マーサ・カレン・キャンベルの冀望マーサ・カレン・キャンベルの冀望
レヴォネ家とガーランド家に勤める使用人達はここ最近皆浮き足立っていた。
両家は共に国内でも有数の貴族であり、更には国を巻き込んだ騒動の渦中の人物の家だ。
王太子による断罪と追放。それだけでも一大事だというのに、帰還したセイアッドの変貌ぶりと共に戻ってきたオルテガの愛執が表面化していたからだ。
レヴォネとガーランドは主人らも仲が良いが、使用人同士も交流が多い。まさに家ぐるみの付き合いだ。
彼等は二人の関係が前進した事を喜び、全力で応援している。セイアッドは恥ずかしがっている事が多いが、そんな姿すら微笑ましく見られているのだ。
祝福ムードに満ちている両家だが、今回の事で両家に関わる人間は世間の注目の的でもある。
そして、それは当人達以外の使用人も例外ではない。
「ちょっと、貴方達! 話を聞かせてよ! 旦那様も奥様も気にされてるのよ」
「うちも聞いてこいって五月蝿いの。お願い! なんでも良いから話して!」
レヴォネ家侍女長マーサとガーランド家侍女マイラは必死に頼み込んでくる使用人仲間達の様子に顔を見合わせて苦笑するしかなかった。
ちょっとした買い出しついでに井戸端会議をするのも使用人にとって立派な勤めだ。使用人という者はよく主人を見ているものだから情報収集の場として良く利用される。今二人の周りにいる者達も主人に言いつかって聞いているのだろう。
さて、どこまで話したものだろうか。そもそも話して良いものか。レヴォネ家に勤めるマーサは考え込んだ。
マーサの主人であるセイアッドはつい先日まで領地に追放されていたのが帰ってきたばかりである。激務で痩せ細り、まるで幽霊のようだった外見は領地で療養したお陰かすっかり元の美しさを取り戻していた。そして、戻ってからは辣腕を振るって国務を回している。
そんな主人の事を周りが気にするのは当然だろう。
マーサが勤め始めたのはちょうどセイアッドが宰相になった頃くらいだ。
美しく聡明な主人に仕えるのはマーサにとって喜びであった。地方の男爵家の三女という微妙な立場に生まれたマーサは早々に貴族として生きる事を諦めていた。それよりも良い就職先を見つけて良い主人に仕え、良い結婚相手を見つけて平穏無事に生きる事こそ、自身の幸せに繋がると強く信じてここまで生きている。
実際、レヴォネ家で侍女として勤められるようになったのは彼女のそういった気質が大きかった。
低位貴族の子女はマーサのように高位貴族の使用人として働く事は決して珍しくない。されど、末端とはいえ貴族に生まれた者の中には権力を諦めきれない者も多いのだ。
身も弁えずに主人やその子息を誘惑して追放される、なんて話はザラだ。上手くやった者は後妻に収まったり婚約者となったりするが、そんなのは極々一部。いずれにせよ堅実に生きたいマーサとは無縁のものだ。
侍女長へと出世したマーサはセイアッドに忠実に仕えた。お陰でレヴォネ家保有の騎士団の男と出逢い、順調にお付き合いを重ねている。
良き職場であり、最愛の人と出逢えた事に感謝しているマーサは主人に対して誠実でありたかった。
「少しなら良いわ」
悩むマーサを尻目に、あっさり承諾したマイラに、マーサは驚いて彼女を見た。
ガーランド家に勤めるマイラは同じく地方貴族の子女で勤め始めた時期も年齢も近い事から仲良くなった親友だ。
彼女の性格的に軽々しく主人の事を話す事はないのを知っているから驚いていれば、マイラがぱちりとウインクをしてくる。その仕草にどうやら彼女の主人の指示らしい、と思い当たってマーサは大人しくしておく事にした。
レヴォネ家には女主人がいないからどうしても女性主導の駆け引きが弱い。それをガーランド家の女主人エンカルナシオンが補ってくれる事が度々あった。
「ガーランドのお庭を壊したって本当なの!?」
「ええ、本当よ。セイアッド様の為に浴場を作ったの。硝子張りでとっても素敵な浴場なのよ。それに私達もご主人様達が使い終わった後なら使わせて頂けるの!」
「確かにあの浴室は素敵よね。私も使わせて頂くけれど、すごく綺麗なのよねぇ」
マーサが思い出してうっとりするのはたまに使わせて頂く硝子張りの浴場だ。
惜し気もなく魔石ガラスを使った浴場はまるで温室ように日差しや月明かりが降り注ぐ。魔石ガラスの効能で外からは中が見えないが、中からは王都でも屈指の美しい庭が眺められるようになっていた。初めは外から見えるような不安と羞恥心の方が強かったが、今では開放感が癖になっている。
セイアッドも気に入ったようで時折入っているようだ。それも、オルテガと共に。
領地にいる頃から彼等の間にあった関係は確かに変わった。
激務に痩せ衰えてボロボロだったセイアッドは誰よりも早く駆け付けたオルテガによって健康を取り戻し、夜な夜な磨かれて以前よりも遥かに美しく麗しくなっている。
想像するだけで倒錯的な光景だ。学生時代に学園でこっそり読んだ小説のような事が実際に起きているのだから。
オルテガと過ごすようになって、セイアッドは更に美しくなったと思う。細い指に光る指輪も、二人で寄り添って過ごしている姿もいつだって穏やかで甘い。そんな光景を目にする度にマーサは主人の幸せを強く願っている。
きゃあきゃあとはしゃいだ声をあげる使用人仲間達とそんな彼女達に嬉々としてオルテガとセイアッドの事を話すマイラの様子を見ながらマーサは少しばかり躊躇した。
こんな噂が広がったら、オルテガとセイアッドの関係は世間に周知される。
良いのだろうか、とマーサは一瞬悩んだが近頃幸せそうに表情を綻ばせている事が増えた主人の姿を思い出して考え直す。
そして、二人がお互いに深く想い合っている事を理解しているからこそ、この噂が後押ししてくれる事を願って、マーサも自分の主人が如何に幸せそうにしているのか話す事にした。
……こうして自分の知らない所で着実に外堀が埋められていっている事を、当のセイアッドはまだ知らない。