえない。タルタリヤを殺されるわけにはいかないが、かといって襲撃者の大義名分たる父親の敵討ちを止められるめどもない。
それどころか軽薄なタルタリヤの言いように神経を逆撫でされたらしく、フードの男がギッと殺気を強くする。
フードの男と空とタルタリヤを分断するように、ど真ん中に岩の柱が出現した。
あまりにも突然の事に三人とも等しくバックステップで距離を取る。
そんな彼らにさらに怒声が降りかかった。
「そこでなにをしている!!!」
「先生?!」
「」
「ち、父上…?」
「「「父上えええぇぇぇーー?!?!」」」
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「旅人殿とパイモン殿には誠に申し訳なかった」
深々と頭を下げるフードの男、もとい鍾離の息子らしいに
「昆崙山に行ったっていう子か?」
「ほう、詳しいな。もはや伝承も失われたかと」
「バルバ、…ウェンティがタルタリヤにお酒ご馳走されて上機嫌で歌ってて」
「…はぁ、あの飲兵衛詩人め…」
「えーっと、それで、名前はアコさん?」
「え?」
「うん?はは、違うぞ。吾子は我が子という意味の古言葉だ。もう数百、いや千年は昔の話だが、魔から子を守る願掛けのために、元服…ある程度の年齢になるまでは正式な名を着けない習わしがあった。吾子は元服する前に手離したからな、正式の諱もつけてやれなかった」
「いみな???」
「今の名前だと思えば良い。だが、そうだな。いつまでも吾子では格好もつかんか」
さてどうしたものか、と鍾離が思案顔になる。
「諱は昆崙十二仙に頂きました。王(ワン)、と」
「そうか、ではそのように。王」
(名前が"ワン"とか、物凄い期待もあったもんだ。"唯一の王様"…普通に受け入れてるあたり神の子ってか)
ワンは"王(KING)"であり"one=1"のダブルミーニングだ。昆崙十二仙とやらの期待と崇敬が透けて見えるようだった。
それは、タルタリヤが知らない鍾離の顔だった。父親の顔だった。
それに気を悪くするとかどうかしている、とタルタリヤは自分自身を罵りたい気分だった。
タルタリヤにとって、家族は、父は、母は、兄弟は何よりも大事なものだった。ならば鍾離にとってもそうであってしかるべきで、タルタリヤが知らない顔があって当然だ。
頭ではわかっている。それなのに気持ちがついていかない。
「はは…、思った以上に俺、重症じゃん」
恋とは、こんなにも身勝手なものだったのか。
初めて知る醜い己の心を、タルタリヤは嗤った。
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(父は、"恋"をしているのか)
その事実は王に生まれてはじめての衝撃を与えた。
璃月の民にあまねく注いできた博愛ではなく、己の分け身に等しい息子に注ぐ親愛ではなく、一個人として(本人曰く凡人として)身勝手に一方的に注ぐ恋慕の情愛を持っている。
それも、
タルタリヤの過失ではなく、彼を誘った旅人空の過失でもなく…ひたすらに運がなかった。
凶暴化した遺跡守衛の討伐を頼まれた遺跡に、好奇心で入り込んだらしい子供を空が見つけ暴れる遺跡守衛から庇い、その空をタルタリヤが庇った。
言葉にすればそれだけのことだが、結果は筆舌につくしがたいものになった。
凶暴化した遺跡守衛が振り回した腕の一部が割れその破片がタルタリヤの腹を深く刺しえぐったのだ。
倒れたタルタリヤの腹から出血が止まらず、破片を抜くことも出来ない。
もはや手遅れ、もういくばくもしないうちにタルタリヤは死ぬだろう。
(仕方ないな)
王は己の腹の中に手を突っ込み(物理的なそれではなく、神力を通した擬似的なそれだ)、その力の源、真珠粒程の輝く『光』を掴んで引きずり出す。
そのことに悲鳴を上げる自身の体を無視して、半狂乱になってタルタリヤにすがっている空を押し退けて叫んだ。
「死なせたくなかったら退け!」
「えっ、王?!」
「王!なにを、」
傷口は跡形もなく消え、刺さっていた大きな破片はいつのまにかタルタリヤの横に転がっている。
「……こっち見るな」
そこには、つい先程まで身に纏っていた戦装束の中でうごうごともがく5つかそこらの小さく幼い王が、不貞腐れた顔で視線をそらしている姿があった。
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その後、契約履行のため昆崙山に赴いたタルタリヤだったが。
出迎えた昆崙十二仙が、見事に幼児の姿に戻っていた王の姿を見て悲鳴を上げ、さらにその彼を抱いているのがかつて三度伏して懇願しても御出ましを叶えられなかった岩王帝君モラクス(正確には鍾離なのだが昆崙に引きこもっている十二仙はそのあたりの事情を知らなかった)であったことで絶句し、さらに王がモラクスから拝領したはずの神の力をただの人の子すなわちタルタリヤが腹の中に納めているのをみて絶叫した。
結果、昆崙十二仙の情緒をぐっちゃぐちゃにした元凶(おおよそ間違ってない)タルタリヤは昆崙山に沸いた魔の掃討に散々使われたあげく出禁を喰らったのだった。
「流石に…疲れた…」
「ああ、だが見事な働きだったぞ公子殿。」
「それはどーも。けど、先生…王を昆崙に置いてきてよかったの」
てっきり幼児の王を連れて帰るものだと思っていたタルタリヤは、自分が昆崙山から蹴り出された後、さも平然と一人で出てきた鍾離を見て少し驚いていたのだ。
「うん?今昆崙に沸いた魔は駆逐しつくしたからな。百年は危険はないだろう。世話は玉鼎真人に任せておけば心配ない。あれは世話上手の名伯楽でな」
「玉鼎?えーっと、あのやたら突っかかってきた短髪の人?」
「それは道徳真君だな。玉鼎は長い黒髪の細面の男だ」
「あー、なんとなくわかった」
「それに…若造口説くのに幼児連れでは様にならないだろうとな。王に気を遣われてしまった」
「……は?」
「公子殿、タルタリヤ。俺に口説かれてくれないか?」
ゆでだこのほうがましだろうと指摘されるほど、耳まで真っ赤になってしまったのだった。
「俺の腹にあるの、先生が王のために流した涙なんだろ。流石の俺でも思うところあるっていうか」
「涙?なんの話だ」
「えっ?!いや、ウェンティがそう歌ってて…」
「…あの飲兵衛詩人め、都合よく脚色したな。今公子殿の腹の中にあるそれは涙ではなく腕だ」
「……う、で?!」
「正確には右腕だな。王を送り出す儀でどうしても右手を王から離すことが出来なくてな…いっそのこと右腕だけでも王の側にと肩から切り落とした。それを純粋な神力に変換したものが、今公子殿の腹にあるものだ」
「ひぃっ…!」
「か、神様って腕切り落としても平気なものなの??」
「いや?流石に肩口から全部くれてやるとなると中々負担がかかる。…そういえば、ショウや迎えの太上老君も顔面蒼白だったな」
そりゃ突然岩神モラクスが自分で自分の右腕ぶったぎったら阿鼻叫喚でしょ、とタルタリヤは言いたかったが色々とショックが大きすぎて口をパクパクさせることしか出来なかった。